9話 海神クトゥルーが老師
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私は、暁美と樫緒少年を連れて、神社に向かっている。
毎日のように腹式四拍呼吸法を鍛錬している神社である。
レディは吃音ながらも物騒な知識を与えるので、留守番だ。
当初、私は魔道の導師として、暁美を教育する予定だった。
しかし、暁美は学校の友人だという少年も連れて来ている。
それに、この少年は何故、暁美のような物騒な娘と友人になったのか。
「姉が友人を作れと言っているのと、暁美さんが友人になろうと言ったので」
「利害の一致ってやつ!」
打算的な関係か?
まあ良い。
結城樫緒は父を理解するため、あえて市立でしかない夜刀浦中学に転校だという。
暁美より少し前だというが、やはり馴染んでいないようだ。
神気を纏っている体質もあるだろうが、貴族的な雰囲気なのだ。
「父の感覚は庶民的に過ぎて困ります」
樫緒少年は、父親が少し苦手らしい。
察するに、父親は練気の質を見分ける程度の魔術師だろうか。
ふと、海神クトゥルーが人間に武術を教えたという、中国の物語を思い出す。
仙術気功闘法の一種らしい。
武術と気功法は気の錬成という点で一致しているため中国において武功とも言う。
神だけに高度な知性も備えているらしい。
単純に過ぎる弱肉強食という行動原理のため、人喰いも肯定する邪神であるが。
戦争前の話だが北海道の肝盗村に九頭竜という古武道を修得した男が居たという。
直感だが、結城樫緒の父親は関係者だろう。
私は、テレパシーの順風耳やクリアボヤンスの千里眼など、苦手である。
しかし、腹式四拍呼吸法による霊気の錬成で、不完全ながら使えないこともない。
地道な鍛錬こそ結局は自分自身を一番助けてくれる。
魔術は『気』という物理的な力を利用する、ただの技術である。
人間の想念は、量子のレベルで力となる。
量子としての霊子を操作する技術でしかないのだ。
しかし、教育の一環として無知な若者に教えるべきだろう。
樫緒少年の神気は密度が高く、波動が精妙かつ清涼で木目細かい。
陽の気とも呼ばれるものだ。
だが、清涼を通り越して冷たい。
もう少しリラックスした方が良いだろう。
樫緒自身も、それが凍結した氷の脆さに近いと感じているようだ。
濁った気は波動が粗雑で生温かい。
それは陰の気とも呼ばれる。
戦闘能力が弱体化するかも知れないが、陰陽清濁併せ呑む器量があると判断する。
ゆえに、陰の気も錬成させることにする。
神社に到着したので、社務所で許可を得て片隅を借りる。
空手の騎馬立ち、太極拳の站椿、そして馬歩とも呼ばれる姿勢を教える。
それから私も一緒に、腹式四拍呼吸法を繰り返す。
1・2・3・4と吐く
1・2と止める
1・2・3・4と吸う
1・2と止める
普通の気功法と同じだが、基礎にして基本である。
東洋の仙道も、西洋の魔道も、霊気を操作する技術という点で共通する。
実践こそ魔術の真理である。
少年少女は二人とも、意外と素直に実践する。
「樫緒君は下っ腹に力を入れて、臍下丹田に意識を集中だ」
「……意外と疲労しますね……」
「鍛錬だからな。あけみちゃんは咽喉に意識を集中、逆鱗だ」
「はぁい」
人間も、咽喉に言霊を発する霊的中枢が存在する。
カバラのダアトに照応するセフィラである。
それを暁美の場合、逆鱗という独特の霊的中枢に進化させている。
物質としての空気だけでなく、膨大な霊気もエーテルとして呼吸している。
樫緒の場合、幽体は高密度だが、肉体は一般人と変わらない。
単純に運動不足のようだから、ゆっくりと何ヶ月か鍛錬の継続が必要だろう。
断じて焦っては、ならない。
現在、樫緒の体内を循環する霊気は、神気に特化している。
神気は、密度が高くて細かい。
涼しいし気持ちが良い。
妖気は、密度が低くて粗い。
生温かいし気持ち悪い。
だが樫緒の場合、神様レベルに細かい霊気なのに気味が悪い。
