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ロンド  作者: 青砥緑
本編
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Da Capo-7.

 「結局、やり直すことにしたみたいだね。」

 春休みの迫った3月。昼休みの教室で、円香が窓越しにグランドを見下ろしながら言う。

「人騒がせな人達だよね。」

 向かいに座っていた森野が口を挟むのを聞いて、円香は笑う。いっとき、別れたと見えた陽太と若菜は近頃また一緒に帰るようになったらしい。らしいというのは、以前のように部活帰りに一緒に帰ることはしていないからだ。陸上部の平日の部活休みは一回だけだが、その日だけ二人は一緒に帰っていく。

「こんなこと思うのおかしいかもしれないけど、一旦離れて良かった気がするんだ。あの二人。何だか落ち着いた感じがする。」

 お弁当に箸を下ろす円香の頬を髪が覆って、表情が影になる。

「お人好しすぎる。あれだけ迷惑かけられておいて、祝福するとか。」

 少ししんみりしている円香の様子を吹き飛ばすように森野は大きくため息をついた。

「そうなのかもしれないけど。」

「そうだよ。俺を焚きつけて小松に助言させるとか残酷なことするよね。」

 あの日、森野が若菜に釘をさしに言った日のことを円香はほとんど何も知らない。森野と若菜の様子を見て何かあったと確信して、何かあったのかと聞いたけれど、森野は詳しく教えてはくれなかった。それでも、森野に怯える若菜の様子を見兼ねて、もし、森野のとった行動が円香のためなのだとしたら、きっとやり過ぎだから、若菜のためになることも一つくらいお返しして欲しいとお願いしたのだ。そうでなければ、森野がわざわざ陽太に説教するようなことはなかった。本来の森野はそんなにお節介ではない。

「焚きつけるなんて物騒な言い方しないでよ。お願いしたの。」

「ああ、そうだった。本当に効果的なお願いだったね。」

 森野が細い目を一層細めると、円香は「そうだったかしら?」とそらっとぼけた調子で返した。森野はため息をついて頭を抱える。

「あれは断れないでしょ。」

 修学旅行中の部屋に遊びに来たければ、その前に何とかして来てほしいと円香は言った。しかも加奈と円香が二人部屋になっている最も遊びに行きやすい日を前に、そう言ったのだ。ちょうど隣にいた加奈までが、別の部屋に出かけておいてあげようかなんて冷やかし紛いのオマケまでつけて。


 まあ、でも結果オーライだからいいか。


 森野はあまりに美味しそうな餌に釣られてしまったことはもう諦めた。きっと、あそこまで巧妙につられなくても円香のお願いなら聞いてしまったとは思うけれど、もっと引き延ばすか意地悪をした可能性はある。陽太には表現し尽くせぬ嫉妬と恨みがあるのだから。あの程度の嫌味で済ませたことに感謝して欲しいくらいだ。

 森野は陽太と話をしたときに、陽太と若菜の関係が壊れてしまおうが、変わらなかろうが構わないと思っていた。どちらに転んでも良いから、二人が円香を巡る噂の中で意識的にせよ、無意識にせよ犯してきた罪に気づいて欲しかったのだ。だからとても乱暴に、陽太の気持ちなど推し量らずに話した。正直、そこから二人がやり直すとは期待していなかった。なぜならば直接、話をしたときには陽太は思考停止しているように感じられたからだ。深く考えられない、考えたくない。円香をめぐる泥沼化した噂、そのうえようやく下火になったものに改めて手を突っ込んで煩わされたくないという気持ちがありありと感じられたのに、あれからいったい何が彼を変えたのか。森野も二人が別れたと話題になったときには、陽太が面倒事から逃げ出したのだと思った。ところが、いつのまにか二人はやり直していた。これまでの呆れるような若菜の陽太への執着は鳴りを潜めて、もっとずっと穏やかに。もしかすると別れたというよりも一度互いに距離をとっていただけなのかもしれない。そうする理由に自分のしたことが大きく関わっているような気はするが、あれ以降、二人と直接に話したことはないので、それは推測に過ぎない。報告を受けたいと願っているわけではないから、構いはしないのだが敵に塩を送ったような気がして少し悔しいのは否めない。それでも、まあいいかと思えるのは、もう若菜が円香を睨みつけることがないからだ。円香への直接の謝罪はないようだが、円香自身がそれを望んでいないのだからこのことに森野が腹を立てるのは筋違いなのだろう。

 いろいろと気に入らないことはあるが、そんな一つ一つに執拗に拘るほど自分は暇ではない。こっちだって、自分のことで結構手一杯なのだ。森野の目下の悩みは、生まれて初めて恋人と一緒に迎えるホワイトデーの過ごし方だ。同じ悩むなら、どう考えてもこちらの方が悩む価値がある。



 *****



 春休み。円香は復帰から初めて公式の競技会に挑むことになった。小さな地方大会の競技場の観客は少ないが、それでも各学校の選手の友人達が集って声援を送っている。

「円香、頑張れー!」

 スタート直前、一際大きな声援に円香は白く細い腕を上げて答えた。そして視線をまっすぐにトラックに向け、ピストルの音に弾かれると、そのまま全力で疾走する。走る彼女にはもう声援は届いていない。走っている間は、風と呼吸と鼓動と足音。それだけに支配される。

 フィールドに出ていた陽太は、円香から目を離さずに見守った。風のように軽やかな、その姿はとても美しかった。

 成績は特別優れたものではなかったが、ゴールした円香は嬉しそうに観客席を振り仰いだ。部活に戻ってすぐのような緊張した顔でもなく、入学当初のどこかぎこちなくて初々しい笑顔でもない、華やかで自然な笑顔。その横顔に陽太は円香から離れていた時間を実感する。いつの間にか円香はこんなに変わった。もう人見知りで自分にだけ淡く微笑んでくれた彼女はいない。苦しいことから逃してくれる恋人に逃げ込んで、自分は優しかった友人を一人失った。その証拠に、去年は自分が一番近くにいたのに、今の彼女の一番近くにいるのは自分ではない。円香の視線を追えば、観客席には手すりから転げ落ちそうに身を乗り出して両手を振る加奈と、その襟首を後ろから掴んでかろうじて支えている森野の姿があった。

「よくやったー。」

 加奈の言葉に円香は軽く拳を上げて見せた。


 円香がチームメイトのもとへ引きあげてくるのを皆で片手を上げて迎え入れる。他の部員とハイタッチしながら歩み寄ってくる彼女に向かって、陽太は少し緊張しながら片手をあげた。

 パチリ。小さな音を立てて手が合わされる。

「・・お疲れ。」

 声をかければ、彼を見上げて円香はふわりと笑った。

「ありがとう。」

 そして、そのままするりと陽太の脇を抜けて、軽やかに走っていく。観客席で待っている二人の元へ向かうのだろう。


 去年とはまるで別人のよう。先に一歩大人になってしまった円香の後姿を見送って、陽太は大きく息を吸った。自分もまたトラックから若菜を見上げて心から笑える日が来るだろうか。最後まで逃げ出さずに前を向いて進んでいくことができるだろうか。円香の凛とした背中は、彼がこれから追いかける道標になる。


 去っていく彼女の向こうで桜の花びらが風に舞い上がった。




Da Capo・・・イタリア語で「はじめから」の意味。または曲のはじめに戻ることを意味する演奏記号。



これにて本編完結です。お付き合いいただきありがとうございました。

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