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ロンド  作者: 青砥緑
本編
42/64

学園祭-5.

「お邪魔しまーす。」

 小さな声がかかって円香がベランダからやってきた。

「あれ、休憩?」

「うん。やっと落ち着いてきたから抜けて来た。」

 円香はにこっとして森野と加奈の間、少し後ろに座りこむ。

「なんだあ、折角円香がフリータイムなのにこれじゃあ一緒に外回れないじゃん。」

 加奈と森野の手の中の釣竿を視線で示しながら加奈が唇を突き出して言うと、円香は「そうだね」と軽く返してきた。それから意外なこと言う。

「でも、ちょっと都合良かったかも。」

 加奈が振り返ると、円香は真剣な顔で加奈を見ていた。少し、怒っているように見える。

「加奈。」

 呼びかけて来た口調も真剣そのものだ。

「はい。」

 殊勝に返事をすると、円香は教室の床に正座をしてきゅっと加奈を見つめた。

「お話があります。」

 お客さんがいないとは言え、お化け屋敷は営業中だし、暗幕の向こうにはまた別の生徒がいる。円香は小さな声で続けた。

「昨日の、ああいうこと、初めてじゃないよね?」

 ああいうこと、というのが女子生徒達の「ハンバーグ」の話なのは明白だった。

「あれ、私のせいでしょう。加奈が私を庇うからああやって去年からずっと続いていたんだよね?」

「違うよ。」

 加奈が静かに否定するのを聞くと、円香は眉を寄せて唇を引き結んで首を横に振った。

「嘘。私と一緒にいるせいで加奈まで悪口言われたり、意地悪されたりしてたでしょ。ひどいこと、言われたりしてたでしょ。」

 円香の目の縁が見る間に赤くなる。

「ごめんね、ごめん。加奈。私、自分のことばっかりで、加奈にあんなこと言う人がいるの気がついてなかった。」

「円香。」


 違う。円香の受けた仕打ちに比べたら、加奈に降りかかった災難なんて小さなものだ。通りすがりに、ちょっと嫌味を言われるくらい。昨日は久しぶりで油断していたから足が竦んでしまったけど、心の準備ができていればちっとも怖くない。森野のおかげで折角元気を取り戻した円香を煩わせるようなことは何もない。加奈は、昨日あの場に円香がいたというのに上手く対処できなかった自分を恨んだ。

「ごめん、円香。」

 加奈は円香に向き直って同じように正座で頭を下げた。

「何。」

 涙声の円香は何を謝るのか、聞きたいのだろう。

「心配かけた。でも、大丈夫だから。あんなの何でもないよ。」

 加奈が笑顔でもう一度首を振って、平気なのだと言えば、円香はポロポロ涙をこぼした。その涙に加奈はぎょっとして思わず円香を抱きしめる。去年、何があっても円香は加奈の前でこんな風に無防備に泣いたことは無かった。慌てて森野を振り返れば、彼はただ肩を竦めてみせた。何か、知っているようだけれど、二人に口を出す気はない。そういうことのようだった。

「私、ずっと加奈に守ってもらってたのに。何も返せない。加奈に頼り過ぎないように気をつけて、それでいいと思ってたの。加奈に何が起きてるかなんて全然分かってなくて。昨日やっと分かったのに黙って見てることしかできなくて。私の、せいなのに。」

 加奈は絞り出すように語る円香の途切れ途切れの言葉を必死に拾い上げた。去年の円香はそれどころじゃなかった。加奈への嫌がらせに気づかないのは仕方ないことだし、加奈自身もなるべく円香に悟らせないように振舞ったのだ。だから、騙されていてくれたのならそれでいい。加奈は円香の背を撫でて、謝らないで欲しいと繰り返した。


 声を震わす円香を宥めながら、加奈は二日前の部長の言葉を思い出す。真面目すぎて心配になる。できなかったことを嘆くよりもできたことを数えたらいい。彼女がバス停の灯りに照らされてかけてくれた言葉の一つ一つが今の円香に当てはまる。


 ああ、そうか。私もこういう風に見えていたのね。


 それは心配だったろうと苦笑いが浮かぶ。それにしても、円香は一向に加奈の言い分を聞いてくれない。分かってはいたが円香はなかなかに頑固者だ。今度こそ助けてくれないかと森野をもう一度振り返ると、彼は呆れたような口調で言った。

「まったく二人は強がりで頑固で似た者同士だと思うよ。八坂、目黒は何も恨んでなんかないんだから、ありがとう、でおしまいにするんじゃどうしていけないの?目黒も、これからはちゃんと相談してあげたら?心配させて欲しい気持ちは分かってるんでしょ。」


 彼の言葉はこんがらがっていた二人の糸をあっという間に解きほぐしていく。加奈は魔法少年のあだ名を額の傷には関係なく進呈しようと思った。

 やがて円香が意を決したように背筋を伸ばして加奈の胸から顔を上げた。

「ありがと、加奈。」

 円香の言葉を聞いて、今度は加奈の目に涙が浮かんでしまったのを誤魔化すように逆に円香に抱きついた。

「ありがと、円香。」

 泣きたいようなことはこれまでに何度もあったはずなのに、どうしてか今日が一番涙がこぼれる。加奈が鼻を啜ると、円香も「もう、泣かないで」と言いながらぐずぐずと同じように鼻を啜る。去年から、円香と加奈に降りかかった悪意について、二人が面と向かって話し合うことをずっと避けて来た。それは円香が、その存在そのものを認めようとしなかったからでもあり、加奈が自分の身に起きていたことを円香には決して語らなかったからでもある。本当に頑固で、似た者同士なのかもしれないと泣きながら加奈は「馬鹿だね」と円香に囁いた。円香も泣き笑いで「そうかもね」と頷く。ずっと一番近くにいたのにこんなに簡単な言葉も交わせていなかったなんて。


「美しい友情の涙と汗。学園祭に相応しいね。」


 森野は床に座りこんで笑ったり泣いたりいる二人にぼそりと呟きながら、汗をぬぐった。汗まみれで泣いている不器用な二人は、もう森野の言葉など聞いていない。それを少し寂しく思いながらも、割って入る程野暮でもないと、森野は二人から目を逸らした。


 加奈が、森野にもありがとうと言おうとしたところで教室の入り口が開く音がした。


「4名様でーす。」


 大きな声がかかると、慌てた二人を手で制して森野は釣竿を両手に一本ずつ持ってゆらりと揺らした。そのまま彼は二人に背を向けて火の玉の操作に集中している振りをしてくれた。それに甘えて二人は声を潜めてもう少し泣いた。


 後日、効果音も流していないのに女の啜り泣きが聞こえたと2年C組のお化け屋敷はずいぶんな噂になった。

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