清涼感を通り越して凍結感に至る神気だ。
私は樫緒に、あえて濁った妖気を練るような指導をしている。
詳細な指導の内容は妖術系に属するものだ。
食糧から得られる米穀の精気たる、『氣』に近い霊気である。
これで、適当なリラックスを学んでくれると判断したからだ。
「やあ! 僕はペルデュラボー! あ、そのまま鍛錬を続けてね!」
「……マスター……お戯れが過ぎます」
「あ! ペルとエセルだ!」
「あけみちゃん、四拍呼吸を続けなさい」
大魔術師にして魔道の導師、ペルデュラボーである。
古臭い熔接眼鏡をかけた金髪の青年だ。
分厚いガラスレンズで瞳は見えないが、強い視線を感じる。
白面黒衣の文車妖妃も、当然のように寄り添っている。
私の指示に暁美は素直に従う。
しかし、樫緒が怪訝そうな表情になる。
「……何者ですか」
「私の知人だ」
「僕は、鹿戸先生の助手ってところかな? 担任が鹿戸先生なら、副担任は僕だ!」
私は確かに、気功法教室の先生みたいなものだ。
それから、30分くらい腹式四拍呼吸法を続けた。
ペルデュラボーは、私以上に的確な助言を二人に与える。
私の面目は丸潰れに等しいだろう。
まあ良い。
二人には学ぶべきことも多かったろう。
だが、鍛錬の最後にペルデュラボーが余計なことを言う。
「樫緒君、もっと腰に意識を集中して。もっと、もっとだ」
「つっ! 腰が燃え上がった!?」
「陰きわまりて陽となる。陽気が熱いだろう?」
間違いなく、生体エネルギーを熱エネルギーとして感じ取っている。
だが、東洋仙術において邪陽火と呼ばれる仙道病に近い。
意識のかけ方が強すぎて、陽気が異常に強く発生している。
クンダリニーの火とも呼ばれ、命を落とす者もいる。
急激に、チャクラと呼ばれる気の源を回したのだ。
腰部の、命門とも呼ばれる霊的中枢である。
「ペルデュラボー、急ぎ過ぎだ」
「そうかな? 良い経験になるだろう」
私は才能を急激に覚醒させるのではなく、ゆっくりと鍛錬させる予定だった。
「魔術の真理は実践にある。実際の実践に至るまでの心理こそ求道すべきものだよ」
「今日、始めたばかりの初心者に早すぎる」
「魔術とは感情を理性で制御し、たかぶる魂を魔力と融合させ、精錬、精製する」
ペルデュラボーは敵対者であるかのように、己の意見を頑固に曲げない。
仕方がないので、私が対処することを決意。
下腹部の丹田より上、胸部中央の壇中より下。
上腹部に存在する黄庭という霊的中枢に、意識を集中する。
冷たい神気を発する暗黒光球を想像する。
赤紫色のブラックライトのような、深紫色の暗黒光である。
直径は15センチくらい。
私の想念は、量子のレベルで力となる。
緩やかな腹式四拍呼吸法で暗黒光球を精錬、精製する。
意識を集中すると、清涼な神気が全身に満ちてくる。
私は清涼な神気で、体中が熱の塊になった樫緒の、過剰な陽気を中和する。
霊子物理学には、三つの基本命題がある。
第二のテーゼは、霊子は、その凝集・拡散というプロセスによって、創造と破壊を行うということである。
念の力によって、霊子が目的性を持って凝集すると、そこに霊的実体が現れる。
さらに、その波動を緊密なものにしてゆくと物質が現れる。
その逆に、念による目的意識が解除されると、物質はその形態を失う。
霊的実体も霊子が拡散を始めると、別なものになる以外は存続しえなくなる。
こういう物理法則があるのだ。
人霊創造のプロセス、人体創造のプロセスは、この霊子物理学のなかの、霊子の凝集・拡散の法則によって、明らかにされるのだと言える。
これが錬金術における合成と分断の黒化である。
……。
消耗した樫緒を社務所で休ませてもらい、暁美を付き添わせた。
「量子のレベルで我等の思いは力となる」とペルデュラボーが言った。
「ライトセイバーと呼ばれる類の武器と同じ原理だな」
私は腰の装備から、舎利入り都五鈷杵を抜く。
鈷の剣先に意識を乗せてオーラを伸ばし、光刃を構築する
