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1 戦いは少女のたしなみ

 この世界には、敵がいる。


 強く恐ろしく、得体の知れないものを、人間は魔物モンスターと呼び、恐れ、排除しようとしてきた。

 きっと、最初はただ、自分たちの生きる領域を守るために。

 それがいつの間にか、あいつらより自分たちのほうが強くなってるってことに、当の人間あたしたちだけが、気付かないままなんだろう。

 そうしてずっとあいつらばかりを怖がって、必死に戦い続けてたら、あっちが先にいなくなってたりして。


 そうなると、あたしとしては、困る。

 あたしの剣を受けてくれるのは、あいつらくらいだから。


 勝手にあたしたちはあいつらを魔物って呼ぶけど、あいつらからすれば、あたしたちのほうが魔物って呼ばれてるかもしれないわね。

 そしたら、魔物をたくさん殺した罪で、死んだらあたしは地獄行きかも。

 そうは思っても、ご飯のあとの甘いものみたいに、あたしはついつい、戦うのをやめられない。

 最近女子高生を辞めたあたしは、今はそれを生業にしている。


 この世界で一番偉い神様が、魔物の神様じゃないことを、祈るわ。






 この世界は、人と亜人と獣と魔物が生きる世界で。

 地上の支配者は、いまのところ人間だ。


「サクラ」

 ぶっきらぼうな声とともに、携帯電話が差し出される。

 女らしいといえば女らしいピンク色の電話は、日ごろから乱雑に扱われているせいで、角はことごとく欠け、傷だらけだ。

「サクラ。電話」

 バイブレーションとともに、男性アイドルグループの熱唱が響いている。甘い声でかわるがわる口ずさまれる軽快なメロディ。サビでは全員揃って、愛だの恋だの君を守るだのと大合唱。

 誰に守られる気だよ、と弟は心の中で思った。

 電車で尻を触ってきた痴漢の指を逆にへし折るような女が。

 ……などと口にした日には、痴漢と同じか、それ以上の制裁を受ける危険性が100パーセント超えなので、立場の弱い弟はただひたすら根気強く、携帯電話を差し出すしか出来ない。

「サクラってば」

 姉のさくらは、リビングのテレビの前に寝転がり、バラエティ番組を観ながら、床にファッション雑誌を広げていた。

 自分あての呼び出しを、空気のように無視する彼女に、弟もさすがに強めに言った。

「姉さん! 電話、ずっと鳴ってるけど」

「誰が姉さんよ」

「アンタだよ」

 他の家族は父と弟だけだというのに、彼女はそんなことに頓着しない。

 ほっそりした体にタンクトップとハーフパンツのみの姿だ。十七歳になったばかりだが、体つきに女性らしさは乏しい。部活に励む中学生男子のようだ。引き締まったしなやかな肢体はともかく、胸も尻も一緒に引き締まってしまったようだ。

 肩につくくらいの茶髪が、少年のように浮き出た鎖骨にかかっている。

 目尻の切れ上がった顔だちはキツめに見えるが、全体的に見て、美人と言っていい。

 だが、弟にとっては、ただの世界一恐ろしい姉だった。

「いま忙しいの。テレビ観て本読んでるから」

「結局なに見てんだよ」

 しかも、晩飯のあとだというのに、まんじゅうまで食べている。寝転がる細い体の横に、食い散らかした包み紙が放られていた。

「あのさ。いい加減、出てくんない? ウルサイんだけど」

 ようやく顔を上げた姉の目の前に、携帯電話を突き出した。

「アンタが煩い。代わりに出てよ」

「出れるか。ほら、相手、東京中央冒険者センターだって」

「ちょっと、シオン。なに人の電話のディスプレイ観てんのよ」

「だって、代わりに出ろって言ったじゃねーか……」

 理不尽に叱られた弟の、明るい茶色の髪から突き出た猫の耳が、少し哀しげに下がっていた。

 人間の姉と、亜人の弟。

 血の繋がらない弟・紫苑しおんは、かつて冒険者だった父親が橋の下……ではなく、ダンジョンで拾ってきた、猫亜人ワーキャットの子供だ。

この変わった耳と尻尾を持つ弟を、桜は昔から面白がって……ではなく、とても可愛がって育てた。

「マジメか。真に受けなくていいの。わざとシカトしてるに決まってるでしょーが。ったくもう、ウッザいわね。木之下きのしたかしら」

 はあぁ、とわざとらしいため息をつき、よいしょ、と桜は体を起こした。

「センターからだろ?」

 しつこく着信を告げる携帯電話を、チッと舌打ちしながら嫌々受け取る。

「受付嬢よ。クッソトロくてお局にイジメられてんの。仕事回すのヘタでさぁ。面倒な依頼を上手く頼めなくて断られまくってたの。ほら、あたし、優しいじゃない? 可哀相で仕事受けてやったのよ」

