7-3.陶芸家は語り出す
何度もつっかえながら全てを話し終え、あたしはようやく口をつぐんだ。
耳に入る静かな曲のおかげで、何とか沈黙に耐えられてはいる。
コーヒーカップを両手で抱え、冷めたその苦い中身を無理矢理喉に流し入れる。
怖い。
何も反応してくれないのって、とても不安だ。
――どれくらい沈黙が続いただろうか。
ついにあたしは耐えきれなくなり、藤岡さんに向き直った。
「あのっ! ヨンの言ってたリュージンさんって、藤岡さんのことですよねっ!?
初めて会った時から分かっていました!
お願いです、ヨンに会ってあげてください!」
「上村さんは――」
ようやく出た言葉に背筋を伸ばして反応すると、
「――夢と現実の区別がつかない方ですね」
冷たい声が降ってきた。
がん、と鈍器で頭を殴られた気がした。
ぱくぱくと口を動かしながら呆然とするあたしを、藤岡さんは冷めた表情で見下ろした。
「あなたはまだお若いのに少し倒錯の気があるようだ。
高校一年生といえば青春真っ只中でしょう。そんな妄想に取りつかれず、きちんと現実を見つめなさい。
あなたのおっしゃっている事をご家族やお友達、それから担任である吉備が知ったらどう思われるか分かりますか?
真っ先にカウンセリングを受けることを勧められる筈です」
「友達は皆、信じてくれました……」
「表面上だけです」
藤岡さんはきっぱりと断言した。
「考えてみなさい。あなたのお友達がもし『不思議な体験をした』と大げさな話をしてきたら、あなたは疑いの欠片もなくその全てを信用できますか?
『この子は自分の気を惹きたいのだ』と哀れに思われている可能性は皆無だと、胸を張って断言できますか?」
唇が震えだす。
そんなことない!
立ち上がってそう叫びたいのに、反論できない。
「まあ、思春期というものは往々にして自分を特別な存在だと思い込みたがるものです」
藤岡さんの言葉が刃となり、あたしの胸に鋭く突き刺さった。
日本って天国だー、あちらの国は大変だー、なんて思いながら、あたしは心のどこかで優越感に浸りヒロイン気分でいた。
こんなに特別な経験ができるなんて、まるで漫画や小説の主人公みたい! とワクワクし、皆にペラペラ話してしまった。
……もし、ヨンのいる世界が本当にただの夢だったとしたら?
……ルビちゃん達が、あたしの話を裏で馬鹿にしていたら?
膝の上に置いた指先が、カタカタと震えだす。
押さえなきゃ。そう思い、止めようと拳を握りかけ――、そこであたしはある事に気が付いた。
「夢と現実の区別くらい、つきます」
たっぷりと時間を取って気を落ち着け、あたしはぐっと背筋を伸ばした。
声が上擦らないように気を付けながら、言葉を選んでいく。
「今、ここにいるあたしも、二つの月の世界にいるあたしも。
どちらも現実だってちゃんと知っています。受けた痛みが夢じゃないことくらい、区別つきます。
もし世界中の人間が夢だと言ってきたとしても、あたしはあの世界を信じます。最後まで信じます。
ヨルダム王国が現実にあるって、分かっていますから」
あたしの目は、左の中指を見つめていた。
黄色い二つの月が輝く、ヨンから貰ったヨルダム王国の証拠品。
「それから藤岡さん――ううん、『リュージン』さん。
わざと意地悪な事を言って、あたしを試していませんか?」
数秒の間の後、プッと藤岡さんが噴き出した。
額に手をやり目を閉じて、肩を震わせくつくつと笑いだし、やがてそれは両手で顔を覆った後、大きな溜息へと変化した。
手を外した後に現れた横顔には、鋭く光る瞳があった。
「そうですね。仰る通り、私はあなたを試していました。この先どこまで二つの現実に耐えられるかの、ある種のテストのようなものです」
前を見たまま話す口調も今までとは少し違う。
「どうしてわざわざそんな――」
「上村さんは『二つの現実を生きる』という事がどのような結果をもたらすのかを、まだ分かっていないでしょう?」
ちらり、とこちらを見た藤岡さんの唇の端が僅かに持ち上がっている。それは自嘲しているようにも見えた。
「まずは数々の失礼を心よりお詫び致します。
ですがこれで、あなたが多少のことではへこたれないお嬢さんだと分かりました。
もしかしたら活路が見出せるかもしれない」
藤岡さんは椅子から降りると渋茶色の手拭いを取った。癖のついた髪型でもハンサムなのだから、やはり見た目がいいというのは得だよなあと、こんな時だというのにあたしは思った。
藤岡さんがあたしの指先を取る。ぴぴっと痺れが走ったが、最早静電気程度のものだった。
持ち手と反対の指先で空中に妙な図形が描かれる。お絵かきというより何かの文様のようだ。藤岡さんはあたしの手を両手でうやうやしく持つと、お辞儀をする恰好で額に二度あたしの指先を付けた。
「私の祖国での親愛の礼です。
上村さんの推察通り、私はあちらの世界に辿り着いた日本人の一人で、リュージン・タタールと名乗っています」
「リュージン・タタール……」
噛みしめるように呟いたあたしに、
「妻に出会ってくれてありがとう」
藤岡さんこと、リュージンさんはお礼を言った。
「これから上村さんには少しだけ、我々夫婦の話にお付き合いしてもらいます。
私と妻がどのようにして出会い、そして別れたかを知れば、あなたに先程のような態度を取った理由も分かってもらえると思うからです。
二つの世界を生きる喜びと恐怖を、あなたはどちらも知っておくべきだ」
リュージンさんはカウンターに回ると冷蔵庫からオレンジジュースを取り出した。グラスに氷を幾つか入れ、たっぷりと注ぐとあたしの前にストローと一緒に差し出した。
喉が渇いて仕方無かったので、ありがたくズズズとジュースを啜る。
あー。
やっぱ子供でいいや。
苦いコーヒーなんかよりオレンジジュースの方が、ずっとずっと美味しい。
「では、お話ししましょうか」
リュージンさんはカウンター内にある椅子に腰かけると、あたしが頷くのを見て語りだした。
「まず最初に、あなたが教わったヨンという彼女の名は偽名です。
ヨジェリアン・タタール。
それが、運び屋を営む彼女の本名であり、亡国の名でもあるのです」




