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ロンド  作者: 青砥緑
本編
14/64

反転-6.

 一日の最後に体育の授業があるというのは、良いようで悪い。途中に体育があると前後の授業の移動が慌ただしくて辛いが、最後にあるとどうも気が抜けてしまって、その後の片付けと着替えに異常に時間がかかる。まして季節が蒸し暑い梅雨の最中となるとやる気の出無さ加減は半端なものではない。

 円香は6時限目の体育を終えるとジャージ姿のまま、呼び出しを受けていた2-Aの教室へ向かっていた。授業で使った体育館にモップがけをしていたから遅くなって着替える暇が無くなってしまった。一段飛ばしで階段を駆け上がる。

「遅くなりました。」

 息を弾ませて駆けこむと数名の委員が振り返った。いつもの委員長と黒江の他に副委員長と書記、会計という役付きの面々も揃っている。

「おー、ジャージ姿珍しい。」

 委員長は笑って「体育?」と聞きながら数枚のプリントを渡してくれた。

「これ、こないだ言ってた奴の資料ね。」

 60人も集まると何も決まらない、と言って委員長は全委員を招集する回数を最小限にしている。その分、主要なメンバーだけを何度も集めて話をするのだが、これに役付きでもないのに年中呼ばれていることが、円香がやっかまれる原因の一つでもあるらしい。折角、黒江や委員長とお近づきになれるチャンスだと思っていた一年生達には確かに歯がゆいのかもしれない。


 さっきも廊下にいたんだよな。これが終わるまで待っている気かな。


 駆けこんでくるときに目の端に捉えた女子生徒の顔を思い出して、円香は小さくため息をつく。黒江の出待ちらしい生徒の前を黒江より先に通ると居心地の悪い視線に晒されることになる。悪い場合は先日のように絡まれもする。面倒なので今日は黒江に先に帰ってもらいたい。

 鬱々としている間にも打ち合わせは進む。

「黒江と八坂さんはもういいよ。お疲れさん。会計ちゃんはちょっと残ってほしいかなー。」

 委員長の言葉に黒江と円香は揃って立ち上がる。このままさっさと黒江が出て行ってくれないかと密かに様子を窺うと、彼はこれから帰り支度をするらしい。ペンケースとファイルを抱えれば準備完了の自分の方が明らかに先に出られてしまう。この教室では打ち合わせを続けるようだから、黒江に雑談を持ちかけるのも気が引ける。

「どうかしたか?」

 円香の視線に気がついたのか、黒江が鞄に教科書を押し込みながら尋ねてくる。

「ううん。なんでも。さっき廊下に黒江君の出待ちの女子がいたなと思っただけ。」

「出待ち?」

 疑問形ながらも何を指しているかは分かるらしい。黒江はちょっと顔を顰めた。

「俺が先に通れば、煩いのがいなくなると思ってるだろう?」

 黒江の姿を一目見ようと彼の通り道に無駄にたむろする女子生徒は良く見かける光景だ。そういう行動に出るのは特に一年生の女子に多い。姿を見れば満足らしく「さようなら」と挨拶でもできようものなら大騒ぎだ。黒江自身もそういう生徒がいることには気が付いているが、向こうが何かを言う前から、僕を待たないでください、というのは勇気のいる話ではある。ついて来たりするようならば、はっきり断るが待ち伏せの末に帰りの挨拶をするだけの生徒を防ぐ方法がない。

「いや、あはは。」

 図星をつかれて笑ってごまかしながら、円香は仕方なく教室を出た。彼を盾にしたいとはなかなか言い出せない。とりあえずジャージから着替えなければと自分の教室に背を向けて階段へ向かう。思った通り昇降口に向かう階段の周りには黒江待ちの女子生徒が数名たむろしていた。


「あ、終わったみたいよ。」

 円香の姿を見て囁き合う。

「先輩まだかな。」

 ひそひそ、きゃっきゃと笑いあう女子生徒をなるべく視界に入れないように俯きながら階段を下りようとしたところで、急に背後に人の気配を感じ、円香は一歩横に避けようとした。


 ぐらり。

 背中に何かが当たる感触の後で視界が回転して天井が見えた。そのままぐんぐんとそれは遠くなる。空中で体をよじる間もなく背中を強打した。頭はかろうじて腕で守ったが、そのまま何度か体が弾んで踊り場に叩きつけられてようやく止まった。

 キャアと叫ぶ甲高い声やざわつく生徒達の声が聞こえる。

 息が詰まるほど打った背中が痛い。咳き込むと今度は左足が酷く痛んだ。蹲って咳が落ち着くまでただ耐える。転がったままでいるせいで床の冷たさがジャージ越しに伝わってくる。

「八坂!」

 一際大きな声を上げた生徒が階段を駆け下りてきた。蹲ったままの円香の視界に自分と同じ色の上履きが見えた。大きな足と黒い制服の裾。

「おい、大丈夫か。」

 そっと肩に手をおいて顔を覗きこんできたのか先ほど教室で別れたばかりの黒江だった。

「頭打ってないか。吐き気は?」

 矢継ぎ早に質問しながらも、体を乱暴に揺すったりはしない。もし頭でも打っていれば動かさない方がいいからだ。冷静なんだな、と円香は頭の隅でそんなことを思う自分も冷静だと思った。どこか、こんな目にいつか遭うかもしれないという予感があったからかもしれない。

「平気。」

 円香が涙目ながら小さく返事を返して頷いてみせれば、彼はほっとしたように息をついて目を少しだけ和ませた。

「痛いところは?」

 あちこち打ったから体中痛い。円香は顔を顰めつつ手足を順番に動かしてみた。

「いっ。」

 思わずうめき声を上げたのはやはり左足のせいで、足首が痛む。

「捻ったか。」

 様子をみていた黒江は一つ頷くと、円香の脇の下と膝裏に腕を差し込んだ。

「わ、待って待って。歩けるし。歩けるし。」

「うるさい。」

 円香が慌てて止めるものの、黒江は聞かずに立ち上がってしまう。様子を窺っていた周囲から先ほどとは違うざわめきが起きた。

 お姫様抱っこ。

 円香は痛みも忘れて、この状況をどう切り抜けたものかと思案したが目を瞑って野次馬から目を逸らす以外の手立ては思いつかなかった。

「何アレ?」

 棘のある女子生徒の声は、嫌でも耳に入る。黒江にも聞こえたのだろう、小さく舌打ちする音がした。

「向井。荷物頼むな。」

 目を閉じたままの円香には見えなかったが、同じく教室に残っていたはずの委員長が廊下に出て来ていたようだ。黒江は置き去りにしてしまった自分の鞄と、それから階段にばら撒かれたままの円香の荷物の回収を頼むと早足に人だかりを抜けていった。

 すぐに周囲が静かになる気配に、人気の少ない廊下を選んでくれたのだと思い当る。

「も、もういいよ。歩けるって。」

 そっと彼の服を掴んで話しかけても、黒江は難しい顔のまま立ち止ってくれない。

「下ろしてよ。」

 彼はちらっとだけ円香を見下ろしたものの「保健室についたら下ろす。」と言って結局言うことを聞いてはくれなかった。

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