11話 アトランティスのオリハルコン
今日も仕事を終えた後、地下実験施設に来ている。
武器の生産である。
生産など、慣れと根気と諦めと惰性だそうだ。
誰が言ったか、忘れたが。
溶鉱炉に、鉄鉱石その他の素材を投入して加熱する。
「妙に鉄臭い場所だな」と散人は言った。
「小竹田か……鉄工所の真似事だから、気にするな」
地下実験施設には結界を構築していた。
物理的にも霊的にも空間を閉鎖していたのだが。
この散人には無意味なようだ。
「いや、すまないな。手児奈と一緒に居た少女が何かしたらしいのだが」
「レディに空間ごと跳ばされたか。あれも文車妖妃という妖怪だからな」
レディは高度な知性を備えているが、口下手である。
ゆえに、必要な説明を省略して行動することも多い。
本質が『本』である所為か、聞くより空気を読めという感じだが。
悪意じゃなく、最良と判断してのことだろうが、意図が読めないな。
「ところで四拍呼吸とは何だ?」
「霊気を感覚化して認識する方法の一つだが。気功法の一種でもある」
「手児奈と少女の会話で聞き取ったのだが、少し気になったのでな」
1・2・3・4と吐く
1・2と止める
1・2・3・4と吸う
1・2と止める
腹式四拍呼吸法により気を感じ取るのだ。
空手の騎馬立ち、太極拳の站椿、そして馬歩と呼ばれる姿勢も教える。
人間の想念は量子のレベルで力となる。
霊気を量子としての霊子と認識し、観測すればコントロールも可能。
粒子としての霊子は、同時に波動としての魔力でもある。
魔力を誘導する技術と方式の、基本たる魔導術式こそ四拍呼吸である。
緩やかな深い腹式呼吸と、丹田などの霊的中枢における意識の集中が重要だ。
心を深く集中させることだ。
かくあれ、かくあるべし、と。
深度の限界を突破すれば世界に干渉し、神の真似事も可能である。
日本の古語において学ぶを意味する、『まねぶ』ということも同義。
魔術師は神の力を学ぶ者なのだ。
……。
パリパリという音をたてながら、付近の虚空にライトブルーの火花が散る。
結界による霊的な空間閉鎖が、膨大な神気で強引に破られているのだ。
ライトブルーの火花が増大し、球雷現象を発生させる。
四次元空間から三次元に、何者かが出現しようとしているのだ。
この、清涼を通り越して冷たい神気に覚えがある。
多分、結城樫緒という少年だろう。
才能だけなら私を遥かに凌駕しているのだが、手間取っているようだ。
ペルデュラボーが余計なことを言ったので、魔術の修行を止めたらしい。
地道な鍛錬なしだと無駄が多いのだが。
実に惜しいことである。
ライトブルーの球雷が拡散消滅すると同時に、黒衣の少年が出現する。
膨大な神気による力尽くの空間転移だ。
やはり結城樫緒である。
「なにやら面妖な力場で遮蔽してありますね」
「魔術による結界だが、破った箇所を修復できるか?」
「残念ながら妖術の知識など持ち合わせていないので、無理ですね」
まあ良いか、子供のやったことだ。
「ところで、鉄臭いようですが?」
「ああ、鉄工所の真似事だ」
溶鉱炉を見てもらっていた小竹田の近くに、樫緒を連れていく。
「この男は俺の知人で、小竹田という。この少年は樫緒だ」
「どうも、初めまして」
「やあ、こんにちは。しかし、俳優のような容姿の少年だな」
レディは、樫緒に小竹田を会わせたいのだと推測する。
樫緒の纏う神気は膨大だから、気配感知も容易である。
その転移を認識したレディが、小竹田も転移させたのだ。
樫緒が結界破りに手間取ったので、小竹田の方が先に到着したようだが。
「知覚範囲で思い通りにならないものは無い、『樫緒の世界』か」
「ぼくの力を知っていると?」
「結城美沙という女が、死ぬ直前に言っていたことだ。その……ゲホ」
小竹田が、身体にライトブルーの火花が纏わり付くと同時に、吐血した。
樫緒の手に、ドクドクと脈動する心臓が存在している。
神気による空間歪曲。
小竹田の心臓を力尽くで抜き取ったのだ。
「姉さまが……死んだと?」
樫緒が、グシャリと心臓を握り潰した。
能面の如き無表情だが、憤怒を得たのは間違いない。
