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ロンド  作者: 青砥緑
本編
2/64

神様の意地悪-2.

 ちょうど一年前。

 まだ夕方に吹く風が肌に冷たい春の日。白く丸い花びらが舞うグラウンドで、円香はとても美しいものをみつけた。




 練習する陸上部員の中で一人、草原を駆ける獣のようにしなやかに走る少年。華奢な体つきと春先にも関わらず綺麗に日焼けした肌は周りにいる生徒より彼を幼くみせていたけれど、それよりも彼のフォームが際立って目を引いた。びりりと背筋を何かが駆け抜ける。円香は彼が走り止めるまで彼から目を逸らすことができなかった。そして、彼が走り終えたところで自分が感動したのだとようやく理解した。


 彼の動きは動物としての人間の体に最初から備わっている「走る」という機能に極限までの力を集中させた本能のままのもののように思えた。洗練された迷いのない姿。それは本当に、ただ美しかった。


 中学時代も陸上部だった円香は、入学前から高校でも陸上部に入るつもりでいた。あの日、グランドに立ち寄ったのは入部届けを出す前に、念のために練習の様子を確かめるため。他の部員の練習の様子も問題はないようだったし、なんといってもあの少年のことを近くで見たい。僅かな迷いは吹き飛び、円香は入部を決意した。

 彼女の入部届けは無事に受理され、翌日には部員に紹介されて温かい歓迎を受けた。そこで、前日に見惚れた少年が小松陽太という同級生であることに初めて気がついた。入学して間もなく、まだ全ての同級生の顔も覚えていなかったのだ。それを申し訳なくも思ったけれど、それ以上に彼が予想以上に身近な存在であったことに円香の心は浮き立った。

 円香は中学の頃から中長距離を専門にしてきたのに対して、陽太は短距離の選手だった。引き続き長距離を志望した円香とは同じ陸上部でもパート練になると練習は別れる。練習の休憩時間に気がつくと陽太を目で追っていた。彼の走りには、どうしても惹きつけられる。同じ陸上選手として、ときめくくらいに憧れた。


 走っている時の彼は野生の獣のように研ぎ澄まされて輝いているけれど、同学年の仲間として練習後に話す時には陽太は明るくてやんちゃな普通の15歳の少年であった。昔から口数が少なく落ち着いた性格の円香からしてみれば、子供っぽく見えるくらいに普通の。

 嬉しい時には嬉しい、楽しい時には楽しいと屈託なくはしゃいでみせる。同じ一年生の部員で同じクラスは二人きりだったせいか、男子と女子ではライバルにならないせいか、特に円香に対して遠慮が無かった。


「円香!見てみて!タイム上がったぜ。」

「ちょっと飛びかからないでよ、重いから。」

 背後から円香の両肩に手を置いてずしりと体重をかけてきた陽太を睨んで両手を振りほどいても、陽太は懲りずににひひと笑っていた。

「ほら見て。」

 彼が突き出したシートには入学以来の最高タイムが記されている。

「おー、凄い。」

 パチパチと、しかし無感動そうに円香が手を叩くと陽太はむっと口の端を下げた。

「感動が薄いなあ。クラスメイト兼チームメイトだろ。相棒だろ。」

 相棒というのは陽太が勝手に言い出したことだが、いつの間にかすっかり定着していた。授業が同じタイミングで終わるために部活に出てくるときはいつも一緒なのも一因であっただろうし、はしゃぐ陽太と、それを窘める円香の会話が親子のように自然だったからかもしれない。

「そんなこと言ったって、これ以上どうしろと。」

 呆れて顔を上げると、陽太は「そうだなあ」と考えてから「お祝いに肉まんとか?」とねだってきた。高校生はいつだってお腹をすかせている。

「陽太、肉まんって。もう暑いだろ。」

 横から他のチームメイトに突っ込まれれば、「そうかな。俺コンビニの肉まん好きなんだけど。もうないっけ?」などと聞いて回っている。

「タイムが上がる度におごるときりがないから、お金のかかるものはやめよ。却下します。」

 実際、高校で初めて本格的な指導を受ける一年生は練習の度に結果が良くなっていくものがほとんどだ。

「ええー。」

 陽太は不満そうに叫ぶので、円香は代わりのお祝いを考えた。好意を向ければ素直に喜んでくれる陽太にはつい甘くなる。

「古典のノート貸してあげようか。」

 古典の授業はとにかく予習に時間がかかる。毎回きちんとこなしている円香は自分のノートにそれなりに自信があったし、同じクラスになって一カ月以上を経た陽太もそれは分かっていた。

「まじで?今どこまで予習やってあんの?」

「源氏物語の垣間見のところまで」

 うおっと目を丸くして他の一年生も叫んだ。それはちょうど今学習している部分の次の章で、自転車操業でやりくりしている生徒には夢のまた夢のエリアだった。

「アリアリ。肉まんよりそっちがいい。」

 陽太はさっさとノートに切り替えて「やったー」と拳を握っている。

「いいなあ。円香、今度俺が自己ベスト出したら俺にも貸して!」

 円香がこっくり頷くと、急に士気の上がった部員たちは次の記録会は頑張るぞと雄たけびと歓声をあげた。



 中学を出る頃、円香は自分がこんな風にすぐに高校で部になじめるとは思っていなかった。

 昔から笑顔が得意ではなく、口数も少ない。しかも未だに人見知りする上に、人とつるむのも苦手。つまりは友達のできにくいタイプだ。やや釣目気味のきつい顔立ちも相まって、入学当初の円香は同じ年頃の友人からすれば少し怖い存在に見えたに違いない。中学校でもなじむのに半年以上かかったものだ。

 しかし、陽太は最初から唯一のクラスメイト兼チームメイトだと遠慮なく話しかけ笑いかけてくれた。さらには相棒だとまで言ってくれる。憧れている相手にそう言われて嫌な気がするはずはない。円香は自然と陽太に心を開いて話すようになり親しくなった。そうして陽太と一緒にいれば明るい彼を通して円香にも少しずつ友人が増えていく。高校一年生の春は賑やかに、穏やかに過ぎていった。

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