5話 倶爾は蟹とも機械ともつかぬ
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私は今日も警備員の仕事と鍛錬を終えて、帰宅しようと思ったところで呼び出された。
社長がオーナーのホテル・ナイン、最上階である。
「あぁん、もう! 肩こっちゃったわよぅ」と暁美は言った。
「葬式饅頭って、どうして、こう美味いのかしらね」と社長は言った。
暁美は、両腕をグルグルと回して凝りを解している。
社長は饅頭を、貪り喰っている。
喪服姿の暁美と社長が、呑気に葬式饅頭を食っている。
「あたしが思うに漉し餡だからねっ!」
「俺は知らんよ」
子供の意見は適当に聞き流す。
もはや社長は無言で葬式饅頭を、貪り喰っている。
来海暁美は、来海家の葬儀に参列するため夜刀浦に這入った。
従兄の来海来八が死んだからである。
来八は死体の出ない行方不明という形だったが、遺品と献花の華のみ埋葬された。
魔界都市・夜刀浦において、死体も残らぬ怪死など珍しくも無い。
跳梁跋扈する魑魅魍魎の類に貪り喰われたか、異次元の彼方に消滅したか。
それでもなお人として生きる者は生き続けなければ、ならない。
ゆえに埋葬をもって区切りとなし、人として生きることを続ける。
遺灰や遺品だけでなく、理不尽な死に対する悲嘆や憤怒もだ。
夜刀浦の古い掟に「振り返らない、振り向いちゃいけない」というものがある。
旧約聖書における塩の柱と同じだ。
神罰や神隠しも天災と同じように人知を超越して、対処は不可能に等しい。
古くからの住民は、「振り向いちゃいけないよ。誰にでもそんなことはあるから」
そのように若者を教育する。
過ぎたことは振り返らない。
それが未来を掴む最良の手段なのだ、と。
この教えを曲解して、反省を学ばないバカ者もいるが。
失ったものは返って来ない。
返って来るものなら塵芥に等しい。
反魂の術式というものが存在する。
反魂とは、魂を呼び戻す、死者を蘇らせるという意味である。
魔法、呪法、外法、邪法、その他の魔術。
どれも、わずかな例外を除いて怪物が生まれるだけ。
アンデッドモンスターを製作する方法でしかないのだ。
イエス・キリストの復活など、聖書神話の時代における例外の奇蹟でしかない。
あれとても地球外文明の医療技術による、外科手術に違いない。
外科手術の術式ならば、飯綱大学を卒業したヤブ医者でも知っている。
第一図書館たる、飯綱大学の尾裂堂文庫。
第二図書館たる、黒須高校の魔導書庫。
夜刀浦が誇る二大図書館であるが、どちらも死の魔力に関する知識が限界である。
だが、死霊の世界に魅せられた者も多い。
それこそが魔術師である。
そして私も魔術師である。
「お饅頭、全部なくなっちゃったわね」
「大十字さん、お腹減った!」
「ニグ・ジュギペ・グァのソテーでも頼む? 旬じゃないけど」
「止めろ、子供には未だ早い」
この生き物、肉は美味いが、食べたら常人は寄生され発狂する。
切り刻み煮ても焼いても死なない、不死身の異次元生物だからだ。
改造人間の暁美なら十中八九、大丈夫だろうが心配である。
この寄生体は、他の生物の肉体を養分として繁殖する。
故に、食われて体内へ種子を生みつけ、苗床とするのだ。
そして種を植え付けられた生物は、体の内側から養分を吸収され続け衰弱死する。
その頃になると、成長した寄生体が腹を喰い破って外へと出てくる。
だから、衰弱死を免れたとしても死亡は確実である。
そしてそれは、そのどちらかの死に様を迎えるまでは生きながらえてしまうのだ。
つまり、延々と脳内麻薬物質を過剰分泌し、種を植えられ続けるという事である。
単なる一般人が食らえば、まず間違い無く狂死する。
「子供じゃないもん! おっぱい大きいもん! 肩がこるくらい!」
「最初に、羞恥心から学びなさい」
暁美は、異常なまでに発育の良い胸を張る。
豊かな双丘が、黒衣の胸の部分を内側から押しのけんばかりに自己主張している。
メロンほどもありそうな感じだ。
「それとヘロヘロさん! あたしの首、前に触ったでしょ!」
「そう言えば、『逆鱗』に触れたな」
随分と前の気がする。
「女の子の肌に触れたがるのは、変態なんだよ!」
「子供との、スキンシップというやつだ。すまんね」
暁美の激しい怒りを適当に受け流す。
そうこうしている内に、社長がルームサービスを頼んでいた。
単なる人間の私でも摂取可能な、普通の料理であった。
水商売において、夕飯でも『朝飯』と言う。
社長の流儀もそれだ。
夜でも『おはようございます』と来る。
私は、そんな流れで豪勢な朝飯にありついた。
値段は桁違いだが、普通に旨い。
……。
三人で食事した後、暁美を黒須教会に送ることが決定した。
暁美がホテルに宿泊することを嫌がったのだ。
「大十字さんって、やたらペタペタ肌に触りたがるから苦手なのよぅ……」
「子供には未だ早いだろうな」
「なにおぅ!」
社長は性的な風俗におおらかな、老若男女どんとこいという豪気な御仁である。
美醜や種族すら無頓着で、触手を差別するなと無茶を言う。
以前、異形と成り果てた烏亭閻馬の触手と絡み合いながら言ったから有言実行だ。
魑魅魍魎が跳梁跋扈する魔界都市・夜刀浦には、異界異形の血を引くモノも多い。
要するに、不定形の触手怪物だろうと誰でもウェルカムというビッチである。
未熟な暁美には無理だろう。
14歳という年齢に、暁美の精神的な成長は追い付いていない。
外見から判断して、肉体年齢は18歳くらいだろうか?
