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運び屋ヨン  作者: SPICE5
第5章 <日常編>
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5-1.少女は恋を想像する





「ツキツキぃ、おっはよう!」


 教室に入ると、にこにこ顔でルビちゃんが挨拶してきた。


「……はよ」


 席に着きのろのろと教科書を取り出しながら、席二つ向こうにいる與野木君をちらりと見る。分厚い本を見ながら與野木君は熱心に何かのメモを取っていた。


(だいたい與野木君が『指輪をつけて寝ろ』、なんて言うからさあ……)


 サラサラの髪と長いまつ毛が憎らしい……って、完全に八つ当たりなんだけど。


 元々あたしの取り柄といったら、元気・身軽。この程度だ。

 けれども異世界の夢に関わりだしてからというもの、身体が重く調子が悪い。今朝も自転車を漕ぐ足がふらふらとよろけ気味だったため、

「お前、本当に最近どうしたんだ?」

 と吉備北先生に心配されたくらいだ。


 ヨンの話通りなら、あたしはこれから死ぬまで二つの世界を行き来する羽目になるらしい。 

 だけど、目まぐるしい展開に頭も体もついていけない。


 そりゃあ世の中には異世界にトリップするような漫画や小説はごまんとあるし、そうなったら面白いんだろうなー、なんて想像してみたことはある。


(あったけどさあ……)


 昼間の砂漠は火傷しそうなほどジリジリ暑くて乾いている。かと思えば、夜は寒さに震えながらマントを羽織る羽目になる。風が吹くたびに砂ぼこりが舞い上がっては目に入るし、ラクダでの移動は乗り物と違って時間がかかるし疲れてしまう。旅の途中ではトイレなんて無いのは勿論のこと、町のそれまでが衛生的でないのにはがっかりした。お風呂は大きな桶に水かお湯を溜めて身体を洗うからゆっくり肩まで浸かれないし、思う存分使えない。

 食事には微量の砂が混じりがち。冷蔵庫もないから冷えた飲み物なんて夢のまた夢。そもそも水があんなにも貴重なものだなんて今まで思いもしなかった。

 言葉はヨンにしか通じない。

 盗賊にだって襲われた。

 

(日本ってさあ、天国だよねぇ……)


 頬杖をついたまま教室を見渡す。

 宿題を写す子、教科書を開いている子、おしゃべりに興じる子、前髪をいじっている子。

 一日授業を受けた後は好きな部活動に興じれて、誰でも図書館で本が借りれるし、具合が悪ければ保健室で休める。食堂では冷たいアイスやジュースがいつでも買えるし、放課後は友達とファーストフードに気軽に寄れる。スマホを弄ったりゲームをしたりがどこに行っても当たり前な日常。


 平和な教室を眺めているうちに、だんだん眠くなってきた。


 指輪をつけて眠れば異世界に飛ぶって、ヨンはそう言っていた。

 それなら何もつけずに寝れば、ぐっすりと気持ちよくと眠れるんじゃないだろうか。



(『気分悪いです』って言って保健室で一時間くらい寝たい……あー、でも一限目はグラマーの小テストだっけ)


 復習しなきゃなと思いつつ、全くやる気が起きなかった。教科書を取り出したものの動けずにいるあたしの前に、バサリとプリントの束がぶら下がった。


「数学。休み明けのテスト範囲のやつ。写したら與野木に返せよ」


 ぶっきらぼうな声は正直のものだ。


「オッケー、ありがと」


 プリントを受け取りパラパラと確認する。成績の悪い正直のために與野木君が課題プリントに要点をメモしてくれている。成績優秀とはいえないあたしも前回の試験時にはお世話になり、次回も是非とお願いしていた。


「――なあトモ、明日だけどさ」


 正直が小声で話しかけてきた。幼馴染である正直は、あたしの事をトモと呼ぶ。


「明日?」

「お前、まさか忘れてねえだろうな」


 しばし考え、そういえば歴史イベントに行く日だった、と思い出す。


「やっだなー、あはは、忘れるわけないじゃん! あたしから誘ったんだし!」


 正直は(本当かよ)という目であたしを見た後、再度小声になった。


「悪ぃんだけど、途中ではぐれたフリしてくんね?」

「えっ、何で」

「……言わせんなよ」


 唇を尖らすようにして正直が呟く。日に焼けた顔と背の高さがいかにもスポーツ少年といった感じで、結構女子から人気があるのだとルビちゃんから聞いた。

 幼馴染みとはいえ、正直とは中学時代に疎遠になっていた。急に女子全体に対してよそよそしくなりだしたものだから、今更何をカッコつけているのだろうかと思いながらもそのまま放置していたのだ。高校で同じクラスになってから再び話すようになり、ようやく以前のような関係に戻ってきた感じだ。


