8-1.ヨジェリアンとリュージン (1)
「ヨジェリアン、いるか! ヨジェリアン!」
どすどすどす。板張りの廊下に野太い声が響き渡る。
「お嬢様なら馬場の方に出ていらっしゃいますが」
出迎えた侍女頭は、主人が脇に抱えた物を見て「まあ」と困り顔になった。
「ドルタス様、またですか?」
ヨジェリア王国大将軍ドルタス・タタールは、がははと巨体を揺らして笑い、敷地内にある馬場へと向かった。
侍女頭は呼び鈴を振り、出てきた若い侍女達に手を叩いて告げる。
「旦那様が新しいお子を連れて帰られましたよ! 湯と香油の準備を!」
屋敷の敷地内にある馬場にて、一人の少女が馬を走らせていた。
一本道を駆け抜ける間に遠く定められた3つの横的に次々と小刀を放つ。一投は中央、もう一投は横に逸れ、最後はかろうじて枠内に突き刺さる。
そのまま道を駆け抜け広い柵内に出ると、ゆったりと馬の歩を緩ませながらヨジェリアンは巻いたダチョウ皮を取り出した。紐を解きくるくると広げれば、差し込み穴の中に細身の投用小刀が刺さっている。少女はそこから三本抜き取ると、再び馬場へと戻る。
日に焼けた顔にはそばかすがちらばり、無造作に布巻きした頭から錆色の毛が飛び出していた。
供には付いてくるなと言いつけている。誉めそやす父の部下も侍女達の黄色い声も苦手だ。
雑念を払う為に鍛錬時は常に独りと決めている。
ヨルダム王国に隣する鉱山国ヨジェリアは、小国でありながら宝石産出国であるため豊かさを誇っていた。
ヨジェリア兵は他国に比べ高品質の武器と防具を身に着けることができ、それは戦いの勝敗に大きく関与した。金払いも良い為他国からも志願兵が集い、結果として強兵が残る。
大将軍ドルタス・タタールもまた、『ヨジェリアに武神有り』と言わしめた一人だった。
彼の一粒種、ヨジェリアン。
彼女の名は父が愛する国名を取って付けられた。
ドルタスの妻はヨジェリアンを産み落とした後、この世を去った。
その失われた命を補うかのようにヨジェリアンはすくすくと育ち、早々に優れた頭角を現した。齢三にして馬とラクダを乗りこなした。おもちゃは人形よりも剣と盾を欲しがり、ドルタスの横でそれを振るうのを日課とした。戦を見立てた盤上遊びでは、子供間では向かう所敵無しで大人相手でさえ多くの勝ちをさらっていった。目に優れ、耳も聡い。熱心に日々鍛錬をこなし若枝のように成長するその様は、古くからいる老兵に「見た目こそ違えど若かりし日のドルタス様を思い出す」と言わしめた。
「お前はいい武人になる。もっと鍛えろ。強くなれ」
ドルタスは酒に酔うといつもヨジェリアンをそう励まし、笑う。
女は紅をさして着飾り、男の元で微笑んでいればいい。
それが美徳とされる世においてドルタスのような考えの男は非常に稀であった。
――何故、男に生まれなかった。
内心そう思っていたのかもしれない。だがヨジェリアンの知る限り、父は一度もそういった蔑みを口にしたことがなかった。
そんな父をヨジェリアンは心から愛し、師と仰いでいた。
父が突然馬場にやってきたため、ヨジェリアンは眉をひそめた。彼女が孤独な訓練を好むことは父もよく知っており、ゆえに見学に来る事など滅多になかった筈だ。
「おーいヨジェリアン! お前に弟ができたぞお!」
近付いてくる父の丸太のような腕の中に、小さな少年が収まっていた。
「――ありがとうございます。これで稽古相手ができる」
ヨジェリアンは馬を降り、少年の顔を覗き込んた。
ごく稀に、こうして戦地や街中で身寄りのない子供をドルタスが拾ってくることがあった。彼らは大抵そのまま屋敷での手伝いとして働かせるのだが、つい先日のこと、気が緩んでいたヨジェリアンは「弟が欲しい」といった含みを持つ発言をしてしまった。
母のいないヨジェリアンは、すぐさまそれが失言と気付いた。だが、酒を飲んでいたドルタスは「そうか!」と言って豪快に笑い、――そうして今、その言葉を実現させてくれたのだ。