そして、潰した心臓を無造作に投げ捨てる。
小竹田の身体が、量子のレベルで拡散消滅していく。
潰れた心臓や、撒き散らされた血液も、拡散消滅する。
樫緒は携帯を出して、誰かに電話している。
小竹田を殺したことなど、取るに足らぬ事象のようだ。
「ご無事ですか姉さま! あ……お元気そうで何よりです」
樫緒の姉は無事だったようだ。
小竹田も、不用意な事を言わねば死なずに済んだだろうに。
容赦なく人を殺す樫緒も、姉には頭が上がらぬ様子だ。
なにやら、少し電話が長い。
「久しぶりだな、鹿戸」
「2分くらい前に死別したばかりだぞ?」
小竹田が再び転移で出現した。
「ああ、私の主観的な時間だと、百年近く昔だったのでな」
「そういや、タイムトラベラーだったな、お前」
本人にとっては過去の話でも、私や樫緒にとって現在の事件なのだがな。
樫緒が電話を終えて、こちらに来た。
「……不死身ですか。また面妖な偽証者ですね」
「ああ、思い出した。かつて時代を間違えた発言で、誤解させた少年だな?」
「時代? ぼくも時間移動なら経験がありますが。タイムトラベラーですか」
「かつて、私が遭遇した結城美沙という女は、百歳以上の老婆だったな」
「ヒトとして生き、天寿を全うしようという時期の未来でしたか」
樫緒もタイムトラベルの経験があるとかで、小竹田と和解した。
しかし、躊躇なく人を殺せる樫緒も尖った性格をしているものだ。
暁美も大概だが、気が合うのだろうか? 心配である。
そも、何故に樫緒が地下研究所に来訪したのだろうか?
「……忌まわしい疫病の気配が、感覚に引っ掛かったので」
樫緒が溶鉱炉を観察する。
「やはり、オリハルコンの精製ですか」
「厳密にはオリハルコンの一種で、『ウーツ鋼』だがな」
アトランティス文明において使用された超合金の総称が、オリハルコンである。
高強度ベリリウム銅という合金に神気を入れた物もオリハルコンの一種だ。
この、紅い超鋼の刃金をシスター・アリスンが愛用している。
今回は、別種の合金を生産しているのだが。
今回の生産は、ダマスカス鋼やウーツ鋼とも呼ばれる高炭素鋼材である。
インドの一部地域に由来し、鉄鉱石を原料とする。
ウーツとは地名では、ない。
サンスクリット語で、「硬い」あるいは「ダイヤモンド」の意である。
その特殊な不純物の組成から、るつぼ内で製鋼されたインゴット内にカーバイドの層構造を形成し、これを鍛造加工することにより表面に複雑な縞模様が顕れる。
刀剣用の高品質の鋼材として珍重された。
その後の学術的な研究により、ほぼ完全な再現に成功していたと思われていたが、ドイツのドレスデン工科大学のペーター・パウフラー博士を中心とする研究グループによる調査で、ダマスカス鋼からカーボンナノチューブ構造が発見された。
現代のダマスカス鋼の再現は、完全でないことが判明している。
私が生産しようとしているウーツ鋼はカーボンナノチューブ構造を極大化させる。
そのために、1℃の狂いもなく温度調整しようとしている。
研究所の機材を操作する人手が足りないようなので、私は小竹田に助手を頼んだ。
「ぼくは拒否しますよ。疫病に感染しそうなので」
「鹿戸も子供に強制労働させる気などなかろう……ケホッ!」
「どうしましたか?」
「溶鉱炉からの熱気でむせただけ……ゲホゲボッ!」
小竹田がビチャビチャと吐血する。
「ああ、やはりメドゥーサに感染したようですね」
「そのようだ……ガハッ!」
小竹田の胸郭を衣服ごと突き破り、血塗れの青い鉱物が飛び出す。
ゴキゴキと肋骨を割り拡げながら、結晶が成長する。
赤く染まった青い鉱物が胸郭から落ち、研究所の床で硬い音を立てる。
ピシピシと音を立てながら結晶化を続行。
人体で生成された奇怪な異物は、未だ動きを止めていない。
足下に転がる鉱物は、外気に触れているにも拘らず、さらに結晶化。
周りの血液を変化させ、自らに取り込んでゆく。
結晶体は血という血を吸い取っていく。
メドゥーサは、この世界において流行した伝染病である。
ワクチンなど、治療法も確立され鎮静化しているが、手遅れならば死ぬ。
