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ロンド  作者: 青砥緑
本編
53/64

人生万事塞翁が馬-5.

 年が明けて、新学期が始まってから学生の生活はまた日常のサイクルに戻った。上級生の引退の遅かった文化部も二学期末で全ての部活から3年生が引退して、なんだかんだと落ち着かなかった各部活動も休み明けにはすっかり軌道に乗った。秋から新体制になっている運動部はすでに2年生を最上級生とした二度目の大会に向かって活気に満ちている。

 黒江は放課後の校庭を見下ろして、ほんの少し目を細めた。


 そのまま教室を後にして、ピアノのレッスンへ向かう。休み明けも修学旅行の準備に駆り出されるのは相変わらずだが、さすがに旅館の手配もバスの手配も教職員と旅行代理店の仕事だ。生徒は自由行動の班を決める他には大した仕事も残っていない。黒江の水曜日の習慣を脅かすようなことはなかった。


 加奈の店に向かおうと歩いていると、後ろから「黒江くーん」と声をかけられた。

 振り返ると加奈がスーパーの袋を下げている。

「買い出しか?」

「うん。」

 二人とも、行く先が一緒なのは分かりきっているので並んで歩く。ここなら知り合いに会う可能性はとても低いし、もう暗くて遠くからでは顔も分からないだろう。そう思ってもつい周りを気にしてしまう。黒江の視線に気がついた加奈が「平気だよ」と言った。

「うちの高校の人なんて通らないし、別に見られて困る感じになってないから。この格好でデートは無いでしょ。」

 両手を広げて見せる加奈は、お店のエプロンの上にコートをひっかけて、いかにもお店の買い出しですという格好だ。確かにどこからみてもバイト中にばったりあったとしか思えない。

「毎度、気を遣わせて悪い。」

「いんや、いいけども。でも、気にしすぎじゃない?生き難そうだよ。」

「それでも、不注意よりはましだろ。八坂のこともあるし、このくらい平気なんて油断できない。目黒にまで何かあったら俺は今度こそ立ち直れない気がする。」

 だから誰かの近くに本当はいない方がいい。それも分かっているのだけれど、やはり友人関係を絶つのは嫌だった。加奈は少し困ったように黒江を見上げた。

「真面目だねえ。やっぱり生き難そう。」

 そこまで大袈裟に思ったことはない。でもまあ、不自由なところはあるのかもしれない。このままずっと人目を気にして生きていくのだとしたら、確かに生き難いだろう。なんと答えていいか考えている間に加奈はどんどん言葉を紡ぐ。

「心配するのも分かるけど、でもさ、みんな、きっとちゃんと大人になるよ。大学生とか、社会人になったらさ。そうしたら黒江君もびくびくしないで女の子と仲良くできるんじゃない?」

 語りかけられる言葉に思わず苦笑いが浮かぶ。たぶん、勝手に付き合っていると思いこんだりする相手はこれからも減らないだろう。そう言う意味ではまだしばらく、びくびくする生活は続くはずだ。ただ、加奈の言う通り、本当に小さなことからの嫉妬やいじめは減って行くと期待してもいいのかもしれない。毎日同じ場所に同じ人がいる環境でなければ、ああいう悪意は成立しない。

「励まし、ありがとう。」

「どういたしまして。相談してもらえる方が、色々安心するわ。こっそり悩まれてもなかなか助けるのは難しいからね。まあ、だから、言いたいことあったら言ってね。」


 加奈は自分のことも助けてくれるつもりがあるらしい。もう、どちらが、どちらを案じているのか分からない。本当に、こういう女の子ばかりならびくびくしないで生きていけるのに。思ったことを思ったまま口にしても、馬鹿にすることも、怒ることも、勝手に失望することもない。ちゃんと真剣に聞いて、答えてくれる。そして、良く笑い、良く喋る。すぐに楽しいことを見つけて来て嬉しそうにしている。そういう人ばかりなら。

 その話は終りとばかりに、年始の特別番組の感想に話題を切り替えている加奈は父親とのチャンネル争奪戦に敗れたあたりから長々とその経緯を説明している。

 こうやって大事な話もきちんとするのに、引きずりすぎないで話題を変えていける心遣いは向井や兄の虎一に通じるものがある。あんな奴らと一緒にしたら、加奈は嫌がるかもしれなけれど、黒江は彼らのこともちゃんと買っている。向井や兄について言えば、たいていの場合、彼らはすごく馬鹿なのだけれど、だから癪なのだけれど、周りにいる人が彼らを好きになる気持ちが分からないではないのだ。一緒にいたら楽しくて、きっと一緒にいる人を幸せにする。そういう安心感がある。

