4-1.運び屋は盗賊と対峙する
わあわあと声を上げて泣きじゃくる少女のその姿は、やはりとても自分と同い年とは思えなかった。
あまりにも幼く、無力で、だらしない。
何を話していたのかは知らないが、仮にも成人しているのなら人前でみっともなく泣くなど最も恥ずべき行為だろうに。
ワジは黙々と食事の支度をしながら内心そう思っていた。
「ヨン殿、整いました」
大きなココカの葉に乗せた食事は、乾燥パンと干し魚をあぶったもの、それから数粒の乾燥果物と椀に入った半分の白湯だ。
ココカの葉は乾燥した土地にも生えるヤシ科の一種で、実は食べられないこともない程度だが、その大きな葉に特徴がある。乾燥させても繊維が固くなりにくくしなやかなまま保存ができ、そのうえ匂いに癖がない。洗い物を極力減らす砂漠地方ではココカの葉は使い捨ての皿として10枚単位で売買される。熱ければ団扇代わりにもなり、切り取ってもみ込めば便所紙の代用品にもなるとあって、砂漠を渡る旅人の荷物の中には大抵ココカの葉が混じる。
砂漠の夜は冷えるため深夜に出す食事だけは、こうして温もりのある食卓をワジは心掛けていた。
それぞれが食卓につき食前の祈りの儀を行った――のは、実際にはワジただ一人だ。
異世界から来たという少女(最も、ワジはヨンの戯言など信じていなかった)は信じている宗教も違うであろうことから、そのようなしきたりなのだと納得できる。だが、目の前の運び屋の女は同じヨルダム国民でありながらレナーニャの教えを守ろうとしていない。食事の度に目にしてしまい、つい不愉快に思ってしまう。
まあ、異世界などと言い出す女人だ。ヨルダム人にしては珍しい別宗教の信者なのかもしれない、と己に言い聞かせるものの。
――仮にでそうであるならば、何故上僧がヨン殿を名指しで運び屋に指名した?
祈る合間もついついそのような事を考えてしまい、結局ワジが祈りを終えて顔を上げる頃には、魚も白湯もすっかり冷め、女達は食事を終えていた。
今宵は風が出ているせいで砂がちらちら舞っている。二つの月は出ているものの、星のきらめきはほとんど見えない。
ヨンはツキツキと共にラクダに乗り、月を見上げながら親し気に何かを話している。同じ言語を離せるということはその国に滞在していた可能性が高い。
(やはりあの少女はこの世界の者だ)
そう結論付けるワジにとって、今の気がかりはあの少女を今後どうするつもりなのかということだった。
できることなら次の街で置いていきたい。
用心棒が一人増えるのと役立たずのただ飯食らいが一人増えるのとでは、意味合いが全く違う。ただでさえ貴重な水がますます使えなくなってしまう上、上僧からは運び屋ヨンと二人で向かうようにと命じられている。
このままの面子で目的地まで移動するのだけは御免だった。
突然、ヨンのラクダがぴたり、と止まった。
慌てて、ワジもそれにならったものの、食事休憩を終えてまだ一刻ほどしか経っていない彼女の動きの不自然さに疑問が残る。
「ヨン殿、どうされ――」
「静かに。動くんじゃない」
ヨンは手で制すると、幅広帽を取り耳を澄ませた。
「複数頭……結構いるね。男の声…………盗賊か」
「盗賊!?」
思わずワジは聞き返した。彼の耳にはまだ何も入ってこないが、運び屋の中には身体能力が常人より長けた者が多いと聞く。おそらくヨンもその類なのだろう。
「ワジ、何か武器は使えるかい?」
ヨンは分厚い手袋を脱ぎ羽織っていた二枚のマントも取り去ると足元の袋を探り出した。
「修行で鍛えるために、スタラト棒術は一通り。ですが実戦はありません」
華奢なデザインの皮手袋に嵌め換えると、ヨンは分厚い金属板のようなものを2枚取り出して太い皮ベルトの左右の留め金にガチャリ、ガチャリ、と装着した。ベルトには無数の皮ポケットが下がっている。
革袋から重そうなマントをじゃらっといわせながら羽織り終えると、ヨンは金の刺繍が入った灰色の薄いヴェールをくるくると器用に巻いて宝石でパチンと端を留めた。これで緑の瞳以外に彼女の顔は分からない。留め具には長い真珠が繋がっており、それをぐるりと一周させれば女性らしい彩りとなった。
「何も持たないよりは役に立つだろう」
ヨンは袋から金属棒を数本取り出すと手早く組み立て、ワジに放った。
「その端のレバーを下げると刃先が飛び出る。使い難いようなら棒だけを使いな」