「優しいんならクソとか言うなよ」

「と思ったら、案外したたかな女でさぁ、そっから付け上がってきやがったのよ。『桜さぁん、誰も受けてくれないんですぅ~』って言いながら、毎回面倒な仕事を押し付けてくんの。すっかり騙されたわ。あたしってほら、優しいじゃない?」

「二回言うなよ」

「何が哀しくて七つも年上の女に、親近感持たれなきゃなんないのよ。『小野原桜と木之下さららって名前も似てません?』って。ねえ、似てる?」

「似てねーよ。早く出たら?」

「ていうかさららって……お前そんな名前だったのかよってことのほうが大きかったわね。あ、切れた」

「早く出ないから」

「あー、いま出ようと思ったのに。ざーんねん」

 嬉しそうな姉を、弟は白けた目で見つめた。

 しかし、すぐにまた、電話が鳴り出した。

 元気な若いアイドルが声高らかに、愛だ恋だ君を守るだのと、絶好調なサビから歌い出す。

「げ。このしつこさ。絶対、木之下さららよ。何時だと思ってんのよ、時間外でしょ……」

「違うかもしれないし。出れば?」

 顔を引き攣らせる姉を、弟が促す。

 どうせ最終的には出るくせに、と姉の性格を把握している弟は内心で思うが、もちろん口にはしない。

「緊急の電話かもしれないし」

「ハイハイ」

 はぁ、とまたため息をつき、桜はようやく電話に出た。その隙に薄情な弟はそそくさと去っていった。

 亜人の弟の後ろ姿を睨んで呟く。頭からはぴょっこりと猫の耳が、尾骨の辺りから長い尻尾が、アクセサリーのようにくっついているが、アクセサリーでは無いので、触ると嫌がる。特に尻尾を引っ張ると、けっこう本気で泣けるらしい。

