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ロンド  作者: 青砥緑
本編
40/64

学園祭-3.

「みて、すっごい汗。」

「うわ、ひどい。」


 去年飽きるほど聞いた悪意の籠ったくすくす笑い。


「そりゃあ、向井君も見兼ねて拭ってあげるわ。」

「えー、私だったら触りたくないかも。」

「なんか汗って言うか、肉汁って感じ。」


 いやだー、ひどい、きゃはは。ざわめく人の声の中で彼女たちの甲高い笑い声だけが特別によく聞こえた。加奈は足が地面に縫いつけられたように立ち止まった。振り返ったら駄目だと思ったけれど、どうしてもあらがえなくて顔を声のする方へ向ければ同じ学年の女子生徒数名が薄い笑いを浮かべて加奈を見ていた。短いスカートから伸びた細すぎるくらいに細くて長い脚。二つも三つもボタンを開けたシャツにリボンをだらりと下げている。綺麗にセットされた髪、汗に流れたりしないばっちりメイク。去年から、何かと加奈に絡んでくる女子生徒のグループのうちの一部だ。円香に構う加奈が気にいらなかったのか、ちょうど円香への風当たりがきつくなってきた頃から同じように加奈にも何かとあてつけてくるようになった。面倒だからなるべく関わらないように避けていたのだが、学園祭のように人が入り乱れる行事では避けきることは難しい。最近、毎日が穏やかだったから気が緩んでいたのかもしれない。容赦なく叩きつけられた悪意に加奈はどう対応したらいいのか咄嗟に判断できなかった。加奈がただ彼女たちから目を逸らして立ち尽くしている間に彼女たちの笑い声はどんどん大きくなる気がした。


「あの人、昔のあだ名、ハンバーグだったんでしょ。肉汁とかいってうける。」

「ハンバーグってひどくない?」

「まじうける。」


 ハンバーグ。

 小学校時代に加奈をそう呼んだ子供たちは確かにいた。それをどこかから聞きつけたのだろう。加奈はどこかぼんやりそう思う。

 それは赤い頬に丸顔の加奈の容姿が手伝って定着したあだ名かもしれない。でも、小学生達がそう呼び始めたきっかけは学校の遠足に加奈の両親が大量に差し入れした店自慢のハンバーグだった。加奈も大好きな美味しいハンバーグの記憶があって皆が彼女をハンバーグと呼ぶのは、むしろ誇らしかった。大好きな父の、自慢の味だったから。何よりも級友たちがただからかうのではなくて、あの美味しいハンバーグを毎日食べられるなんていいな、という羨望をこめていたのを加奈は知っていたから、落ち込んだりはしなかった。

 けれど、今ここで意地の悪い笑顔で「ハンバーグ」と言う生徒達は、あの幸せな味の記憶なんてない。彼女たちにとっては、ハンバーグでも肉団子でもなんでもいいのだ。言いたいのはただ「肉のかたまり」、「不格好なまん丸いシルエット」そういうことだ。

 ぎゅっとトレーを握る手に力がこもった。自分が平均よりも太っていることくらいそんな風に言われなくても誰より自分が一番よく知っている。それなのに、口に出されるとまた傷つく。こんなことに一々煩わされる自分でありたくなんかないのに。

 いつの間にか、あんなに盛り上がっていた料理部のテントまで静まっている。外来受付の生徒達もこちらに意識を向けているのが分かる。流れて行く来校者だけが何も気付かずに楽しそうな声をあげて通り過ぎる。加奈は自分が彼女たちを無視してテントに戻り、他の部員に声をかけなければとぎこちなく体をテントに向け直す。


 顔を上げろ、私。何も知らない人がこそこそ言うことなんて、関係ない。


 自分に言い聞かせて加奈が顔を上げる直前に、嫌な沈黙を破ってやたら陽気な声があがった。

「こんにちはー。料理部でーす。カップケーキ、いかがですかあ。」

 普段のけだるげな様子からは想像もつかない営業スマイルの副部長は、後ろ手に手をハタハタと振って他の部員を促す。つられて静まっていた部員もよそ行きの可愛い声を張りあげだした。

