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ロンド  作者: 青砥緑
本編
29/64

距離-7.

 映画は夏休みの初めに公開されたアクション大作を観た。8月も終りに近いこの時期には比較的空いてきていて、待たずに良い席がとれたからだ。円香がホラーは苦手だと言い、森野が恋愛モノは得意ではないと言ったので選択肢が非常に狭かったせいでもある。

 それでも、鳴り物入りで公開されたハリウッド映画は期待通りに清々しい程の勧善懲悪ドラマで、居心地が悪くなるような熱い恋愛ストーリーも織り込まれてはいなかった。おかげで大音響に驚いてビクリと震えるお互いを横目に笑いながら、映画を楽しむ余裕があった。

 感想を言いあいながら映画館を一歩出れば昼日中の街は眩暈がするほどの熱気に満ちている。

「ぅあっつー。」

 映画館の冷房対策にと羽織っていた上着を鞄にしまって、円香は白い腕を日の光の下に差し出した。

「解凍される気分。」

 腕をねじって両面に日を当てる様子は魚でも焼いているようだ。

「寒かった?」

 慌てて問いかけると、円香は「ううん」と首を横に振る。

「上着も着てたし、寒いって程じゃないんだけど。冷房に長く当たってるとじわーっと冷えない?」

 今度は手をグーパーと握ったり開いたりしながら円香は森野を見上げる。靴のかかとが高い分、今日は視線を近く感じた。

「そうでもないけど。」

 釣られて森野も自分の手を眺めてグーパーと握ってみる。分かっていた通りかじかんではいない。もう一度、円香の手に視線を向けると指先まで白く見えた。指先を触れさせて確かめてみれば自分よりも冷たかった。気付かなかったな、と反省するのと、すっと腕を下げられて冷たい指が離れて行くのは同時だった。

「あ。」

 無意識に円香の指に触ってしまったことに、手が離れてから気がつく。

「ごめん。」

 咄嗟に謝れば、円香は逸らせていた視線を上げて無言で首を横に振った。触れられた指先を反対の手で握りしめている。きっと無意識だろうその仕草の意味を読み解けずに、森野は次の言葉を見つけられなくなってしまった。

「とりあえず、いこっか。」

 固まったままの森野に声をかけて円香は駅の方を示した。もう自分の指を握っていた手は解かれている。

「あ、うん。」

 今は誓って手を繋ごうとか、そんなつもりではなかったのに、触れた指先から朝から何度も押し殺した下心を見透かされたようでぎこちなくなる。機嫌を損ねてしまっただろうかと円香の横顔を盗み見ると、なぜか口元を緩めてまるで笑っているように見える。


 このくらいのことで、動揺してるって思われてるのかも。


 それはそれで情けないけれど、悪い感じの笑いではない。少なくとも嫌がられてはいない様子に細く息をついた。

「何食べようか。」

 森野を振り返った円香はやはり笑顔で、今度こそ森野はほっと胸をなで下ろした。

「カレーとか?」

 辛い物の方が冷えた体には良いだろうかと、思いつきで言ってみる。

「あー、それもいかも。でも私、なんかさっき映画で出て来たミートソースが頭に残っちゃって。あれ、美味しそうじゃなかった?」

 円香の様子は全くいつも通りだ。こうなってくると、安堵の後で円香は動揺してくれなかったのかという子供じみた感情が湧いてくる。


 少しくらい意識してほしかったな。


 半歩先を歩く円香が進む度に揺れる白い腕と指先に目を細める。どうせならもっと思いっきり握れば良かったなんて、下らない後悔まで押し寄せる。

「ちょっと、森野くーん?聞いてますかー?」

「あ、ごめん。ちょっとぼうっとしてた。」

 顔を覗きこまれて、一歩下がる。

「疲れた?」

 これでは立場が逆だ。そう思いながら森野は首を横に振る。さすがに映画一本見ただけで疲れる程やわではない。

「二時間くらい座ってられるよ。毎日学校で四倍くらい座ってるんだから。」

「それはそうだけどさ。」

 円香は口を尖らせる。

「心配してくれてありがとう。」

 森野が礼を言うと、円香は眉尻を少し下げた。困ったときや、戸惑ったときに良く見せる表情。大抵、この表情の後にはほのかな笑みを浮かべることまでセットにして森野は覚えている。仕方ないなあ、というような苦笑い。