「チッ。アイツ……あとで尻尾引き回しの刑ね」

〈――ええっ!〉

 うっかり通話に出たまま口にしてしまったので、電話の向こうで驚きの声が上がった。

「あ、ごめんなさい。こっちの話でーす。もしもし、小野原ですけどぉ、なにかありましたー?」

〈桜さぁん。私です、木之下ですぅ……〉

 アニメ番組のキャラクターのような甘ったるい声に、桜は顔をひきつらせつつ、声には出さない。「あわわ」とか「はわわ」とか言う女は嫌いなのだ。

「あー、はいはい、木之下さん。またなんか、無理難題ですかぁ?」

〈そ、そんなこと無いですぅ。桜さんはお強いから、相応のお仕事をぉ……〉

 こうやって語尾を伸ばすから、お局の気に触るのだろう。気持ちはとても解る。お局さまの気持ちが。

〈あの、い、嫌なら、断ってもらって、構いませんから……〉

「じゃあ、イヤ」

〈ええーっ!〉

「イヤって言ってもいいんでしょーが」

〈は、話聞いてからでもいいじゃないですかぁ〉

 ふえーん、なんて狙って出さないとありえないだろそんな泣き声……と思いつつ桜はますます顔を引き攣らせた。

「まあ、訊くだけ訊くわ」

〈きゃっ。ほんとですかっ?〉

 ころっと明るい声に、桜は眉間の皺をいっそう深くした。

「でもこの前みたいに、かかった経費は依頼料から差し引きなんて大事なこと言い忘れたら、センター長に直接連絡して、一時間くらいクダまくからね?」

〈はわわ。そ、そのせつは、す、すみません……い、以後気をつけます!〉

「頼むわ。あとあたしの前で二度とはわわって言わないでね。で、何の御用ですか? これからお風呂入りたいから、依頼内容を言って。ズバッと」

〈あ、はい。娘さんを連れて行方不明になった、魔道士ソーサラーの捜索なんです。えっと、あ、すみません〉

 電話の向こうでパソコンのマウスをクリックする音がする。

「ヤバい奴? なんかしたの?」

〈いえ。一週間ほど前に、ダンジョンに行って来ると知人に言い残して、それきりだそうです〉

「センターを通さずに?」

〈あ、はい。ダンジョンの目星は付いてるんですけど〉

「ふうん。そいつ、なんて奴?」

〈う、受けてくださるんですか?〉

「受けるわよ」

〈え、えええっ!〉

 耳を痛めそうな甲高い声に、桜は電話を耳から離した。

「自分で頼んだくせに。なに驚いてんのよ」

〈そ、即決だったので……〉

「だって、急ぎなんでしょ?」

〈は、はい。さきほどその知人の方から、センターに捜索要請がありまして。すぐに帰って来るという話だったのに、遅すぎると……〉

「娘ってのが気になる」

〈あ、はい。一緒に居るかは分からないんですけど、幼い女の子が一緒に行方をくらましています。えっと、行方不明者の氏名は……〉

「ああ、やっぱいい。詳細はメールで送って。依頼は協会から。報酬はアンタら持ちで、オーケーね?」

〈も、もちろんオーケーです!〉

「ダンジョンのあたりはついてるのよね? それだけ教えて。あと、出そうなモンスター」

〈群馬県の、伊香保です。ええと、元は旅館だった、廃墟ダンジョンですね。建物は地上四階層。地下三階層。計七階層。過去に確認・討伐された記録のあるモンスターは、スライム、ゴブリン、食人鬼オーガ死霊レイス。最後の記録は、勝手に棲み付いたオーガの討伐でした。これは完了済みです。他に出現したモンスターは、スライム、レイス、ゾンビ〉

「肝心なダンジョン名、抜かしてるわよ」

〈あっ、すみません! えっと……りゅう……あ、違いました。《竜胆館》です。お花のリンドウ、ですね〉

「え?」

〈あ、はい。何か?〉

「いや、うちのオヤジと同じ名前だわ……ま、いいんだけど。うちの家族の名前って全員、よくスナックとかバーとかで見るのよね」

〈あ、そういえばうちの近所にも、《スナック桜》ってありますよ〉

「言う必要無いわよ、そんな情報。多分、全国に百軒くらいあるんじゃない? で、依頼料はそっちから出るんだったら、ケチケチしないわよね。パーティー編成、いま決めるわよ。連絡は今からするけど、まあ全員ヒマでしょ。あたしの他は、戦士ファイター二人、魔法戦士ルーンファイター一人、魔道士(ソーサラー)一人」

〈あれっ、霊媒士シャーマンは? かなりの確率で、レイスが出ますよ?〉

「いらない。これが最近お気に入りのメンバーなのよ」

 気に入った服でも披露するかのように、楽しげに桜は言った。

「それ以上依頼料くれるなら、追加で連れてってもいいけど。五人がギリかなって。もっと行っていいわけ?」

〈あ、いえ! 桜さんがそのメンバーでよろしいとおっしゃるなら、もう、ぜんぜん! お任せします! あの、五名ですね!〉

「ケチねー。というわけで今からそいつらに連絡するから。明日朝すぐ出るわ。準備あるから、切るわよ。じゃあね。資料だけ忘れずに送ってね」

〈うう、桜さぁん……! いつも何だかんだお話聞いてくださって、決断も早くてステキですぅ……ご無事をお祈りして〉

 なにかまだ喋っていたが、切った。




 夜も明けないうちに、四輪駆動車が疾走する。

 運転しているのは、大柄な車に見劣りしない、大型な肉体を持つ蜥蜴亜人リザードマンで、車そのものの威圧感に加え、運転手の姿を見れば、あおりや割り込みをしてくる車など皆無だ。

 運転をしている妹尾せのお鯛介たいすけは鼻歌を口ずさみ、大きな体を揺すってリズムを取っている。イグアナに人間の特徴を四割ほど取り入れ、筋肉質にして、二足歩行にしたような姿だ。その皮膚はカチカチに硬く、力強い。口の短いワニみたいだという者もいるから、蜥蜴というのは語弊があるかもしれないが(それを言うと和名は犬亜人なのに、ワーウルフと呼ばれる者たちもいる)、現在まで彼の種族はそれで通っているし、彼らも特に不満は無いようだから、良いのだろう。

 頭頂にはトウモロコシのヒゲに似た、たてがみが生えている。人間でいう前髪のほうをワックスで立て、長い襟足は縛って垂らしている。

リザードマンの若者は、見た目の威圧感に反して、気は優しい。仲間を気遣って小声で歌っているのが可愛い。

 リザードマンは音楽好きな奴が多い気がする、と桜は思う。桜より年上のくせにいやに懐かれている。「姐さん」と呼ぶのはどうかと思うが、どんなに急な呼び出しでも、喜んで車を出してくれるのは助かる。

 そして、他の亜人と比べても桁外れの戦闘力、牛亜人ミノタウロスに並ぶ頑丈さ、なにより並外れた腕力が、廃墟ダンジョンを攻略するのに心強い。どんどん朽ちていく廃墟ダンジョンで行く手を阻むのは、モンスターよりも瓦礫の山であることのほうが多い。

