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ロンド  作者: 青砥緑
本編
41/64

学園祭-4.

 二日目は朝から後夜祭のために部外者を追い出す夕方まで一般公開される。

 初日に料理部としてのノルマをこなした加奈は、二日目はお化け屋敷の裏方の時間以外は自由だ。なんだかんだと受付を離れられないという円香を諦めて午前中は他の友人と学校を回った。バスケ部のフリースロー大会に挑戦してみたり、鉄道研究会と写真部合同企画の旅の写真展を見たり。規模の大きな学校はこういう行事が派手なところが良い。

 昼を過ぎるとお化けの係りになる。暗幕の裏側から火の球を揺らす係りだ。隣の教室からベランダ伝いに自分の教室へ戻れば日差しを遮る暗幕の裏側は燦々と陽光が降り注ぎサンルームのようだった。

「交代に来たよー。」

 加奈が入って行くと、火の玉担当の生徒が疲れた表情で手を振ってくれた。

「お前、飲み物持ってきた?ここ、熱中症になるよ。無いんだったら待っててやるから買って来いよ。」

 彼はほとんど空っぽのスポーツドリンクのペットボトルを振って見せた。窓に背を向けて座っていたせいだろう、首筋が赤く日焼けしている。

「わー、まじで。暑そうだとは思って飲み物持ってきたけど。」

 魔法瓶を見せると、彼は「あ、それ賢い。」と頷いた。きっとただのペットボトルではすぐ温くなってしまったに違いない。

「よし、じゃあ頼んだ。あとこれ、けっこう手疲れるよ。」

 誰の私物なのか釣竿を手渡すと彼は両手をぶらぶらと振って立ち上がった。

「あ、グリップのところベタベタだけど、それは俺だけのせいじゃないから。昨日からの汗の積み重ねだから。」

 にやっとして伸びをしながら出て行く級友の言葉に加奈はまだ手を添えていなかった黒いグリップ部分を見下ろす。まあ、確かにたっぷり汗を吸っているのだろう。可哀相なのは加奈よりもこの釣竿の持ち主だ。加奈はなんだか気になると首に吊るしていたタオルで簡単に拭ってからグリップを握ってみた。手に吸いつくようなゴム製の握り心地の良いグリップ。しかし、これを1時間も構えていたら腕が疲れるだろう。ときどき上手に揺らさないといけないので転がしておくわけにもいかない。


 火の玉って着替えがいらないから楽だと思ったんだけどな。


 落ち武者の人形を扱うものは、暗幕にとけこむような黒装束に顔も黒塗りにするルールとなっていて、女子生徒には不人気だった。タオルを首筋を日光から守るように巻いて座る。ちょうど交代の時間で、もう一人の火の玉担当の生徒にも交代がくる。

「横江、交代。」

「お、助かるー。あと一歩で干からびそうだったわ。」

 隣の生徒の交代にやってきたのは森野だった。

「あれ?森野シフト違くない?」

 確かこの時間の担当は加奈と、もう一人も女子生徒だったはずだ。

「ピンチヒッター。」

 森野は加奈の隣に腰をおろした。どうやら彼女はお休みか、ばっくれたかしたらしい。

「学級委員は大変だねえ。」

 そう言ったところで、教室の入り口で「2名様でーす」と声がかかった。客らしい。二人は声をぐっと潜める。

「あんな大声で声かけたら、中でうちらがこういうことしてんのバレバレじゃん。」

 こういう、と言いながら加奈が釣竿を振って見せると、森野は片頬だけ上げて笑った。

「何も言わなくてもばれてるよ。お化け屋敷ってそういうもんじゃない?」

 ゆらゆらと釣竿を揺らしながらの言葉に、確かにごもっともと噴き出しそうになって加奈は必死に笑いをこらえた。確かに、お化け屋敷の中に裏方の人間が全くいないと思っているのは小さな子供くらいだろう。高校の学園祭のお化け屋敷で中を無人化できているとしたら、かなりの事件だ。心霊的な意味でか、技術的な意味でかはおいておいたとしても。

 加奈が笑いを堪えている間に暗い教室の中に入ってきたお客さんは小さい子供とお母さんのようで、小さい子供の「つめたい!」「なんか動いた!」という叫び声と「あら、まあ」というお母さんの笑いを堪えるような相槌が良く聞こえた。

