11-3.少女は禁断の恋を知る
正直の家を出てから財布を持って駅へと向かう。駅前通りのお店のうち、一軒の前で深呼吸をした。
「いらっしゃいませ」
重いガラス扉を引いた後で落ち着いた声がのんびりとかかる。革製品とインクの匂い。お客さんは初老の男性が一人きりのようだった。
ガラス扉から見える飴色の照明がいかにも大人のお店って感じで、大人になったら入ってみたいと密かに憧れていた場所だ。
だって、最初で最後のプレゼントだ。きちんとしたものを選びたい。
あたしは時間をかけて店内を見て回った。文具コーナーの前でどれにしようかとさんざん悩む。
ノートにしては値が張る金色箔押しで布張りなそれは、色違いが5色もあった。
えんじ色を着ているから、それに合わせて赤なんてどうだろう。それともモスグリーンの色合いなら落ち着いた雰囲気にぴったりかな。いやいや、男の人なら青か黒が無難なのでは。
そうやってさんざん悩んだ挙句、最終的には黄色に決めた。
月が印象的なあちらの世界。指根に二つ、とまった石。
お揃いで藍色ボールペンを選んでカウンターに持っていき、「贈り物です」とお願いする。綺麗なリボンで包装してもらい、スーパーに寄ってから帰宅した。
夕食を終えて洗い物をしている母に、「台所を借りてもいい?」と尋ねてみる。
「あら、あんたがそんな事言うなんて珍しいわねえ。一体何をするの?」
「ちょっと、お菓子を焼こうと思って」
「へえー」
物言いたげな母の視線から目を逸らし、あたしはキッチンに買ってきた材料を並べていった。バター、牛乳、小麦粉、ココア……。
黒焦げに焼き上がり大失敗したクッキーは、三度目でようやく食べられるシロモノになった。
ベッドに横たわり、プレゼントとラッピングしたクッキーを両手に抱えて手放さないよう身体を丸める。
早く眠らなくちゃと思っても、鼓動が気になり落ち着かない。
(うー、眠くなれ、眠くなれ)
ぎゅっと目を閉じ唱えてみても、ぽわっと浮かんでしまう顔に「ひゃあっ」と思わず目が開く。
どうしよう、緊張して全く眠くならない!
あたしは携帯電話を取り出すと、ルビちゃんに電話をしてみた。話し中。きっと相手は正直に違いない。
七村の方にかけてみる。コール音が延々とくり返され、もう切ろうかと諦めかけた瞬間にようやく繋がった。
「あ、七村? 夜分ごめんね」
「……う……っ、ひ……っく」
「ええっ、どうしたの七村、何があったの!?」
あの七村が泣いている!
あたしは携帯を両手で持ち直しながら慌てて起き上がった。
「七村大丈夫!?」
「だ……っじょ……ぶ……ごめ……」
「全然大丈夫じゃないじゃん!」
七村が必死で嗚咽を堪えようとしていたので、「こらーっ!」と思いきり怒鳴った。
「あたしの前では我慢しないでよ七村!
泣きたい時は思いっきり泣けばいいじゃんっ!」
途端に、携帯の向こう側から号泣が聞こえた。
「……ツキツキ、ごめん」
「少しは落ち着いた?」
「うん」
七村が泣くなんて余程の事があったのに違いない。
理由を訊いてもいいのか迷っていると、
「――ツキツキ、何か、用が、あったんでしょ?
こんな、時間に、あんたが、かけてくる、なんて、よっぽどのこと、でしょ」
と、逆に気を使われてしまった。
「あたしの事なんかより、七村が泣いてることの方が気になるよ」
切り出すと、しばらく沈黙が続いた。
「…………あの、ね。あのね、ツキツキ。
わたし……付き合ってる人が、いたの」
『あの声のトーンはデート』
ルビちゃんがそう言うのを聞いていたから、驚きはしなかった。
だけど。
「……だ、誰にも、絶対、絶対、言わないって……約束、してくれる?」
そんな前置きをしてから聞かされたのは、とんでもない事実だった。
ぐわーん、ぐわーん、と頭の中で鐘が鳴る。
「……ぐすっ、だから、先生とは別れろって、お父さんが……」
――七村は、吉備北先生と付き合っていた。
『あの』吉備北先生と、電話越しに涙ぐんでいる七村。
駄目だ。いくら想像しようとしてみても、まったく結びつかない、考えられない。
学校での七村は先生に対して模範的態度で授業を受け、一歩引いた状態で接していた。先生も七村に対して特別な態度を取ったことはなかったし、二人が一緒にいるところなんてこれまで一度も見たことはなかった。
一体何をどうやったら、この二人が恋愛関係になんてなってしまうのか。
「あの、いつ頃から付き合いだしたの?」
「夏休みに入って……」
「えっ、もしかして藤岡さんの所に行った時……」
「ううん、その時はまだ。でも、その後で……」
『先輩は禁断の恋をしたことってありますか!?』
藤岡さんのお店で質問して、先生がコーヒーを噴射した事を思い出す。
『――まあ、経験はあるよ。そういうの』
あ、あれは!
あの時の答えは!
七村との事だったのかあああ!!!!!
がーんがーんがーん。いまだにショックの抜けきれないあたしの耳に、
「好きなのに、どうして別れなきゃいけないの……?」
七村の言葉が、ぽつりと響いた。
ずきん、と胸が痛む。
「『教師と生徒だなんて別れろ』って言われた。
私、先生だから好きになったんじゃないのに。
あの人だから、好きになったのに」
うん。
気持ち、分かるよ。七村。
そう言いたかったのに、声が出なかった。
電話を切って横になっても、七村の言葉が頭から離れなかった。
あたしも、別れる時はあんなふうに泣くのだろうか。
――どうして、別れなければならない人を好きになってしまったんだろう。
のろのろとプレゼントを抱えながら、あたしはようやく眠りにつき始めていた。