いわゆる、『八寸の延金』と呼ばれる方法だ。
『オーラの伸縮』と本質的に同じ技術である。
私は光剣を構える。
ペルデュラボーの返答次第で斬り捨てる覚悟だ。
「九頭竜という仙術系の武術を知っているかい?」
「海神クトゥルーが老師として気脈操作を指導し、人間の身体で再現したものだろう」
学生時代、黒須高校の神智科で授業中に教わった。
「なら、人体の構造における『ファントム』の概念も知っているだろ?」
普通、人間は腕を持ち上げる動作一つ取ってもファントムを利用している。
大脳は発した信号は小脳に代表される運動中枢を経て、神経によって腕に伝わる。
実際に行われるのは筋肉繊維の収縮である。
その結果として腕が持ち上がる。
人間は意識することなく行動が可能だ。
脳における自我意外の部分、意識下に潜む第二の意識。
無意識が、その細かい部分を水面下で代行している。
幽体の無意識領域による肉体制御の機能に、ファントムと名前が与えられている。
人体は、物質である肉体、根源的エネルギーの霊体、そして幽体から形成される。
霊体と肉体の接着剤とも言える幽体は、それぞれの臓器にも宿っている。
すなわち脳にも、幽体という物理的な量子存在が宿っているのだ。
脳に宿る幽体の機能こそがファントムの本質である。
ファントムは人体を常にサポートしている。
睡眠中の呼吸という機能もそうだ。
肺胞を伸縮させよう、腹筋を動かそうとも意識しない。
このファントムは腹式四拍呼吸法を繰り返すことで緩やかに自覚することも可能。
ファントムは人間として生きていく上で必要不可欠なものだ。
だが、魔術師のように極端なレベルを求めると足枷になる。
ファントムという余分な回路を経由しているからだ。
ゆえに幽体を経由せず、霊体で直接、肉体を操作する。
想念で霊気を動かし、結果として肉体を操作するのだ。
霊気コントロールによる、サイコキネシスや念動力など超能力の一種と言える。
魔術師は霊気を操れる。
魔術師も理論上、想念で気脈を操り肉体を動かす九頭竜と同じ身体運用が可能だ。
十年以上、腹式四拍呼吸法などの特殊な鍛錬を積み重ねていることが前提だが。
身体に強化をかけて動くのでは無い。
魔術をかけた身体を、脳と神経で動かす強化じゃない。
強化をかけて肉体を、魔術の支配下に置く。
それから、想念で動かすことで神経反射の速度を超える。
イメージの早さで動かせるようになるということだ。
魔術が掛かっているのだから、魔術で動かすということだ。
「僕は、結城樫緒がファントムの大部分を切り離しても大丈夫だと判断したんだ」
「私を師と仰ぎ始め、私の言葉を信じた子供を潰す気は無かったのだな?」
「そうだよ。魔術師の弟子を潰すような下衆な行いは、とうに止めたんだ」
「昔は、やっていたんだな」
「現在は、していない」
「信じよう」
「ありがとう」
私は光剣を納める。
私の決断は、結城樫緒が魔術師として覚醒するのを遅らせただけのようだ。
ペルデュラボーの言う通りならば。
まあ良い。
この奇妙な友人を信じることにしようか。
……。
魔道の導師としての指導を終えて、自分の部屋に帰還する。
私のアパートは粗末な木造倉庫も同然である。
しかし、帰る場所としては充分な部屋でもある。
「おかえり、ますた」とレディは言った。
「ただいま、レディ」
体調が回復した結城樫緒は、次元跳躍で東京の家に帰還した。
膨大な神気の出力により、四次元空間を経由した強引な転移である。
わざわざ、東京から千葉まで通学しているらしい。
テレポートという超能力が前提の選択肢である。
私は信用を無くしたようだが、暁美とは友人でいてもらいたい。
暁美は教会に帰った。
仕事を終えたシスター・アリスンが向かえに来たのだ。
今日は、もう休むことにしよう。
少し、疲れたようだ。
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