21話 ほつれた糸玉の如き霊子の塊
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私は、今日も警備員の仕事と鍛錬を終えた。
しかし、帰宅しようと思ったところで呼び出された。
シスター・アリスンの黒須教会である。
伊藤美観の身体が崩壊し、岩塩に戻り始めている。
顔面の左半分が抉れているし、右腕も落ちている。
「……ボク……こわいよ……」
「……塩の柱に戻りかけていますが、治せますね?」
美観は、自分自身の崩壊に少し怯えている。
意外と悟性が高く人間は肉体ではないと覚っているため、さして狂乱していない。
シスター・アリスンによる脅迫紛いの依頼を、私は引き受ける。
私は無免許のヤブなのだが、医者の真似事をせねばならないようだ。
アリスンもゲームの聖職者のように桁外れの神気で人体を再生させることが可能。
もげた手足だろうと、半壊した脳髄だろうと、完璧に再生させる。
だが、伊藤美観は死人である。
死人を再び歩かせるには外道の技法という意味における、外法が必要だ。
生者なら、アリスンが自力で何とかしただろう。
死人でさえなければ、私が出張ることもなかっただろうに。
ふと、教会が妙に静かなことに気付いた。
暁美が、親友である美観の危機に駆けつけていない。
それと、礼拝堂の一角が破壊され、血塗れになっている。
「シスター・アリスン、暁美は居ないのですか?」
「……騒ぐばかりの役立たずなので、優しく丁寧に寝かし付けました」
察するに、暁美が狼狽して精神の均衡を崩し、膨大な霊気の暴走による狂化。
人外の魔力で暴れ狂う暁美を、アリスンが力尽くで捻じ伏せ、部屋に監禁だろう。
装甲服を身に纏ったアリスンは、鬼より恐い先生仮面である。
改造人間たる龍女の暁美が、狂化しようと、暴走しようと、刃は立つまいて。
「糸神暁里はどうした? 『糸』による縫合を頼みたいのだが」
「……あけみちゃんの看護を任せています」
糸神暁里の『包帯』なら、四肢を切断しようと一瞬で接合も可能だ。
その治癒能力でも時間が必要なくらい、手酷く肉体を破壊したのか。
死なない程度に手加減しただろうが、心配だ。
逆に言えば、脳と心臓だけが無事という状態か、人工心肺を脳に直結させた状態。
脳髄だけの姿にして、生命維持装置に放り込んだか。
容赦ないアリスンなら、やりかねないな。
まあ良い。
心配だが、先に美観の身体を再構築しよう。
霊子は、要素が増大して一定の段階に来ると自らをたばねる。
より安定しようとするのだ。
何でもそうだが。
例えば、人体という全体を構成する要素(部分)である細胞。
各々全体としての構造、機能をもっており、ホロンであると言える。
ホロンとは哲学において全体子とも言う、物の構造を表す概念である。。
この哲学を応用すれば霊子を入れた塩化ナトリウムの結晶を細胞の代替に出来る。
肉がタンパク質であるという常識など必要ない。
霊肉不二にして、霊主肉従である。
霊子からなる量子螺旋構造体は、糸を撚り合わせた弦のようだ。
この弦が糸玉のように成ったモノが霊魂である。
神気を練り上げた糸の、束と言っても良い。
神気は、糸のように練り上げる。
生糸を灰汁などで煮て柔らかくすることに、例えられることが多い。
絹糸の中に含まれている不純物など、染色をするのに邪魔になる物質を取り除く。
この工程を精錬や、『糸を練る』と言う。
かなり繊細な、職人芸である。
霊子の糸は、superstring theoryの弦に近い性質を持つ。
スーパーストリング理論、超弦理論、超ひも理論などと呼ばれる学説だ。
霊子は光子よりも、粒子として小さく、波動としても高周波数である。
