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運び屋ヨン  作者: SPICE5
第12章 <異世界編>
32/41

12-1.少年僧は物思う




 水底のような中庭に煌々と光が降り、辺りは静けさに満ちていた。

 ワジは高い座禅岩にて胡坐をかいていた。瞑想がうまくゆかぬまま時ばかりが過ぎていく。どうやら一睡もできぬまま夜を明かすことになりそうだ。


 このような時こそ、日頃の修行の成果が問われるというのに。


『影児よ』


 蘇る呼びかけに、苦しい吐息が零れた。


 ――やはり、ただの運び屋ではなかった。


 腕利きの運び屋達の中には、影を背負い隠す者もいる。

 僧院から運び屋を指名されたのには何らかの理由があるとは思ってはいたが、よもや(偽物であるとはいえ)王子と将軍が揃って仇国の最大宗派に飛び込むことになろうとは。


(偶然では、ないのだろう)


 もう後戻りはできない。

 レナーニャに改宗し模範的な僧となる事を条件に、捉えられた捕虜達の一部解放を認めてもらったのだ。ここで裏切れば未だ枷をつけられている者達に待つのは残酷な運命なのは間違いない。


 じゃり……と小石を踏む音に振り返る。


「ごめんなさい。おきたら、いなかったから。

 じゃま?」


 下方から尋ねてきた声に首を振ると、ワジは手を伸ばした。差し伸べられた指先を取りよじ登る手助けをすると、少女は瞑想中の自分を気遣ったのかできるだけ隅に座ろうとした。が、腰を落とそうとした瞬間ずるりと滑りかけたため、ワジは咄嗟に手を伸ばし身体を引き寄せた。かさりと鳴った軽い音に彼女が何かの包みを持っている事に気付く。


「ありが――」


 顔を上げた少女の唇がふと止まり、呆けたように自分を見る。

 どうしたのだろうと思いつつ、ワジも少女を見返した。


 妹のように可愛がり慕ってもらっていた関係も、数時間後には終わりだ。この先会うことは叶わぬかもしれない。そう思えば、自然と目にその顔を焼き付けておこうと思えた。

 見慣れた筈の顔がいつもと違って見えるのは、月明りのせいだろうか。


 ややあって、我に返ったように少女は目をぱちぱちさせて身体を離すと、いきなり「はいぃっ!」と手にした包みを押し付けてきた。


「……私にですか?」


 頭が縦に揺れたので、二つの包みのうち、緑の絹紐がかけられた方を解いてみる。

 中には金箔が貼られた美しい黄色の帳面と藍色の筆記具が入っていた。昨日までワジが借りていたものよりも、ずっと高価で立派なつくりだ。


「あげる! ええっと、ええと……ぷ、ぷぇえんと?」

「プレゼント、ですか」

「そう! プレゼント!」


 こくこくこく、と何度も頷きながら握った拳を構える少女は、やはり小ぶりの愛玩動物を連想させた。


 もう一つは紙袋で、覗くと小さな焼き菓子が詰まっていた。摘み上げ、問いかけるように少女を見ると、口を引き結び真剣な顔をしている。

 口に入れてみると香ばしい風味が広がった。少々焼き過ぎな気もしたが、固い噛み心地でありながら粉の崩れ具合が滑らかで、一粒も砂が混じっていない。


「――美味しいです」


 少女の顔がぱっと輝く。


「『ココアクッキー』です!」

「ここあくっきー」


 繰り返すと、「作ったの」と報告された。

 宿に台所でも借りたのだろうか。そのような素振りなど無かったため全く気付かなかった。


「ありがとうございます、大事にいただきます。

 ですがこちらはお返しします。私が持つには不相応ですから」


 帳面とペンを返そうとすると、途端に眉間にしわを寄せて押し返された。


「あのね、ワジが使って!」


 泣きそうな眼差しにそれ以上断る事などできず、結局、それらも受け取ることとなってしまった。

 ほっとした顔で渡し終えると、少女は俯き、そのまま黙り込んでしまった。


 しん、と再び静寂が戻る。


 膝を抱えて座る少女の足元の布が持ち上がり、そこから白い足首に絡む自分の腕輪が見えた。


 これまで彼女が見せてきたのは明るく元気な表情ばかりだ。こうして急に静かになると何かあったのではと気にかかる。

 やがて、その原因が自分との別れにあるのではとワジは気付いた。

 

 ああ、この子も私との別れを惜しんでくれるのだ。


 ぽとりと落ちた水面のインクのように、温もりが胸中に広がり満たされていく。

 

 作り物ではなく自然と笑顔になれたのは、彼女と過ごした時だけだ。

 王子の影ではなく『ワジ』としての自分を慕ってくれた、初めての相手。


 嬉しかった。

 愛しいとも思った。


(――だからこそ)


 妹のように大切なこの子を、危険な目に遭わせてはならない。





「ツキツキさんは連れていきません」


 朝の訓練を終えて戻ってきたヨンに、ワジは言った。


「僧院からの達しは、運び屋の貴女と二人で来る事とあります。

 ですから、部外者を勝手に入れるわけにはいけません」

「――身内として入るのは」

「駄目です。私は末端の修行僧ですから。例外など作れません」


 きっぱりとそう言ったワジを、じっとヨンは見つめた。細まるエメラルドの視線にひやりとするが、これだけは曲げられない。


「――そうか。ならば仕方ない。ツキツキは宿に置いていこう」

「ヨン!」


 ツキツキは驚いたようにヨンにしがみついた。


「やだ! あたしもヨン達といっしょに行く! だって、そうしないとリュ」

「ツキツキ」


 運び屋の声に少女の言葉が止まる。


「確かにワジの言う事も最もだ。僧院の規約は一般施設のそれよりも厳しい。

 下手にあんたを連れていって素性を調べ上げられても困るからね」

「でも」

「ここに残っていな、ツキツキ。仕方無い」


 ヨンの言葉にツキツキは拳を握り締め、項垂れた。




「では、行ってくる。ラクダと共にいい子にしてな」


 準備を終えて荷袋を背負うと、ヨンはツキツキの手を握った。


「大丈夫、送り届けたらすぐに戻ってくるさ。心配しなくていい」


 入り口で見ているワジは、少女に何も言わなかった。別れの言葉はとうに済ませている。

 代わりに軽く会釈をすると、口を曲げてこちらを見ていた。


 宿を出て歩きながら、振り返りたい衝動を堪える。

 代わりに、斜め掛けした小さな袋に手をあて、かさりという音を確認した。





 一人宿に残されたツキツキは、ゆっくりと右手を開く。


 きっちりと折り目をつけて畳まれたそれは、大学ノートの1ページだった。



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