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ロンド  作者: 青砥緑
本編
30/64

距離-8.

 それから学校帰りに少し寄り道をするようになった。二人で過ごす時間が増えると、自然と話すことも増える。円香が走ることが本当に好きなのだということも、問題集を解くのは森野にとってほとんど趣味なのだということも、やっと言葉になって伝えられた。好きなもの、嫌いなもの。得意なこと、苦手なこと。そういうものが一つ一つ紐解かれて行く。謎が減る度に二人の距離は縮まって遠慮も少しずつ減っていった。


 夏休みの最終日、二人は学園祭の準備からの帰り道で噴水のある公園に立ち寄った。舞い上がる水しぶきが風に乗って飛んできて気持ち良い。日陰のベンチに腰掛けると夏休みも終わってしまうね、と円香が言った。

 夏休みの終りは、夢の終りのよう。休み中も毎日のように学校に通っておいておかしなものだが、授業が始まるとなるとやはり気持ちが違う。森野はずっと気になっていたことを夢が覚めてしまう前に聞きたいと思った。

「あのさ、最初に遊びに行こうって言ったときさ、どうして俺とでかけようと思ったか聞いてもいい?」

 自分が情けない顔をしていたからだろうか。当日も、その後も楽しそうにしてくれているので忘れそうになるけれど、自分ばかりが押していた関係があの日を境に少しずつ変わって来ている気がする。そうであるならば、やはり円香があの日、何を思って自分を誘ってくれたのか聞いてみたかった。

 円香は眉を寄せて何かを思い出すように「んん」と唸った。もう忘れてしまっているのかもしれない。思いつきだったのかもしれない。深い意味なんてなかったのかも。


 もしかして、この質問したこと自体、失敗か?


 眉ひとつ動かさない真面目な表情の下で森野は目まぐるしく様々な可能性を考える。ゆっくりと考え込んでいた円香は目を伏せたままで口を開いた。

「ええと。もっと森野のこと、知りたいと思って。学校以外では会ったことなかったし。何にも知らないままじゃ答えられないから。」

 そこで言葉を切って、少し言いにくそうに「告白に」と付け加える。当たり前みたいにいつも隣にいて友人のように接していても円香は森野の言葉を忘れてはいない。ちゃんと考えてくれている。答えようと努力してくれている。

「考えて、くれてんだ。」

 分かっていたものの口に出されると感動する。思ったままをぽろりとこぼすと、円香はむっとしたように森野を睨んだ。

「考えないわけ、ないでしょ。」

 それはそうだ。自分は押して押して押しまくって彼女にまとわりついていたのだから。忘れられないように。逃げられないように。

「そうだよね。ごめん。」

 失言だったと素直に謝れば、円香は目を逸らした。頬を染めて、口を尖らせた少し幼い表情は森野も初めて見る円香の顔だ。

「散々、人を悩ませて振りまわしておいて、そっちが忘れたとでもいうつもりだった?」

 言いまわしはきついが、口調はそれほどでもない。森野が本当に自分の告白を忘れているとは思っていないからだ。

「こっちがどれだけドキドキさせられていると思ってんだか。」

 頬を染めながらぼそりと続けられた言葉は、小さかったけれども隣に座っている森野にはきちんと聞きとれた。

「どうしてそういう。」

 可愛いことを不意打ちで言うんだ。森野の言葉は途中から音にならなかった。衝動的に彼が円香に口づけてしまったから。一瞬だけの、頬に触れるだけの、初めてのキス。

 あっという間に我に返って手を放した。暑さのせいだけでなく汗がどっと出た。


 うわ、焦った。どうしよう。


 もう泣きそうな思いで円香の様子を見ると、円香は驚いたように硬直して、自分の頬を片手で覆っていた。なんだか純粋に驚いているだけに見えて、良いも悪いも感情が読みとれない。

「八坂?」

 声をかけると、円香は途方に暮れた様子で森野を見た。その表情は初めてのキスに驚いているだけには見えなくて、思わず、どうしたかと問いかけてしまう。言った傍から、俺が聞くことか、それは、と自分で突っ込んで頭を抱えたくなった。

「なんか。」

 ぽつりと円香が呟く。

「変な感じ。」

「え?」

 予想外の返事に、問い返すと円香は急に頬を染めた。

「手を、繋ぐのと同じ。」

「え?」

 珍しく何を言っているのか要領を得ない。

「すごく当たり前みたいで。」

 そこまで聞いて森野の頭が一気に回転した。手を繋いだ時に、彼女はなんて言っただろう。全然違和感が無くて、無さ過ぎておかしいくらい。こうしてるのが当たり前みたいに自然で笑っちゃう、と。そう言わなかっただろうか。つまり、キスをしても手を繋ぐのと同じということは、今のも笑っちゃうくらいに自然で当たり前に感じたということだろうか。そこまで辿りついて森野は自分の頭がチーンと電子レンジみたいな音を立てて沸騰した気がした。こんなに嬉しい感想なんてありえるだろうか。

「笑っちゃう?」

 聞き返すと、円香は本当に笑った。笑いながら頷いた。

「悩んだの、馬鹿みたい。」

 森野はたまらない気持ちになって彼女を抱きしめた。もう一度、触れたいと顔を寄せると真っ赤になったまま円香は目を閉じてくれた。もう心の中を「うわあ」という意味不明の感嘆でいっぱいにして森野は今度はゆっくりと唇に唇を押しあてた。柔らかくて温かい感触に頭だけでなく全身の血が沸騰する。じゅうと音を立てて自分が溶けてしまうかと思った。離れ難く、でもこれ以上どう進めていいのか分からなくて、少しだけ口を開いて彼女の唇を吸うと、彼女が小さく声をもらして森野の唇に温かい息がかかった。

 やばい、気持ちいい。

 森野は未練たっぷりだったけれど、これ以上は危険すぎると唇を離した。腕も解いて体を離す。円香の頬は真っ赤だが、きっと自分の顔も赤いに違いない。体中が熱かった。

 何か言わなければと思うのに、あまりの衝撃に頭のねじが吹っ飛んでしまったようで何も思いつかない。彼女の体から離そうとした手がその指にひっかかって自然に指が絡んだ。円香が指をきゅっと握ってくるのを感じて彼女を見つめてしまう。

「八坂、今のって答えをもらったと思っていい?」

 期待を込めて問いかければ、円香は指をからめた腕をそっとひいた。胸と胸が触れ合うくらい近くに寄って彼女は頷いた。これで抱きしめない男がいたらお目にかかりたい。

 森野はもう一度彼女を腕に抱いて、震える声でありがとうと呟いた。自分を選んでくれて。好きになってくれて。


 ああ、やっと本当に隣に並べるようになるんだ。


 長かった一年を思い起こしながら、森野はもう絶対この距離を離すまいと円香の背中の向こうでこぶしを握った。

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