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ロンド  作者: 青砥緑
本編
35/64

目に映る世界-5.

 学園祭準備に打ち込むことにしたのはある意味で正解だったらしい。加奈の毎日はまた忙しくなった。学園祭を最後に公式には部を引退する三年生の部長達からは次期部長候補がいいタイミングで部に戻って来てくれたと喜ばれているし、他の二年生も正直面倒なことの多い部長職を継ぎたい生徒はおらず、そちらにとっても加奈の積極的な部活への参加は有難がられているようだ。とにかく全員が加奈を部長に、悪くても副部長には据えようとして、あれこれと部の管理のことを教え込んでくる。


「もー、学園祭終わるまで予習する暇ないな。」

 教室に居残ってお化け屋敷作りに精を出す級友の傍ら、加奈は机の上にノートと領収書を並べてため息をついた。会計という役職が部にはあったような気がするのだが、どうやら会計の先輩が雲隠れしているらしく随分前からの領収書が溜まっていた。部の仕事を覚えてもらうにはいい機会だから、と部長と副部長に両肩を叩かれて押し付けられたのが昨日。一晩かかってもまだ終わっていない上に、これから学園祭本番まで部員の買い出しは続き、つまり領収書が途切れることは無い。

「料理部?」

 横から声をかけてきたのは森野だ。

「うん。ごめんねー、クラスの仕事免除にしてもらっちゃって。当日の店番は入れるから。」

 両手をパンと顔の前で合わせて頭を下げると学級委員は首を振った。

「部活がある人はしょうがないよ。もともとそのつもりでチーム分けしてあるから大丈夫でしょ。」

「そう言ってもらえるとまじ助かる。今ほど森野が学級委員で良かったと思ったことは無いわ。」

 真面目な顔でそう告げると、森野は「気づくの遅いよ」とさらりと返してきた。思わず平然としている彼の顔を見上げて絶句する。

「・・・あんた、そういうとこあるよね。」

「どういう意味?」

「ただの良い奴だと思ってると、痛い目みるのよ。」

 そうだった、そうだった。加奈は一人ごちて首を振る。良い奴かもしれないけど、こいつは決して一筋縄ではいかない男なのだ。

「褒めているように聞こえないな。」

 森野は不満げだ。

「いい意味よ。」

 適当に言い返してみたが彼は納得しなかったようだ。さらに何か言おうとしたところで更にもう一人やってきた。

「手伝わせてくれるって?」

 口を挟んだのは円香だ。誰が何を手伝うのかと加奈が目を見開いて首をかしげると、円香も同じように「あれ?」というような顔で見返してくる。しかし円香の方はすぐに合点が言った様子で森野をちらりと睨んだ。

「まだ話してないの?」

 円香が声をかけると、森野は「ちょっと脱線してた。ごめん。」と素直に謝った。

「話が見えないわ。」

 間に挟まれた形になった加奈が声を上げると、円香は加奈の机の上の紙束を指した。

「その領収書の山。片付けないといけないんでしょ?森野がそういうの得意そうだから手伝ってあげたらって言ったの。この間の試作品も美味しくいただいたんだし。」

 試作品というのは教室で配った料理部のケーキのことだろう。試作品を今のうちから小出しに配っておいて評判を上げておこうといった部長の策略なのは部外秘になっている。

「そうなの?ありがと。でも森野はクラスの準備があるでしょ。」

「森野は監督だから、皆がちゃんとやっている限り、実は暇なのよ。ね?」

 円香に見あげられた森野は頷く。

「だから誰かに呼ばれるまで、このレシートの山を転記するくらいはできるけど?」

 申し出は正直嬉しい。手書きでの転記で右手が痛くなっていた程だから、とても嬉しい。けれど加奈は一言言わずにはいられなかった。

「それならそうと、早く言ってよ!」

「ごめんごめん。目黒が気になるこというからちょっとひっかかっちゃってさ。」

 森野はよいしょと机と椅子の向きを変えて、さっさと手伝う準備をしながら加奈の叫びを軽く受け流した。

「別に気になるようなこと言ってないでしょ。」

「いや、確実に含むところがある様子だった。」

 ぶつぶつと言いあいながらも手だけは休まず動かし、森野の手元に領収書とノートを一つ回す。彼も何がしか言い返しながら迷いない様子で作業に取り掛かった。二人を横で眺めていた円香は、他の生徒に呼ばれて「じゃあ」と声をかけて離れていく。十分に円香が遠ざかったところで、森野が加奈をちらっとみた。