「一応さあ……デートじゃん?」


 正直の言葉に「ああ」とあたしは頷き、親指を出した。


「ルビちゃんと二人っきりになりたいんだね、了解!」

「――ってか、お前らもデートだろ」

「んあ?」

「與野木とさぁ、付き合わねえの?」


 あたしはプーッと噴き出した。


「あっはは! 何言ってんのぉー、正直。與野木君とはただの友達じゃん、無理にくっつけようとしなくていいって」

「……まあ、お前がそう思ってんのならいいけど」


 そっかあ、正直達にとっては明日ってデートになるんだ。

 だから今日のルビちゃん、すっごく機嫌良かったのか。


 正直が席から離れた後、あたしはおしゃべりしているルビちゃんを見た。

 最近ますます可愛くなってきた気がする。ふわふわ度が増したというか、見ているだけで甘い匂いがしてきそうというか。


 恋かあ。

 そんなにウキウキするものならいつかは経験してみたいけど、今のあたしには想像がつかない。


『與野木とさ、付き合わねえの?』

 

 正直の言葉を思い出し、(ふむ)と目を閉じて與野木君とデートしているところを想像してみた。

 

 ――彼氏の方が美人だ。


 並んでいるところを想像し、見た目の格差に虚しくなった。いっそのこと與野木君に女装してもらい、あたしが男役でもしていた方がよっぽどさまになる。

 黒髪ロングのウィッグなんて似合うんだろうなあ。あ、でもあのサラサラ髪を隠すのは惜しい。眼鏡を取って女の子っぽい恰好すれば、わりとそのままイケる――って。


(何考えてんだ、あたし)


 パッと脳内の妄想を取り消し、グラマーの教科書を開くとようやくあたしは復習を始めた。





* 





 休日な上天気も良く、なだらかな坂道は人通りが多かった。元々ここS市といえば城跡と復元した城下町風の木造りの商店が並ぶため観光地として有名だ。数多くの露店の中には地元の観光協会がやっているユニークな店もたくさんあった。


「何あれー、どじょうすくいだってぇ」


 笑いながらあたしの袖を掴むルビちゃんはいつも以上に可愛い恰好と髪型だ。七村がその隣を歩き、後ろから正直と與野木君が付いてきていた。


「見てみてぇ。あの飴細工、小鳥だよぉ」

「わぁ、かぶと焼きって何だろ? ナナムラ、知ってるぅ?」

「あそこに顔出して写真撮るやつがあるよぉ。一緒に撮ろ?」

「――ルビ。それ武田に直接言ってやんな。あいつのそわそわっぷり、見てらんない」


 七村の言葉に、ルビちゃんの顔が目に見えてうろたえだした。武田というのは正直の名字だ。


「えっ……えっ? ナナムラ、もしかして知ってたの?」

「見てりゃ分かる」

「は、恥ずかしい……うまくいってから教えようって思ってたのに」

「大体さあ、武田も武田でさっさとリードしろっつの。あんな態度取られっぱなしじゃ、ルビ連れてるこっちの方が気まずいじゃん。両想いなのは分かってるんだからさ、ほら、さっさと二人で行ってきな」


 七村ってば、やっぱりしっかりしている。何というか、あたしより断然『分かってる』って感じだ。

 すらりとしていてスタイルがいいからシンプルな服がよく似合う。大人っぽい顔立ちだけど休日の今日でも三つ編みおさげを貫いている。華奢な赤フレームの眼鏡が色白の肌によく馴染んでいて。


(……七村にも好きな人って、いるのかなあ?)


 ふと、そんな事を思ってしまった。

 だって、こんなに大人っぽいんだもん。ハムスターなあたしとは違って、いろいろと経験してそうな気がする。

 七村と恋バナなんて今まで一度もしたことがない。七村が一番仲の良いい男子は與野木君で、そういえば與野木君も七村と話す時は凄くいきいきした顔をしている。


(ん? あれれ? もしかしてあたし、お邪魔だったかも……)


「なーに、また何か変な事考えてんでしょ」


 顔に出ていたのか、七村にピンと鼻をはじかれた。


「ねえねえ、七村。好きな人、いる?」


 思った事をそのまま訊いてみると、途端に七村の眼鏡の奥が揺れ、明らかに動揺したのが分かった。


「ご、ごめんね、何でもないっ!」


 慌てて手を振って遮ったものの、七村には好きな人がいる事をあたしは確信した。


(そっかー、七村って與野木君の事が好きだったんだ!)


 これは是非とも応援してあげねば。


 あたしは心の中でグッと拳を握り締めた。


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