「ターイスケ。いいよ、音楽かけても」

 桜は後部シートから身を乗り出し、リザードマン青年の太い二の腕に、気安く手をかけた。

「すみません、姐さん。ウルサイっすか?」

「ううん。いいのよ。アンタの歌好きよ。運転手が元気なのが一番だしね。ありがとね」

「や、まだ到着まで時間あるんで。みんな、寝てていっすよ」

 その言葉に呼応するように、後部シートの仲間が、ふわあ、と欠伸をつく。

 整った顔だちの青年は、いまは眠たそうに目を細めていた。

「あー、じゃ、ちょっと寝ようかな……」

 顔以外は全身黒づくめの人間の男は、どれだけ闇に紛れたいのか、それとも名前に呪われているのか、荷台に積んだアーマーまで黒という徹底ぶりだ。

 花垂夜という彼の名前は、漢字だけ並べると何かの熟語のようだ。歌か詩集のタイトルにありそう、というのが、彼の名に桜が最初に抱いた印象だった。それで「はなたれ・よる」と読む。

 幼稚園から中学校まで「鼻たれ、出る」というあだ名でからかわれ続けた彼は、名字はおろか、人の名前らしくない下の名前も嫌いだという。

 桜がピンク色を好むのは、自分の名からのイメージだ。それは名前に愛着があるからこそだし、夜の装備が黒づくめなのも同じ理由だと思うのだが、本人に言わせれば、断固として愛着は無いらしい。

「あー、マジ……めっちゃ、眠い……」

 そう言って、ふたたび欠伸をついた夜の顔を、隣に座った桜が、悪戯っぽい笑顔で覗き込む。短いポニーテールが揺れる。

「目ぇ醒ましてあげようか? ちょっと瞼、しっかり開いてなさいよ」

「お。桜、目薬持ってんのか?」

「うん。メンソール入ったリップ持ってるからさ、目に塗ってやろうと思って」

「は? ……おわっ!」

 文字通り目の前に突き出されたスティック型のリップクリームを、夜は頭を引いて躱した。

「怖えーな! 眼球に塗ろうとすんなよ! 目の周りとかだろ!」

 合コンに行ったらさぞおモテになるであろう仲間の端整な顔が引き攣る。

「つーか、突こうとすんなよ!」

「バァカ。冗談に決まってるでしょ。ドッキリして目が醒めた?」

「バカはお前だ! 醒めるどころかつぶれるだろ!」

 冗談で喚いているのかと思えば、本気で顔が蒼い夜に、桜は少しも反省せず、けろっと言った。

「あんぐらい咄嗟に避けれないなら、冒険者なんて辞めればいいのよ」

「だから避けただろ!」

「うっさいわねー。アンタ。うちの弟より煩いわ。こないだアイツが縁側で寝てるとこに通りがかって、ついうっかり全力で尻尾踏んじゃったけど、そんなに喚かずに黙って泣いてたわよ」