「親友をとられた腹いせは勲章だと思って甘んじて受けますよ。」

「急に何よ。」

 加奈も一瞬だけ視線をノートから話して森野をみる。お互いに一瞬ずつしか顔を上げないので目が合わないし表情も良く見えなかった。

「最近、八坂を独占させてもらっているようだから。感謝してる。嫌味の一つや二つ許す。」

 加奈は森野の言葉をしばらく咀嚼してから、ぷっと吹き出した。さきほどの含みのある発言を円香をとられた嫉妬からだとでも思ったのか。それでも感謝しているという言葉には茶化したり、いなしたりする雰囲気はなかった。むしろ、心がこもっていたように聞こえた。

「森野の思考回路は面白いね。感謝は、まあ、してくれて構わないけど、別にとられたなんて思ってないよ。」

「そうかな?」

 話しながらもカリカリとペンの音は止まらない。森野がこういう作業が得意というのは間違いなさそうだ。

「夏休みがあけたら、急に部活に一生懸命になったし、教室ではこっちみてすぐ目を逸らすし。気を遣いすぎじゃない?」

 ばれていたのか。確かに部活に顔を出す回数を増やしたのも、休み時間までかかる細々とした用事を引き受けるのも円香から自然に距離を置くために始めたことだ。加奈は胸の中だけで、これだから森野は。と呟く。ただの良い奴ではないのだ。本当に洞察力が鋭くて困る。

「そっちこそ、余計な気を遣わないで幸せを満喫しておけばいいじゃない。円香泣かせたら承知しないからね。」

 ややすごんで言えば、森野のペンの音がピタリと止んだ。顔を上げると級友はまっすぐに加奈を見ていた。

「ちゃんと守る。泣かさないから。」

 加奈はびっくりしてしばらく固まった。


 あれ、森野ってこんな男前な感じだったっけ。なんだか今、とても格好良く見えたけど。


 二、三度瞬きする頃には彼はもう作業に戻っていて加奈は狐につままれたような気分になった。

「目黒は変に俺たちに気を遣わないでいいし、八坂のことばっかり心配しないでもいいんだよ。」

 ぼそぼそと付け加えられた言葉に、加奈はようやく我に返って自分の作業を再開した。すぐには返す言葉が思いつかなくて、数字の羅列を右から左に書き写すことで心を静める。しばらくお互いに無言で、クラスや周りの教室で居残っている生徒達の大きな声だけが意味を成さない音として二人の間に響いていた。

「森野さ。」

 ようやく言うべき言葉が見つかって加奈はノートから顔を上げずに声をかけた。

「かっこよくなったね。」

 言いながら口もとが綻んでしまう。それだけ円香を真剣に思っているということ。真剣に思っている姿が、覚悟が、格好良く見えるのだ。それは、とても喜ばしいことだった。どこか寂しさを覚えるけれど、それは卒業や旅立ちの寂しさと一緒で、決して悪いものじゃない。

「目黒に言われると、なんだかな。」

 森野はぼそりと呟く。

「何よ。そりゃあ褒められるなら円香がいいでしょうけど、ちったあ喜びなさいよ。褒めてんだから。」

 加奈も俯いたままぼそぼそと小さな声で言い返した。

「そういうんじゃなくてさ。自分より格好いい奴に褒められるのって微妙な気分だなと思って。」

「はあ?」

 思いがけない言葉に思わず素っ頓狂な声が出た。それでも騒がしい教室では一人か二人、生徒が振り返ったくらいだ。「加奈、変な声ー」と誰かが笑ってそのまま有耶無耶になる。

