学園祭-1.
学園祭の初日は気持ちの良い秋晴れとなった。
午前中は全校生徒で開会式を行い、準備万端整えて午後から一般公開となる。加奈は早朝から調理室で開会式直前まで追加のケーキのラッピングに追われていた。調理室も、廊下も、窓から見下ろした校庭も、どこも浮足立ってざわついている。体を巡る血にまでざわめきが伝染したように、加奈自身もなんだかむずむずと落ち着かない。
「そろそろまとめてー。各自HRにはちゃんと戻ってねー。」
部長が大きな声をあげて両手を振る。小さな体に注目を集めてから次の集合時間と場所を告げると、最後に握りこぶしを顔の脇で握ってにっと笑う。
「それでは本日の完売目指して、がんばろー!」
おもいきり拳を突き上げ、それでも足りなかったのかぴょんぴょんとその場で飛び跳ねた。
ほんっとに楽しそうだなあ。
加奈は既に学園祭を全身で楽しんでいる様子の部長を見て笑顔になる。
うん、でも、本当に楽しい。
加奈はてきぱきと道具を片付けると教室に向かって廊下を走る。早朝から最後の仕上げにかかっていたのは料理部だけではないようで、たくさんの生徒がHRの時間にあわせて廊下を駆けまわっていた。普段なら注意する教師も、今日は諦め顔で「気をつけろよ」と気の無い声をかけている。HR開始直前に自分の教室へ滑り込むと既にお化け屋敷の準備が完了した教室の僅かな隙間にクラスメイト達がひしめいていた。
「う、あっつ・・・」
暗幕で外から入る熱だけを吸収して風を通さない教室はうだる暑さだ。走ってきたおかげで体も温まっていた加奈の首筋からは一気に汗が噴き出る。首から下げたままだったフェイスタオルでぐいと顔を拭って、うっすら肌色に染まったタオルをみて失敗に気がついた。今日は薄いなりにお化粧してみたんだった。
今日は一般公開もあるいわゆる「出会いのチャンス」の日だ。ナンパ目的の他校性もたくさん来場するし、生徒の兄弟や中学時代の友人にだってチャンスはあるかもしれない。男女を問わず、いつもより気合いを入れてオシャレをしてくると言う日に、朝一番の教室で滝のような汗をかかねばならないなんてひどい話だ。きっと加奈の薄過ぎる薄化粧なんて朝のうちにみんな剥がれて、午後の一般公開の頃にはいつも通りの自分に戻っているに違いない。無駄な努力だったか。加奈はちょっと残念に思いながら、教室を見渡す。一番前で点呼をとっている学級委員も汗が止まらない様子で、長い前髪が汗で額に張り付いている。森野は心頭滅却すれば、なんて言って暑いも寒いも平気そうな印象があるが、さすがにそこまで人間離れしたことはないようだ。
「加奈、おはよう。」
するりと寄ってきた友人を振り返ると、彼女もまた鼻の頭に玉のような汗を浮かべている。
「おはよ。暑いねえこの部屋。お化け屋敷っていうよりサウナじゃない?」
円香は苦笑いして頷いた。
「人が減ったら少しはましだと思うんだけど、スモーク用にドライアイスもいれるし。」
「すぐ溶けそうだね」
「それが問題だわ。」
二人はくすくす笑いながら、森野と交代して生徒の前にたった担任の話が終わるのを待つ。生徒同様、暑苦しい部屋を出たくて仕方がないらしい担任の話は極めて短く、潔く告げられた「解散」の一声に生徒達は歓声をあげて廊下に飛び出した。全開にした窓に飛びついて涼を求める者、大きなポーチ片手にトイレに駆け込む者。誰もが暑い暑いと文句を言いながらも笑顔で、やはり廊下に充満する空気はわくわくとした期待でいっぱいだ。浮かれた結果か男子生徒はほとんど半裸で開会式が行われる体育館へ向かって行く。それを追うように加奈と円香も体育館へ足を向けた。
「料理部の準備はどう?」
「だいたいできてる。今日の分を売りながら午後からは明日の分も焼くからちょっと忙しいけどさすがに当日はみんな手伝ってくれるから。」
部員百名の威力はシフト制をしくと良く分かる。シフト編成も手伝った加奈は料理部はほぼフル回転で調理と販売を続けるのに、一人ひとりの拘束時間は二日間通じて3時間程度で済むということを知っている。そう告げると、隣を歩く円香は「じゃあ、結構他のクラスとか見られるね」と指をくるくる回して他の教室を示して見せた。
「円香は?さすがに当日は忙しいでしょ。」