「それって、黙って泣くほど痛かったんじゃねーか……」

 身を震わせる夜を、桜は白けた目で見た。

 恐怖に顔を引き攣らせる美女、なら絵になるかもしれないが、いくらツラが良くても、怯える男の顔というのは、まったく情けない。

 リップクリームの一撃ごとき、眼球で受け止めて見せるくらいすれば、本当に良い男なのだが。

「アンタってほんと、男前の無駄遣いだわ」

「お前まさか、あれぐらい目で受け止めろとか思ってないよな?」

「バカなのに、変なところだけ勘が良いし」

「思ってたのかよ!」

「目からビーム出して燃やすとか」

「出ねえよ!」

 二人のやり取りに、運転席の鯛介が笑っていた。

 桜は手にしたままの薬用リップを、ついでに唇に塗った。

「あたし、すぐ唇カサカサになんのよね。日本って湿気多いのに、どうしてかしら?」

「カサカサするくらいいいじゃねーか。俺なんか冬になると、下唇絶対割れるんだぞ」

「なにその俺のほうが唇弱い自慢は。じゃあ、アンタも使う?」

 ほら、とリップを差し出すと、何故か夜が顔を赤くした。

「つ、使うか! なんつー女だ」

「何よ、人の親切心を。大丈夫よ、アンタが使い終わったら上んとこ切って捨てるから」

「親切心あるなら、そんなこといちいち言うな!」

「アンタもいちいちうっさいわね」

 黒髪を手で掻き上げ、夜が呟く。

「あーもう……ほんとに目が醒めた」

「良かったじゃん」

 睨んでくる夜に、桜は笑顔で返した。その腹の内に悪意が満ちていても、笑うと屈託無い、可愛らしい少女だ。夜はまた少し顔を赤らめ、ふいと横を向いた。


 そっぽを向いた夜を、桜は笑顔のまま眺めた。

 年上ではあるが、からかうと可愛い。家で弟を構って遊んでいるぶん、外では夜で発散する。黙って耐える弟とはまた違い、リアクションが大げさなので面白い。

 気安くて話しやすい夜は、桜にとって大きい弟のようなものだった。顔は良いけどバカなので、お兄ちゃんみたいだと思ったことはない。

 恵まれた容姿と、魔法戦士ルーンファイターとしての確かな力量を持つ夜だが、彼の人生は決して楽なものでは無かった。

 貧乏な家庭で育ち、飲んだくれで暴力癖のある父親から、体の弱い母親を庇って傷だらけの日々を送った。家に安息は無く、外では幼稚園から中学校卒業までいじめに遭い続けた。

 桜の可愛いおもちゃ・シオンも、亜人であることが原因でいじめられ、不登校になってしまったので、他人事のように思えない。

 弟はいまだに中学をボイコットしているが、夜は負けじと最後まで通いきった。誰にも馬鹿にされまいと体を鍛えたことが、今日の冒険者生活に繋がっているという。

 暗黒だった学校生活は、高校に入ると同時に驚くほど変わった。そのくらいになると周囲も精神年齢が上がり、変わった名字である程度でからかう者もいなかった。背が伸び、筋肉が付くごとに自信も付き、元々の整った顔立ちもあって、人気者になったという。

 生まれてこのかた弱かったことの無い桜は、逆境を自力で乗り越えた夜の話に、素直に感動した。

 弟も顔の出来は良いが、内気で軟弱で根性が無い。子供を叱るという教育の出来ない父親に、これでもかというほど可愛がって育てられたからだろう。

 なので、桜自ら毎日鍛えてやっている。続けていれば、高校に上がるころには血に流れる野生がいくばくか蘇っているはずだ。いじめっ子なんて喉許を噛み切ってしまえばいい。そう言うと、真顔で「死ぬだろ」と返ってきた。

 あのときの、「バカかこいつ」みたいな顔は、まったく心外だった。まさか本気で言っていると思われたのかしら? このとき、耳を引っ張って逃げられないようにしてからのビンタ、名づけて「耳パン」という処刑方法が生まれた。その威力は三回やると弟が泣きを入れる。


「ごめん、起きてる? いま、いいかな」

 それまで黙って助手席に座っていた仲間が、そう言って後ろを振り返った。

 緑混じった、淡い褐色の瞳。短く切った髪も、灰緑がかった淡い茶色だ。染めているわけでも、カラーコンタクトでも無い。片耳にリング状のピアスを並べて飾っている。

 空代うつしろ灰児はいじは、細面の顔を向けた。神経質そうにも見えるのは、全体的に色素が薄く、繊細そうな印象を受けるからだろうか。

「目が醒めてるなら、いまのうちに仕事内容を再確認したいんだけど、いい?」

 彼は、さきほどからずっと、持ち込んだタブレット端末で、センターから送られてきた資料を読み込んでいた。

「悪いわね。ハイジ。あたし、字が多いと読み飛ばしちゃって」

 直感で動いていく桜は、事前に貰った資料を読むのを、ついおろそかにしてしまう。大体の内容が分かっていれば、あとは現地で考える。それでなんとかなってしまうことのほうが多いので、単独ソロでなら慎重深い仲間たちも、桜といれば大丈夫だという雰囲気になっていく。

 灰児だけは違う。どんなに慣れた仕事でも、出来る限りの準備は怠らない。舐めてかかることはない。

 彼の両親は人間だが、先祖に鳥亜人ガルーダの血が入っているという。先祖返りで薄まった亜人の血が強く出る者は、稀にいる。

 彼も産まれたときは、背中にいびつな翼があったらしいが、人間社会で生きるガルーダのほとんどは、幼いうちに断羽してしまう。残しても、大きく美しい翼とはならず、背骨からいびつな骨が突き出て、そこだけ羽毛に包まれる。飛べもしないし、人間の服が着づらいので、ガルーダの親は自分たちがそうだったように、さっさと手術で子供の羽を落としてしまう。灰児の両親もそれに倣った。

 亜人の特徴を生まれてすぐに取り去ることで、ガルーダの子らは自分たちをほぼ人間に近い存在と認識するらしい。同種族で身を寄せ合うことも少なく、ゆるやかに数を減らしつつある亜人族だ。

