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2 ゴーストバスター

 指定されていた駐車場に、鯛介の運転する車が止まる。

 一行は車から降り、おのおの体を伸ばしたり、荷台から装備を下ろした。

 初夏の風が穏やかに吹き、ところどころに浮かぶ雲を、陽光が淡い色に染めている。

 良い天気だ。絶好のゴーストバスターびより。いや、本来の目的は、行方不明者の捜索なのだが。

 そんなことを思いながら、桜も背中を伸ばし、その場で軽いストレッチをした。

 見上げれば、うっすらと明るい空を、大きな鳥が優雅に飛んでいる。

「あ、グリフィンが飛んでるわよ」

「えっ、マジか!」

 顔を上げ、桜が呟くと、夜が慌てて空を見上げた。

「ウソよ。んなモンいるわけないでしょ。バカ」

「簡単に人騙すなよ!」

 憤慨する夜をよそに、桜は入念なストレッチを続ける。

「これはさすがに騙されるほうがすごいわ」

 グリフィンは、顔が鳥で下半身が猫科動物の生物という、巨大な肉食魔獣だが、そんなものが日本の空を平然と飛んでいたら大騒ぎだ。

 夜はまだブツブツと文句を言っていたが、ストレッチを終えた桜は構わず、車の荷台に回った。


「姐さん、どうぞ」

「ありがと」

 気の利く鯛介が、荷台に積んだ桜の愛剣を下ろしてくれていた。いよいよ舎弟めいているが、本人が良いなら良いだろう。


 愛用の武器は、刀身が分厚く幅広い、大剣グレートソード。量産品だが、それでも結構な値段がした。冒険者になる前に、子供に甘い父親から金を借りて購入したものだ。父娘とはいえ踏み倒す気は無く、ちゃんと報酬から少しずつ返している。

 鍵付きのケースを開き、鞘ごと入っている愛剣を取り出すと、ケースだけを車の荷台に戻した。

 いくら冒険者カードを持っていても、武器をケースに入れず持ち歩き、運悪く検問に引っかかりでもすれば、問答無用で警察に直行となる。冒険者は物騒な武器の携帯を許されているだけあって、違反者への罰則は厳しい。


 取り出した、ずしりと重たい武器を、桜は構えた。

 鍛えていても、若い女の腕だ。鯛助はケースごと片手で軽々と掴み手渡してくれたが、もちろん桜はそうもいかない。

 重量のある剣をまっすぐ構えるだけでも、充分に女性離れしている。だが別に、重量挙げの競技をしているわけではない。

 そのままゆっくり振る。二度、三度。それだけでも、首筋から背中にかけて、じわりと汗が滲んでくる。

 息を細く、深く吸う。イメージするのは、魔力を自身の肉体に、血液のように循環させること。魔力は、力。そう、この無骨な相棒を、自在に操る力を、彼女は練り上げる。

 ソーサラーの攻撃魔法フォースは、練り上げた魔力を外に放出させる。魔力が少々ある程度では、これが非常に難しい。

 多くの魔法戦士ルーンファイターが得意とする肉体強化エンハンスは、自分の肉体を強化するだけなら、それほどの魔力が無くても楽に発動出来るし、長持ちするので、使い勝手が良い。反面、他人を強化するのは難しく、長持ちしない。


「――全体、三割強化」

 呟きとともに、すっと剣が軽くなる。

 大剣が、普通の剣になったくらいの軽さだ。これ以上軽いと、逆に振りにくい。

〈三割強化〉と言うのは、桜が適当にそう決めて呼んでいるだけだ。全身を〈三割強化〉すれば、大剣を持ち歩いても苦にならない。〈五割強化〉で、激しい運動をしたり、振り回すことが出来る。

〈三割強化〉で使う魔力量は、大したことは無い。継続的にかけ続けることのほうが大事だ。一回かけると、三十分は持つ。とはいえ探索が長くなれば、いずれ魔力は尽きてくる。また強化する部位や注ぐ魔力の割合で、魔力の消耗も変わる。