学園祭実行委員が今日活躍しなくて、どうするか。いくら裏方中心とはいえ円香も今日明日は忙しいのだろう。加奈が聞くと、円香はこっくり頷いた。
「私の自由時間は開会式の終了まで。あとは後夜祭に入るまで休みなしだよ。」
「えー。じゃあ、全然見られないじゃん!ちょっとくらい抜けられるんでしょ。」
少しくらい一緒に回りたかったという思いを込めて大きな声を出す。円香は大袈裟な加奈の反応に笑いながら「さすがにね」と頷いた。
「シフト上は空き時間もあるんだけど、一応リーダーだからさ。トラブルあったらすぐ通報されてくると思うんだ。絶対にケータイ常備しとけって言われてるし。」
「なんだあ。なんだか休まらないね。」
「まあ、この日のために準備してきたんだし、皆さんに楽しんでもらえたらね。」
にこにこと円香は笑う。
「もう。そうやってまた自分が我慢すればいいと思って!自分も楽しみなさいよ。」
呆れてしまう。声をかけながら、なんだかこのお説教は昨夜どこかで聞いた話に似ているなと加奈は内心恥ずかしくなる。自分もこのくらい、真面目で頼りなく思われているのだろうか。本当にそんなつもり、無かったのだけど。
体育館は超満員だ。冷房を最大にしてあるにも関わらず、明らかにそのパワーは若い生徒達の吐きだす熱量に負けている。再び汗だくの予感だ。
「朝からお化粧しても意味無いんだってこと、去年学んだはずなのに。」
拭い直せばまた色のついた汗がタオルに染み込んで行く。その様子がなんだか惨めに見えてしまう。でもせっかくの楽しい気分にこんなことで水を差したらつまらない。
「まあ、本当に出会いとかあるわけじゃないし。いっか。私にナンパとか来ないし、ナンパで出会うのもなんか嫌だし。」
加奈は自分に言い聞かせながらにかっと笑って横で同じく汗を拭っている円香に話しかけた。円香は、ははと笑って頷く。
「確かにナンパ目当てに学祭くるような人は嫌だね。でも加奈、誰に見染められるか分かんないよ?」
「ないでしょー。私、お化け屋敷の暗幕の裏にいんのよ?」
「あー、そうだったー。」
そこまで出会いを求めてくる客がいたら、もう怖いかと言って爆笑する。大笑いすれば、もうタオルの汚れを見ても惨めな気持ちにはならなかった。日焼け止めは塗り直そう。でも、もうファンデーションやチークはいらない。そんなものなくても、十分楽しい。
興奮した生徒達の笑い声や叫び声で耳を塞ぎたくなるほど煩い体育館で、ガラガラと音を立てて戸口が閉められる。さらにバツンと電気が消えてざわめきは急に低く、始まりを期待するものに変わった。暗いステージにすっと一本のスポットライトが落ちると、わっと歓声が上がった。
「皆さん、おはようございます。」
スポットライトを浴びた生徒が片手を挙げて当たり前の挨拶をしただけてあちこちから野次や彼の名前を呼び黄色い声が上がる。彼はその場に相応しい陽気さと華やかさをもってにっこり笑った。
「学園祭実行委員長の向井です。今日はとっても学園祭日和の良いお天気って、暗幕下ろしてるから全然見えませんけど。」
ここでどっと笑いが起きる。
「でも、皆さん、学校に来るまでに見ましたよね。あの青い空。まさにブルースカイ。あっぱれ、秋晴れ。これで野外ステージのイベントもも予定通り決行できます。やったぜ、野郎ども!さて、この青い空は誰のおかげかな?」
勢いにのった向井が畳みかけるとくすくす笑いが広がって行く。そして一拍空けられた間に、また生徒達が、俺だ、あいつだと叫び返した。
「今日まで頑張って準備をしてきた僕の、いやいや、嘘嘘。物投げないで。投げないでくださーい。危ないですからねー。ええと、なんだっけ?そうそう。今日まで頑張って準備してきた皆さんの、鈴鳥高校全生徒のおかげです。全力でこの御褒美を享受し、分かち合おうじゃありませんか。」
向井の挨拶は軽妙で、生徒達の胸を満たす期待を更に盛り上げていく。
「ここに、鈴鳥高校学園祭の開会を宣言します!」
最後に彼が叫ぶように開会宣言を終えると、人気バンドのライブのように体育館は熱狂した。もう叫ばなければ隣の子の声も聞こえないような喧騒の中で、加奈は円香をつついた。
「向井君、すごいね。」
