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運び屋ヨン  作者: SPICE5
第3章 <日常編>
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3-3.少女は再び異世界に飛ぶ




 ぽかんと口を開いたまま、あたしはしばらく動けずにいた。


「良かった。腕の中で身じろぎしたからね、そろそろだと思って降ろしたところだ」


 かすれ交じりのアルト。ぱさぱさと肩で広がる赤茶色の髪。透き通った緑の目。

 助けてもらったあの時と全く同じ顔形。


「あ、の……、ヨン」

「なんだい」

「あたし、どうして、ここにいる、の?」

「どうしてって……あんたはずっと私達と一緒だったじゃないか。

 もっとも、あんたは丸丸2日ばかし死んだように眠っていたけどね」

「うそだあ……」


 力無く否定したあたしの左手をヨンが取り、そっと目の前まで持ち上げる。


「ツキツキ、あんた指輪をしていなかっただろ」


 中指に緩くおさまるその指輪は、やっぱり現実で見たものと同じで。


(本当に、明晰夢ってやつを見ているんだ……)


 あたしは半ば感動しつつ、ゆっくりと辺りを見回した。砂漠の夜は相変わらず寒い。身体には分厚いマントのようなものが被さっている。空には満点の星と大きさが微妙に異なる二つの月。


 夢もここまでリアルだと、本当にどこかにこんな世界があるんじゃないかって思い込みそうになる。


「凄いなあ……」


 あたしは感心しながらしばらく月を眺めていた。


 こんなファンタジー世界を創造できるくらい、あたしってば想像力豊かだったんだ!


「そろそろ現状を把握してもらう必要があるな」


 ヨンがあたしの身体を敷布の上に降ろしながら呟いた。


「知ってるよ。ここってあたしの夢で、願えばいろんな事ができちゃうし変えられるんでしょ?

 明晰夢だって、與野木君から教わったもん」

「その『めいせきむ』とやらの意味は知らないが、あんたは随分と誤解をしているようだ。ワジ!」


 ヨンの声に、斜め後ろからこちらを見ていた男の子が反応した。


 たぶんあたしと同じくらいの年だ。細身でタイのお坊さんみたいな恰好をしていて、眉間に小さな入れ墨がある。


 ヨンがあたしには分からない外国の言葉で話しかけると、ワジと呼ばれた男の子は頷いて手際よく作業を始めた。火の上に鍋がかかっているから、たぶんご飯の準備なんだろう。男の子一人でもあんなにテキパキ動けるもんなんだなあと、料理を全くしないあたしは感心してしまう。


「さて、今のうちに話しておこう。ツキツキにはこの世界のことをおおよそでいいから覚えてもらう必要がある」


 ヨンが隣に腰を下ろして覗き込む。真っ直ぐな眼差しはエメラルドのような、ヒスイのような……あまり宝石には詳しくないけれど、そんな言葉が浮かんだくらい、彼女の瞳はとても澄んでいた。


「あんたが再び気を失ってから、ニホン語の復習をしていた」


 ヨンは脇に置いていたリュックサックのような袋から数冊の国語の教科書とぼろぼろになった大学ノートを取り出した。


「あはは、なんでこんなもん持ってるのー?」


 ファンタジー世界の設定なのに、小中学校の教科書や辞書に大学ノートという辺りが妙にリアルでおかしい。


「ニホン語は難しい。だから毎日たくさん勉強した」

「ヨンの言葉ってカタコトじゃないよね。発音も綺麗だし日本人みたい」

「20年近くも勉強すれば誰だってそうなるよ。難しい漢字はよく分からないけど日常会話なら普通にできるし、ひらがなカタカナ、簡単な漢字程度なら書ける」

「へえ、20年って凄いなぁ。だからこうして普通に話せるんだ」

「そう。私はニホン語を勉強した。だから話せる。一般的なヨルダム国民は異世界があるということも、その中にニホンという国があることも知らない。話したところでレナーニャの教えに反するから、絶対に存在を認めようとはしないだろう」

「レナーニャって何? 宗教みたいなもの?」


「そうだ。レナーニャは主に砂漠の神ゼラチェを祀る宗教だ。

 ヨルダムは元は肥沃な大地であり、そこをゼラチェが治めていた。けれど他の神との戦の際、苦戦したゼラチェは泥と水と種を使って人間を作りあげたんだ。人間はゼラチェの命じる通り、ヨルダムの地を守り戦った。だがやがて、緩慢な平和が続くと知恵があり丈夫な肉体を持つ人間達はどんどんと増え続け、あっという間にヨルダムの地の恵みを吸い取っていった。