 今日は、その苦笑いと一緒に言葉が漏れた。その言葉は少し予想と違うものだった。

「敵わないなあ。」

「え?」

 問い返すと、円香はもう一度「敵わないわあ。」と繰り返した。

「何の話?」

「こっちの話。」

 答える気が無さそうな円香の様子に、今度は森野が不服そうな表情を浮かべる。

「すっごい気になるんですけど。」

 じとりと見据えても円香は聞こえない振りで、すいすいと進んで行く。

「カレーとミートソースっていったらファミレスしか思いつかない。後は、加奈のおうちだけど、ちょっと遠いよね。」

 これは有耶無耶にする気だな、と森野は先ほどとは意味の違うため息をつく。円香はとにかく口が堅い上に、口が重い。言わないと決めたら、絶対に教えてくれないだろう。


 すっごい気になるんですけど。


 もう一度同じ言葉を胸の中だけで繰り返して森野は黙って円香の後ろをついて行った。



 結局、駅前のファミリーレストランで二人揃ってミートソース・スパゲティーを食べた。確かに映画の中で主人公が食べていたのは美味しそうだったのだ。

 ドリンクバーのおかげで長居できるレストランで二人はのんびりと、映画の感想から好きな映画や小説、メニューを眺めながら好きな食べ物の話など、取りとめも無く話し合った。学校でだって随分いろいろなことを話したと思うけれど、こうしてみると学校では授業や級友の話ばかりしていたのだと分かる。お互いのことは知らないことが多かった。

 ドリンクが四杯目になったところで、森野はテーブルの上に出されたままの円香の指先に目を止めた。白い指先。また冷えて来ているのかもしれない。

「そろそろ、外に出ようか?」

 問いかければ、円香は素直に頷いた。会計はきっちり半分ずつ。森野にはスマートに会計を済ませておくスキルはなかったし、円香はまるっきり当たり前のように自分の分を差し出した。

 表に出れば、まだまだ外は暑い。それにも関わらず円香がふらふらと日の当たる場所へ向かっていくのを追いかけながら森野はにっと笑みを浮かべる。


 今度は、指先が触れたくらいでびびったりしない。何気に今日、ずっと主導権取られっぱなしだし。


 円香が手を日にかざそうとすると、森野はひょいとその白い手をすくい上げるようにして掴んだ。やはり自分より随分冷たく感じる。

「冷えた?」

 手を掴んだまま問いかけると、円香はきょとんとした様子で森野を見返してきた。二、三度瞬きをしてからやっと言葉が頭に届いたらしい。

「あ、うん。」

 それから森野に掴まれた手を見下ろして、ふっと小さく吹きだした。そのままくすくすと笑っている。

「えーと、何がおかしかったのか教えてもらえますか。」

 かなり意を決して手を繋いだというのにそれを笑われると、かなり恥ずかしい。ところが笑った側の円香の方が「いや、ちょっと恥ずかしい」とほんのり頬を染めた。

「なんか、全然違和感が無くて、無さ過ぎておかしいくらい。こうしてるのが当たり前みたいに自然で笑っちゃったというか。緊張しただけ損みたいな。気が抜けたのかな。」

 明晰と言われる森野の頭脳をもってして珍しく早口になった円香の言葉を咀嚼するのに少し時間がかかった。こうしているのが当たり前というのは、手を繋いでいる状態を指しているのだろうから、これはすごく嬉しいことだ。今日初めてデートらしいデートにきたというのに、手を繋いでいるのが当たり前なんて。これが殺し文句でなくてなんだ。思わず握った手に力が入ったのも仕方ないことだろう。掌の中に細い手の感触がなければ、もっと思い切り握りしめていたはずだ。

 それから、時間差で後半の言葉が沁みいってくる。

 緊張しただけ損、ということは。

「え、緊張してたの?どの辺が?」

 驚きそのままに細い目を精いっぱい見開いて聞き返すと、円香は今度こそ真っ赤になった。

「してたの!」

 そう言いながらも円香は握られた手を引こうとはしない。森野は高速で今朝会ってからの円香の様子を思い返す。

 やっぱりどこが緊張してたのか、さっぱり分からない。

「全然、気がつかなかった。」

 むしろ、あんまり普通に振る舞われるので悔しくなった程だったのに。森野の心の声まで聞こえたように円香は言い返してきた。

「私、感情が顔に出にくいのよ。」

「俺、八坂は気持ちを隠すのが上手なんだと思ってた。」

 二人は何とも言えない表情でまじまじと見つめあった。近くにいても言葉に出すまでは分からないことというのはあるものだ。

 往来で手をつないだまま見つめ合っているのは、(いささ)か目立つ。通りかかった中学生達に囃したてられて二人ははっとして手を離した。

「少し、歩こうか。」

 森野が促すと、円香は俯き加減についてくる。


 自分ばっかり緊張してるのかと思ってた。これって少しは意識してもらっているということだよね。


 告白までしておいて、ちっとも意識されていなければ、それはそれは悲しいことだが、とにかく気にかけてもらっていると改めて確認できると嬉しい。もう一度手を繋ぐ勇気はどうしても出なかったけれど、二人はそのまま並んでぶらぶらと歩き回って別れた。人生初デートと思えば十分に及第点だった。

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