円香も大きく目を見開いて頷き返してくる。
「本当。お祭り男本領発揮って感じ。」
二人はまた声を上げて笑った。お祭り男。まさにお似合いの表現だった。
ステージの緞帳が上がると、一気にステージ上に色とりどりのライトが踊って見事オープニングアクトを勝ち取ったバンドの演奏が始まる。加奈にはそれが上手か下手か良く分からないが、熱に浮かされたように大きな声を挙げる級友に囲まれて一緒に飛び跳ねて楽しんだ。ときおり振り返ると円香も同じように踊っていて、その反対側にはいつの間にやってきたのか森野が見えた。踊る、というタイプではない森野は案の定苦笑いで立ち尽くしている。でもしっかり手だけは円香と繋いでいて、彼女が飛び跳ねる度に手が一緒に揺れている。その姿がおかしくて、二人の様子が嬉しくて、加奈は喜びを全身から溢れさせて思いっきりはしゃいだ。
よく酸欠で倒れる生徒が出ないものだ、と思うほど体育館には熱気が籠り、次々と繰り広げられるステージに湧いた。ついに全ての演目が終了して解散前に一般公開に先駆けての注意事項を述べるとなった頃には大多数の生徒の箍は既に飛んでおりざわめきは一向に収まらない。
これはもうしょうがないだろうと加奈も汗を拭き拭き困った様子のステージ上の向井を見ていた。向井は「もう、皆聞いてよー」と言いながら何か手で合図している。マイクが拾ったパチンという指の音の後で体育館の暗幕が一斉に開けられた。強い光と、そして開放された窓から吹き込む風に生徒達のくすぶっていた熱は、あっという間に違う方向を見出した。まるで暗いクラブから急に屋外のバスケットコートに遊び場を変えたような陰と陽の切り替え。わずかに生徒達が静まった隙を逃さずにマイクから学園祭実行委員会よりの連絡が流れる。
「一般公開中の注意事項を申し上げます。」
ステージ上から窓へ注意を逸らせていた生徒達は先ほどまで聞いていた向井のものではない声に振り返り、今度はそちらに釘づけになった。涼しげな美貌は、この蒸し風呂のような体育館でも汗臭さを感じさせることも無く薄く笑顔を浮かべてすらすらと連絡を続けて行く。抑制のきいた綺麗なテノールに聞き入るように、獣のように叫んでいた男子生徒達までが静まっていた。
「ほんとにあるんだ、黒江効果。」
ぽつりと円香が呟くのが聞こえた。あまりに短時間での空気の変わり様に狐につままれたようになっていた加奈はぼんやりと円香を振り返った。
「何、それ?」
円香自身も驚きが抜けないような虚ろな様子で返してくる。
「開会式の式次第を考えてるときに向井君が言ってたの。開会式の熱狂そのままに生徒を野放しにすると暴れすぎるから、最後は黒江くんにお清めしてもらってから解散しようって。黒江君の声には鎮静作用があるって。」
加奈はもう一度淡々と話している黒江を振り返った。
確かに、何か、あるかも。
昨日の夜から学校中に漂っていた期待、熱気。それらは小さな火花一つで大爆発してしまいそうだった。実際に開会式の明滅するライトや大音響での音楽に煽られて先ほどまで爆発していたと思う。そうやって盛大に燃え上がったものを鎮めるだけの何かがある。解散を告げられた生徒達は元気よく、しかし実に行儀よく体育館を去って行く。
「さすがというか、なんというか。」
渡り廊下に出て風を浴びた森野は伸びをしながら笑った。
「血の気の多すぎる生徒が部外者と喧嘩する前に一発爆発させておこうっていうのは向井あたりの考えかな。それを鎮められる黒江あっての計画だけど。」
「森野、よく分かるね。」
円香が目を丸くしている。どうやら森野が言った通りの計画であったらしい。
「一年間一緒のクラスだったし、二人とも目立つからなんとなくね。なんにしても、おかげで平和に学園祭がスタート出来そうかな。八坂にとっては喧嘩とか厄介事少ない方が楽でしょ。」
「そうだね。向井君たちに感謝感謝。」
「自分達の為でもあると思うけどね。」
素直な円香の言葉に、皮肉を交えて返しながら森野は肩を竦める。
廊下の途中でそれぞれの持ち場に向かうために、加奈は二人と別れる。
「二人とも空き時間、声かけてよー!」
遠ざかる二人の背中に加奈が叫べば、二人揃って手を振ってくれた。加奈は両手を目一杯に振り返した。