三次元空間の物質で作製した機材では観測が困難なため、科学で扱い難い。
霊子が光子や電子に干渉しても、逆に干渉することが無いからだ。
上の次元にいる神霊は、下の次元にいる人霊に対して影響を与えることができる。
下の次元にいる人霊は、上の次元にいる神霊に対して影響を与えることは不可能。
実に、おもしろい法則である。
ほつれた糸玉の如き霊子の塊が、伊藤美観の霊魂である。
この娘の霊魂は、珪酸系の舎利に格納してある。
仏具をあつかっている京都の古美術商で買った、九千円の舎利。
夜刀浦の古物商だと水晶や瑪瑙のニセ舎利ばかりで、本舎利が品切れ状態だった。
米粒くらいの単なる水晶を十万円で売るのは、ぼったくりだ。
京都に到着してから最初の店で、「舎利ください」と言っただけで入手した。
運が良かった、と思うことにしている。
この仏舎利は、白骨の如き純白から骨舎利という名前で呼ばれる物だった。
強力な神気が入っていたが、呪詛に使われた物だったので癖も強い。
仕方が無いので、手間暇かけて神気を構成する霊子を造り換えることにした。
魔導書の化身であるレディは、膨大な霊子の精密制御を可能とする。
紙の無限積層体による空洞構造効果で、舎利の神気を増幅する造換塔を構築した。
伊藤美観の遺髪が発する妖気も、空洞構造効果で増幅する。
この舎利石は、黒髪の如き漆黒から髪舎利という名前で呼ばれる物に再構築した。
西洋魔道において、『Anachithidus』という名前でも呼ばれる。
アナキティドゥスの石は、巫術の石として重宝がられる。
悪霊を呼び寄せる力を持つ降霊の石である。
陵辱され殺された美観の霊魂は、怨念から悪霊と化しかけていた。
レディの業前もあって、いともたやすく行われる強制召喚というえげつない行為。
えげつないという言葉の語源は意気地ないと記述する、無慈悲を意味する古語。
私見だが、輪廻に還して転生させることこそが慈悲だと勘案する。
伊藤美観の霊魂を漆黒の仏舎利に封じ、この舎利石を岩塩人形に埋め込んだ。
皮膚の直下で浅い層だが、米粒くらいの舎利なので小さなホクロに見える。
胸部中央で、両乳の間である。
霊魂たる霊体、神気を練り上げ再構築した幽体、岩塩の肉体、それら総てを診察。
問題は、伊藤美観という人間の核たる、本体の霊魂にあった。
親友の来海暁美に対して、何等かの罪悪感を抱いてしまったようだ。
この罪悪感という雑念は、幽体に対して極めて有害である。
常人の肉体なら胃が痛む程度で済むが、美観は古典的なゴーレムの身体である。
魔術的な emethという真理から一文字欠けるだけでmethという死に至る。
広く知られているリドルは、ゴーレムの脆弱性をよく表現している。
問題は霊魂の中枢たる、『心』に問題がある。
身体は神気で強化された堅固な岩塩でも、霊魂は生前と同じ人間のままだ。
私は単なる修行中の魔術師なので、心の問題に疎い。
女心と、宇宙の真理。
どちらか読解しろと言われたら簡単なのは、まず後者である。
私は、霊子の物理法則という宇宙の真理を探究するので精一杯だ。
幼い少女の心など、全くもって理解不能である。
霊魂を構築する神気の状態を読み取り、表層を読解するのが限界だ。
「シスター・アリスン。貴女に伊藤美観の心を任せたいのですが?」
「……貴方には人間としての温かみが欠けているように思います」
私見だが、心の問題はシスター・アリスンの専門だと思うのだが。
聖書をひもとき、一日も欠かさず朝晩の鍛錬で神気を練り上げている。
何等かの罪悪感で病んだ美観の心を癒やせれば、身体も簡単に癒える。
私のような魔術師に可能なことは、表層を取り繕うのが限界である。
「義手や義眼を作製するのが限界なのですが……」