受け取ったその顔は固くこわばっていたものの、すぐに腹をくくったのかヨンの目を見て頷いた。
ヨンはラクダを隣に寄せると、ツキツキの身体をワジに渡した。きょとんとしている少女に異国の言葉で説明する。みるみるうちに少女の顔が月明かりの下で真っ青になった。
その頭をあやすように、ヨンがゆっくりと撫ですいてやる。
「ツキツキと荷物を頼んだよ、ワジ」
言い残すとヨンはラクダの綱を切り前方に飛び出した。目印もない砂の上でヨンの姿がみるみる小さくなっていく。
スタラト棒術は朱塗りの固い木製棒を使う。攻撃というよりも心身鍛錬が目的の武術であるため実戦向きではない。
それでも。
(何も武を知らぬままよりはいいのだ……)
ワジはそう言い聞かせ、金属棒を握り締めた。
――窮地では揺るがぬ心にて鎮静するが近道。
レナーニャの精神修行で得た心身境地の一つだった。いや、実際はそうであれと己に言い聞かせているだけかもしれない。
それでもワジは表立って慌てたり騒いだりはせず、黙って前方を見据えていた。
胸にしがみついている小さな少女は、自分の事を頼っている。
「安心しなさい」
ワジは少女の頭を撫でた。ヨンの真似をしてみたのだが、小鳥の巣のような見た目の髪は思っていた以上に柔らかく滑らかだった。
「あなたは私が守ります」
ワジの言葉を、少女がどこまで理解していたのかは分からない。けれど少女は見上げると、こくんと頷いた。
守るべき存在というのもは、こうも肝を据わらせるのか。
ワジは金属棒の両端のレバーを下げ、鋭い刃を飛び出させた。
盗賊の男達はヨンの姿に気が付くと、振り上げていたサーベルを降ろし取り囲む陣形で近寄っていった。
女が一人で武器も持たずに近付いてくるのだ。降伏交渉なのは間違いない。
「止まれ!」
頭領はサーベルを突きつけて命令した。ヴェールを巻いた女は大人しくラクダを止めた。その周りを全部で13頭のラクダが取り囲んでいく。
女は怯えたふうに辺りを見渡した。明度の高いエメラルドのような瞳から女がなかなかの上玉であると値踏みをし、盗賊達は『生け捕りだ』と互いに目配せをし合った。
「おい、仲間はどこだ? 偵察の報告ではもう一匹いたはずだが」
「ああ、お許しくださいませ。あの二人はまだ幼い私の弟達、親に先立たれ親族の元へと頼る途中なのです。金目の物は置いていきますので、どうか、どうか命ばかりは」
「おーい聞いたかぁ? こいつら運び屋も付けねえでうろついてやがる。へへ、なぁに、すぐに殺しゃあしねえよ、俺達でどっぷりと可愛がってやっからよぉ」
震える女の周りを、少しずつ盗賊達が乗ったラクダが近付いていく。どの男もニヤニヤと下卑た笑みを浮かべ、すっかり油断しきっていた。
女は怯えたように両腕で己の身体を抱き締めた。と、
「ぎゃあッ」
「うげェッ」
絶叫と共に男達の頭と首から一斉に血飛沫が上がった。一瞬にして何が起こったのか誰もが理解しきれないまま二投目がすぐに飛んでくる。
ヒュウウウン!
風を切り裂く鋭い音と共に再び野太い悲鳴が上がった。
「残念だが、『運び屋』はいるんだよ」
盗賊の半数以上がラクダから転げ落ち、血塗れの顔や喉を押さえて転げまわる中、ヴェールの女は両手に持った銀の細縄をカチリとスイッチを押すと同時に一瞬にしてたぐり寄せる。
「私だ」
輪状の先端に付いていたのは釣り針状に曲がった大量の刃だった。
男達の喚き声とキン、という金属音が切れ切れに聞こえてくる。ヨンが一体どうなっているのかワジは具体的な想像をせぬよう、己を厳しく律していた。
自分がここでやるべき事は、この少女と荷物を守る事だ。それまでは、如何に時が経とうとこちらから動いてはならない。
怯えたら負けだ。
緊張の中、金属棒を持つ手がじっとりと汗でぬめる。ふーっと小さく息をつけば、ぎゅっと小さな手が僧衣を掴み直す。
「○◎●○……」
少女が何かを呟いた。ワジが構えを取ってから、初めて発した言葉だった。
何となく、どこかで聞き覚えがあると思った。記憶の糸をたぐってみれば、あの時粥を渡した際にも彼女が言った言葉だった。
『アリガトウ』
食べ物を渡した時、こうして守っている時。
共通しているのは、少女を保護するための行動。
ああ、アリガトウとは、きっと礼を述べる言葉なのだ。
だから、こんなにも耳触りが良い。