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ロンド  作者: 青砥緑
本編
16/64

反転-8.

 静かな保健室に飛び込んできたのは養護教諭でも委員長でもなく、荷物を抱えた加奈だった。

「円香!階段から落ちたって聞いたわよ。大丈夫なの?」

 飛び込んでくると、黒江には目もくれずに円香のベッドに駆け寄る。

「加奈あ、ごめん。ありがと。足捻っちゃったよ。」

 円香はまた笑って軽く足を示して見せた。今度は先ほどより余程上手にやれた気がする。

「もう。気をつけなさいよ。この格好のまま病院行くの?着替える?制服持って行くなら何か袋貰わないとね。」

 加奈は母親のように円香の世話を焼いた。その合間に円香の手をしっかりと握り励ますことも忘れない。

「捻挫くらいで済んだからいいけど、たかが十段くらいでも大怪我するときはするんだから。」

 分かっていますと円香は反省の言葉を口にする。こうやって普通に加奈と会話をしていると、それがどんどん真実になっていくような気がする。気が軽くなる。

 気の置けない友人との会話に夢中になっていると、不意に黒江から声をかけられた。

「八坂。俺、もう戻るな。」

 円香が何を答える前に、目の前で加奈が文字通り飛び上がった。思わずそちらに目が行ってしまう。

「うっわ。びっくりした。」

 丸い目が飛び出すくらい遠慮なく目を剥いてふくよかな胸に両手を当てる。芝居がかったような仕草がおかしくてつい吹き出した。ずっと仏頂面だった黒江もさすがに笑っていた。きっと加奈は円香のことに気を取られすぎて静かに立っている黒江のことなど目に入っていなかったのだろう。

「ふふ。加奈、驚きすぎ。黒江君、最初からいたよ。」

 そう言うと、思った通りの返事が返ってきた。

「え、そうだっけ。ごめん。円香のことしか目に入って無かったわ。」

 それから加奈は改めて黒江に向き直って、格好良く手を上げた。

「うん、あとは私がついてるから大丈夫よ。」

「悪いな。よろしく頼む。」

 黒江の言葉に、加奈は人差し指と親指で丸を作って見せると「オッケー」と軽く返した。

「黒江君、ありがとね。」

 円香が声をかけると、黒江は無言で首を横に振って保健室を去っていった。


 黒江が去って、上履きの音が遠くなってから加奈はベッドの脇に椅子を引きずってきて腰を下ろした。

「災難だったね。」

 加奈は先ほどまでのコミカルな表情は捨てて、静かで少し悲しそうな面持ちをしている。

「黒江君に抱えられていったって廊下走りながら聞いてたのに、本人に気がつくまで頭から吹っ飛んでたわ。」

 円香はその言葉に加奈の言う「災難」の意味を理解する。黒江がお姫様抱っこで保健室まで連れて行ったなんて、明日には学校中の噂になるだろう。上級生には、まだ去年の噂を覚えているものも多い。また円香の名を聞けば、今度は何を言われるか知れたものではなかった。

「ごめんね。」

 円香が何か言う前に加奈がぽつりと呟いた。

「なんで?」

 彼女が何を謝る必要があるだろう。円香が聞き返すと加奈はもう一度謝った。

「黒江君でも眺めておけばいいなんて、無責任なこと言ってごめん。」

 ああ、そのことか。円香はゆるりと微笑む。

「そんなの加奈が謝ることじゃないでしょ。半分くらい冗談だったんだし、私もそのつもりだったもん。実のところ、あの作戦は実行してないよ。」

 円香の答えに加奈は、ふふ、と声を立てた。

「うん。知ってる。」

 それから真顔に戻って更に一度、謝罪の言葉を繰り返した。

「それでも、間違いだったと思うから。取り消させて。他のものに目を向けた方がいいのはそうだと思うけど。このことで、また何かあったらいい加減なことを言ったことの罰なんじゃないかと思って。それなら、言いだした私に当たればいいのにね。」

 今日のことが、明日にはどう伝わって、これから何が起きるのか。それは円香も心配で、同時に分からないことだ。それでも、円香を励ますつもりで加奈が言ってくれたことのせいで罰が当たるなんて思わない。好きになったりはしていないけれど、彼らと忙しくしていたおかげで陽太のことを考える時間が減っていたのは事実だから、加奈が提案は当たりといえば当たりだったわけだし。

「気にしないでいいのに。今日はたまたま委員会帰りに階段から落っこちて、足捻って、近くにいたから黒江君が運んでくれただけだよ。これで、彼に惚れちゃえたら良かったのかなあ。そしたらやっかまれてもまだ納得いくし。」

 冗談めかして答えれば、加奈は首を横に振った。

「また悪い癖が出た。この強がり。」

 加奈は目を少し赤くして円香を睨んだが、しばらく無言が続くと諦めたように軽く息を吐いた。もう、と呟いたあとの声の調子はすっかり変わっている。いつも教室で話し合うような明るいトーンで一気にまくしたててくる。

「良くないわよ。黒江ファンの総スカン食うわよ。それに、あの王子様があんたに惚れてくれなきゃ、どうしょうもないじゃない。」

 深刻にならないで欲しいと思った円香の思いを汲むように答えてくれた加奈に感謝しながら、円香は話を合わせた。

「確かに。近くにいたから運んだだけだもんね。」

 円香はくすくすと笑って「じゃあ、惚れなくて正解だったね。」と続ける。加奈も「そうよ。」としたり顔で頷く。こうやって明るくしていれば、それが本当になる。そう信じるように二人は悲しい顔はしないで話し続けた。


 やがて廊下からパタパタと明らかに生徒の上履きとは違うスリッパの音が聞こえてきた。

「お待たせ、八坂さん。ああ、良かった。荷物も届いたわね。裏に車を回してきたわ。市民病院に行きましょう。」

 養護教諭は加奈に荷物持ちを頼みながら、自分は円香を支えて保健室傍の裏口の目の前に止めた軽自動車へ連れて行く。

「加奈。付き添いはいいよ。今日もバイトでしょ?」

 ついてきそうになっている加奈を円香が押しとどめる。

「でも、頭でも打ってたらどうすんの。」

「そしたら入院するか、親に迎えにきてもらうよー。大丈夫だって。」

「先生がおうちまでちゃんと送るわよ。」

 押し問答する二人を見兼ねて、養護教諭も口を挟んでくる。二対一の構図になったのを察した加奈は諦めて一歩下がった。

「じゃあ、おうちに帰ったらメールしてね。来なかったら心配で眠れなくなるから。」

 自分の睡眠を盾に取った変な脅し文句で加奈が円香を見送る。

「オッケー。ありがとうね。」

 円香は小さな車の後部座席で体を折り曲げて外に立つ友人に手を振って見せた。

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