12話 ギリシャ神話の時代から
私の表の仕事は、街のゲームセンターなどを巡回する抑止力としての私服警備員。
とあるゲームセンターにおいて、未成年が酒をかっくらっているのを発見。
何かが、勘に引っ掛かる。
ガキっぽい二十歳かも知れないので、あちらから一発だけ殴らせることにする。
このゲームセンターは、顧客の喫煙や飲酒に少し甘い。
「未成年の飲酒。ああ、民間家屋の不法占拠もか?」
「なんだよオッサン」
私の作り笑いがムカついたらしく、テレフォンパンチが顔面に来る。
腰が入っていない手打ちなので、鼻血も出ない。
足払いで床に転がした後、両腕の関節を極めて捕縛完了。
「イデェッ! このオッサン砂にしちまえ!」
「オウオウ!」
「袋だ袋ぉ!」
周囲からアホの仲間らしきガキが5人も来る。
私を袋叩きにする心算らしい。
私の無傷で済まそうという慈悲を無視した、アホの両腕を圧し折る。
「ギャアッ!」
「カッちゃん! オヤジ狩りだ! 殺せ殺せ!」
丁寧に一発だけ殴らせながら、全員を床に転がした。
ナイフや鉄パイプを出したアホは問答無用で両脚を骨折させた。
このゲームセンターは、顧客に甘いので鉄パイプも持ち込める。
ガキどもを後ろ手に固めてから、両手の親指を手持ちの針金で縛る。
全員、自分の親指を千切り取ってまで反撃する根性など無いようだ。
「イデェ……」
「……何だよ警察ぶりやがって!」
学校の授業で、逮捕権というものを学ばなかったのだろうか?
いや、不良少年なら習う前に高校中退などという易きに流れたのだろう。
逮捕権は、警察とセットになった権利なのだ。
警察がある国なら絶対に保証されている権利である。
だから、目の前で引ったくりとかあった時には、一般人も逮捕して良いのだ。
意外と知られてないようだが、学校の授業で聞き流すガキも多いのだろう。
『現行犯に限り、国民全員に逮捕行為を行うことを権利として認める』権利だ。
この逮捕権というのは、つまり警官でなくても現行犯なら捕まえていいのである。
何もしない連中は逮捕権を放棄しているわけだ。
私が、ふんじばって良い訳なのである。
……。
アホどもを警察に引き渡すと、私の仕事が増えた。
リーダーが逃げているという。
狩り逃がした私も、探す必要がある。
このガキどもは、市外から流れて来た不良少年グループだった。
昨晩、浜辺に未成年少女が死体遺棄されていたのだが、その犯人だったのだ。
少女は学校帰りの女子生徒だった。
「……殴ったら死んだ」
そう言ったアホが、感情的な警官に殴り倒されて半殺しだが自業自得だろう。
車の後部座席に引きずり込んで暴行したという。
少女は血塗れの上に、裸で浜に棄てられた。
検死の結果、逮捕したアホども全員の精液が検出されたが、1人だけ居ない。
リーダーはエビちゃんと呼ばれているらしい。
誰も名前を知らなかった。
今時のガキも本名でなく字名で動く程度の知恵は、あるようだが、やはりアホだ。
リーダーの、『エビちゃん』。
外見は、十代後半、身長195センチと長身で筋肉質。
金髪ピアスにトライバル柄タトゥー。
日焼けサロンの常連で小麦色の肌。
テンプレートな不良少年リーダーという、目立つ外見である。
少しくらい変装するだろうが、見破れない方が可笑しい。
……。
エビとやらはサングラスを買って、かけただけで変装の心算らしい。
周辺のコンビニで聞き込みするだけで、黒須高校の敷地に逃げ込んだと判明する。
私見だが、エビとやらは真性のアホである。
もう深夜なので、私も無許可で黒須高校の敷地内に這入る。
「ぃがあぁっ……!」
遠くから、男の野太い悲鳴が聞こえた。
エビとやらに関係していることだろう。
絶叫の方向は体育館裏のようだ。
私が体育館裏に到着すると、バリバリという骨を噛み砕く音が響いてくる。
見れば、地面に金髪ピアスの筋肉質が上半身だけになって転がる。
血を噴き出している腰から下が無かった。
肉を喰い尽くされ、剥き出しの腰椎が覗いている。
ピンク色の腸が溢れ、裂け目から褐色の汚物がはみ出している。
筋肉男の下半身を喰っているのはスキュラのカナである。
異形の下半身が餓狼の如く、肉を骨ごと貪り喰っている。
スキュラは、両手を地面について腰を高く上げている。
くびれた胴を過ぎたあたりから下肢が複雑に折れ曲がっている。