 丸い加奈の顔を見下ろして、やはり似ていると思う。一緒にいれば楽しいと、いつの間にか信頼を寄せてしまう相手。


 こういうのは一種のカリスマなんじゃないか。


 ここで改まって「お前はカリスマ性がある」なんて言ったら大爆笑だろうなと思って一人笑いをこぼす。加奈のことだから、泣くほど笑うだろう。それでいて、途中で「そうでしょう」なんて開き直ったりするだろう。向井でもそうするだろう。あまりに容易に想像できて、おかしくなって、クックと肩を震わせると、一人で話し続けていた加奈が気がついて黒江を見上げた。

「何で急に思い出し笑いしてるの、いやらしいなあ。」

 思い出し笑いをしている黒江自体がおかしいらしく、いやらしい、と言いながら加奈も笑ってしまっている。

「何でもない。」

「何それ、絶対嘘じゃん。」

「何でもないって。」

 なんとか笑いを堪えて言い張ると、加奈は「もー」と頬を膨らましながら腕組みをする。それでもやっぱりまだ笑いが治まらないらしい笑い上戸の彼女は、ぷっとまた吹きだす。

「そっちこそ、完全に思い出し笑いだな。」

「ちょっと。今のは急に黒江君がにやにやしてる顔を思い出したらおかしくなっただけで」

 私は悪くない、と主張する。

「人の笑顔を思い出して吹きだすとは失礼だな?」

 からかってみれば、今度は目をまん丸にした後で思い切り顰め面をして「性悪!」と投げつけてくる。その遠慮の無さに、また笑った。



 もうすぐ店というところで、今日会えたら話そうと思っていたことを思い出した。


「八坂、部活に復帰したんだな。」


 その言葉に加奈の顔に満面の笑みが広がる。その表情はこれまでで一番嬉しそうに輝いていた。

「そう!そうなの。冬休みの練習から。また、頑張るんだって。」

「そうか。」

 どういう軋轢で部活を辞めたか正確なところは知らないが、去年の噂もすっかり下火になり、人間関係がこじれていた在籍メンバーの半分にあたる3年生が抜けたのが良かったのかもしれない。下級生はあまり直接、去年の事態に関わっていなかった分、やりづらさも少ないだろう。そんなことを考えている脇で、加奈は「あのね」と話を続けた。

「ここだけの話ね、森野って円香の走っている姿に一目惚れだったんだって。たぶん、それを円香が聞いたのが復帰のきっかけ。もちろん他にも色々あると思うんだけど。なんだか、森野は本当にすごいよね。」

 ああ、なるほど。黒江は森野の顔を思い出して軽く頷いた。

「向井が、森野だけは敵に回したくないと言ってた。」

 黒江の言葉に、加奈は「わかる!」と大声を上げた。

「私も絶対敵に回したくない。その分、味方で居てくれたら百人力だもん。」

「俺も、人間的に森野に敵わない気がして仕方がない。」

 悔しいが、深さというか何か自分にはないものを持っている気がするのだ。

「黒江君にそうまで言わせるとは。やるなあ、森野。さすが魔法少年。」

「なんだそれ。」

 そんなファンタジーな可愛いものではないだろう、あれは。その思いを込めて呆れた声をあげると、加奈は、それはこっちの話、とはぐらかす。

「まあ、何がきっかけでも良かったな。」

 部活への復帰はあの足の怪我も、すっかり良いということでもあり、黒江としても嬉しいことだ。

「うん。本当に。」

 頷いて、顔を上げた加奈は目尻に涙を浮かべていた。無意識に零れ落ちそうな涙に指を伸ばしかけている自分に気づいて、黒江は自分の衝動に驚きながらギュッと自分の手を握りしめる。そんな親密な関係ではない。長い間、こんな風に必然性も、下心さえなく誰かに触れたい思ったことはなかった。母親が何気なく自分の子供に触れるような、さりげなさで。いつの間に、自分のどの隙間に、母性が入り込んだのだろう。


 加奈はビニール袋をガサガサ言わせながら腕を持ち上げ、自分で目尻を拭って前に向き直った。

「本当に、良かった。」

 加奈はしみじみと繰り返した。

 店に着くまで、黒江の拳は握られたままだった。


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