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運び屋ヨン  作者: SPICE5
第1章 <日常編>
1/41

1-1.少女は砂漠に迷い込む






 サドルから腰を浮かせて立ち漕ぎをする。こめかみからダラダラと滝のように汗が流れる。

 暑い。できることなら一度サブバッグから麦茶のボトルを出してごくごくと飲んでしまいたい。けれどもそんな余裕なんて一秒もないのも知っている。 


 キーンコーンカーンコーン……


 始業チャイムと同時に視界に校門が見えた。ペダルを踏む足にますます力がこもる。


「こぉらーっ、上村っ!」


 バインダーを振り上げながら吉備北きびきた先生が怒鳴っている。日替わりで白襟のラガーシャツを着て胸からホイッスルを下げている先生の専攻教科は、社会。どう考えても教える科目を間違えている。


「せんっせー、おはよーございまーす」


 息を切らしながら最後の追い上げをする。ぐんぐんと速度を上げて先生の横を通り過ぎた瞬間、


 ……コーン……


 チャイムの最後が鳴り終わった。


「いよっしゃあっ、セーフセーフ!」


 キッ、と自転車を止めてガッツポーズをしていると、


「あほ!」


 バシンッ、と吉備北先生にバインダーで頭をはたかれてしまった。


「ったあ……。

 何するんですか先生、間に合ったじゃないですかあ」


「ったく毎朝毎朝……。お前は5分早く起きるということができんのか」


 あほ。

 もう一度バシンと叩かれ、あたしは拳をふり回して抗議した。


「あのですねえ、5分早く起きたら5分早く出れるとでも思ってるんですか? そんな器用な事ができてるなら、初めから早く来れてますって!

 ぎりぎりまで寝てからのこの追い上げ! あたし、毎朝死ぬ気で走ってるんですよ、死ーぬー気ーで!」

「情けねえ主張するんじゃねえよ。お前のそれは怠慢だ。

 そもそも、死ぬなんて言葉、軽々しく使うんじゃない」


 先生はもう一度私の頭をこづくと、ガラガラと鉄柵を引いて校門を閉じた。




「おはよ、ツキツキ。吉備北センセにまたやられてたね」


 教室に入って席につくとクラスメイトのルビちゃんが話しかけてきた。彼女の席は窓際だから、そこから見えていたんだろう。

 ルビちゃんというのはもちろん本名じゃない。名前は江ノ原留美、色白でふわふわのロングヘアがとっても可愛い。だけどそんな彼女はあまり勉強が得意じゃなくて、教科書にせっせと振り仮名、つまりルビをふっている。それで彼女の本名をもじってあたしがルビちゃんって呼ぶようになった。マンガのキャラクターみたいって、ルビちゃん自身もわりと気に入っているらしい。


「んー、まあ日課となりつつあるよね」


 鞄から教科書をひっぱり出しながら課題のプリントを探す。ああ、底に詰まってじゃばら状になってしまっている。


「ルビちゃんごめん、数学のプリントの問5って分かった?

 今日16日でしょ? あたし学籍番号16入ってるから絶対当たる!」

「ごめーん、それあたしも分かんなかったんだぁ。

 どうせなら……あ、いたいた、與野木よのぎくぅん」


 ルビちゃんの呼び声に、中央で談笑していた與野木君がこっちを向いた。


「何?」

「與野木くん、課題プリントの問5って解けてる?」

「ああ」


 机の前に来た與野木君はあたしの前に立ち課題プリントを見た。與野木君が下を向くと、サラサラと音を立てて細く真っ直ぐな髪が動いた、気がした。

 男子なのに綺麗な髪だなー、とか、まつ毛長いし綺麗な顔立ちだから眼鏡じゃなくコンタクトにすればいいのに、とか思っても決して口に出してはいけない。與野木君は自分の見た目が少女っぽいことを気にしている。


「簡単だよ。昨日習った数式まんまじゃなく、ここの……ほら、この式。これも合わせて応用すればいい」

「はあ。なるほど」


 あたしが理解していないことを悟った與野木君は、椅子を引っ張ってくると説明しながら式を書き始めた。


「ツキツキぃ、後でわたしにも見せてねぇ」

「あ、俺も俺も」


 ルビちゃんの隣に顔を出し、ちゃっかり便乗しているのは與野木君と話していた正直だ。正直と書いて、まさなお。その名の通り思ったことをそのままポンポン言う性格のせいで、バスケ部の先輩と取っ組み合いのケンカに発展した事もある。堅そうな髪はツンツンと立っていて、日に焼けた顔に合わせていかにもスポーツ少年といった感じだ。ちなみに、我が家の隣に住んでいる幼なじみでもある。