黒い頭の少年はこのあたりのでは見かけない顔立ちだった。褐色よりな自分に比べ砂漠の砂に近い肌の色合いをしている。大人しい質なのか驚いたままなのか、太い腕の隙間からぼうっとした顔でヨジェリアンを見ている。
「どこで拾われたのですか?」
「ユビ砂漠を横断していたら倒れていた。荷物も何にも無い、服装もぺらっぺらの布きれ一枚。おまけに言葉も話せんときた。
ただな、こいつはえらく好奇心が強いぞ。頭の回転も早い。
おおかた異国奴隷がラクダから零れ落ちたと、そんなところだろう」
ドルタスの人の見る目は確かだ。その彼が断言するからには、この子は優れた素質を持っているのに違いない。
ヨジェリアンもドルタスと同じく、身内になる相手の出自を気にする質ではなかった。
見込みがあり相手に意欲もあるならば親身になってとことん厳しく、愛をもって鍛えあげる。ドルタスはそのような男であり、娘であるヨジェリアンもそんな父の考えを色濃く受け継ぎここまできた。
「こいつは今日からお前に任せる」
ドルタスはヨジェリアンの前に子供を降ろすと告げた。
「数年内にお前の手足として仕上げろ」
それは彼女が敬愛する武人からの指令であった。
ヨジェリアンはドルタスの手を取り恭しく掲げると、指先で宙に地神ノーダの文様を描いた。そうして父の両手先を取ると、二度お辞儀をしながら額に指先をつけ、ヨジェリア国民が取る親愛の礼をもって誓ったのだった。
幼い子どもを連れ帰ったヨジェリアンが最初に行ったのは、共に風呂へ入ることだった。
「いけませんお嬢様! この子は私共で磨き上げますから、共に風呂など……!」
侍女達は皆、二人が一緒に風呂場に入る事に反対した。
「何故? この子は私の弟じゃないか。共に入り垢を落としてやる事は当然だろう?」
そう言ってヨジェリアンは頑として譲らなかったため、結果として侍女達は渋々と受け入れる羽目になった。
「これからは毎回風呂で流し合う事としよう」
ごしごしと少年の背中を擦ってやりながらヨジェリアンは言った。磨き粉の良い香りに心休まったのだろうか、ふっと少年の頬が緩む。
「お前に名をつけてやらねばならないね」
出てきた垢を手で払いながら、ヨジェリアンは呟いた。
「何と付ければ良いだろうなあ。砂漠色の肌にちなんでサエラ(砂漠の意)なんてどうだろう。うん、なかなか悪くない」
ヨジェリアンはざあっと少年の背に湯を流すと、その身体を自分の胸の前に向けた。
少年は驚いた顔をした後、そっと下を向いた。その頬をぐいっと両手で包み、自分の顔を指すと、
「ヨジェリアン」
と彼女は言った。そうして、少年の方を指し、
「――サエラ」
と言ってみる。数度同じ事を繰り返し、最後に「それでいいかい?」というように首をかしげてみせる。
彼女はサエラという名をなかなか気に入ったため、そこでやり取りは終いだと思った。
ところが、少年は首を横に振ると、
「リュージ」
と言ったではないか。
てっきり口がきけないものだと思い込んでいたヨジェリアンは、突然の彼の発言に目を丸くして驚いた。
「お前、話せたのか!」
「リュージ」
少年はそう繰り返した。
「分かった分かった、それがあんたの名なんだね。リュージ……うーん、変わった名だな。言い難い。
……そうだな、せっかくこうして姉弟になったんだから、よかったら私と同じ締まり名を付けてみようか」
『締まり名』は子供を名付ける際、終わりを締めの強い語尾にすることを指す。こうすることで、名に込められた力が抜けることなく留まるのだと言われている。
「リュージン」
ヨジェリアンは呼びかけてみた。
「私と同じ締まり名を付けてみた。
リュージン。
どうだい?」
「リュージン……」
幼い少年は数度繰り返した。そうして、こっくりと頷いた。
「よし、決まりだね! あんたは今日からリュージン。
リュージン・タタール、いい名じゃないか!」
上機嫌でそう言うと、ヨジェリアンはリュージンの裸を軽々と持ち上げ、湯船にさぶんと放ったのだった。
――これが今より二十年前の事。
後に夫婦となった二人の、出会いである。