 武器と魔力を駆使して戦うルーンファイターは強力だが、体力と魔力の配分それぞれに気をつけなればならない。

 おかげでウエストポーチは滋養強壮剤ポーションでいっぱいだ。


 桜は、自分の肉体が貧弱であることを、知っている。

 人間は亜人に身体能力で劣り、女は男に力で劣る。

 どれだけ鍛えても、人間の女子として生まれてしまった以上、得られる力はたかが知れている。

 幸いだったのは、多少の魔力があったことだが、それも大した量では無い。

 だから、力と魔法それぞれで、足りない能力を補うルーンファイターとしての戦い方を、徹底的に鍛えてきた。

 力を魔法で底上げする――考えとしてはごく単純だが、戦闘中に剣を振るいながら常に肉体強化魔法をかけ続けることは、言うほど簡単なことではない。

 なにより、その剣技も、立ち回りも、魔法では強化出来ない。戦って生きようと決めたときから、桜が剣を振らなかった日は無い。 

 弱い人間の少女が、少しでも強くなるために、自分の特性を最大限に生かす戦い方を、幼いころに自分で見極め、脇目も振らず突き進んできたのだ。

 桜の戦いを見た人間は、そのずば抜けたセンスに圧倒されるが、その根底には鍛錬と努力がある。積み上げた自信が、強い精神力を支えている。


 よろしくね、と心の中で愛剣に語りかけながら、普通の少女の力では振るうのも困難な、大振りの剣を難なく背負う。中古で値切って買った量産品とはいえ、幾度も死線をともにくぐり抜けた戦友だ。


 剣が大きいぶん、防具はかなり軽量化している。

 そもそも人間の女冒険者で、分厚い鎧を着込んでいる者など見たことも無い。受けるよりは避ける。中途半端な防御力に頼るくらいなら、身軽さを生かして逃げたほうがいい。


 インナーは魔糸製の分厚いレオタード。すらりとした細い足にも魔糸製のタイツを身に着けている。

 細い胴をコルセットタイプ革鎧レザーアーマーで覆い、腰にベルトを巻き、剣を背負うためのベルトもしっかり固定されている。

 腕全体にアームカバーを嵌め、肘から下は更に手甲で覆われている。

 ブーツを履き、脚にもレッグガードを付けている。

 それでもオーガのような巨漢モンスターの攻撃をまともに受ければ、一発で骨までやられてしまう。

 あくまで、敵の攻撃は躱わすか、受け流す。

 乏しい魔力は防御にではなく、すべて攻撃に回すのが桜のやり方だ。




「……おはよぉ~……」

 一番最後に車から出てきた小柄なソーサラーが、眠たげな目を擦り、うーんと体を伸ばした。ふんわりとした薄茶色の髪が、肩下にかかる。

 童顔に似つかわしくない豊満な胸が、薄ピンクの布地を押し上げる。

 ワンピースタイプのローブは、桜の装備以上に防御力が無い。いや、ほぼゼロだ。いちおう魔糸製だろうが、単なる衣服である。

 それ自体は、間違ってはいない。桜や他の男連中と違って、アーマーを着込む必要が、ソーサラーには無い。肉弾戦を挑むわけでは無いし、最悪、逃げやすいなら何でも良い。

 見えないがワンピースの下にスパッツを履き、ブーツを履いている。露出しているのは手の先くらいだというのに、何故かいやらしさを感じる。ゆったりした布の下に隠れていてもその大きさがよく分かる胸の所為なのか、甘ったるい喋りかたの所為なのか、それとも、以前冒険者をやる傍らで売れないグラビアアイドルをやっていたという、謎の経歴を持つ所為だろうか。

 いや、冒険者のほうが副業だったのかもしれないが、どちらにせよ芽は出なかったようなので、どちらでもいい。厳しい世界で生きるには、アホ過ぎたのだろうと桜は思っている。本人いわく「さんざん食いものにされた」ようだし。