 ゼラチェが気付いた時には、既にヨルダムの多くの土地が砂となって死んでしまった。彼は愛する大地が死んだ事を嘆き、失意のあまり砂漠の奥深くに沈んでしまった。

 こうして、我々ヨルダム人は11か月をかけて厳しいレナーニャの教えを守り、ゼラチェが出てくると言われるひと月を盛大な祭りで祝い続けるようになった。

 ほら、月が二つ出ているだろう?」


 ヨンは空を指さし、細い三日月が並ぶ様をあたしに見せた。


「あの二つの月はゼラチェの妻と娘だ。

 砂漠の奥深くに沈んだ愛する家族を、妻であるフィメラと娘のニニンが万が一暗い夜に出てきても大丈夫なようにと、こうやって空高くから照らしているんだ。フィメラとニニンはそれぞれ恵みと慈愛をつかさどる。晴れた夜に明かりが無くとも歩けるのは、月が二つあるおかげだ」


 あたしってばほんっと凄い! こんな設定まで作れちゃう!


「さて。レナーニャにはいくつかの教えがあるが、その中に『世は単一』と概念がある。簡単に言えば、この世界も今のあなたの人生も一度きりのものだから大切にしなさい、という意味合いだ」

「ふうん」

「そんなレナーニャを信じる人々の前にツキツキが現れたら、どうすると思う?」

「あたし?」

「そう。異世界であるニホンという国からやってきた人間。風変わりな格好に訊いたことのない言葉を流暢に話す。おまけにこの世界にはない知識や道具までいろいろ持っている」

「あたし、頭悪いし何も持ってないよ」

「そういう設定だったら、の話だ」

「えーっと……変な人って思われる?」

「そうだ。まず間違いなく変人だと思われる。言葉も通じないし見た事の無い変わった格好、金がない事が分かれば相手にすらされないだろう。

 だがそこで、あんたは私に出会った。

 あたしはあんたの住む場所も言葉も知っている。

 それは何故だと思う?」

「夢の中だから」

「ふうむ。意外と強情だな」


 ヨンは顎に手を当てるとしばし考え込んだ。


「――質問を変えてみよう。

 『リュージン』を覚えているかい?」

「ヨンに探せって言われた人でしょ」

「そうだ。ツキツキ、探してくれたかい?」

「ううん」


 あたしは首を横に振った。


「だって、夢での探し人なんて現実にいるわけないもん」


「ツキツキ、手を出してみな」


 言われた通りにマントから手を出すと、外気にさらされた皮膚がぴりっと痛んだ。まだ日焼けによる火傷の症状が残っているらしい。


 ヨンはあたしの腕を取ると、突然ひゅっと音を立てて手をそこに叩きつけた。ばしぃん! という乾いた音が静かな砂漠に響き渡る。


「痛っ」


 ばしん! ばしん! 冗談とは思えない強さで、ヨンは幾度もあたしのうでに手刀を振るった。


「痛い、痛いよ! 止めてヨン!」


 表情を変えぬままヨンは手を上げ続け、あたしはあまりの痛みに耐えきれず叫んだ。


「なんでこんなことするの!? 酷い!」

「――この世界はあんたの夢なんだろう?」

「夢だって痛いものは痛いもん!」

「そんなら自力で止めてみせな、あんたの夢ならできるだろ」


 あたしは渾身の力を込めて腕を離そうともがいた。けれどびくとも動かせぬままヨンはあたしの腕をぶち続け、元々ひりひり痛んでいた皮膚はついに薄皮が破れだした。


「やだやだ、痛いいっ」


 絶叫に、ようやくヨンが手を離した。


 あたしは腕を押さえて丸まりながら俯いた。震えをこらえて涙ぐんでいると、そっと頭に手が乗せられた。びくっとして動けずにいると、


「――その痛みが、本当に夢だと思うかい?」


 静かなヨンの声が振ってきた。


「考えるんだ、ツキツキ。日にさらされ続けた火傷跡に、散々ぶたれた理不尽な痛み。強烈な痛みは一番の刺激だ。あんたがのんびり夢の世界にいるというのなら、今頃とっくに目を覚ましているだろうよ。

 その痛みは本物だ。

 あんたは一生、この世界でも生きなければならない」


「うっ、う……うわあああ」


 あたしは声をあげて泣いた。


 痛い。怖い。


 腕の皮が破れて痛いし、顔と手足の皮膚だってまだひりひりする。ヨンがいきなり攻撃してきたのが怖かったし、止めてと言っても続けられたのもショックだった。


 けれど、一番怖いのは。


「やだあ、やだよお! あたしこんなところにいたくない! 家に帰りたい! 帰らせてよお!」


 ここが夢の中じゃなく、現実なのだと認める事だった。



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