年課
その日は、特別な日だった。
高校を卒業してもう十年ほどたったであろうか、その日は高校の卒業生が集まることになっていた。
その日は特別な日だった。
高校生の頃は、軽音部に所属していた。いつか放送していたアニメを見て、自分にもできるはずだ、と思った。それだけの理由でギターを始めようと思った。
貴志は、それまでの人生、挫折という言葉とは一切無縁の人生を送ってきた。母が大学教授、父が医者というエリート家系に生まれた貴志は、私立U大学付属幼稚園に入園後、そのままエスカレータのように付属中学と高校に進学し、そして大学に入学、の予定だった。
人生とは、なんて脆いものなのだろうか。
母親が務めていた大学が、経営上の問題を起こし、その余波として大規模リストラが行われた。仕事一筋で生きていた母親もまた、失敗とは無縁の人生を歩んできた。その人生が、こんなにも簡単に崩れようとは思わなかったであろう。
職を失ったのなら、再就職すればよいのではないか。当時、周りの親戚たちは口をそろえてそう言った。しかし、それはどこまでも他人事に過ぎない。事件や事象は、本当のところなんて当事者にしかわからないし、ましてや何も知らない人たちになど、勝手なことを言われては頭に来るのは当然だ。
母親は狂った。狂ってしまった、狂わされてしまった。自分だけではなく、自分の積み重ねてきた、もしかすると自分自身よりも大切な、自分の人生を。
死因は一酸化炭素中毒だった。
その日は特別な日だった。
父親は、昔から貴志には無干渉、無感情、無表情であった。定期テストで周りの友達よりもいい成績を残した時、父親に自慢したことがあった。
「それがどうした。何を自慢することがあるのか。仕事の邪魔だ」
その一言だった。
貴志は、このことを今でもよく覚えている。それはそうだ、小さいころの記憶は曖昧な部分が大半を占めるかもしれないが、衝撃的な出来事は忘れないし、忘れたくても忘れられない。
その父親が、大学病院での手術ミスの責任を問われることとなったのは、そんなに昔の話ではない。勤め先を追われる形で退職した父親もまた、エリート家系に生まれたエリート中のエリートだった。もしかしたら、それまで失敗という言葉すら知らなかったのではないだろうか、何故なら、そんな言葉に出会う機会など皆無なのだから。
しかし、人は期せずして運命の人に出会ってしまうように、父もまた「失敗」という運命の相手に出会ったしまった。
高校三年生の貴志は、すでに私立U大学への推薦が決定していた。特に何をするでもない。本当に何もしていない。ただ惰性で、毎日を意味もなく過ごしていただけだ。
夏休みに、友人宅に泊まった後、家に帰った時、父親は貴志のことを出迎えてくれた。家に入った時、一瞬誰かと思った。休日に二人そろって家にいるときにも、一言も言葉を交わすことはなかった二人であったため、自らの家に自分以外の人の気配を感じることは、貴志にとって珍しい話だった。
しかし、出迎えた父は、父でありながら父ではなかった。
文字通り、地に足をつけていない父の、苦しみに悶えた顔から、目玉が飛び出しそうになったいる。舌は力なく口から垂れ下がって、まるで幼い子が大人を驚かすような、そんな、地獄絵図だった。
貴志にとって、その日は特別な日だった。
貴志は壊れた。壊れに壊れた。これでもかというほどに。学校には行かなくなり、昼間は自分の家に引きこもり、動画サイトとともに過ごした。夜は外に出て、そのまま朝までゲームセンターに居座った。
次第に貴志の周りからは、人がいなくなった。どうしようもないほど独りになった。孤独になった。孤独とは悲しいもので、今まで努力しなくても周りに人が集まったほどの人物には、それはそれは耐えられなかったであろう。
貴志にはもう何の感情も抱けないような、高校三年間の集大成とも言えるであろう卒業式が行われた後、最後のクラスで担任の授業を受けようという企画が持ち上がった。貴志の三年生時の担任も御年六十を迎えるということで、退任する予定になっていた。これはいい機会だと考えたクラスメートたちは、最後に担任の授業を受けたいということで、三年F組の教室に集まった。彼らが貴志をその規格に誘うか迷ったことは想像に難くないが、ここは小学生から、長いものだと幼稚園からともに同じ学び舎で過ごしてきた人を蔑ろにはできなかったのであろう、その企画にも呼ぶことを決めた。
この決断が、あのような事件を生むとは知らずに。
授業は午後七時から行われた。教室に入った時点で涙ぐんでいる生徒も沢山いた。日常生活では乱暴をふるったり悪さばかり働いていたガキ大将も、その日だけは目を赤くはらしていた。
学校には、その教室にだけ電灯が灯されていた。その他学校関係者はすでに校舎からは出ていた。雰囲気は整っていた。
其れ故、気付かなかった。誰も気付くことはなかった。斧を片手にした一人の男子学生が、学校の裏の門のカギを壊して、校内に入っていたことなど。
その日は、三年F組にとって、特別な日だった。
死亡者は、高校生とも大学生ともいえぬ、その曖昧な時期に生きていた四十三人の男女と、見た目より年を取った男性の、合わせて四十四人だった。現場発見者はいなかった。一人の男子高校生が、全身を血で赤く染めて、校門から出てきた。近くに住む五十五歳の主婦がその少年を発見、保護した。後に、その主婦は事実に驚愕することになる。
少年、いやもう青年と呼んでいいだろう。彼には、この出来事に関する一切の記憶が無い。記憶喪失の一種なのだろうか、専門家の意見は今でも分かれるところだが。
今年もこの時期のこの日になると、少年もとい青年は必ず廃校となった校舎の四階、南側から数えて六つめの教室に行きたいと言う。そこにはすでに机や椅子は一つも存在しない。しかし、毎回一人でその場所に行きたがる。
誰もいない教室の真ん中で青年は座る。
もう誰も来ない、いや、もう来ない、その日を待って。
小説はほとんど書いたことが無いので、色々な批評を聞きたいです。