4-2.運び屋達は町に着く
ヨンは刃の血糊を拭うとラクダを降りた。砂に伏した死体の傍から婉曲した片刃サーベルを拾い上げ、辺りを見渡す。
生き残ったものの深手を負い動けずにいる男が3人、逃げだしたのが2人。
ヨンは盗賊の一人に近付きサーベルをその首元に突き付けた。男は鼻と頬肉が抉れ取れ、腹を押さえて悶えている。
「私の求める答えが出ぬならお前の首に穴が開く。
誰にそそのかされた」
ヨンの問いかけに男はギョロギョロと目を動かしたものの、彼女に向かって吐き出されたのは血混じりの唾だった。ヨンは黙ってサーベルを振り上げると叩き付けるようにしてその喉笛を切った。吹き上がる返り血がヴェールとマントに染みを増やす。
中途半端な情けが己が身を滅ぼすのは、既に経験で知っている。
「――生きたいか?」
残った2人の男達を見下ろし、ヨンは冷たい声で問うた。
遠い砂丘のてっぺんに砂ぼこりが起こり、一頭のラクダが現れた。
身を固くしたまま構えていたワジは、それがヨンだと認めるとホッとして全身の力を抜いた。もう大丈夫だと伝えるつもりでツキツキの背を叩いたものの、少女はぎゅっと目をつむり胸にしがみついたままだ。
(チピタに似ている)
とワジは思った。
チピタは僧院で飼っている犬だ。他の仲間に比べて格段に身体が小さく臆病だった。散歩の途中で他の犬を見ると尻尾を丸めてワジの足元にすり寄り、情けない声で助けを乞う。その仕草が何とも可愛く微笑ましいため、贔屓は駄目だと思いつつワジはチピタを可愛がっていた。
「ツキツキさん、ヨン殿は御無事ですよ」
ポンポン、と肩を叩いてやりながら大きめの声でゆっくりと伝える。『ヨン』の言葉に反応したのか少女の頭がそろそろと上がり、後方を見た。
「ヨン!」
運び屋に気付くと、少女は大声でその名を呼んだ。
「ヨン、◎○○○!」
よほどホッとしたのだろう、少女が身振り手振りを使って興奮したように話しかける。だがワジには少女の言葉が分からない。
「よかったですね」
話せない代わりに、ワジはもう一度少女の頭を撫でてやった。
近付いた姿をよく見れば、運び屋のヴェールにもマントにも赤黒いものがべったりと付いていた。
「ヨン殿、お怪我は」
「返り血だよ、心配ない」
ヴェールを外し、ヨンは荷袋から綿布を出すと汗だくの顔を拭った。
「ワジ、ツキツキと荷物をよく守ってくれたね。助かったよ」
「いえ、わたしは何も……」
労われ、ワジの眉が申し訳なさそうに歪む。
「ヨン殿お一人に、全てをお任せしてしまいました」
「それが私の仕事だからね」
血染めのマントをばさりと脱ぐと、ヨンは少女に声をかけた。問いかけるような少女の返答に、運び屋は指で自身の唇を指すと動きを教えるようにゆっくりと言った。
「あ り が と う」
「あい、が、と?」
少女が真似してヨルダム語を口に出す。
「あ り が と う」
「ありがとお?」
ヨンの頷きに、少女はワジの方に向き直ると、たどたどしく言った。
「わじ。ありがとお」
「……はい」
どう答えて良いのか分からず、素っ気ない返事となってしまった。
冷たく思われてしまっただろうか。
そんなワジの思いは杞憂だったらしく、少女は「ありがとお」「ありがとお」とブツブツ繰り返し練習している。
(――守らなければ)
ワジは密かに決意した。
この少女は、やはりチピタによく似ている。
朝になり日が高くなっても、三人は休むことなくラクダを歩かせ続けた。先頭はヨン、次いでツキツキを前に乗せたワジ。
「見えてきたね」
振り返ったヨンの声にワジが頷き、意味が分からないツキツキはきょろきょろと辺りを見回した。
『ツキツキ、東南の方角だ』
日本語でヨンに言われて目を凝らせば、確かに砂丘の向こうに建物の影がいくつも見える。
『ザヤックというオアシスだ。あそこで疲れを取って水と食料の補給もしていこう』
『わあ、町って初めて。宿屋に泊るの? あ、お店とかも出ているのかな』