 だがそれは冒険者としても同じだったようで、桜と出会ったときも、とんでもない目に遭っていた。組んでいたパーティーの男にストーキングされ、ダンジョン内で襲われかけていたのだ。

 そこをたまたま、別の仕事の途中でばったり出くわした桜が、男をぶちのめして助けて以来、すっかり仲良く――いや、一方的に懐かれている。

「おはよ。やえ」

 と桜は声をかけ、まだ眠たそうにふらふらしているその背中を、弟にするビンタの十分の一くらいの力で、パンと叩いて気合を入れた。

「きゃん!」

「きゃん、じゃねーよ……」

 ぴょんと跳び上がった女を見て、桜は顔をしかめた。なんで自分の周りは、こうもぶりっ子ばかりなのだろうか?

 可愛がって育てた弟もいつか、自分とは似ても似つかない、ドンくさいくせに男受けのする、顔だけはやたら可愛い女に引っかかることだろう。

「もー、びっくりしたよぉ、サッちゃん」

「こっちがびっくりしたわ」

 ふう、と息をついて、桜はやえに告げた。

「さ、そろそろ気合入れなさいよ。中にオーガが十体出るダンジョンよ」

「えっ、そんなの、聴いてないよぉ!」

「ウソよ。まだ何が出るか分かんない。アンデッドは出るだろうけど」

「なんだぁ、アンデッドかぁ。あたし、アンデッドなら平気。オーガはコワイけど」

 とにっこり笑ってピースサインをするやえに、もう一発殴りたい衝動を桜は抑えた。

 まあ、そういう仕草が似合う女ではある。多分、自分より五歳以上は年上だろうが。

 狙ってやっていないというのも恐ろしい。別に本人は、モテようとか、可愛く見られようなどと、思っていない。素なのだと、付き合っているうちに分かった。

「どんな理屈よ」

「だって、アンデッドってもう死んでるもんね」

「まあ、そうなんだけど……。オーガなんて生きてるじゃん。死んでるのが動いてるのが怖いって発想は無いわけ?」

「えっ、やだ、そう言われたらコワイよぉ」

 やえは先端に魔石の付いた短杖ロッドを胸に抱き、小兎のように身を震わせた。

 車内での夜の気持ちが分かる。桜は得体の知れないものを見る目で、可愛らしい年上の女を見た。

「……アンタが怖いわ」




 早朝だというのに、役所の職員と、地元の警察が、揃ってダンジョン前で一行を迎えた。形式ばったやり取りが、桜は好きでは無い。面倒なやり取りは灰児に任せた。

 灰児の言ったように、三重になった塀が、建物とそれ以外の敷地ごと、ぐるっと囲っていた。旅館時代の駐車場や庭園もそのままだという。

 物理的な侵入を阻むブロック塀の中に、霊的な存在を封じ込める清めの霊石やら札が入っているらしい。

 穢れた魔素でたっぷりの場所に惹かれてやって来た幽鬼ゴーストは、この敷地内には簡単に入れるが、外に出るのは難しいという仕組みだ。

 壊すに壊せない廃墟ダンジョンだが、ゴースト系モンスターに対する避雷針のような場所として、残すことに意義もあるらしい。

 と、これも灰児から聞いた。

 まともなシャーマンは、どのパーティーからでも引く手数多というのは、実際そうなのだろう。シャーマンはその有用さに反し、敬遠されがちだ。能力はあっても変わり者が多い。それ以上に、偽者が多いのだ。