小竹田は運悪く、肺胞の毛細血管でメドゥーサウィルスが急増したようだ。
メドゥーサは生物学的ナノマシンとして創造された、人工ウィルスである。
アトランティス文明の時代に、外宇宙の存在から技術提供されたらしい。
小竹田は片肺の内臓破裂と胸郭の開放骨折を無視して、作業を続行する。
心臓は無事らしいが、余命は5分かそこらだろう。
死に続けている男ゆえ、苦痛に慣れているのだ。
ドロドロに溶けたウーツ鋼を、数多の鋳型に流し込んでいる。
そして、作業が終わると同時に斃れる。
「ちょっと逝ってくる……」
「ありがとう、生産に感謝するよ。逝ってらっしゃい」
小竹田は、死ぬと過去に跳ばされる難儀な体質である。
睡眠で意識を失う場合は、過去か未来のランダムとなる。
小竹田の身体が衣服ごと、量子のレベルで拡散消滅する。
生産された鋳造剣と、床に転がる鉱物だけが小竹田の存在した痕跡だ。
ウーツ鋼の冷却が終われば完成である。
「よくやりますね。ところで溶剤の血液は何を?」
「鶏の血だよ」
チキンハウスのブロイラーを鶏肉に加工する時、血抜きする。
その血液を堆肥などに、リサイクル加工される前に買い取る伝手もある。
ただ、事実上の廃棄物だが、鳥インフルエンザ予防目的の法律などを違反する。
その誤魔化しや口止め料込みの値段を合計すると、意外と高い。
コストパフォーマンスが悪いのだ。
しかし、ナノマシンとしてのメドゥーサは強度の高いオリハルコンの素材である。
メドゥーサによって生成されるカーボンベースの結晶体をオレイカルコスと呼ぶ。
この、オレイカルコスを血液と一緒にして高熱をかけるのだ。
オレイカルコスは沸騰させた血液に溶けていく。
あらかじめ鉄鉱石も入れておくと、温度管理が容易になる。
鉄という物質は、金や水銀などの軌道転移単原子元素と違い、霊気を入れ難い。
神気だけでなく妖気も入り難いので蹄鉄などの鉄片が魔除けに使われるくらいだ。
しかし血液中のヘモグロビンなど、条件さえそろえば鉄原子にも霊気が入る。
血は魂の座であると、古くから知られているように神気も入る。
量子としての霊子をエネルギー源として常温核融合反応による元素転換すら行う。
メドゥーサというナノマシンは、血液が沸騰する程度の低温で鉄鉱石を溶融する。
この、カーボンナノチューブ構造で補強された鋼材がウーツ鋼である。
本来のウーツ鋼は、ダイヤモンドの硬度と、軟鋼の強靭さを兼ね備えている。
今回の生産であるウーツ鋼も、本来の強度を持つと良いのだが。
「ところで、鋳造品は出さないのですか?」
「完全に冷えるまで放置だ」
少なくとも三日間は放置だろうな。
「ぼくで良ければ手伝いましょう」
「ありがたいな、一つだけ試しに頼む」
一番手前の鋳型にライトブルーの火花が纏わり付く。
それが浮揚する。
樫緒の超能力だ。
鋳型が神気による負の熱量で冷却される。
鋳型が開き、鋳造されたばかりの黒い大剣が出る。
表面を研磨すれば銀白色に輝くが、酸化鉄の黒皮付きで構わないだろう。
「剣身の彫刻は……アブラクサスですね?」
「よく知ってるな」
「ゲームのモンスターで、倒すと黄金の鶏をドロップするんですよ」
RPGにも登場するので、そこそこ有名な鶏頭人身の魔神である。
「暁美が実物の大剣を欲しがってたから、生産してみたんだ」
「ゲームの、『鶏鳴剣アブラクサス』が元ネタですか?」
「いや、サービス終了したネットゲームで、『暁の鶏鳴』の方だ」
「ああ、駄洒落ですね」
暁美の名前と、『暁の鶏鳴』を掛けただけである。
……。
樫緒を送り返し、武器の生産と後始末を終えて、自分の部屋に帰還する。
私のアパートは粗末な木造倉庫も同然である。
しかし、帰る場所としては充分な部屋でもある。
「おかえり、ますた」とレディは言った。
「ただいま、レディ」
小竹田はオレイカルコスの加工でメドゥーサに感染し、病死した。
樫緒は、鋳造剣の生産を手伝ってくれた。
レディは、私の健康を心配して手配してくれたようだ。
感謝しよう。
しかし、目的のためなら人も殺す点が少し怖い。
小竹田が事実上の不死身だからと思っておこう。