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無機物的オブジクト  作者: 三谷尾だま
【結果および考察】
41/43

【考察】2

*このページは盛大にネタバレしています。偶然このページを開いた方はお気を付け下さい。




「セックも来ているよね?」返事を聞くより早く、ラ・コスタはシッティングルームへ入っていく。

「来ていますよ」

 あとを追いかけて、ようやく部屋の中へ入った。

「おいで、セック」

 ルニエに甘えていたセックが声を聞きつけて、嬉しそうに立ち上がる。

「ダッド~」彼はソウファの背を乗り越えて抱き付いてきた彼女を抱き締め、頭を撫でた。

 ダッド? 背後から殴られたみたいな衝撃を受けた気がし、思わず横にいたクワーントロウを見つめるが彼はにこにこしている。

「えへへ、サーフ、僕の娘。可愛いでしょ?」嬉しそうにラ・コスタが言った。

「ちょ、ちょっと、この子がルニエの娘なのは、まあ良いとして、ルニエの夫は先生でしょう?」

 自分の子どもだと言い出した彼に、あたふたと修繕できそうな質問を投げかける。

「なにを言ってるの? 先生って、僕のことじゃない」

「いや、先生じゃなくて、ラ・コスタじゃないほうの……って、あっちもラ・コスタか!」


 あれ? 頭の中がグルグルしてくる。なにもかもが一度に押し寄せてきた感じだ。とりあえず一つずつ片付けようとする。

「えっと、ルニエ! まず、ルニエの夫が先生ですよね」

「ええ」

 ここまでは大丈夫。

「ラ・コスタは、その弟」次いでラ・コスタを指差す。

「違うって、ルニエの夫の先生が僕だってば!」

「はあ? じゃあ先生は夫じゃないというんですか?」

「だーかーら、その先生っていうのが僕のことなんじゃないのー?」必死の表情をして彼は訴えていた。

 先生がラ・コスタ?

 彼がなにを言っているのかが理解できない。セックはきょとんとした表情で、じっと事態を見守っていた。

「ああ、解ったわ! サーフは昔のわたしと同じ勘違いをしているのよ」突然、ルニエが言うと、ラ・コスタは納得したのか頷く。

「だから僕への態度が違っていたのか……! 何であんなに嫌がっていたのに、満月の日だけ『先生』って呼んでくれるのかと思っていたよ」

 満月の日の先生? いままでの記憶が逆流する。彼は、次はいつ帰ってくるのかを私が問うと、こう答えた。毎日帰ってくるよ、と。二人を同時に見たことはない。

「お前はラ・コスタだろ? 誕生日は 三 月 (ターティリス)六日の」まだ納得できない私は引き下がらなかった。

「三月六日生まれのラ・コスタは、僕じゃないよ、サーフ。あの写真は僕じゃなくて、ラ・コスタ」

 彼の台詞が私と先生の会話を前提にした続きであることは、私自身がよく解っていた。しかし、随分とまえのことだから、話を聞いていた可能性も捨てるわけにはいくまい。

「……と言っても、ラ・コスタに会ったことがない君に、僕と彼の違いは解らないか」

 言い返そうとしていると、返ってきたのはとんでもない一言だった。

「……え?」

「わたしも先生とジェイにしか会ったことがないわ」便乗してルニエも付け加えてくる。

「……サーフは、僕が多重人格だって知っているよね? ラ・コスタは引きこもりの主人格だよ。まえにも少し説明したけど、副人格はいまのところ二人、管理人キーパのケイと間繋ぎ(ジョイント)のジェイ。普段のラ・コスタは僕」

 言われてみれば、聞いた。

 ラ・コスタの中には複数の人格がある、と。彼は、ジェイと二人だけだとは言わなかった。稀に自分のことを『僕』ではなく『ラ・コスタ』と呼んでいたのは、『ラ・コスタ』という人格のことを指していたのだ。

 そしてルニエが好きなのは、ラ・コスタはラ・コスタでも、ラ・コスタの中にいる先生の人格なのだ。

 その違いに気付かなかった私は、すっかり別の二人がいるものだと思い込んでいた。最終的に中身が似ていると結論付けたものの、まさか大人と子どもの姿をしている同一人物がいるなどと思えるはずもない。

