7話 初代烏亭閻馬師匠
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私は仕事の後、飯綱製薬防疫研究所に来ている。
理由は単純に金策の一環でしかない。
魔術師などの怪人や魔人から、イヅナ夜刀浦支部とも呼ばれる場所である。
対モンスター用の傭兵という、かなりギャンブラーも同然の仕事を請け負うのだ。
私は、割りの良い対モンスターの依頼が無いか、設備の端末で検索する。
私の仕事は私服警備員として、契約した場所を巡回することである。
給料は安い。
社長の気紛れで渡される金の方が多いくらいだ。
時々、札束入りの封筒を与えられても、意図が不明で気持ち悪い。
飯代か車代か知らんが、あの紅い魔女のヒモになったようで気分がよろしくない。
しかし、金が無くては生活にも困る。
家賃が払えなくなれば、アパートを追い出される。
少し前に意地を張って、イヅナ警備の給料だけで生活してみようと試みた。
現在、後悔しているところだ。
先日の事件の後で飯綱宗家と和解したのだが、現当主の嫌がらせが再発したのだ。
職務怠慢という名目による減給である。
私は、アルバイトしようと考えている。
磯野も飯綱大学旧図書館の職員として、イヅナ警備と兼任している。
彼は、高級グランツーリスモ及び高級スポーツカーを何台か所有している。
イヅナ警備は裏の仕事として対モンスター用の傭兵もあるから、そちらの収入か。
私も夜刀浦町の老朽化した地下実験室を、大枚叩いて補強工事した。
業者に対する口止め料も込みだから、かなりの散財だった。
貯金も無いし、これ以上の借金も無理である。
私服警備員という表の仕事だけだと、来月には困った事になるのが明白である。
人として生きるには金を稼ぐ才覚も必要だと痛感する。
それで、対モンスター用の傭兵として仕事することにした。
真っ当なアルバイトを選択しない私も大概だが、借金の利子も気になる。
所詮、私は俗物の偽善者なのだ。
人として生きるという私の目的から、さほど乖離していないと考える。
「こちらで何か見繕いましょうか?」と受付嬢は言った。
「いや、もう少し自分の目で探してみる」
受付カウンターが裏口の方にも存在するのが飯綱製薬防疫研究所の特徴である。
当然のように受付嬢もいる。
受付嬢は若く美しい女性だと相場が決まっている。
言葉を綺麗に飾っても、やはり美醜の面で劣る者はそれなりの扱いを受ける。
そういうものだと一般人は言う。
だが、イヅナ夜刀浦支部に勤務する受付嬢を深く知るものは、多くを語らない。
この女、美貌の職員として勤務し続けるが、グールという人喰い種族だからだ。
ゲームにおけるモンクのような、高い戦闘能力を誇る中国武術の達人でもある。
「何か思いましたか?」
「いや、何も」
勘の鋭い受付嬢の秦陽子は、飯綱製薬防疫研究所の正式な職員である。
そして食屍鬼の一族に連なり、姿を少し変化させる能力も持っている。
イヅナは有能でありさえすれば人食いの魔物でも雇う懐の広さを持っているのだ。
「カノトさん。丁度良いことに、さぶろう沼の調査という仕事があります」
「比較的、安全そうな依頼だな」
「異形の出現ということで依頼がイヅナに回されたんですよ」
「なら、その仕事を請けようか」
どうせ、対モンスターの依頼はハイリスク・ハイリターンである。
諦めて依頼を一つ請け負うことにする。
私が1時間近く迷っていたので、陽子が受付嬢として助け舟を出したのだ。
サービス精神旺盛で感謝に値する。
これで肉食の渇望を持つ人食いの魔物でさえなければ言うことは無いのだが。
陽子の精神は食屍になりきっていない。