「子供は純真でいいね。」

「全くね。」

 二人は目も合わせずにそう呟く。そうこうしている内に2年C組渾身の傑作落ち武者人形に差し掛かったらしい子供の泣き声が聞こえて来た。盛大に泣いている。

「誰だっけ。この時間の落ち武者担当。」

「なんで泣かすまでやったかな。」

 二人は今度は呆れ顔で目を見合わせてぼそぼそと呟いた。


 実際にはこんな純真なお客様は稀で、粗を探しにきた生意気な中学生や、暗闇に入りたかっただけの恋人達が圧倒的に多かった。寄りそうきっかけが欲しいだけならこんな暗幕の向こうで確実に誰かが覗いているところじゃなくて、もっと違う場所があるだろうと思ったが、二人の世界にいる人達には暗幕の向こう側などどうだっていいのだろう。あまりに目に余ると思ったときだけ、わざとらしく咳払いをしてやった。横で釣竿を支えながら両足で器用に本を押さえて何かを読んでいた森野までびっくりして派手に釣竿を揺らしたものだから、火の玉がお客様にぶつかりそうになってしまったらしい。

「おい、危ねえな!」

 と怒鳴られた。明らかに暗幕の向こうに向かって投げられた罵声に、森野は一言ぼそりと「なんだ、人がいることを知らないわけじゃなかったんだ」返して客の生徒を絶句させていた。きっと加奈に咳払いされる直前まで自分たちが何をしていたか思い出したのだろう。二人はあとは黙って早足に教室を出て行った。


「しかし、暑いね。」

 交代の生徒が言っていた通り、水がなければ倒れそうだ。客足の途絶えたのを見計らって釣竿を下ろして手をぶらぶらさせながら森野に声をかける。森野も長い髪の先から汗のしずくを床にぼたぼたこぼしている。

「うわ、森野。サウナにいる人みたい・・。」

「ここ、サウナでしょ。」

 森野は面倒くさそうに長い前髪をかきあげて加奈を見返した。その白い額に加奈の視線はピタリと止まる。目を見開く加奈の表情に森野は一瞬怪訝な顔をしたが、あっという間に髪をかきあげていた手を離して前髪を戻した。

 白いつるりとした額の真中から左側にかけての生え際に、大きな傷跡があった。邪魔くさい長い前髪の理由はこれを隠すためかとすぐに納得できるくらいの大きな傷。生え際だから少しくらい髪が揺れても分からないし、プールの授業なら水泳帽を深く被れば見えなくなってしまうだろう。随分長い間近くにいたのに気がつかなかったと加奈は眼をパチパチと瞬かせる。隠したいのなら何も言わない方がいいのだろうが、さすがにこれで見ていない振りも白々しい。

「森野、それ、人に言わない方がいいんだよね?」

 確認すると、森野は少し視線を彷徨わせてから頷いた。

「別に、DVとかそういうのじゃないから。ただの交通事故だから気にしないでいんだけど。」

 森野は傷跡の辺りをなぞりながら言いにくそうに続ける。

「でも、あんまり見せびらかしたいものじゃないから。」

 加奈は黙って頷く。

「俺、この感じで額に傷があったら絶対ハリーってあだ名にされるから。」

 森野はそう言って嫌そうに眉を顰めた。

「それだけは避けたい。」

「え、っと。魔法少年。」

 意表を突かれた加奈がそれだけ言うと、森野はますます嫌そうに首を振った。

「だから黙ってて欲しい。」


 気になるとこ、そこなの?


 加奈はとりあえず、頷き返しながら避けたいポイントがそこなのかと内心で首を傾げた。冗談なのか、本気なのか良く分からない。

 そのまま二人でまだ客のいない教室へ向き直って黙りこむ。

 学園祭の喧騒は分厚い暗幕に遮られて、お化け屋敷の裏側は妙に静かだった。学園祭の外側に放り出されてしまったような感覚。大汗をかきながら暗幕の向こうに釣竿を垂れて、二人でじっとしている。暑さに冒されたせいなのか不意に何かが釣れるのではないかと思ってしまう。ざわめく気配なのか。先ほどの大泣きしていた少年なのか。自分は何を釣りたいのか、分からないままに加奈はゆるく釣竿をゆすった。

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