「いまでこそ僕がずっと表に出ているけど、あの写真は、まだラ・コスタがラ・コスタだったころのものだよ。どういう訳か、僕やジェイが出ているときは写真に写らない」


「じゃあ、ルニエの部屋にある写真は?」

 ずっと聞きたかったのに聞けなかったことを、ついに言ってしまった。ルニエがあのフレイムを伏せた理由が、どうしても知りたかったのだ。

「やだ、見たの? あの写真は……」ルニエが恥ずかしそうに口篭る。「ベルが作ってくれたお祝いで、映っているのは私たちではないの」

 思わぬ告白がされ、呆気に取られる。

「ルニエ役のベルが無理やり付き合わせたんだろうね。よく見るとあの写真の僕役は、ちょっと笑顔が引き攣ってる。もう一枚後ろに、プリューネルが僕役で不敵な笑みを浮かべているのもあるよ。あの写真に関してはこんなところ。納得できた?」

「いえ、全く」あとでもう一枚の写真とやらを確認しよう、と思いつつも即答した。

「ええっ? なにが納得できないの?」彼のほうも納得できていなさそうな返事をする。

「仕方がないわ。大人と子どもと両方の姿でいられるだなんて、普通の感覚なら信じられないもの……」絶妙なルニエのフォロウが入った。

 密かにそれは、彼が普通の感覚ではない、と示唆している。でも同感だ。

「それはそうなのかもしれないけど……。僕はてっきり、サーフにはルニエが説明してくれてるとばっかり思っていたよ」

「あら、言うには言ったのよ。先生とラ・コスタは同じ人だって」

 そういえば、言われたような……。似ているくらいの意味で受け取っていた。


 たとえ重大な証拠を突き付けられたとしても、まだまだどこかで納得してはいけないような気がしている。

 この際、とことん聞いてしまえ。

「先生は左利きですよね?」

「僕は両利き」

 右利きではなかったら左利きだと判断されるのは理不尽だ、とか言っていた彼の言葉を思い出す。両利き……か、そんな可能性は全く考えていなかった。確かに理不尽に違いない。

「字が違っていたのは?」

「そう? サーフが読みやすいように崩さず書いたからかな?」

「髪の色も違うし」

「ああ、子どもの姿だと呪いがかかるから」

 また出てきた『呪い』。

「全然解らない!」畳みかけるように質問していると、勢いで口調が昔のようになってしまう。

「僕だって、君が何で解らないのか判らないよ~」

「僕、席を外しましょうか……?」いまさらながら、クワーントロウが言った。

 ラ・コスタは別に構わない、という風に手を振る。


「そうだわ、元の姿になって見せてあげれば良いのではないかしら?」

 私がなかなか信用しないため、二人はその対策を練っているらしかった。その間、深呼吸をしてみる。

「だって、いちいち服を着替えなきゃいけないのがね。声だけならすぐにでも地声にできるんだけど……」彼は咳払いをして、話を続ける。「そうだ、ルニエの態度が普段と満月の日で違いすぎるのが、紛らわしかったんじゃない?」

 その声は、先生と同じだった。

「だって、ラ・コスタは子どもの姿をしているときにキスしてくれないのだもの」ルニエは不満そうに愚痴を零す。

 思えば、いかにもわざとらしくラ・コスタが喋っているとき以外は、先生と喋り方はほとんど同じだった。説明するときに口調が変わるところも。

「その声が、地声?」

「そりゃあそうだよ。十五歳のころは、もう声変わりしていたから。でもまあ、高い声のほうが油断させられると思って変えているんだ。まだ納得できない? そろそろ、信じてくれても良いんじゃない?」 

 一体彼は、誰を油断させようというのだろう? いや、そういう私も彼が子どもだということで多少なりとも見くびっていた面があるのは認める。

「……魔法で、姿を変えてるってこと?」大幅に譲歩しつつも、まだ質問を止めてはいけない気がした。

「あー」説明が面倒臭いのか、彼は嫌そうな顔をする。「えっと、上手く説明できないなぁ。僕らは二十三歳で外見上の成長が止まる。それ以外に自分が十五歳くらいだったときの姿にもなれるというか……、魔法とは少し違う。この耳のピアシングは、負担を最小限にして姿を固定するためのもので、黒魔法で変化することも可能だけど、規模が大きいほど負担も大きいし、普通は術者の意識が途切れると呪文の効果も切れる」

 漠然とした説明だった。僕ら、とは誰だ?