ヒトならぬ身となった自分を嫌悪している。
肉食の渇望との相矛盾するせめぎ合いが、陽子の中で続いている。
まあ、百年もすれば確実に開き直っているのだが。
……。
戦争中に掘られた地下壕が、夜刀浦町の海岸沿いに穴を空けている。
幾つかの入り口は、秘密の地下実験施設に繋がっている。
老朽化で崩落していた箇所を、秘密裏に工事したのだ。
抜け道も多いが、遠回りとなって不便だった。
便利さの代償として金策が大変なのだが。
どんな事態、どんな相手にも対処するため、装備を収集し貯蔵している。
ガラクタ好きだと、よく言われる。
まず、防具として装甲服に身を包む。
マルエージング鋼プレートの入ったハードタイプである。
コバルト1割、ニッケル2割、鉄7割にその他少々の合金鋼は、強靭である。
徹甲弾も、小口径ライフル弾までなら普通に防ぐ。
ベルトのホルダーに、舎利入り都五鈷杵を四挺ほど装備する。
戦闘で破壊された場合を想定している。
私は、鈷の剣先に意識を乗せてオーラを伸ばし、光刃を構築する
いわゆる、『八寸の延金』と呼ばれる方法だ。
『オーラの伸縮』と本質的に同じ技術である。
アリスンは光刃を軟鞭の如く自由自在に操作する。
私は光剣として霊気を凝集するのがやっとだ。
それも、舎利入り都五鈷杵が無ければ、光剣で鉄も切れない。
我ながら魔術師として未熟である。
……。
私は装備を整えてから車で、さぶろう沼に来た。
さぶろう沼は、夜刀浦町、黒須町など夜刀浦市の4つの町が接する辺りにある。
糸神川の支流が湿地帯に流れ込んで出来た、大きな沼地である。
朽ち果てそうになっていた板橋が釣り人たちによって補修されていた。
遊歩道が今でも、しっかりと維持されているようだ。
糸神川の支流が流れ込む辺りに『河童大明神』を祀る新しい祠が設置されている。
河童は好色な妖怪として、昔から知られている。
今回の依頼も、その類である。
さぶろう沼の近辺に、異形の痴漢が出没するというのだ。
何人も性行為にまで及ぶ悪質なもので、立派な強姦罪である。
被害者の女性が全員、心神喪失・抗拒不能という状態で、証言の信憑性は低い。
号泣しながら、『やめたいの。離れたい。私から離れて』などと言うばかり。
駆けつけた警察官によると、女性からは決して結合を解こうとしなかったそうだ。
しかし、拳銃を発砲して追い払った警官の目撃情報から人外の異形なのは確実。
夜間で遊歩道の街灯が遠くとも間に合った警官は至近距離で人外を目撃しからだ。
件の警官は市外の出身らしく、自分の目撃した異形を幻覚だったと言い否定中だ。
痴漢が変な格好でもしているだけだったと信じ、正気度が低下して話にならない。
犯人は、海神ダゴンの血を引く業の深き者だと、私は考える。
異形の人外は、すがりつく女を引き剥がして、さぶろう沼に飛び込んだ。
水泳に過剰な自信を持つ人間でなければ、水中でも生活可能な人外だろう。
拳銃を持つ警官から逃げるなら、泳ぐより走った方が速い。
1・2・3・4と吐く
1・2と止める
1・2・3・4と吸う
1・2と止める
腹式四拍呼吸法により内気を錬成し、同時に外気も感覚化する。
私は、神気を感じ取る。
海とも宇宙ともつかぬ、水精の神気である。
釣り人たちが利用する桟橋の方向だ。
私は、さぶろう沼の板橋を渡り、神気の根源に向かって歩く。
釣り桟橋の先に、人外の異形が蹲っているのが見える。
巨大なナメクジのような化け物である。
赤黒い粘膜に全身を覆われ、ぬめぬめとして胴体から何本もの触手が伸びている。
ふたつの眼球はナメクジのごとく長く伸び、勝手な方向に向けられる。
粘膜の塊の真ん中には、女陰のような形で口が在り、中で牙が白く輝いている。
