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ロンド  作者: 青砥緑
本編
45/64

恋の味-3.

 学園祭が終われば、委員会は事実上解散だ。委員会でしか接点がなかった円香とは廊下でときおりすれ違うきり話すこともなくなった。それすらも避けるように黒江は彼女の教室の前を極力通らないようにしていた。そうしていれば、早く忘れられるとでも信じるかのように。


 部活はほぼ幽霊部員である黒江の放課後は静かなものだ。予備校通いと昔から続けているピアノの練習以外にこれといってすることもない。長く世話になっているピアノの講師が引っ越したので、新しい街に通うことになった。その見慣れない駅の周りを余計に歩きまわることが唯一目新しい遊びだ。遊びというにはやり過ぎなくらい執拗に歩き回っている。そうでなければ際限なく、あのとき、階段を落ちて行った円香に対して何ができたか、彼女が階段から落ちる前に何かできなかったか、考え続けてしまう。まだ、無理にでも没頭できる何かが必要だった。

 駅前は随分と調べつくしてしまい、段々と駅を離れた住宅街の商店街にまでその足を伸ばしている。昔ながらの商店とチェーンの新しい店が混在する商店街は夕飯の買い出し客で賑わっている。おしゃれな街というわけではないが、なんだか落ち着く雰囲気がある。


「ありがとうございましたー。」

 一際、元気のいい声が上がって何となしに視線をやると洋食屋の入り口でエプロンをかけたバイトらしきウェイトレスが手を振っているところだった。彼女が手を振る先には母親に手を引かれながら、振り返って小さな手を振り返す小学生になるかならないかくらいの男の子がいる。

 なるほど、子供に手を振っていたのかと納得して、もう一度ウェイトレスを見て、おや、と思う。見覚えのある顔だ。あの丸い顔とぱんぱんの赤い頬は間違いない。目黒加奈だ。思わずじっと見つめてしまったせいなのか、黒江の視線につられるように店内に戻ろうとした彼女が彼の方を向いた。

「あ。」

 ばっちり目が合うと、彼女はぱかりと口をあけた。

「黒江君じゃん。」

 本当に、ただ級友を見かけただけ、という呼びかけ方だったことにほっとした。その様子にぱっと記憶が蘇る。円香が階段から突き落とされた日、保健室に飛び込んできた加奈は入り口から良く見えるところにいた黒江に気づかないまま、円香のことばかり見ていた。声をかけられて驚いて飛び上がっていた様子が、場違いにコミカルだった。学園祭の準備の途中でも料理部の物品販売の件で何度か話す機会があった。そのときも、彼女は黒江を特別扱いしなかった。これまでの経験から、彼女とは友人としてやっていけると判断した。ここで、返事をして少しばかり話しこんでも面倒なことにはならないだろう。ここまでをほぼ無意識に判断して、後からそんなことを考えている自分に慣れ親しんだ自己嫌悪を覚える。それもまた素早く胸にしまって、薄く笑顔を浮かべた。

 彼女が軽く手を振ってくるのに、片手を上げながら歩み寄った。

「バイトか?」

 街の小さな洋食屋という体のお店はバイトをたくさん雇う余裕はなさそうだ。しかし赤と白の縦じまのエプロンは彼女にとても馴染んでいるし、先ほどの慣れた様子の挨拶からいっても長く働いているように感じた。

「うん。バイト兼うちのお手伝い。ここ私の家なの。今度是非食べに来て。」

 彼女は満面の笑みでぱっと手でショーケースを示して見せた。久しく食べていない真っ赤なナポリタンの食品サンプルが妙に目について急に空腹を感じる。もう夕方だけれど少しくらい間食しても夕飯は夕飯で食べられそうな気がする。

「今度と言わず、今ごちそうになって行こうかな。空いてる?」

 黒江の返事に彼女はもともと大きな瞳をまん丸にして驚いた。コミカルな表情の変化に思わずつられて笑みが浮かぶ。

「えー、いいの?席は空いてるけど。おうちの方、お夕飯用意してくれてるんじゃない?」

「帰ったら夕飯も食べるよ。」

 黒江が事もなげに答えると、彼女はもう目玉が落ちるかというくらい目を見開いて黒江を頭から足の先まで一往復確認した。

「大食漢には見えないけど。やっぱり男の子って食べるんだねえ。」

 へええ、と言いながら彼女は扉を開く。

「そういうことなら、どうぞ。どうぞ。一名様、ご案内しまーす。」

 後半は店の奥に向かって大きく声をかけながら笑顔で扉を押さえておいてくれる。

「カウンターの御席どうぞ。」

「どうも。」

 まだ時間帯が早いせいか、店には二組しか客はなかった。賑やかなのは注文を取ったり厨房と会話する彼女の声と、それに答えるコックの声ばかりだ。てきぱきと配膳し、店の中を動き回る彼女をなんとなしに目で追いながらナポリタンがくるのを待つ。