 まともな者ほど能力を隠し、別のクラスをやっていたりもする。灰児はそのタイプだ。

 高レベルのシャーマンになるほど、フリーの冒険者が多い。彼らを雇うのに高額の報酬を要求されるが、それでも需要は高い。そういうところが敬遠される理由でもある。

 灰児とは、このパーティーの中で、一番付き合いが古い。

 といっても全員出会って二ヶ月程度だが、『一つの冒険が一年の付き合いに匹敵する』とは、冒険者の間ではよく言われる言葉だ。

 たまたま一つの冒険を共にして、それから仲良くなった。以来、桜はどんな依頼でも、まず一番に灰児を呼ぶ。灰児も必ず来てくれる。

 桜や仲間たちがどんなに熱くなっても、灰児だけはそうならない。常に熱情のほとばしるような自分を、ガラス玉のような目で冷静に見つめながら、誰よりも傍で支えてくれる。

「桜、入れるよ」

 警官や職員と簡単に話を済ませた灰児が、声をかけてきた。桜は顔を向け、にこりと笑った。

「ありがと。行くわ」




 役所の職員が、ゲートを開けてくれた。

 一見厳重だが、塀の高さは三メートルほどだ。高圧電流が流れているというわけでもない。

 冒険者でもない廃墟マニアでさえ、侵入しようと思えば、侵入出来そうだ。実際にネットでは、無断で入って好きに撮影されたとおぼしき画像も見つかるらしい。

「便宜上、ちゃんと囲ってます、って風体だね。珍しくは無いけど」

 と灰児が呟く。

 彼は細い体を、鈍い銀色にきらめく全身鎧で包み、盾と鉾槍ハルバードを手にしている。

 夜は黒衣の上から黒い鎧を着て、片手剣を携えている。剣の鞘まで黒塗りだ。暗いダンジョンの中だと、たまにコイツ居るの分かんなくて斬りそうになるのよね……と徹底した黒ずくめを見て、桜は思う。

 なにより一番バカっぽいのが、黒いマントを付けていることだ。どこの旅人だよ、と言いたくなる。たまに剥ぎ取って汚い場所で休むとき、レジャーシート代わりに使わせてもらっているが。

 夜は盾は持たない。そのぶん片手が空くからと、ランタンを手にしていた。

 鯛助はどう見ても普通のTシャツと迷彩ズボンの上から、右胸だけを革の胸当てで守っている。頑丈な皮膚を持つリザードマンには、それで充分なのだろう。

 武器はいつも鉈のような剣か大槌ハンマーを行き先によって使い分けている。今日は廃墟ダンジョンということで、ハンマーを持って来たようだ。腰にも大降りのナイフを差している。

 やえは短めのロッドとゆったりしたピンクのワンピースローブ。肩下まで伸びているふわふわウェーブヘアを、ピンクのヘアゴムで顔の横でツインテールにまとめている。どちらにしろ長たらしくて邪魔なので、くくる意味があるのかは謎だ。

 そして桜は大剣を担ぎ、短いポニーテールを揺らし、まっすぐに廃墟と化した巨大旅館を目指す。


 一番外のゲートが閉まると、次のゲートが開く。そのゲートをくぐって閉まると、最後のゲートが開く。それらはすべて外からの操作で行えるようだ。

 すべてのゲートをくぐり、入り口に向かって、かつて駐車場だったらしき場所を歩く。

 朽ちた車が幾つも残されていた。途中、誰か乗っているかと思ったら、死霊レイスだった。

 ぼんやりとした目で、運転席に座っていた。

「うお、ビビッた」

 と夜が情けない声を出した。

「消すかい?」

 と灰児が桜に尋ねた。

「放っておきましょ。まだ建物にも入ってないし。外でこれなら、中にどれだけいるのか分からないわ。温存してて」

 桜はあっさり答え、レイスを無視した。

「オイ、後ろから子供がついて来てんだけど……」

 夜が嫌そうに言う。

 小さな子供の笑い声がして、一行の後ろを楽しげに追いかけて来ている。探している少女ではなく、小さな少年だ。体のあちこちが欠損し、血を流している。眼窩がぽっかりと黒い空洞のように虚ろで、あきらかに生者では無い。