触角の周辺は、肉の粘膜が中から盛り上がり柘榴の実のような肉片が詰まっている。
「犯人は貴方か。初代烏亭閻馬師匠」
「……世事に疎いが、痴漢騒ぎにでもなってるんだろ?」
著名な落語家だったが、不可解な死を遂げていることになっている。
一昔前に人間の姿で『烏流落語会』という一派を旗揚げした落語の大名人である。
閻馬は赤黒い粘膜に覆われた太い触手の一本で、金属片を弄っている。
かつて、人間であった最後の名残である金歯だ。
現在の姿に変異した後、鋭い牙に生え変わってしまったのだ。
「俺は駄目な男だなあ。こんなナリでも、まだ死にたくないんだよ」
「社長は触手も差別しないがな」
「正気のまま抱かれるのは、あの女くらいだよ」
異形と成り果てたと悲嘆する烏亭閻馬の触手が、板橋をピタピタと叩く。
昔、マサチューセッツ州ダンウィッチ村にも同種の子供が生まれた。
この男もまた、異界異形の神ヨグ=ソトースの子供である。
あの副王たる邪神も、触覚器官を蠢かせながら泡立ち続ける不定形の怪物だ。
かの邪神も、生贄として捧げられた女性を孕ませ、子供を産ませることがある。
いかなる意図があってのことかと、魔法学においても結論が出ていない。
真言立川流の一派において守護神として信仰されている。
強壮なる精気が漲る神としても信仰されている。
塞の神=境界の神、すなわち門にして鍵たる、時空神でもある。
御石神ミシャグジや、金精神は、下位の眷属神だという説もある。
烏亭閻馬は姿形だけでなく、動物的な行動も父に似てしまったらしい。
人類としての寿命が尽き、化けの皮が衰え本当の姿が露出した時の行動もそうだ。
客席の前部にいた若い女の身体に触手を巻きつけ、まぐわった。
閻馬のイチモツは女を狂わせる。
最近の痴漢事件でもそうだ。
恐怖に引きつっていた理性あるその顔が、発情した牝のものとなったという。
しかし、神の血を引く混血児である所為か、その言霊は多くの人間を感動させる。
正邪の相矛盾するまま混沌とした存在を続ける男である。
「死にたくない。私は、まだまだ死にたくない」
「性欲を持て余しているようだな」
仕方が無いので社長を呼ぶことにする。
社長は性的な風俗におおらかな、老若男女どんとこいという豪気な御仁である。
美醜や種族すら無頓着で、触手を生やした怪物すらも差別しない。
以前も、この烏亭閻馬の触手と絡み合いながら言ったから有言実行である。
魑魅魍魎が跳梁跋扈する魔界都市・夜刀浦には、異界異形の血を引くモノも多い。
すなわち、不定形の触手怪物だろうと抱いて救う、神聖なる娼婦。
魔界都市・夜刀浦に降臨した、バビロンの大淫婦。
紅の魔女にして、暗黒の聖母である。
……。
ようやく対モンスターの依頼に成功し、後始末も終えて自分の部屋に帰還する。
私のアパートは粗末な木造倉庫も同然である。
しかし、帰る場所としては充分な部屋でもある。
「おかえり、ますた」とレディは言った。
「ただいま、レディ」
依頼は成功したのだが、また社長に借りを作ってしまった。
しかし実に、おぞましいモノを観た。
閻馬の胸に巨大な紅い薔薇の花が咲いていた。
肋骨を芯として、それに肉が絡みつき毒々しいまでに鮮やかな花を咲かせていた。
その花弁は捲くれ上がり中央から雄しべや雌しべのごとく触手が突き出していた。
性器の先端が蟹の甲羅状だった。
『下の口からの満腹感が違うのよね。満たされるわあ』と社長は言った。
下ネタひとつ取っても、実に豪気な御仁であった。
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