表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロンド  作者: 青砥緑
本編
43/64

恋の味-1.

 黒江は初恋がいつだったかと聞かれると答えに困る。つい最近まで恋愛感情だと意識して人を思ったことがなかったからだ。高校二年になって初めてこれが恋愛感情ではないかと思える感情を抱いたが、それまでは誰かを特別に思うという感情などさっぱり想像もつかなかった。こんなことを口にしたら友人連中から意外と初心だとか、嘘だとか、とにかく煩く言われるのは間違いない。なので、その手の話題には関わらないようにしてきた。

 しかし、黒江自身が、どう考えていようと彼の容姿の飛び抜けて美しいことは隠しようがない。小学校の高学年以降は女子生徒からの呼びだしや机やら下駄箱やらに忍ばせられる手紙も珍しいことではなくなった。幸いにもそれらを邪険にしたり、有頂天になっていい加減な振舞いをするほど彼は浅慮ではなかったので男友達から見放されることは無かったが、なんとなく距離を置かれる理由になっているのは理解していた。女の友人は何度か振舞いを間違えて、それが思わぬ結果を呼んでからは殆ど諦めている。こちらはただ少し話の合う友人ができたという程度で気安く接していた女子生徒が急に余所余所しくなり、初めて気をつけてみれば、女子生徒同士のいじめの標的にされていたり、逆に妙に馴れ馴れしくなり、登下校にもついて来ようとするので逃げ回っていたら、「私達つきあっているんでしょう」と問い詰められたり。こんなことが続けば、無理に女子生徒の友人を作る気力は失われる。まして、恋愛をしようなどと夢を見なくなるのも仕方ないのではないだろうか。黒江にとって、女子生徒からの思いのこもった視線や手紙は少し煩わしいけれど、こじらせたらもっと煩わしい。そういう存在でしかなかった。

 こんなことは誰にでも話せる愚痴ではない。ただのモテ自慢にしか聞こえないことは自覚がある。学内で多少なりともこんな話ができるのは一年の頃からの友人の向井くらいである。お互いはっきり言わなくても、似たような境遇、似たようなトラブルに縁があるタイプなのはわかる。それが引き合ったのか、自然とよく一緒にいるようになった。向井の方が明るく、社交的で女子の友人もいる。こと人間関係に関しては黒江よりも立ち振舞いが上手いのだ。高校でそれなりに友人関係を築けているのは彼のおかげも大きい。


 しかし、いくら親しいからといって、高校生になってからの初恋を友人に相談するのは黒江龍一の柄ではない。彼の中に芽生えたささやかな恋心は口にされず、押し隠されたままだった。

 彼女とは偶然に話す機会が重なり、真面目な人となりと、彼を特別視しない態度にこういう人なら友人になれそうだと思った。そして硬いだけかと思った彼女の予想外に柔らかな笑顔に触れて、ぐんと引きつけられた。気付けば彼女をよく目で追うようになっていた。会える時間を楽しみにするようにもなった。そして、これが世に言う恋というものかとようやく自覚した、その矢先だった。


 彼女が階段から突き落とされた。

 理由ははっきりしない。手を下した生徒の言うことは支離滅裂であったし、それを黙って見ていた友人達も一様に口を閉ざしているからだ。けれど、黒江は自分のせいのような気がして仕方がなかった。他にも考えうる理由はある。向井も、自分の責任でもあるのではないかと考えているようだ。向井、黒江と親しくしているように見えたこと、それが嫉妬を誘い彼女への凶行に繋がったのではないか。彼はそう思っているようだった。しかし、黒江は自分が彼女を目で追っていた自覚がある。この視線に誰かが気づいていたとしたら?そうしたら、不用意に自分の感情をあらわした自分のせいだ。

 そう思った黒江が、この事件以降で彼女のためにできたことは、彼女から離れることだけだった。臆病だと言われても、自意識過剰と言われても、自分のせいでもう一度彼女が同じ目にあって、次はもっとひどい怪我を負うかもしれないと思えば足がすくんだ。


 学園祭の準備に追われる夕刻、校舎の窓から見下ろした先を彼女が帰って行く。隣にはここしばらくですっかりなじんだ男子生徒の姿。彼の初恋の人、八坂円香と昨年の級友だった森野だった。何か話しながらゆっくりと帰って行く二人の姿を黙って見送る。


 自分には、もう彼女のためにできることはないんだろうな。


 階段から落ちて捻挫して以来ついていた松葉杖が外れてからも、それまでと同じように森野と帰っていく円香の姿に黒江はそう思った。学校でどう持て囃されようと、成績の順位が少しくらい良かろうと、恋の行方には関係のないことだし、まして好きな女の子を守るなんていう難易度最高レベルのお題には何の役にも立たない。むしろ、下手に有名であることがハンデになるくらいだ。


 ああ、やっぱりそれは言い訳だ。


 自分で考えながら、自分に駄目だしをする。自分にだって森野と同じように君を守ると言える立場にあった。ああやって寄りそって何者からも守ろうとしたって、きっと良かったのだ。


 腹を括れなかった俺が悪い。あの子はもう自分のものにはできないだろう。あっけない失恋だ。


 最近の森野と円香の様子を見れば一目瞭然だ。あれに割って入るのは野暮だし、何よりも円香が恐ろしい思いをした後、すぐに手を差し出せなかった自分が森野に勝てるとは思えない。森野が円香に付き添ってずっと近くにいる間に黒江にできたことは犯人である女子生徒を叱ったことと、円香が噂の標的にならないように自分で少し話を膨らませて話題を逸らせたこと、あとは円香の松葉杖や白い包帯を見て勝手な罪悪感に駆られることくらいのものだ。

 諦めようとする自分がいる一方で、他に俺はどうすれば良かったのだと苛立つ気持ちも捨てきれない。


 勝手に好きになられて、押しかけられて、勝手に嫉妬して、彼の身の周りにいる人間に危害を加えるなんて。ただのストーカーだ。守りたいものから離れる以外に防ぎようがないじゃないか。そのうえ、押しかけた側を咎めたら泣かれるなんてどういうことだ。なんで俺が泣かれなきゃならない。泣きたいのはこっちの方だ。


 黒江の初恋は日の目を見ないまま、胸の内で押し殺されていく。それを誰のせいと問い詰めても、よしんば答えが分かっても、きっとこの恋はこれ以上育たない。

 分かっているのに、彼の思考は堂々巡りになる。なぜ、なぜ、なぜ。どうして自分にはやっと見つけた愛しい人に近寄ることさえ許されないのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=757023255&size=200
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