「やーん」

 とやえが怖がって大きな鯛介の腕に抱きついた。思いきり胸が当たって、鯛介は気まずそうな顔をした。

 ほとんどのレイスは、物理的には害は無い。が、このように鬱陶しい。特にテリトリー内に侵入してきた者を、執拗に付け回したりする。いくら攻撃をしてこないと言っても、存在が存在だ。見た目がグロテスクなことも多く、精神的にやられる者もいる。

「……クソめんどくさいダンジョンっぽいわね」

 桜が舌打ちしながら言う。

 灰児が立ち止まり、振りかえる。ハルバードの柄を地面につき、盾を持った腕を軽く広げ、短い詠唱を唱えた。千切れかけた足を引きずって駆けてきた子供のレイスを、受け止めるように、囁く。

「迷い子よ、閉じない環から外れた魂よ、恐れるな。死は誕生。死は眠り。永遠を循環する魂は、ひとときの安寧ののち、また此処で、産声を上げるだろう」

 瞬間、子供の体が、淡く発光する。不気味な姿だった少年が、光の中で生前の健やかな体を取り戻し、まるで生きているような驚きの表情を浮かべたあと、自身が死んでいることを受け止めたかのように、そっと目を閉じ、消えた。

 灰児の〈即時所霊ターンアンデッド〉は、少年のレイスだけでなく、周囲に何体か彷徨っていたレイスも、同時に消し去った。運転席の男ももういない。

「優しいのね、ハイジ」

 立ち上がった戦士を見やって、桜は微笑んだ。

 灰児は無表情で、かぶりを振った。

「別に、そんなことは無いよ。僕もわずらわしいとは思ったから。悪いね。ダンジョンに入る前に、無駄な力を使ってしまった」

「アンタがそうしたいなら、いいのよ」

 白銀の鎧の背中をぽんと叩き、桜はそう言って、また歩きだす。

「やっぱり、こういうとこではハイジ、頼りになるねぇ」

 鯛介の腕に捕まったまま、やえが喜ぶ。鯛介は困っているが、気が優しいので振り解くことも出来ず、彼女の歩調に合わせて小股で歩いている。

「やっぱ、ターンアンデッドはいいよな。なんか、浄化ってかんじで。ソーサラーの〈退魔〉エクスターミネートは、成敗ってかんじだもんな。たまにゴーストがギャーとか言ってるし……」

 夜が感心したように言った。灰児が淡々と答える。

「エクスターミネートは、精神魔法の〈恐怖フィアー〉を応用したものだからね。精神体に強烈な死のイメージを与えて、魂に二度めの死を与える。……と言っても、魂が消えて無くなって二度と生まれ変われないとかじゃないから、大丈夫。どんな方法であれ、死には違いない。気にすることは無いよ」

「うーん、そうか。ちょっと可哀相なんだよなぁ」

 黒髪をぽりぽりと掻き、夜が頷く。

「人間ばっかりが死んだら可哀相じゃないでしょ。モンスターはモンスターよ。変な感傷持ってないで、ハイジにばっかり任せてないで、夜、アンタもキリキリやんのよ」

 桜が振り返って言う。

「わーってるよ」

「いいなぁ、夜は魔力いっぱいあって。やえもエクスターミネートできたら、役に立つんだけど……」

 肩を落とすやえを、お人好しの鯛介が慰めた。

「でも、やえさんが光明ライトの魔法使って照らしてくれてたら、助かりますよ。いつも位置取りとか、ばっちりだし」

 ぱっとやえの顔が明るくなる。長い睫毛に縁取られた目の端には、嘘泣きでは無い涙が光っていた。リザードマンの青年を純真な瞳で見上げ、ちょこんと首を傾げる。

「タイちゃん……ありがとぉ……。おっぱい触る?」

「いや、いいす……」


 そんな仲間たちのやり取りを、桜はちらりと見やり、思う。

 魔力の少ないソーサラーやら、そのソーサラーより魔法が得意なルーンファイターやら、シャーマンとしてより有能なファイターやら、何だかでこぼこな連中ばっかりね、と内心で思いつつ、全員に共通しているのは、結局お人好しばかりだということだ。