スカートのひだのような赤い触手が揺らめいている。
髪は赤いオーラのように頭の背後に広がり、サラサラと波打っている。
直前まで、二人は人間のように下半身で繋がっていた。
スキュラは冷ややかに下半身を持ち上げて男を受け容れていた。
男の誤算は、無知が原因である。
魔界都市・夜刀浦は人喰いの魔物が跳梁しているのだ。
異形は世界に隠れている。
人間に紛れているのだ。
「鹿戸さん、もうすぐ警察が来ると思うけど証人になってくれる?」
「ああ、構わんよ」
「あたし、こんな種族だものね」
カナが滑るような動きで、こちらに移動する
上半身のトレーナーは無事だが、下半身のスウェットパンツは派手に破れている。
筋肉男のエビとやらが、下着ごと力尽くで破り取ったらしい。
スキュラという種族特有の、章魚の如き下半身の触手が人間そっくりに擬態。
毛が生えていない成人女性も、それなりにいるだろう。
私は上着をカナに差し出す。
カナは私の上着をスカートのように巻き付ける。
「一応、確認したいのだが……」
「その男が、『サツが来る前に女を犯しまくってやる』とか叫んで……」
人として生きているカナは無人の黒須高校に引き摺りこまれ、抵抗したという。
魔物としての本性を出さねば、昨晩の女子生徒と同じく撲殺されていただろう。
性器のみ食い千切り逃げる予定が、加減を誤り下半身を丸ごと噛み砕いたという。
私も、グールの陽子やスキュラのカナが、人喰いを苦悩していると理解している。
カナという異形の人魚姫も、人を愛しているのだ。
ギリシャ神話の時代からスキュラという種族の悲恋は有名だがカナも同じである。
「あたし、祐司に逢いたいよ……」
「田町祐司か」
かつて私は、カナの依頼で田町祐司の近況を調査した。
祐司は、カナが異形種であることを知っていながら愛している。
異形の触手と牙に貪り喰われようと、構わないと想うくらいに。
しかし、カナは祐司の死を望まない。
スキュラという種族の生殖システムは異質である。
あらゆる生物を捕食し、それぞれの遺伝子から優秀な部分を合成する。
そして新しい個体を作り上げ、出産する。
だが、高度な知性が災いし、本能を抑制するため繁殖率は低い。
カナが愛する祐司の子を産むには、身も骨も総て残さず貪り喰うより他にない。
精神の均衡を崩している現在の祐司は、迷い無く喰われるだろう。
相思相愛であるがゆえに、結ばれれば悲劇を起こす運命にある。
祐司が精神の均衡を取り戻せば、カナも安心して逢えるのだが。
……。
警察署でカナは事情聴取を受けることになった。
私は、付き添いを許可された。
飯綱という姓の、恰幅の良い警官が出て来る。
飯綱の分家筋だろう。
飯綱の権力は警察にも及んでいるのだ。
「知らなくていいことは、知らぬままでいるのがよい」
飯綱という警官は、そう言った。
結局、意図的な迷宮入りで事態を収拾するそうだ。
夜刀浦市には多くの住民が、日常生活を営んでいる。
人口五万人程度の地方都市だが、表向きは普通である。
異形の魔物や異能の魔人も棲んでいるが、1%にも満たない。
それに、スキュラのカナはグールの陽子と同じく飯綱製薬の職員である。
カナは一度見聞きしたことは絶対に忘れない、直観像記憶能力を持っている。
イヅナの生体データベースとして重宝されている。
ゆえに、無罪放免という沙汰になった。
……。
警察署で諸々の手続きを終え、スキュラのカナを送り、自分の部屋に帰還する。
私のアパートは粗末な木造倉庫も同然である。
しかし、帰る場所としては充分な部屋でもある。
「おかえり、ますた」とレディは言った。
「ヘロヘロさん! ミミちゃんを復活させて!」と暁美が言った。
私の部屋に上がり込んでいる暁美から、詳しい事情を聞くことにする。
今回の事件で殺された学校帰りの女子生徒は、中学二年生。
暁美と仲良しの同級生だったという。
「あかりちゃんもヘロヘロさんが復活させたでしょ! お願い!」
「糸神暁里は理性と言語に不自由するゾンビでしかない。お友達なら諦めなさい」
「やだもん!」
暁美が黒い大剣を振り下ろし、私は光体を出して防御する。
このウーツ鋼の両手剣は、棍棒の延長線上にある形状にしたから、切れ味が悪い。
しかし、剣圧の威力を受け流したので床板が割れる。
まったく、感情的な娘を説得するのは苦労する。