「サーフは、ラ・ペシェの両方の姿も見たことがあるでしょう?」

「ラ・ペシェ……?」

 しばらく考え、公園であった馴れ馴れしい男しか出てこなかった。現実に向き合いたくなくて、思わず話題を逸らす。


「ルニエはリヴァイアサンのせいで、子どもが産めないのでは?」

 僕らとは、きっとキュラソウだ。

 彼は少し恥ずかしそうな仕草をする。「もう僕との子どもは産めないというのは本当。でも、リヴァイアサンの話はほとんど嘘だよ。もしかして、まだ信じてた?」

 答えは否。

 それでも、あまりにも軽く、残酷に告げられる。大げさに言えば、そのために頑張れと促されてきた私の全てを否定するかのようだ。怒りを通り越して、呆れてしまう。彼らしいと言えば、彼らしいが。

「結局、お前の正体は何者なんだ?」

「正体……? 僕が何の半特殊系種かってこと?」

 半特殊系種? ああそうか、彼の不思議な生態を人間の中で片付けようとしていたからおかしかったんだ。どうも、視野が狭いと限られた中だけで判断を加えてしまいがちになる。

「ああ……」喉がカラカラになった。

吸 血 鬼(ヴァムパイア)だよ。キュラソウの名を持つ者は、大体吸血鬼」

 吸血鬼? 少しくらいはどんな種族か知っていたから、彼が普通の食事をしないことは納得できた。

「じゃあ、ルニエがもう先生との子どもを産めないというのは?」何とか自分を落ち着かせようとする。

「吸血鬼は、婚姻というのが子どもを持つという概念に近くて、生まれた子どもは母親と暮らし、父親は一緒に暮らさないんだ。同一のカップル間には一人の子どもしか生まれない。きょうだいはみんな腹違い」

 ラ・コスタとフィーヌは腹違いだったのか。似ているといえば似ているが、似ていないといえばどこか違っている。

「わたしたちみたいに、子どもが産まれたあとも一緒にいるケイスは少ないみたいね」ルニエが補足して微笑んだ。

 生まれた子どもは母親と暮らす、と言っていたことから判断すると、ルニエは子どもではなくて先生を選んだということになる。どうして三人で暮らす道はなかったのだろう?

 その質問をしようとして、吸血鬼という種族をもっと知っておく必要があると考える。

「なにか、吸血鬼だという証拠を見せて欲しいです」

 吸血鬼なんて辞書に載っている程度しか知らないため、もし証拠を見せ付けられても判断しかねるのだが、なにか特殊な力を持っていそうな予感がした。

 現実を受け入れつつも、簡単に全て受け入れられるものでもなく、この機会で見ておくのに越したことはない。


「証拠ねぇ……。ああ、実体化翼を見せてあげる」ラ・コスタは靴を両方とも脱ぎ、ソウファの上に立つ。そして左頬の封印をパシッと外した。

辺りに威圧感のようなものが満ちる。「僕の後ろをよく見ていてね」

 彼の背後を瞬きもするまいか、とジッと見ていたら、なにか粒子のようなものがそこへ終結し、それがコウモリの翼のようなものを形成する。形が明確になるに従い、彼の身体がふわりと浮き上がってきた。

「実体化翼は、魔力を具現化したもので、空が飛べる。吸血鬼のほかに天使などの御使い、式神なんかが持っている。水精霊族と風精霊族の擬似翅も似たようなものだね。あと、吸血鬼に特有なのはこの眼かな」

 彼が自分の両目を左手でサッと隠すように一撫でする。再び現れたその眼の色は赤い。私が見たことを確認すると、彼は目を閉じ、左頬に再び封印を施した。

「ラ・ペシェと同じ色……、ですね」

「吸血鬼の力を覚醒させると変わる色なんだ。ラ・ペシェは、髪の毛を染めてるだけじゃなく、眼の色も覚醒された状態で維持しているんだよ。疲れるし、人間の中で暮らすには不便だから、普通はしないんだけど。赤い眼は四種類あって、スピネルレッドのワイン王家やルービレッドの火封士だと髪も同じ色をしている。魔族のアルマンディーンレッドは色が吸血鬼のパイロウプレッドと区別しにくいらしいことから、赤い眼をしているのは魔族である、と思われちゃって忌み嫌われるんだよねぇ」

 分からない固有名詞は無視しておく。赤色がいくつも出てきたが、どの赤がどう違うのかは全然分からなかった。ただ、さっき見た赤い眼は、鮮血のような赤だった。


 彼がソウファに座り込み、脱ぎ捨てた靴に手を伸ばしたため、私はその靴を深い考えもなく取ってあげる。

「ありがとう、重いでしょ」

 そう、重かった。大げさかもしれないが、ダムベルでも持ち上げるみたいに重かったのだ。こんな重い靴を履いて、日ごろから鍛えているとでもいうのだろうか? 不自然に重かった。