 そういう連中が、桜は嫌いでは無かった。




《竜胆館》という名の元・旅館であり現・廃墟ダンジョンは、取り壊される日を待ち、周囲を何重もの塀に囲まれ、佇んでいた。

 朽ちかけた建物の前まで来て、桜は口許に笑みを浮かべた。

 その表情に、おののきは微塵も無い。車中で塗ったリップクリームなんてとっくに乾いて、すぐにかさつく唇を、桜は自分の舌でぺろりと舐めて湿らせた。

 写真で見るよりも大きな旅館だ。かつて営業が順調だったころには、大勢の人がやって来たのだろう。

 近くの源泉から湯を引き、天然温泉に入れることが売り文句だったようだが、源泉からすべての湯を汲み上げてしまうと、客足も遠のき、やがて廃業した。

「嫌な感じだね。澱み過ぎてる。元来、人の手が入った場所のほうが穢れやすいというのもあるけど、それにしてもここまで放っておき過ぎだ。フロアごとに即時除霊ターンアンデッドを使う。それで祓いきれなかった幽鬼系ゴーストは、夜が片付けて。ゾンビやスケルトンがいたら、桜とタイスケに頼む。やえは、魔法で灯りを切らさないでほしい」

「分かった。それでいきましょう」

 灰児の言葉に、桜と他のメンバーが頷く。

 かつては大きなガラスがはまっていただろう入り口は、すべてのガラスが割られ、コンクリートと木の板で塞がれている。

 朝の光も、建物の奥までは届かない。その木の板も、予想に違わず壊されていた。ぽっかりと口を開けたその奥は、電気が通っていないので当然暗い。

「なんだよ、この木の板、腐ってるぜ。大事件あったにしては、テキトーだなぁ」

 鯛介が呆れたように呟く。

「ぶっ壊すわ。タイ、どけて」

 板を外そうとした鯛介に、桜が促す。

「――下肢、五割強化」

 彼女がバリケードを蹴り飛ばした瞬間、建物の奥から、怒るような呻き声が響いてきた。生きているものの声では無い。

 夜がふと上を見上げると、埃で曇った四階の窓の向こうで、白い人陰がじっとこちらを見ているようだった。夜は整った顔をしかめた。

「案の定の、ホラーハウスだな」

「もぉー……こわーい」

 桜のたった一言ですっかりアンデッド嫌いになったやえが、これから心霊スポットに突撃するアイドルのように、身を竦ませた。


 長年染み付いた血の臭い。死の臭い。建物全体から慟哭が響いている気がする。

 この迷宮に、なにが待っていて、どんな敵がいるのかしら?

 考えるだけで、頭が、全身が熱くなる。

 隠しきれない獰猛な笑みを浮かべ、桜は号令をかけた。

「よし。行くわよ」




 ソーサラーのやえが、魔法で光源を生み出す。

 宝石のようにカットされた魔石を触媒に、光が広がる。

 彼女を隊列の中心に置き、守るようにしながら、パーティーは廃屋内を進んでいく。

 旅館だけあって通路は広い。廊下には埃かぶって変色した赤いカーペットが敷かれている。足音を吸い込んでしまうので、自分たち以外の気配に気を付けながら、慎重に進む。

 先頭は、盾を構えた灰児。後ろにランタンを持った夜。それからやえと、その隣を桜が、最後尾に鯛介。瓦礫が道を塞いでいるときは、それをどかしに行く鯛介に代わって、桜が後方も警戒した。