 実家だと言うのだから当然だが、この店にすっかりなじんでいる。彼女自身が店の空気を作りだす一部でもあるのだろう。彼女が笑顔で配膳する料理達はとても美味しそうに見えた。そして運ばれて行く料理から漂ってくる良い匂いは一度気づいてしまった空腹感を煽る。男子高校生なんていつでもお腹をすかせているようなものだ。じわじわとナポリタンへの期待が高まる。


「はい、ナポリタン。お待たせしました。」

 小さなカップスープとサラダに続けて出て来た真っ赤なナポリタンはトマトとベーコンの食欲をそそる香りがした。

「お、うまそう。」

 思わず笑みを浮かべると、加奈も同じように笑顔を浮かべて「おいしいよー」と請け負ってくれる。

「いただきます。」

 一口頬張れば、自信満々の笑顔にも納得の懐かしいナポリタンの味がした。この味が嫌いな日本人がいるとは思えない。ピーマン、玉ねぎ、缶詰のマッシュルーム。子供の頃、母が良く作ってくれたものと同じ食材、味はやっぱりプロの方が上だけれど、何よりやはり懐かしい。

 あっという間に食べきってしまって、顔を上げるとお冷を注ぎに来てくれた加奈が笑っていた。

「いい食べっぷり。」

「御馳走さま、美味しかった。」

 綺麗にたいらげられたお皿を示すと、加奈は「ありがとう」と頷いた。バイトというには少々年季の入った赤と白のエプロンに一つにひっつめた髪。忙しく働いているせいか鼻の頭に汗が光っている。その姿を改めてみて黒江は小さく笑った。

「板についてるな。」

「え?それ褒めてるの?」

 加奈は手早く空の食器をトレーに移しながら、黒江を見返した。

「褒めてるというか、ただ単純にそう思っただけ。目黒まで店の一部みたいだな。」

 思った通りを返せば、加奈はふうん、と声を漏らしながら店をぐるりと見まわした。年季の入った、味のある、決して最新鋭でもないしスタイリッシュなダイニングカフェではないけれど、清潔感のある正統派の洋食屋さんの佇まいだ。いまどきの女子高生が馴染むと言われる場としてどうかというと、微妙なところではある。でも、悪い意味で言ったのではない。黒江は何か言葉を重ねようと思ったが、ちょうど良い表現が思い当らない。結局、まったく捻りのない言葉になった。

「悪い意味ではないぞ。」

 気を悪くさせたかと、加奈の顔色を窺えば加奈は引き続き何かを考えているような表情のまま彼を見おろしてきた。

「じゃあ、まあ、褒められたと思っとく。ありがとう。」

 完全に腑に落ちた風ではないが、長話に興じていられるほど加奈は暇ではなかったらしく他のテーブルに呼ばれて行った。

 懐かしい味だったな、と思いながらメニューをパラパラとめくればハヤシライス、ハンバーグ、カレーライスにオムライスと洋食屋の定番がずらりと並んでいる。毎週のピアノの練習の後に通っても二カ月は違うものを食べられそうだ。ピアノの日のお楽しみにしても良いかもしれない。味ももちろん気にいったのだが、店全体の家庭的な雰囲気も商店街の雰囲気も居心地が良い。今日は良い収穫があった。

 水を飲み干して、会計を済ませると見送りに出て来た加奈が「また御贔屓に」手を振ってくれる。

「ああ、本当においしかった。来週また来るかも。」

「来週?」

「そう。毎週水曜日にこっちに来る用事があるから。」

 ピアノを習っているというと、なぜかお坊ちゃま扱いを受けるので必要以上に言わないようにしている。加奈も何の用事かと詮索したりはしなかった。ただ、水曜は自分もたいてい手伝いに出ているから次はコロッケくらいおまけしてくれると言う。

 黒江は駅までの道のりを戻りながら、次はカレーにしようかとすっかり次回の訪問を確定させて食べたいメニューを考えていた。

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