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ロンド  作者: 青砥緑
本編
52/64

人生万事塞翁が馬-4.

 期末試験が終われば、すぐに冬休み。試験明けとクリスマスと冬休み突入と、慌ただしく過ごしている間に、気付けば年の瀬も押し迫っている。黒江家では大学に進学し、普段は家を出ている兄が戻って来て、いつも通りの年末年始の支度が整った。


「よう、龍一。彼女できたか?」

 毎度、帰省する度に懲りずに同じ挨拶を寄こしてくる兄に冷たい視線だけを向けて黒江は居間を素通りした。

「なんだ、まだなのか。俺の弟とは思えない奥手加減だな。兄ちゃんがナンパの仕方教えてやろうか。俺に似て見た目は満点なんだからあとはコツだけだろ。」

 こたつから首を伸ばして台所に消えた弟の背中に話しかけて兄は呵々と笑い声を上げる。黙ったまま食べ物を物色する黒江の代わりに夕食の支度をしながら母親が返事をした。

「虎ちゃん、龍ちゃんに悪い遊び教えないでちょうだいよ。」

「遊びじゃないよ。真剣だよ。」

 ミカン片手に居間に戻った黒江はにやにやと自分を見上げる兄を見下ろす。多少の体格の違いはあるが、外見は確かに似ている。しかし、内面が。兄弟の性格は全く似ていない。兄の虎一は人懐こくて明るく如才ない、つまり向井タイプだ。

「あ、いいな。母さん。俺もミカンほしい。」

「自分でとりに来てちょうだい。母さんはあんたたちのお夕飯の支度で忙しいのよ。」

「えー。」

 こたつから出たくなさそうな兄に、じっと見あげられて座る前だった黒江は手の中のミカンをぽんと投げてやる。そのまま台所に戻って今度は籠ごと調達したミカンをこたつの上に下ろした。

「さっすが、龍一。お前は優しい良い弟だよ。」

 黒江がこたつに入るのも待たずに先にミカンを食べ始めた兄はもぐもぐと口を動かしながら満足そうだ。

「優しい弟にお年玉用意してくれてもいいんじゃないの?」

 自分もミカンを剥きながら黒江が言ってみると、兄は「俺まだ学生だもーん」と首を振った。期待してはいなかったが、やっぱりな、と黒江はさっさと兄を見切った。しかし年始の臨時収入は貴重だ。毎週の外食でじわじわと経済が圧迫されている黒江にとって今年のお年玉は非常に重要な収入源である。

「でも、龍一がおねだりなんて珍しいな。なんだよ。なんか欲しいものでもあんの?」

「いや、別に。そういうわけじゃないけど。」

 さらりとかわした黒江に母が台所から余計な口を挟む。

「クリスマスデートにお金使い過ぎたんじゃないのー?」

「え?何それ。聞いてないぞ。」

 当然、兄がそれを聞き流すはずもなく。身を乗り出して説明しろと迫ってくる。

「別にそういうんじゃないって。母さんも、余計なこと言わないで。」

「そうじゃないってどうなんだ。女の子と二人で出掛けたのか。クリスマスにか?」

「クリスマスじゃない。日本人は12月の後半を全部クリスマスだと思ってるけど、そうじゃないから。」

「じゃあ、クリスマス当日じゃない12月後半に女の子と一緒に出掛けたことは認めるんだな?どこの子?つきあってんの?」

 兄は馬鹿のようだが、完全な馬鹿ではない。言葉の隙を見逃さずに目を輝かせて黒江に迫ってくる。自分の弟の私生活がそんなに面白いのだろうか。

「学校でお世話になった子にお礼をしに行っただけ。それが、たまたま女子だっただけだよ。」

「ほおお。可愛いのか?それとも綺麗系?」

 黒江は兄を呆れた目で見た。

「兄貴、また彼女に振られたの?」

 これだけ人のことにしつこく絡むときは、自分に良い話題がない時なのだ。そうでなければ彼女の自慢をとうとうと聞かせてくる。いずれにしても迷惑な兄だ。図星をつかれたらしい兄は急に元気を失くした。

「弟よ、そんな可哀相なものを見る目で俺を見るな。」

 急に背中を丸めて哀れっぽいポーズをとりながら、兄はじっとりとした声を出す。身長180センチで背を丸めても大して小さくはならないが、家庭用のこたつに上手に収まれない姿はいい感じに憐憫の情を誘った。

「やだ、虎ちゃん。この間連れて来た子、振られちゃったの?まあ、綺麗なお嬢さんだったのにもったいない。」

 隣室でのそんな可哀相な姿が見えない母は容赦がない。大きな声で兄の傷に塩をすり込んだ。

「振られたんじゃない。関係の発展的解消だよ。」

 恋愛関係の発展的解消とは何なのか。黒江は兄の強弁を聞き流した。そのまま新聞を広げて視線を落とす。誰にも相手をしてもらえなくなった兄はそのうちに転がって寝てしまった。

 いつもの黒江家の年末風景だ。


 大晦日には今年も残り三十分を切ったというところで家族そろって近所の神社へ出向く。それほど大きな神社ではないが、除夜の鐘を聞いて、初詣をしようという人で毎年賑わっている。