「……病み崩れた身体を補えるなら。女の子ですもの」
「……こわくない……?」
アリスンだけでなく美観も同意し、私は機械式の義眼から生産することにした。
アリスンが教会の倉庫から、ヒヒイロカネ製の機械部品を出した。
出所は、大十字社長が死蔵するリサイクルパーツの一部だそうだ。
巨大なコンテナに一杯の鉄塊であるが、アリスンの怪力で運び出された。
コバルト1割、ニッケル2割、鉄7割、そしてモリブデンその他が少々の合金鋼。
そのマルエージング鋼に、奇妙な神気が入っている。
この神気の方が、ヒヒイロカネの本質である。
私のような未熟な魔術師では、ヒヒイロカネとして錬成した過程が読み取れない。
「シスター・アリスン。得体の知れない素材なのですが」
「……ボク……こわいよ……」
「……構いません。かつて撃ち砕かれましたが、魔を滅ぼすものです」
私と美観の抗議は、アリスンに却下された。
無数の鉄塊を運び出したアリスンの労力は重機に等しく、威圧も凄まじい。
仕方が無いので、複雑怪奇な機械仕掛けを分解し、使えるパーツを取る。
現在の美観は、顔面の左半分が抉れている。
さらに心を病めば残る右半面も失い、無貌と化す。
人形のような美貌を元通りにするため、一工夫する必要があるだろう。
魔術における霊気の回転は、反時計回りが基本である。
時計盤の時針が逆回転することで、時間逆行という歪曲を象徴する。
日本において左回りの霊気から、左道という名前で呼ばれることもある。
私は、ド・マリニーの時計を参考にした構造で、時計仕掛けの義眼を完成させた。
瞳に、ヒヒイロカネの歯車を流用している。
「伊藤美観、呼吸を整えろ。四拍呼吸を繰り返すんだ」
「……ボク……こわいよ……!」
美観は半壊した岩塩の脳髄を使い、必死に同じ言葉を繰り返す。
しかし、私とアリスンの沈黙に耐えかねたのか、最後には諦めたようだ。
1・2・3・4と吐く
1・2と止める
1・2・3・4と吸う
1・2と止める
身体の胸部中央に埋め込んだ仏舎利が、神気を増幅する。
私は、時計仕掛けの義眼を美観の顔面に近付ける。
抉れた半面の左眼が在るべき位置に、ヒヒイロカネの義眼が浮遊する。
美観が練り上げる神気に反応しているのだ。
ヒヒイロカネの瞳が、キリキリと反時計回りに動き始める。
歯車の構成材質たるマルエージング鋼と一緒に、内在する神気も左に回る。
美観が練成する神気が凝集し、岩塩として物質化する。
歯車の回転が、ガシャアッと停止すると同時に人形じみた美貌が完成した。
「……綺麗な可愛らしい、お顔ね。右腕は戻りませんか?」
「所詮は試作品ですからね。義手は別に生産します」
アリスンは当事者の美観よりも不満そうだが、単なる魔術師に無茶を言うものだ。
しかし、状態の良好なパーツの大半を義眼で消費してしまった。
義手の質を少し落とさねばなるまい。
経絡における掌の労宮穴も仏舎利を使いたいが、品切れ状態である。
手持ち素材の間に合わせで、代替するとしようか。
……。
伊藤美観の治療を終えて、自分の部屋に帰還する。
私のアパートは粗末な木造倉庫も同然である。
しかし、帰る場所としては充分な部屋でもある。
「おかえり、ますた」とレディは言った。
「ただいま、レディ」
結局、義手のパーツが足りなかったので手持ちを消費した。
5グラムの金地金を掌に組み込んだが、純金だから霊的中枢として最低限の機能。
次に機会があれば、本舎利に換装してやらねばなるまい。
ちなみに暁美は五体満足だったが、咽喉の逆鱗に亀裂が入ったそうだ。
アリスンと暁里が神気で即座に再生させなければ、ショック死していただろう。
まあ良い。
生きてさえいれば、どうとでもなる。
お読みいただき、ありがとうございます。