「かっこいい?」

 聞き返すと、森野はペンを握ったままもしゃもしゃと髪をかき乱した。

「ああ、くやしい。」

 本当に悔しそうに呻く彼に加奈はますます意味が分からないと困った視線を投げる。

「だって、目黒。お前、去年の八坂にとってたった一人の本当の味方で、ずっと胸張って負けなくてさ。かっこよかったじゃない。」

 その言葉に、加奈は一瞬で胸がいっぱいになった。

「そんな、すごいものじゃなかったよ。」

 森野の言う通り、加奈は円香の味方だった。二人で悪意に立ち向かった。加奈は本当に円香を守りたいと思っていたし、口さがない噂や嫌味などに負ける気は無かった。誰に聞かれても自分は正しいことをしていると思ったから胸を張っていた。

 そうなのだけれど。

 できなかったこともたくさんあった。守ってあげられなかったこともたくさんあった。それを加奈はずっと後悔している。きっともっとできることがあったはずなのに。円香は大好きだった部活を辞めなくても済んだかもしれないのに。傍目に分かるほど痩せてしまうまで思い詰めなくて済んだかもしれないのに。

 誰かが、去年の自分の姿を認めていてくれたことは単純に嬉しい。かっこよかったと言ってもらえてとても嬉しい。けれど、そうでしょうと胸を張ることはできない。加奈は今でも円香を守ってあげられなかった出来事の数々を忘れられないでいる。今でも円香に対して申し訳ないという思いを消せないでいる。


 余計なことを考えたら涙が出る。


 加奈は一度、思い出すことを止めて数字だけに集中した。753円、1058円、3876円。意味のない数字は時間稼ぎをさせてくれる。

 黙ってしまった加奈をどう思ったのか、森野もまた黙ったまま二人は領収書の整理に没頭した。


 会話が途切れたのが良かったのか、その日のうちに領収書の整理は終り、戻ってきた円香を交えて久しぶりに三人で一緒に帰路についた。心なしか円香が嬉しそうで、加奈は二人の時間を邪魔しないように気を遣ったことでかえって円香に心配をかけていたのかもしれないと思った。


 だからこその今日の森野の言葉か。

 駄目だな、泣かせるなとかいって自分が心配かけてるようじゃ世話ないわ。私が逃げてどうすんだってね。


「円香、学園祭終わるまではお互い忙しいけどさ。終わったらどっか遊びに行こうか。」

 加奈が声をかけると円香は「いいね」と頷く。その表情はやはり嬉しそうだ。

「森野も来てもいいよ?女の子の好きそうなお店ばーっかり回るかもしれないけど、後学のためについてきても、ねえ円香。」

「え?うん。そうだね。でも疲れるかもしれないけど。」

 二人が一歩後ろを歩く森野を振り返れば、彼は「いいから、二人で楽しんできなさいよ。」と苦笑いを浮かべた。

 円香と加奈は顔を見合わせてくすくす笑う。


 無理に距離をおいたり、無理に一緒にいるんじゃなくてこういうのが新しい私達の関係なのかもしれない。


 そう思うと、加奈はずいぶん楽になった気がした。いつの間にか円香の近くにいることに頼っていたのは自分の方で、彼女から離れないといけないことに必要以上に気を張っていたのかもしれない。それに何より、寂しかった。円香と森野が付き合い始めて隙間が空いてしまったのは時間だけではなくて、むしろ心の方だったのだ。でも、本当はもっと円香のことも、森野のことも信じて良かった。先回りして気を遣わなくても、二人はちゃんと自分を受け入れてくれるし、その上で二人なりの新しい関係もちゃんと築いて行ける。教室に自分の居場所がなくなるわけじゃない。


 そんなの頭では分かっていたつもりだったんだけどな。


 加奈は笑ったまま、目の端に浮かんだ涙を笑いすぎのせいにした。

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