 兄と並んで順番待ちをしていると、兄が響く除夜の鐘を聞きながら何かぶつぶつと呟いている声が聞こえてきた。

「名にし負わば、いざ事問わん12月。汝はどうしてそんなにあっという間に過ぎ去ってしまうのか。」

 ここまで珍妙なことを言われると少々心配になる。

「どうしたんだよ。字余りがひどいぞ。」

 声をかけると、兄は「俳句には自由律という形もあるんだ。」とさらっと返してきた。

「あ、そ。」

 そのくらいは黒江だって知っている。せっかく心配したのに、と白い息をついてふいと目を逸らす黒江を見下ろして兄は更に脱線を続ける。

「今のは今年が過ぎ去って行くことを惜しむ情感に溢れた良い歌だっただろうが。もっと心の眼でみろ。第三の目を開け。」

 黒江は今度はげんなりした顔で兄を見やった。

「俺はヨガマスターになる予定はない。」

 このまま続けても不毛な会話しかできない自信が湧いてきた。これで難関大学に現役合格する優秀な学生だというのが納得いかない。

「で、なんでそんなに往く年を惜しんでいるわけ。」

 問いかければ、兄は「それはなあ」と少しもったいつけて答えた。

「今年一年も良い年だったからさ。終わっちゃうのが惜しいくらいの。それにもうすぐ大学の先輩も卒業しちゃうしなあ。高校だってそうだろ?」

 冬休み明け、3年生はほとんど自由登校になる。受験に専念させるためだ。あと一カ月もしないうちに入試が始まり、もう何度も会う機会がないうちに卒業していくのだろう。

「うん、まあ。」

 あまり親しい先輩がいない黒江にはその寂しさは良く分からない。ああ、でも。と思う。確か虎一の彼女というのは大学のゼミの先輩で、もしかすると今年で卒業なのかもしれなかった。

「彼女、今年卒業して就職するの?」

 尋ねれば兄は目尻を下げて笑った。それはもう本当に、寂しそうな笑顔だった。

「進学するの。遠くの大学院に。」

「へえ。」

 だから、発展的解消か。未来のために羽ばたく彼女を見送ると。今時、遠距離恋愛も断念するような遠くとはどこだろう。はて、アメリカか。アフリカか。黒江が考えている間に、彼らは列の一番前に出て来ていた。

「今年は、本当に楽しかったなあ。ああ、もう去年か?神様ありがとうだなあ。」

 賽銭を投げながら兄はぼそぼそ言う。ちらりと横目に見上げれば、本当に満足げな顔をしていて、それほどの相手と巡り合って、別れなければならないのにどうして笑っていられるのかと黒江は不思議に思った。


 拝殿に向き直り、頭を下げてから自分も神様に感謝すべきことに思いを巡らす。上手くいかなかったことの多い年だったように思う。でも、誰にも言えないし、言う気も無いけれど、初めて恋という感情を知ったことは感謝しても良い。自分もちゃんと人を好きになれることが分かったのは、きっと良いことだった。恋という感情の甘やかさも、しつこさも、体験して初めて分かるものだった。しばらく新しい恋は遠慮したいが、それでも円香に出会って彼女を好きだと思ったことまで否定するつもりはない。その後の残念なことは少し恨みを述べておくとしても、出会わせてくれたことには感謝しよう。きっと、自分はこの出会いを忘れない。


「よし。帰って寝るか。」

 二人して長々手を合わせていた息子達が戻ってくると、父親はまっすぐ家路を辿りだした。屋台にふらふらよっていく食べざかりの兄弟とはあっという間にはぐれてしまう。もう心配する年でもないと先に帰って行く両親に片手を振って別れた。

「龍一。お年玉やろう。なんでも食べたいもの一つ奢ってやるぞ。」

 兄は胸をはって屋台を示して見せた。そのくらいは自分も何とかなる。そうは思うがここは素直に御馳走になった方がいいと黒江は迷わずイカ焼きを指名した。

「サンキュー」

 イカ焼きを受け取って礼を言うと、兄は自分の分のイカ焼きを咥えてぐいぐいと黒江の頭を押すように撫でた。

「いやあ、龍一は良い子だな。安上がりで。」

「兄思いと言ってくれ。」

 二人とも食べながらの不明瞭な発音で応酬する。黒江が澄まして言い返すと兄はふがふがと笑った。

「いや、お前は本当に良い子だな。神様にあんなに長々、今年の感謝を出来るくらい毎日の良いことを見つけられるんだもんなあ。彼女ができなかった一年にも関わらず。まあ、失恋も感謝するといいさ。人生万事塞翁が馬。禍福は糾える縄のごとし。何がこれから良い方に変わるか分からないんだからな。」

 黒江は兄の唐突な説教を怪訝に思いながら、半分は自分に言い聞かせているのだろうと思う。彼女と離れることさえ、いつか良い結果に繋がるかもしれないと。どれだけ前向きなのかと驚きもするが、確かに、一理ある。円香のこと。失恋も、階段から落ちた事件も良いことではなかった。でも、そのおかげで加奈という友人はできた。それはきっと良いことだ。そうやって出来事は繋がって行く。良い出来事の結果が良いことだけとは限らないように、悪い出来事の結果も悪いことだけとは限らない。

「そうだね。」

 黒江の相槌に、兄は「お、お前も大人になったな。やっぱり失恋したろ。」と言って、何だか嬉しそうに笑った。


 それから、兄弟は目につくものを一通り食べつくして並んで帰った。結局、その全てを兄が御馳走してくれた。


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