「ちょっとー、それなら皆で習おうよ」


 ぶう、と頬を膨らませると、與野木君がくすりと笑った。


「上村さんって、ハムスターみたい」

「いやぁっ、それ言わないでって言ったじゃん!」

「ごめんごめん、でもハムスターって可愛くない?」

「それ女子に対する褒め言葉じゃないから!」


 そうなのだ。

 あたし、上村朋は悲しいことに小動物に似ていると言われたりする。

 学年女子で一番小柄、色黒、四方八方に飛んでいるくせのあるショートカット。そして妙に甲高い声。

 ルビちゃんみたいな可愛い子はよく似ている芸能人を例えられたりするけど、あたしが似てると言われたのはせいぜいリスかハムスター止まり。はっきり言って美人とか可愛いの類じゃない。


 そんなあたしは、皆からツキツキと呼ばれている。単に名前の『朋』の字が月が二つ並んでいるってだけなんだけど、小学校から知っているクラスメイトにそう呼ばれているうちに、いつの間にかクラス全体や部活仲間からもツキツキと呼ばれるようになってしまった。同じクラスでいまだに上村さん、なんて呼んでくれるのはたぶん與野木君くらいだろう。


「うーい、ホームルーム始めっぞー」


 1―Aの担任でもある吉備北先生が頭をぶつけないよう、軽く首を曲げながら入ってきた。騒がしかった教室が一斉にバタバタと席に戻り、着席する。

 良かった、プリントの答えは何とか間に合ったみたい。数学の小野先生、厳しいんだよね。


「起立、気を付け。礼」


 日直の掛け声に合わせておじぎをしながら、あたしはホッと胸をなで下ろした。




「あー、いよいよ夏休みだよねぇ。ほんっと楽しみぃ」


 授業が終わり掃除の時間。デッキブラシで水を張った女子トイレの床をこすりながらルビちゃんが話しかけてきた。掃除当番は学籍番号順に割りふられるため、あたしとルビちゃんはよく同じ持ち場になる。


「二年生になったらさぁ、なんだかんだで受験の準備しろとか言われて勉強しなきゃいけないし。そう考えたらやっぱり、何も考えず遊べるのって高校一年の夏だけだよねぇ……」

「だね。ま、あたしはごろごろするけど」

「えーっ、ツキツキ、一緒に遊んでよぉ」

「あんた、茶道部の合宿があるでしょ」

「あんなの数日じゃあん。もっとみんなでいろいろお出かけしたいよぉ。海とか遊園地とか映画館とか、あとあと、動物園とか水族館とか!」


 妙にしつこく誘ってくるルビちゃんを見て、あたしはピンときた。


「ルビちゃん、好きな人いるの?」

「ええ~、どうして分かったのぉ?」


 デッキブラシから手を離し、ルビちゃんが大袈裟な仕草で頬を押さえる。カラーン。トイレの床に硬い音が響いた。


「んなデートスポットばかり羅列されたら、嫌でも分かるって。ほら、手ぇ動かして。時間ないよ」


 慌ててブラシを持ち直すルビちゃんの顔は、元々色白のせいもあって真っ赤になっている。うーん、同性ながら可愛い。ハムスターなあたしとは大違いだ。


 せっかく忘れかけていた與野木君から言われた言葉を思い出し、ちぇっ、とブラシを持つ手に力を込めた。

 窓の外をちらりと見ると、入道雲が浮かんでいる。

 