 ガルーダの特徴として、高い霊力を持つ者が多い。

 霊力は魔力同様に、生まれ持った力である。

 灰児も冒険者としてのクラスはファイターで通しているが、霊媒士シャーマンの素養がある。

 ダンジョンで頻繁に遭遇する幽鬼ゴースト系のアンデッドに、物理攻撃は通用しない。一部の魔法は有効だが、高度な魔法なため、使い手が限られる。

 もっとも有効なのは、シャーマンの《即時除霊ターンアンデッド》である。これを彼らは、簡単な口上ひとつで、ゴーストモンスターを消し去ってしまう。


「やえは? 起こすか?」

 三列目のシートを覗き込み、夜が言う。魔道士ソーサラーの女が、大きなシートを一人で広々使い、小柄な体を子供のように丸めている。

 皆森みなもりやえは、少女のように見えるが、れっきとした人間の成人女性だ。年齢は教えてくれないし、冒険者カードも決して見せてくれないが。幼い顔だちに、早朝からしっかり化粧だけは施し、ぐっすりと眠っている。

 女性らしさの象徴のような、ふんわりとウェーブした薄茶色の髪が、シートに散っている。

「寝かせときなよ。ほとんど寝てないみたいだから」

 桜がそう言うと、夜が尋ねた。

「何してたんだよ?」

「オールでカラオケ」

「子供かよ」

「しかも一人で」

「一人でっ?」

 夜は得体の知れないものを見るような目で、後ろのシートの仲間を見やった。

 桜が若いからか、よく集まるメンバーも自然と若者中心になった。灰児が二十一歳。夜が二十歳。鯛介が十九歳。

 雑談をしていると、話題の選び方で、なんとなく世代が分かってしまうものだ。やえが最年長かもしれない、とひそかに全員思っているが、見た目だけは桜より幼く見える。セーラー服でも着れば、高校生か下手したら中学生で通じる。可愛らしい顔をしていて、ついでに胸が大きい。

 そんな彼女が、夜中に平然と一人歩きをする神経が、生真面目な夜にはさっぱり理解できない。

「……なんなんだこの女。一人で朝までとか哀し過ぎるだろ」

「メールしといたんだけど、熱唱してたみたいで、気付かなかったってさ。別に断ってくれても良かったんだけどね、四時くらいになって慌てて行きたいって返事来たから連れて来た」

「なんで来るんだよ。万全じゃないなら、来るべきじゃないだろ」

「マジメね。アンタも。別にいいわよ。あたしが守るから。戦闘はあたしとアンタらがいれば充分。照明役に回復役。半分寝てても助かるわ」

「つっても、こいつの回復魔法ヒールじゃ、擦り傷くらいしか治らねーじゃねーか」

「それは言い過ぎね。捻挫くらいは治るわよ。あとでアンタの足折ってあげるから、試してみる?」

「捻挫しか治せねーのに、折ったら駄目だろ!」

「そんときは、自分で治せば?」

 夜は剣の腕も中々のものだが、ソーサラーに転向しても良いほど、魔力が高い。

 だが、魔法は性に合わず、剣の腕を磨いたという。多分バカだから、小難しい詠唱になると憶えられないからだろうと、桜は思っている。


 リーダー然としている十七歳の少女は、シートに深くもたれかかりながら、足と腕を組んでいる。

 実際、リーダーだ。

 全員が、以前はバラバラの仕事をしていた。それが、ひょんなことから彼女に出会ったのが、付き合いの始まりだ。冒険者を始めてまだ二ヶ月足らずの、誰よりも年下の少女の呼び出しに、嬉々として応じている。

 桜の仕事ぶりを一度見れば、誰でも圧倒される。

 たった二ヶ月。ぼんやりしていればあっという間に過ぎてしまうような、短い時間。

 その間に桜は、凄まじい量の仕事をこなした。難度の高い依頼も平然と片付ける。協会が慌てて彼女のレベルを大幅に引き上げた。

 彼女自身の強さと、何事にも物怖じしない豪胆さは、年齢も性別も種族も関係無く、冒険者として戦士としての資質として、優れている。なにより一番の強みは、腕の良い仲間が自然と集まることだ。




「失踪したソーサラーの名前は、蒲生がもう良人よしと。三十六歳。五年前に離婚されて、妻は無し。娘は八歳、名前は絵里奈えりな

 タブレット端末を仕舞いながら、頭の中に叩き込んだことを再確認するように、灰児がすらすらと述べる。

「蒲生は学歴は良いけれど、冒険者としては優秀とはいえなかった。アル中で、一時はギャンブル依存にも陥っていたようだ。良くない借金があって、そそのかされるままに小さい悪事にも手を染めていた。典型的なダメ魔道士」