「鍛えているんですか?」

「まさか。吸血鬼は、人間とは身体の構造が違うから、内臓もほとんど退化しているし、脂肪がほぼない。それに飛ばないといけないから体重が軽いんだ。だから、地面を歩くと重心が高くなって上手く歩けない。クワーントロウの靴にも入っているよね? 鉛」

「ええ、そのままだととてもじゃありませんが、絶対に走れません」クワーントロウは靴先をトントンと床にぶつける。絨毯からはやや鈍い音がした。

「内臓が退化していたら、食事ができないじゃありませんか……」

「そう、だから液状か流動食しか食べられないし、単純なものしか消化できないうえ、極端な温度のものも駄目。サーフは、体温が何故36度前後なのか知っているよね?」

「それは、その温度が代謝や消化などに関わる酵素活性における最適温度だからです」

 靴を履き終わったラ・コスタは、ソウファに座り直した。彼とルニエの間に、セックが割り込んできて座る。

「消化する必要がほとんどないから、最適温度に保つ必要もないわけだし、よって体温は低い。複雑なものを摂取した場合は、一時的に体温が上昇して酵素が活性化するけど、その処理の最中はほかの機能がなおざりになるんだ」

 ずっと、彼の体温が低いとは思っていたが、まさかそのような理由があったとは想定外だった。いままで私と握手をして手が冷たかった人物は半特殊系種だと判断しても、あながち間違いではないかもしれない。

 それに、先生がアイスクリームを一口だけしか食べないのは、一口程度しか食べられないからで、食べたあとで眠るのは、それに卵やミルクが含まれているためなのだ。こうして説明されてみると、これまで不思議だった現象が意味を持っていたことに気付かされる。私も、いい加減観念するべきだ。それなのに猶予を求めてしまう。


 揺れる思いの中、どうせ受け入れ発言をするなら、引き続き疑問を消化しておこうと決心する。しばらく、私が一方的に質問して彼が返答するという問答を繰り返し、ほかは傍聴するという状況が続きそうだった。

「次に、フィーヌや私の『月に喰われた』というのがリヴァイアサンによるものではないなら、どういうことなのかちゃんと説明して下さい」方針が決まり、口調は落ち着いてくる。

「サーフ、何か怖いよ。それよりもライサンスは取れたの?」

「もちろん」と胸ポキットからハガキを引っ張り出そうとして、なかったことに気付き、テイブルの上に置かれていたそれをこれでもかっ! ってくらいに突き付ける。

「宜しい、これで僕の出した条件を満たしてくれたね。んじゃ、まずは改めて僕の契約守護者の紹介を……」彼はキョロキョロと辺りを見回す。「どうせ盗み聞きしているんでしょ? 出てきなよ」

 どこからかバサリと音がして、オリンジのカナリアがふわりとラ・コスタの肩へ舞い降りる。

「盗み聞きなんぞ、しておらんかったわ!」ぶるりと震え、威嚇するようにカナリアが言った。

「え?」

 その声は、師匠の声だった。ほかの場所からではなく、明らかにカナリア自体が師匠の声で喋った。

「はいはい、ごめんごめん」誠意はなさそうにラ・コスタが応じる。

「し、師匠がリヴァイアサンなのか……?」

「いかにも、わしがリヴァイアサンだ。このアジャブルーの髪はその証」得意そうに師匠が答えた。が、カナリアの姿だったので、『この髪』という言い方は不適切だ。

 目も覚めるような青い鱗、ではないけど青い髪。口煩くて神出鬼没の師匠。

 何故、カナリアの姿を? ああ、本人の趣味だ。

 カナリアのジャック、いや、カナリアの姿をした師匠はラ・コスタの肩から飛び立ち、周りの空間が歪むような感覚と共に今度は人型で登場した。

 いつもの師匠と同じ姿。

 アジャブルーとやらの髪を尻尾みたいに細長く伸ばし、目付きが悪く細い緑の眼に、どこかの民族衣装みたいな白い服を身に着けている。

「あれ、頬の痣の位置が変わって……」

 師匠の右頬の頬骨に沿うかのようにあった黒い痣のようなものが、今度は左頬になっていた。

「これは痣ではないわ、馬鹿者が。えらだ。左右にあるが、今日は気分転換をしてみたのだ」

 今日は気分転換をしてみたかった、という余計な情報まで入手してしまったものの、海の怪物だから、鰓くらいあるのだろう。当然、水中でも呼吸ができるわけだ。

「じゃあ、わしは帰るとするか。サーファーズ、ライサンスを取ったからといって、怠けるでないぞ」

 掻き消えるかのように彼は消える。彼が言っていたライサンスというのは、医師ではない。剣術である。師匠があまりにも勧めるので、筆記用に勉強してライサンスを取ってしまったのだ。