海魔細胞と融合して強化した肉体から、情報を読み取ることは困難である。
日本の田舎も戦前ならば、14歳で子持ちという女も珍しくなかったそうだがな。
中学二年生として、市立夜刀浦中学に転入させねばなるまい。
私と暁美はタクシーに乗っている。
社長が車代と称して、札束入りの封筒を気前良く出したから助かる。
私の役目は護衛である。
ふと、不愉快な邪気を感じ取る。
気の感覚化は毎日、鍛えている。
もうすぐ、糸神川の橋である。
嫌な予感がする。
「運転手さん、止めて下さい」
「あ、はい。黒須教会は、まだですが」
「構わない」
タクシーを途中下車して、歩くことにする。
「ヘロヘロさん、どうしたの?」
「気の感覚化は未熟か」
「また、未熟者あつかいする!」
光体のミスター・クロウリーを出す。
そして、ミスター・クロウリーから日本刀を出す。
光体魔術の応用によるアイテムボックスである。
「エン州虎徹?」
「スプリング刀でも無いよりましだ」
日本刀を暁美に渡して、戦闘の準備をさせる。
私も、得物の舎利入り都五鈷杵を出して右手に握る。
気がつけば大気が白く濁ったようになっている。
ミルク色の霧は地面から音も無く湧き続ける。
霧は冷たく、湿っぽく、微かに酸のような臭いがする。
しかも、ミルクみたいに濃い霧から魔力を感じる。
魔術による隠蔽工作である。
糸神川から巨大な蟹が現れる。
蟹にも似た5メートル級の肉体を持つ魔物である。
「ヘロヘロさん、中ボスPOPしたよ!」
「CCDの倶爾属だ。ゲームじゃないから油断するなよ」
CCD = Cthulhu Cycle Deities、つまりクトゥルー眷属邪神群である。
全身が横に広いピンク色の殻と、青白い触手に覆われている。
だが、それも一瞬のこと。
透明になって霧に紛れる。
フォースフィールドによる不可視可である。
ピンク色の甲殻による空洞構造効果が高い。
「古典ムービーのプレデター?」
暁美は呑気に感想を言いながら、剣を抜く。
そして、不用意に飛び出す。
「待て! 引け!」
暁美は私の指示を聞いちゃいない。
正面上段から唐竹に断ち割ろうとする。
重厚な甲殻による防御が切っ先を弾く。
「堅っ!」
隙をさらした暁美の胴体を二本の巨大な鉤爪が挟む。
「やだ! はなして!」
倶爾は、蟹の鋏脚による固定だけで、鋏み斬る心算は無いようだ。
倶爾が透明な触手で、暁美の咽喉に在る逆鱗に触れ、失神させる。
弱点まで熟知しているようだ。
「暁美を生かして捕獲したいのか?」
私は、とうに人間を辞めた倶爾の男と交渉を試みる。
不可視という化けの皮を自らはいだ魔物が完全に姿を現す。
姿を現した倶爾は蟹とも機械ともつかぬ異形である。
機械と一体になった蟹のような化け物は碧い触手に覆われている。
巨大な触手をのたうたせながら妖魔は水蜘蛛めいた姿に変形する。
そして、人間の貌が中央から生える。
端整な目鼻立ちの美貌は、神像の如き荘厳と青年の若々しさを兼ね備えている。
一重瞼の眼差しには明晰な知性が輝いている。
「そうだ私は確かに、この娘を生かして連れ帰る必要がある。無駄な流血は不要だ」
「何故だ? 死人喰いの倶爾が、生きた人間の女を殺さず必要とする理由は何だ?」
厳密には倶爾と同じく、暁美も海魔細胞と融合した肉体を持っている。
暁美の肉体は生身で宇宙空間に放り出しても生存可能なように補強が済んでいる。
しかし、倶爾一族は桁違いの戦闘能力を持っている。
可能ならば、暁美を無傷で助けたい。
「海神クトゥルーの娘にして巫女。それが、この娘の役割だ」
「それを言って俺が、その娘を生かして渡すと思うか?」
残念ながらブラフである。
私は、邪神クトゥルーの復活による気候の大変異など知ったことじゃない。
巨大すぎる質量と神気で、世界中に大規模災害が頻発するだろうがな。
ただ、私は手の届く範囲に誘拐されそうな子供が居るなら助けようとする。
私は俗物の偽善者なのだ。
「私の行動は、故・飯綱為和からの契約更新に基づき、飯綱宗家の許可を得ている」
「地元ボスに根回しが済んでいるのか」
「貴兄も人として生き続けたいならば、筋を通せ」
それだけ言うと、異形の美貌は再び触手に覆われた。
飯綱宗家の現当主は、幾つも肩書きを持っている。
衆議院議員、大学の総長、飯綱製薬の会長、つまり夜刀浦の権力者である。
飯綱宗家に秘伝の呪法もあるから、魔人としても少し手強い。
私くらいの魔術師による力尽くだと、周囲の被害が心配である。
現時点において、暁美が誘拐されるのを見送るより他に無いようだ。
糸神川を下り海に出るようだが、改造人間たる暁美なら水中でも生活可能である。
早急に取り返すべく、私は算段を立てる。
とりあえず、アリスンと社長に連絡するから無能の烙印を捺されると覚悟する。
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