「ろくな親父じゃねえな」

 同じく飲んだくれてばかりいた自分の父親のことを思い出したのか、夜が顔をしかめた。感傷的な夜とは対照的に、物静かな灰児が淡々と告げる。

「本当にダンジョンに行ったのかも怪しいね。夜逃げか、どっかに連れて行かれて、肉体労働でもしてるのかもしれないし」

「たしか、娘と一緒なのよね。あー、その、エリナちゃん?」

「ああ。だから、無理心中というセンもあるね」

「親父が借金作っても、子供に罪は無いだろ」

「その通りだよ、夜。本当にね。センターからの資料だけじゃ、蒲生の人となりまで分からないけど」

「ねえ、ハイジ、この事件で何か気になること、ある?」

「あるけど、事件の背景について? それとも、攻略について?」

「事件の背景について。あたし、想像力無いから」

「僕が資料を読んで想像しただけの、妄想に過ぎなくていいなら、話すよ」

「大丈夫。話して」

 灰児が短髪の頭を、こくりと頷かせた。 

「娘と共に新しい生活を求めて逃げたとしたら、まだ良いほうかな。それにしても娘はどこか施設に預けて、自分だけ逃げるほうが賢いし自然だから、僕としては無理心中の可能性が高いと思う。残念だけど。借金で首が回らなくなったあげく娘を売り飛ばしてるとまでは、思いたくないな。可能性は無くもないけど」

「子供の人身売買かよ。ありえん」

 夜が嫌な顔をする。運転席の鯛介も同じだ。誰だって嫌な顔をしたくなる話だ。

「ソーサラーの子供なら、魔力がある可能性が高いしね。普通の人間の子供より高く取引されるんじゃないかな」

「クソね」

 と桜が無表情で呟く。

「クソだよ。でも、そういう組織が絡んでるにしては、手際が悪いと思う。失踪は蒲生自身がやったことで、七割がた無理心中だと僕は考えてるよ。今話してることはあくまで資料を読んだだけの妄想だから、創作のつもりで聴いて。先入観を持ち過ぎないでね。特に、夜」

「わーってるよ」

「僕たちの仕事はあくまで、依頼されたダンジョンの探索。蒲生親子の捜索。居なければセンターにすみやかに報告し、引き上げる。それだけ」

「わーってるって……」

「ハイジ。じゃあ、あと三割の予想は、何なの?」

 桜が尋ねた。

「七割がた無理心中ね。夜逃げ説と連れ去り説は、アンタは大して支持してないみたいだから一割ずつとして、あと一割。奴がソーサラーであることに、関係ある?」

 すると灰児は桜を見て、苦笑した。

「妄想が過ぎるから、あんまり言いたくなくて、黙ってたんだけど」

 思慮深さのうかがえるガラス玉のような瞳と、彫りの深い灰児の目鼻立ちを、桜は眺めた。

「ま、話のタネになるじゃない?」

「あくまで、創作だよ。――蒲生は、黙って消えたわけじゃない。心許せる友人一人だけに、行き先を告げているんだ。それはつまり、帰ってこないつもりでは無かった。もしくは、行き先を知っていてほしかった。何かあったときの為に」

「そこに行ったということを、大っぴらには言えないけど、たった一人、気心の知れた相手にだけは告げておいたのね」

「冒険者じゃないその友人は、蒲生が冒険者として仕事に行くだけだと思い、不審には思わなかった。けれど、目的のダンジョンである《竜胆館》は、レベル1~15以下の冒険者は立ち入りが禁止されてる、レベル限定ダンジョンだ。ここ数年ろくに仕事をしていない蒲生が、申請したところで単独で入れる場所じゃない。これが、心中では無い可能性だよ」

「なんか、思い入れがあったんじゃないか? その、心中場所にするのにさ。昔、そのへんに家族で旅行に行ったとか」

 夜の言葉を、灰児がやんわりと否定する。

「その可能性もあるけど、支持しない。《竜胆館》はレベル限定ダンジョンだよ。侵入者を拒む塀が三重に囲ってある。わざわざ心中のために、幼い子供を連れてそんなところまで行くとは思えない。どうせ死ぬんだからさ」