「夢の女子高生の手作りケーキ、いかがですかあ。美味しいですよー。」

「今を逃したら、もう食べられないかもしれませんよー。」

「甘いものが苦手な方には、甘さ控えめのケーキもご用意しておりまーす。」

 ケーキの入ったトレーを抱えたまま立ちすくんでしまっていた加奈を振り返って副部長が手招きする。

「加奈ちゃん。ほら、うちの看板商品持ってきて。」

 はっとした加奈が頷くと、その背を小さな手がぽんと叩いた。

「そんなとこに立ち止ってたらおしろいが舞いこんじゃうよ。せっかくのバニラの香りがムスクの香りに蹂躙されちゃうよ。」

 早口でまくしたてて加奈の背を押したのはいつの間にか隣にやってきていた部長だった。彼女はそのままくるりと女子生徒達を振り返って小首を傾げる。

「悪いんだけど、お嬢さん方。うちの部に近づかないでくれるかなあ。とくに風上。この美味しい香りでお客さん寄せる予定だからその攻撃的な香水の香り巻き散らかされるのはちょっと困るんだあ。」

 そう言いながら、人差し指でピッと校舎を指す。その動作は「ハウス!」そのものだ。軽い口調ながら辛辣な物言いに女子生徒達は眉を吊り上げて部長を睨んだ。

「ちょっと!」

 女性生徒の一人が口を開くのをしり目に部長はもう用事は済んだとばかりに加奈の肩をぐいと押してテントへ向かう。加奈が首だけを振り返ると取り残された女子生徒達は歯ぎしりでもしそうな形相で加奈と部長を睨んでいる。

「振り返らないの。」

 ぼそっと囁かれて部長を見下ろすと、丸い眼鏡をきらりと反射させながら部長が加奈を見上げた。

「気にしない。気にしない。加奈ちゃんを傷つけたいと思っている相手に対する最大の仕返しは、加奈ちゃんが傷つかないことなんだから。」

 そう言いながら、またポンポンと背中を叩く。

「辛気臭い顔じゃケーキ売れないよ。初日から完売の目標を挫折させてなるものか。つまらないことは忘れて、じゃんじゃん売りまくるよ。はい、スマイル!」

 ちょうど売り子担当の生徒の真後ろに辿りついたところで、部長はにこーっと笑って見せた。加奈もつられてへらりと笑うと、部長は眉を寄せて非常に複雑な表情を浮かべた。

「んー、ちょっと微妙。」

 腰に手をあてた部長の後ろから腕を伸ばしてきた副部長は加奈の手からケーキ入りのトレーを受け取ると部長の頭越しにそれを自分に引き寄せた。その途中で部長の頭上にトレーを下ろして加奈を見下ろす。

「ちょっ、りょーこちゃん。私の頭で休むなー。」

 暴れてはケーキが危ないとじっとしたまま部長が文句を言うのを無視して副部長も複雑な表情で加奈を見つめた。

「加奈ちゃん、一個買い取ってケーキ食べたら?おいしー!って顔で売ってくれないと。お客さんも買う気にならないでしょ。」

 そう言って、ほいと一個ケーキを投げて寄こした。黄色いリボンのかわいいカップケーキが空っぽになった加奈の手に戻る。くるくると巻かれたリボンには星型のスパンコールやラインストーンが散りばめられてとても華やかだ。基本のラッピングは加奈が考えたとはいえ、そこはカワイイには妥協の無い女子高生のこと。一つ一つにそれぞれの工夫が加えられ、一つとして同じものはない。中でも、これはかなり派手な方だ。思わず口元が緩んだ。

