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ロンド  作者: 青砥緑
本編
21/64

怪我の功名-5.

 学校の敷地を出るころには森野の中で行き先は決まっていたようで、彼は迷わずバス停に向かった。そこで、あえて学校から遠回りして駅に向かうバスに乗り、市民ホールで下りる。学校からは離れているので鈴鳥高校の生徒の姿はない。行き先は市民ホールの建物の一階にある喫茶店だった。コーヒー一杯に500円もする喫茶店は高校生が入るようなものではないけれど、知り合いに会いたくない時にはうってつけだ。

 ガラガラに空いている喫茶店で、大きなガラス張りの前に並ぶ二人掛けのテーブルを避けて日の当らない隅にあるL字型のソファ席に座る。そもそも高校生なんて滅多にやってこない喫茶店で、さらには薄暗い隅を選ぶ彼らは不自然だ。しかし円香が松葉杖をソファに立てかけると、彼らが隅に座る理由が与えられ、途端にそれは自然になった。

「アイスティー」

「メロンソーダ」

 喫茶店の中は冷房が利いていてるものの、蒸し暑い外から入って来て急にホットコーヒーなど頼む気にはなれない。

「メロンソーダ好きなの?」

 森野の言葉に円香は素直に頷いた。高校生にもなって子供っぽいかもしれない。幼いとか可愛いというキャラクターじゃない自分には似合わない。分かってはいるが好きなものは好きなのだ。円香は恥ずかしさを誤魔化すようにメニューの写真を示して説明する。

「このね、ソーダとアイスクリームの境目のとこね、ちょっと待ってるとシャクシャクになるでしょ?そこが好きなの。あと、色。このどぎつい緑が病みつき。」

 森野はどぎつい緑のところで小さく吹きだした。

「きれいな色だよね。人工的だけど。」

「とってもね。」

 短い沈黙。

 話すべきことがあるのに、それを避けているからどうしても話が続かない。彼が寄り道をしてくれたのは彼自身のためと言うよりも、先ほどのことで自分が落ち込んでいると思って気を遣ってくれたからに間違いない。送り迎えをしてもらっていると嫌というほど良く分かる。森野は優しい。気遣われていることに気が付けないくらい自然に手を差し出してくれる。甘えそうになって、頼り切りそうになって、円香はそれが怖いと思っていた。

 森野が何と切り出すか考えたくなくて、円香は視線を窓から差し込む強い光に移した。斜めに降り注ぐ光のラインが白く浮きたって見える。くっきりと切り取られる光と影のコントラストに夏だなと思った。

「八坂。」

「うん。」

 円香は視線をふわふわと舞う小さな光の粒から逸らさないまま答えた。

「もう一回聞くけど、本当に大丈夫?」

 真摯な問いかけに、また泣きそうになって円香は慌ててそれを堪える。

「平気。」

「嘘は禁止で。」

 断固とした声にやっと森野に視線を戻すと、彼は真剣な表情で円香を見ていた。

「あんなむかつくこと言われて、平気なんてことありえないでしょ。」

 言ってしまえ、と彼の目が言う。

「知ってると思うけど、色々あったし。随分慣れたよ。いちいち気にしてられないし。言いたい人には言わせておく。」

 円香が目を伏せて返す。見つめていたら、言わないでおこうと思ったことを口にしてしまいそうだった。

「慣れちゃった?」

 ぽつりと問い返される。円香が笑って頷けば、森野の方が眉を下げた。

「あんなことに慣れないでほしいんだけど。」

 森野は身を乗り出し円香を覗きこむようにする。

「傷つけられることになんか、慣れたら駄目だよ。」

 円香は喉がぐっと詰まってテーブルの下で両手の拳を握った。そっと息を吐きだしながら呼吸を整える。力の無い笑いが漏れた。

「もう。泣かせようとしてるわけ?」

「ううん、優しくしようと思ってるだけ。」

 冗談めかして言い返せば、笑顔で爆弾を投下される。


 なんで急にそんな気障ったらしいことを言うの。キャラが違うじゃない、キャラが。


 思わぬ甘い言葉に動揺して、本音が漏れる。

「森野が優しいのはもう分かっているってば。」

 円香は片手で目を覆いながら小さな声で呟いた。低くピアノ曲の流れる静かな店内で、その声は斜め前に腰掛ける級友の耳にだけ届けられる。目を覆ったままの円香には見えなかったけれど、彼は俯いて長い前髪の下で頬を染めて微笑んだ。

 俯いたせいで流れた髪の隙間からのぞく円香の耳もほんのり赤い。森野はそれを見ながらいつもの調子で声をかけた。

「八坂は、抱え込み過ぎ。たまには弱音吐いたり、文句言ったりするの普通だから。目黒も心配してる。」

 円香は俯いたまま、ぼそぼそと言い返した。

「そういうことすると、歯止めが効かなくなる気がするから。言ってはいけないことまで、言ってしまいそうじゃない。」

「言ってはいけないこと、なんて思うの?」

 少し面白がるように森野は尋ねてきた。ぜひ聞きたいな、という口元は笑っていて、何を想像されているのだろうと円香は少しだけ不思議に思った。

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