「身も蓋もねーな……」

「これから自殺しようって人間に、そこまでの気力も体力も無いよ。そこで死ぬという理由よりも、より強い理由があったというほうが自然だ」

「お宝? なんて、無いか」

 と運転している鯛介が口を挟み、そのありえなさに自分で照れた。

 だが、灰児は真面目な顔で、肯定した。

「いや、あったんじゃないか。物とは限らなくても。少なくとも、彼にとっては。ソーサラーにとっては、訳の分からないものが、宝だったりする」

 後部シートで、一人だけぐっすり眠っているやえが、むにゃむにゃと言葉にならない寝言を言った。

 それは無視して、桜が口を開く。

「教えた行き先自体がフェイクってこともあるわよね」

「あるね。まあ、それは考えないようにしてる。これからの仕事がそもそも骨折り損かもしれないとは、あんまり思いたくないから」

「それもそうね。じゃあ……」

 と桜は少女らしい仕草でちょこんと小首を傾げた。

「たしか、《竜胆館》で最後に起こった事件は、オーガが棲みついたことよね?」

「そうだね。いまから十三年前、いつからか五体のオーガがいつの間にか入り込み、近隣に避難警告が出された。当時、近隣で行方不明になった人間は、分かってるだけで二十人以上。ひそかにすぐ傍に住み着いていたオーガのしわざだと判明するのに、一ヶ月以上の時間がかかった。それがそこまで犠牲者を増やした」

「あー、なんか、ガキのころ、ニュースで観たような気がする」

 夜が顔をしかめながら呟く。

「当時は大きく報道されたからね。いまでは事件マニアや廃墟マニア、オカルトマニアなんかの間でしか話題に上らないけれど。《オーガの館》なんて言われてね」

 様々な生き物が入り混じる雑多なこの世界で、人間は頂点に立っていても、失われていく魂の一つ一つまで、尊ばれるわけではない。

「オーガ討伐後も、ダンジョン内には大量のレイスが出現した。土地が穢れ、澱んだ魔素が抜け切るまで、取り壊しも出来ないからね。そのまま封鎖された。汚染魔素が抜け切るのに、あと二、三年はかかるだろうね」

「呪われたダンジョンかよ」

「たいていのダンジョンは呪われてるよ」

 さらっと灰児が言う。ずっと考えていたらしき桜が、ぱっと顔を輝かせた。

「分かった。そのときのオーガがゾンビ化して、生前より凶悪で狂暴なオーガゾンビになってダンジョンのボスになってるのよ。その首を取りに行ったの」

「そんなモン喜んで取りに行くのはお前くらいだろ!」

 すかさず夜が突っ込む。

「なによ。強い奴がいたら、それがあたしのお宝よ」

「お宝の命獲ろうとすんなよ!」

「ゾンビオーガ、いないかなあ?」

 うっとりと夢を見るような瞳をする少女を、夜が引き攣った顔で見やる。

「いたとしても、絶対すごい臭いぞ……」

 灰児が小さく笑って言う。

「残念だけど、十年以上前の話だから、オーガの影も形も無いんじゃないかな。骨の一部くらいは残ってるかもしれないけど」

「じゃあ、スケルトンオーガね」

「見たくねえよ!」

 自分で言って喜ぶ桜に、夜が義務のように突っ込み続ける。

「スケルトンは、大体の骨がそれなりに綺麗に残っていないと誕生しないから、それも無いかな。ゾンビと違って、偶然生まれるようなものでも無いからね。人の手によるアンデッド作成は違法だし、そんなことしたら普通に捕まるよ。死体は討伐後、冒険者協会が始末したと思うよ」

「なーんだ。じゃ、その事件は、直接関係無さそうね」

「少なくとも、お前が想像してるオーガ大戦争はねえよ……」

「ゴーストバスターズにはなるだろうけど」

 そう灰児が言うと、桜はつまらなさげな顔をした。

「ゴースト系は思いっきりぶった斬れないから、つまんないのよね。アイツらチョロチョロ目ざわりだし。とにかく、あたしには魅力を感じられないダンジョンだけど、蒲生には違うってことね。前にもそこに侵入してたのかしら」

 灰児が頷く。

「そうだね。以前から入り込んでいたんじゃないかな。そこでひそかに何かの実験か、研究をしていた」

「その呪われたダンジョンで、借金まみれのソーサラーが、ちっちゃい自分の子供と一緒に、何してたんだよ。いや、あんまり先を聞きたくねえ気がしてきた」

 冒険者のくせに、血生臭い話があまり好きでは無い夜は、整った顔を歪めた。その肩を、桜はぽんと叩く。

「あくまで創作。夜、アンタはオカルト苦手だけど、アンデッド退治は巧いわ。頼りにしてるわよ」

「巧くなるしかねえよ。レベル15超えてくると、そういうダンジョンにばっかあたるから嫌なんだよな」

「仕方無いわ。生き物が死んだ分だけ、魂はあるんだから。人もモンスターもね」

 着々と目的地に進む車の中で、桜はフロントガラスの奥に広がる、青く澄んだ夜明け前の空を見上げた。

 そして、特に感慨も無い口調で、告げる。


「ま、いまからそれをぶっ壊しに行くんだけど」

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