「かっわいい。」

「お、いいね。その反応いいね!」

 相変わらず頭にケーキを乗せたままの部長は身動きが取れないくせに、それでも素早くケータイを取り出して加奈の写真を撮った。

「いい!いい写真とれちゃったよ!」

 やっとケーキをどけてくれた副部長にケータイのディスプレイを示してにこにこしている。

「おお、いいね。ていうか、このアイディアいい。ケーキ買った人の笑顔写真とって看板に貼って行くのよくない?」

「おおー、りょーこちゃん冴えてるね。どっかにあれあったでしょ。Wiki、じゃなくてチェキ!」

「Wikiいらねー。今、猛烈にWikiいらねーっす。部長。」

「うっさい。言い直したでしょ。チェキ。クリスマス会かなんかで使ったやつ。誰か持ってきてよ。写真とろう。看板の隙間なくなるまで撮ろう。イエイイエイ!」

 最後は完全に踊りだしながら大はしゃぎの部長を見て、加奈は皆と一緒に声を上げて笑ってしまった。なんだってこの人はこう底抜けに明るいのか。その変な踊りは何なんだろう。さっきのショックが吹っ飛ぶくらいおかしい。

「会計代理ー。チェキのフィルム代くらい出せるかなあ?」

 小躍りが終わったままの変なポーズのまま部長が加奈を上目遣いに見上げてくる。

「ケーキが完売しちゃったとき用に、追加の材料を買う分くらいはお金ありますけど。それ使っちゃうんですか?」

「うん!それってあれっしょ?ケーキ完売の暁に出る黒字分で追加の材料買うことにすればいいってことでしょ?」

「いや、皆の立て替え分を還元するからー、えーと、まあちょっと追加分の材料少なくなっちゃいますけど。」

「よし、じゃあ初日完売したら先生からカンパ貰えるように交渉しよう。とにかく今はチェキよ。お客様の笑顔をこれ以上逃してはならんよ。もったいない。」

 部長はそういうと、一年生の部員にチェキ用フィルムの買い出しを指示してしまった。一年生たちは買い出しというイベントが嬉しいのか喜んで駆けだして行く。

「加奈ちゃーん、大至急チェキ探して来て―。」

「はい。」

 加奈は副部長の声に弾かれた様に返事をすると、受け取ったケーキは一旦エプロンのポケットに閉まう。振り返った先に先ほどの女子生徒達はもういないことにほっとして加奈は調理室へ向かって駆けだした。


 外来の客達と生徒でざわつく廊下を抜けて、特別教室棟の奥へ進むと販売を終えた調理室で調理担当の部員たちがきゃあきゃあと騒ぎながらケーキを焼いていた。

「誰か、去年のクリスマス会で使ったチェキの場所知らない?」

 加奈が声をかけると、傍にいた同じ学年の部員が振り返った。

「チェキ?どしたの、急に?」

「部長が買ってくれたお客さんの笑顔写真撮るんだって言い出して。」

 そう告げると、広い範囲から歓声が上がった。

「それ、いい!」

「喜ばれる顔みたーい。」

「そー、私も、売り子やれば良かったと思ってたあ。」

 加奈は嬉しそうな部員の顔を見まわしてなんだか胸の奥がぽっぽと温まるのを感じた。料理部が、加奈の避難場所になったらいいと言ってくれた部長のことを思い出す。本当に、ここにはちゃんと加奈の居場所が用意されていた。自分が見ていなかっただけで、意地悪をされたら庇ってくれる先輩がいて、一緒に騒げる仲間がいる。


「加奈ちゃん、チェキあったよー。」

 皆が騒いでいる間に、ちゃんと探し物をしてくれていた子がいたようだ。同じクラスの生徒がチェキを手渡してくれる。

「はい、残りのフィルムがこれだけ。」

「ありがとー。じゃ、行ってくるね!」

 踵を返す加奈に部員たちは「最高のスマイルよろしく。」と叫んでケーキの生地のついたままの泡立て器やスプーンを振って見送った。


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