興味を持って目を輝かせたツキツキだったが、
『町ではなるべく黙っていな。決してニホン語を話すんじゃないよ』
と、ヨンから釘をさされてしまった。
ザヤックはツキツキが想像していたよりも小さな町だった。もしかしたら町というより村といった方が正しいのかもしれない。それでも、ユビ砂漠に点在する貴重なオアシスの一つとあって旅人の姿は多かった。
宿屋にて記帳を済ませると、ヨンはツキツキとワジに柑橘系の果物のジュースを持ってきてくれた。日本でいつも飲むようなジュースと違い温く砂混じりだったが、それでもラクダでの移動でへとへとに疲れていたツキツキにとっては涙ぐむほど美味しく感じた。
『部屋があるのって、最っ高!』
宿泊部屋の敷布にごろんとうつ伏せに寝そべって頬ずりをすると、ツキツキは深くため息をついた。ラクダに乗り続けたり盗賊に襲われたせいで、身体中のあちこちがぎしぎしと固くこわばっている。腰と内腿は特にそれが酷かった。
『今のうちにしっかり休んでおくといい』
窓辺でカップを傾けるヨンの声も、砂漠にいた時よりも穏やかだ。ワジは熱心に部屋の隅で経文を取り出し唱えている。おそらくは修行の一環なのだろう。
『ねえ、ヨン』
『何だい』
『あたし、本当に、死ぬまでこの世界にいなくちゃいけないの?』
『ようやく信じる気になったのかい』
『これだけ酷い目に遭い続けても、ちっとも目が覚めてくれないし、身体の疲れも本物だし。流石に少しは信じようって思えてきたかも。
ちゃんとまた元の世界に戻れるのかな?』
『ああ。あんたがこっちで眠ってしまえば元の世界に戻れるし、あんたがあっちの世界で眠れば、再びここにやって来る。
ただしそう感じるのはあんたの心であって、実際はどちらの世界にも本物の肉体が存在しているのだと、私は考えている』
『……どちらの世界にも?』
『たとえば、あんたがここで今すぐ寝たとするだろう。そうなりゃ、意識は元のニホンの身体に戻っていくはずだ。
その間、ここでのあんたの身体はどっぷりと深く眠ったまま。どんなに揺すっても叩いてもあんたが自分から戻ってこない限り、ここでの身体は絶対に起きない。それこそ、死んだようにね』
ヨンの言葉にツキツキは顔をしかめた。
『身体が二つあるなんて全っ然想像つかないんだけど。分かんないこと多過ぎるし』
『こういうのは考えても無駄だよ。あるがままを受け入れるしかない』
『んなこと言われたって……。
そういえば、指輪をしてたからこの世界に来たんだよね? じゃあ、もし指輪をしていなかったらずっとこっちでは眠ったままってこと?』
『まあ、やがては衰弱して死ぬだろう』
『うっそ!』
がばっと顔を上げるとツキツキは目を丸くしてヨンを見た。
『えっ何で何で!? 寝ているだけなのに死ぬのって、おかしくない!?』
『眠ったままでは食べることができない』
『それはそう、かもしれないけど……。えー……そんなことで死ぬのってヤダー……』
『まあ、実際はそう簡単には死なないよ。
だけどね、そうならないためにもあんたはその指輪をしっかりと無くさないよう身に着けておく必要があるんだ。この世界のものを手にしていれば、二つの世界はあんたの所で言う【赤い糸】のような繋がりで結ばれるからね』
『ヨンって、どうしてそんなことまで知ってるの?』
『言っただろう、ニホンには旦那がいるんだ、って』
ヨンはこの話になるのを待っていたらしい。ツキツキの傍まで近寄ると、腰を下ろして胡坐をかいた。
『確か、りゅーじんさんって名前だよね』
『そうだ。リュージン。
あんたが彼を探し出してくれさえすれば、私の目的の半分が叶う。
探してくれるかい、ツキツキ』
『いいよ。どんな人なのか詳しく教えてくれたら、あたし探してみる。助けてもらった恩返しをしたいし』
『――ありがとう』
ヨンが見せたその顔は、ツキツキがこの世界に来て初めて見た笑顔だった。