「――で、その人とはデートするの?」

「うん? うん……」


 煮え切らない返事に嫌な予感を募らせながら、


「ねえ、もしかして……」


 と言いかけると、


「あのねっツキツキ、よかったら一緒にダブルデートしてくれないっ?」


 ルビちゃんが早口で言い募ってきた。


「ええっ困るよー、あたしデートとかそういうのって全っ然興味無い」

「うん知ってる。よく知ってる。でもねでもね、わたし一人じゃ絶対絶対ぜえええったい、緊張しちゃうもん!」

「いいじゃん、緊張したって。可愛いじゃん」

「だって変なこと言ったりしちゃったらどうしようって、想像してたらどんどん不安になってきちゃって怖くなって。ツキツキが一緒ならいつも通りふるまえると思うの。

 ねっ? お願いお願い、お願いぃ~」

「えー……」


 やだな。

 はっきり言って、面倒くさい。


 けれど、断ることはできなかった。だってルビちゃんの腕、ちょっと震えてたから。


「うーん……まあ、一回ならいいよ」

「ほんとっ!? わぁん、ツキツキありがとう~」


 ルビちゃんはあたしの両手を持ってぶんぶんと上下に振った。


「ところでさ、相手ってあたしの知ってる人? 先輩とか?」

「え、えっとね、そのぉ……」


 ルビちゃんの赤い顔が、ますます赤くなった。





「朋、お風呂入んなさーい」

「はーい」


 扇風機しかない自室は蒸し風呂のようだったから、あたしは喜んで風呂場へと向かった。


「おう。風呂、ぬるいぞ」


 先に入っていたお父さんが、廊下ですれ違い様にあたしに教えてくれた。

 脱衣所で汗でべとべとになったTシャツとショートパンツを脱ぎ、バスルームへと入る。汗を流してゆっくりと湯船に浸かる。


「あー……」


 我ながらおっさん臭いと思うけど、気持ち良いのだから仕方ない。限りなく水に近いぬるま湯に浸りながら、あたしはルビちゃんの告白を思い出していた。




「正直くん、なの……」


 頬を薔薇色に染めながら目を伏せる姿があんまり可愛かったものだから、あたしはデッキブラシを持ったまましばらくルビちゃんに見惚れてしまった。

 だから、相手の名前を理解するまで数秒かかった。


「えええっ!!」


 驚きのあまり絶叫したあたしに、ルビちゃんはますます顔を真っ赤にして手で覆った。


「だ、だってルビちゃん、正直の事苦手なんじゃなかったのっ?」


 ルビちゃんは小学生の頃、ずっと正直にいじめられていた。髪を引っ張られたり、スカートめくりをされたり、「ぶーすぶーす」って男の子数人ではやしたてたり。どれも些細なことばかりだったけど、ルビちゃんはその度にぼろぼろと泣いていた。

 だから、正直と幼なじみのあたしがいつもルビちゃんを守って、正直に向かってつっかかっていった。


「まさなおくん、きらい……」


 帰り道に呟いていたルビちゃんの言葉をあたしはずっと覚えていた。だから、中学に入ってしばらくしてから正直がルビちゃんを無視するようになって、同じ高校に進学して同じクラスになってから今度は話をするようになっても、内心苦手意識を持ったままなんじゃないかなって思っていた。いつもうつむき加減で話していたし。


「ルビちゃん大丈夫? あいつに何か弱みでも握られてんの?」

「ううん」


 ルビちゃんは顔を手で覆ったまま蚊の無くような声で

「好きに、なっちゃったから」


 とささやいた。




「はあ……」


 ため息をついてぬるま湯を顔にぱしゃぱしゃとかける。

 女心、いや、正直側もだから、男心もか。

 あたしには、よく分からん。


「どうして好きになるもんかねえ」


 ぴゅうっ、と手で水鉄砲を作って飛ばしながら思い出すのは、もう一つの面倒事。




「でね、あの、ダブルデートなんだけど……、與野木君もなの」

「へっ?」


 確かに、正直は與野木君と仲がいい。

 仲がいいけど、與野木君に対してあたしは勝手に、なんというかそういうデートみたいな事ってあたしと同じで興味無さそうな気がしていたのだ。うん、見た目で判断しているんだけど。


(ま。あたしと同じで、付き合いで同行するんだろうな)


 哀れ、與野木よ。

 気持ちは分かるぞ。


(あ、でもそっかあ、與野木君となら学校と同じ態度で接すればいいのか。

 なーんだ、別に嫌じゃないや)


 あたしは急に気楽になって、ざぶんとバスタブに飛び込んだ。そうして、しばらくの間ざぶざぶとバタ足でプールごっこをして遊んだのだった。












 暑い……。


 いや、暑いなんてもんじゃない。痛い。


 文字通り肌がじりじりと焼け焦げる痛みに、あたしは瞼を押し上げた。途端に、突き刺すような強い光が目の奥にまで入り込む。


「――ッ!」


 思わず片手で瞼を覆い、あたしはのろのろと身体を起こした。

 肌に当たる部分が、ざらざらする。

 熱い。痛い。気持ち悪い。


 ここ……、どこ?


 ゆっくりと手を離し、辺りを見回して呆然とする。




 ――辺り一面見渡す限り、砂漠の世界が広がっていた。


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