 途中で遭遇したモンスターは、死霊レイス騒霊ポルターガイストなど、すべて実体の無いゴーストモンスターだった。灰児のターンアンデッドで難なく片付いた。

 しかしさすがにワンフロアが広い。一階をくまなく探索するだけで、あっさり二時間も経ってしまった。


「この調子で七階層か。骨が折れるな」

 夜が呟く。

 ぐるりと回り、ロビーまで戻って来て、一行は休息を取ることにした。その途中で、桜は自分の腹をさすった。

「あたし、おにぎり食べようっと」

「もうかよ。まだ一階だぞ?」

 桜の言葉に、夜は呆れた顔を向けた。

「だいたいお前、こんなとこでよくメシ食おうって思うよなー……」

 壁のいたるところに、赤茶けた染みが残っている。

「オーガだってここで人喰ってたんでしょーが」

「だから嫌だって話だよ!」

「問題は、きったないソファしか無いってことよね。夜、マント貸してね」

「だから、人のマントをそういうことに使うんじゃねえよ!」

「じゃあ、何に使ってんのよ。まさか、ファッション……」

 ぐっと夜が口ごもる。

「わ、悪いかよ……」

「ううん。悪くは無いわ」

 生暖かい目を向け、桜は夜の肩を叩いた。

「イタイだけよ」

「い、いいじゃねーか! お前だってどう考えても使いにくいでっかい剣持ってるだろーが!」

「あたしの剣は意味あるわよ。これでぶっ殺されると思ったら、それだけでビビるでしょ。戦いっていうのは、まず相手をビビらせることから始まるのよ」

「なんでお前そんな女の子になっちまったんだ……」

 顔は可愛いのに……、とまでは言わず、夜が呟く。

「これでも幼少時から戦ってきてんのよ。命がけでね」

「なんだそれ? お前んち、父親が子供に甘いって言ってなかったっけ?」

「父親はね」

 不思議そうな顔をする夜に、桜はそれだけ答えた。


 そうして旅館の入り口に、一行は再び戻ってきた。

 広々としたロビーに、かつての賑やかさなど微塵も無い。壊れたテーブルやソファが散乱している。当時飾ってあった絵や調度品が残っているのが、かえって物悲しい。

 ひまわり畑を描いた大きな絵が、半分に折れて踏み散らかされていた。

「オーガやゴーストばかりが居たわけじゃないわね」

 荒れたフロア内を見て、桜が言う。灰児が頷く。

「そうだね。まあ、すでにオーガは居ないし、ゴーストだけと割りきれば、別にそれほど脅威じゃないからね」

「そうか? 俺は心臓に悪いから、嫌だぞ」

 夜が口を挟む。灰児は彼のほうではなく、ふとフロントのほうを見た。

「……ただ少し、鬱陶しいというだけで」

 一階のゴーストはあらかた灰児が掃除してくれたはずだが、いつの間にかまた湧いていている。

 フロントのカウンターの奥に、頭から血を流した女性のレイスが立っていて、一向を見てにたりと笑った。

 コードの繋がっていない電話が、突然けたたましい音を立てる。女レイスが血を滴らせながら大口を開け、笑っている。

「き、きめえ……。だから、幽霊って嫌いなんだよ」

「いやぁ、こわーい」

 夜が顔を引き攣らせる。やえが桜の後ろにさっと隠れる。

「ちょっと、アンタ。なにすっかりアンデッド恐怖症になってんのよ」

「だって、さっきサッちゃんがコワいこと言うからぁ」

「はぁ? 言ってないわよ」

「言ったよー。いままでアンデッドなんてただの動く死体だと思ってたのに、よく考えたら、永遠に浮かばれない飢餓感で憤怒と悪意の権化と化した怨霊が、生者を自分たちと同じ生と死の狭間の生き地獄に引きずり込もうとしてるんだって、そう思ったらすごくコワくなっちゃったの!」

「そこまで言ってねえよ。……はいはい、ごめんね。よしよし」

「い、痛い、痛いっ! それ、よしよしじゃなくて、グリグリだよぉ!」

 桜はやえの頭を撫でてやったつもりだが、失礼なことを言われた。

「消してくるよ」

 灰児のその言葉だけで、女レイスがひるんだ。ゴーストにとってシャーマンの存在は天敵である。それが本能的に分かるのだ。

 もっとも、本人はどうしてもシャーマンを名乗りたくないようだが。

「ね、待ってよ」

 桜が灰児の肩を掴む。

「ちょっと、あたしにやらせてよ」

 と桜は言って、舌なめずりをしながら、大剣を抜いた。


 桜に霊力は無い。

 ターンアンデッドの出来ない者が、霊体に干渉する方法は、二つある。

 一つは、精神魔法を応用した、対幽鬼用の攻撃魔法を使用すること。

 もう一つは、霊にふたたび、死を思わせるほどの精神的恐怖を与えること。

 幽鬼ゴーストは精神体の塊だ。恐怖を与える攻撃が、非常に有効だ。

 桜は剣を抜き、血塗れの女に堂々と近づいていった。朽ちたカウンターで受付嬢ごっこをしている悪戯好きの悪霊。

「ねえ、電話、鳴ってるわよ。出ないの? 仕事でしょ? 受付嬢さん」

 と自分で言ったときに、特に意味は無いがセンターで馴染みの受付嬢の顔が、ふと思い浮かんだ。

 とっくに笑っていないレイスに、逆に桜はにたりと笑って見せた。

 幽霊のほうが得体の知れないものを見るような目で、自分を見ているのが可笑しい。笑っているだけの桜のまとう雰囲気に威圧され、まるでこれから捕食されるのを待つばかりの、すでに傷ついた獲物のようだ。

 カウンターの前に立った桜は、両手で柄を持ち、軽く腰を落とした。

「じゃあ、あたしと遊んでよ。ね、あたしが剣を振り下ろすからさあ……」

 朽ちた電話機がしつこくコール音を告げている。

「テメエは死ねよ!」

 桜は大剣を目にも止まらない速さで振り上げ、それ以上の速さで素早く振り下ろし、電話機ごとカウンターの机をへし折った。恐怖で固まる女レイスの体を、無骨な大剣が真っ二つにした。といっても、霊体に物理攻撃は効かない。だがレイスは絶叫を上げ、消滅した。

 死してなお現実にしがみ付く魂を、桜は魔法も使わず、剣で殺した。その気迫と剣撃が、霊に二度目の死の恐怖を与えたのだ。

「へー、ほんとにこれで消えんのね。試してみて良かったわ」

 感嘆する桜を、仲間たちは遠目から、夜と灰児は半笑いで、鯛介とやえはキラキラとした子供のような目で見守っていた。

「サッちゃん、かっこいー!」

「すっげえ、姐さん!」

 喝采を上げる仲間の横で、灰児が苦笑しながら、呟く。

「まあ、理屈としては、間違ってないんだけどね……。実際、ほんとにそれでゴーストモンスターを殺しちゃう人って、ちょっといない」




 桜はこれまで、どんな敵を目の前にしても、恐ろしいと思ったことは無い。

 彼女の戦士としての最大の武器は、剣さばきでも、戦いの巧さでもない。

 その並外れた胆力にある。

 きっと、恐怖心なんて母親の腹の中に置き忘れてきたのだろう。


 そんな彼女が、いままで、たった一つだけ、怖かったことがあった。

 剣を握るときでさえ指が震えたことなんてなかったのに。その怖さを乗り越えて、勇気を出したのに、あっさり敗北した。


 それは、桜が一度だけした、告白だった。

 でも、あっさりフラれた。


(オレは……サクラのこと、姉さんだと思ってる)


 困ったような弟の言葉を、いまでもありありと思い出せる。

 そりゃそうだ。

 判っていたけれど、思っていたより辛かった。

 あんな痛い思いはもうごめんだし、あれに比べたらどんなことも怖くない。


 あの子にとって姉以外のものになれないなら、徹底的に姉になってやろうと決めたのだ。強くて、頼もしくて、ずっと背中を追いかけていたくなるような。

 あの人が姉さんで良かったと、思えるような存在に。

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