 弟子よりも飽きるのが早かったくせに、口だけは達者なので困ったもんである。


「最後に、結局『月に喰われた者』というのは何だったのですか?」

 ラ・コスタは何かを考えるように数反復、視線を宙に彷徨さまよわせる。そして頭を掻いた。

「何と言えば良いのかなぁ。まず、茶系の次に多いのが青系の眼だけど、見る人が見れば、それが特定の名前を付けられた青かどうかは判断できる。サファイアブルーの眼を持つのは、水精霊族、水封士、そして月に喰われた者に限られ、水精霊は女性型しかいないから、男のサーフは水封士か月に喰われたか。水封士は、火封士と同じくシリンダにいる封士という役職の一つで、判りやすいところでいくと髪と眼が同じ色をしてる。最後に残るのが、月に喰われた者……」

 彼が細かい説明を加えてくれているところ、シリンダの封士と精霊族は同じ色の眼をしているグループがいるらしい、ということに気付く。

「でも、女性の場合は、精霊族か月に喰われたかをどう判断するのです?」

「女性の場合は、判断が難しい。けど大概どっちでも良いというか……。結論を言うと、母親が水精霊族である者のことを一部で『月に喰われた者』と呼んでいる」

 ずっと知りたかった答えは、あまりにも明後日あさっての方向からやって来た。

「私の母親が水精霊族……? それは確かなのですか?」

 会ったこともない母。

 存在の残像すらも感じたことがない。

 気が付くと自分独りで、家族と呼ぶ人は誰もいなかった。

 見たこともない水精霊族も同じくらい希薄で、母が水精霊族と言われても驚く以前にピンと来ない。


「精霊族の中で、水精霊族と風精霊族は女性型しか存在せず、無性生殖、つまり全てがクロウンなんだ。けど、他種族との間に子どもを設けることがある、――つまり半特殊系種。風精霊族は非常に気紛れであるため、その報告例は少なく、謎の部分も多い。で、問題の水精霊族の特徴は、論文を読んだなら知ってるかもしれないけど、成体でサファイアブルーの髪と眼、擬似翅。生活史は、卵生で十数年かけて孵化、髪の色がアマシストの第一次幼生期が一年ほどあり、髪の色がライトサファイアブルー第二次幼生期が十年ほどあって羽化。眼はずっとサファイアブルーだけど、髪が同じ色になるのは成体になってから。……ここまでで質問は?」

 さすがに長いと思ったのか、彼は途中で言葉を切った。

「卵から成体になるまで、二十数年かかるんですね。クロウン増殖であるなら、水精霊族は全て同じ遺伝子を持つ、ということに?」

「そう、だから君の母親とフィーの母親は別々の個体なのに同じ遺伝子を持つから、ある意味ではきょうだい(●●●●●)いとこ(●●●)みたいなものかもしれない。クロウンだから容姿は酷似しているし、個々に名前を持たない。有性生殖は水精霊族にとって禁忌ではあるけど、もし卵が産まれると母体は死に、卵は他の水精霊族によって保護され、孵化した個体が女性だった場合のみ、そのままコラニィで育てられる」


「じゃあ、私は男だったから?」

 ――捨てられたというのか。

 私が女だったら、水精霊族のコラニィで暮らしていたのだとしても想像がつかない。

 もう死んでいると聞かされた母の消息。哀しくはなかったが、少しだけ、寂しくはあった。やはり、会ったことがないという事実が大きいのだろう。

「そう。ここで注目すべきは、孵化までの時間が長いことだ。孵化してみないと性別が分からない。だから彼女たちは、それまで待つんだね。言葉は卵の中にいる間に覚える。彼女たちは学習能力が非常に高いから、サーフの記憶力の高さは親譲りなのかも」

 重要な情報が得られた。私がふと、自分が立っていることを自覚し、ここで自分はなにをしているのだろう? と思ったあのとき、そのときまでコラニィにいたらしい。自分が知らなかったことを、彼が詳しく知っているなんて不思議だ。

「……それはラッキィでした」

 産まれたばかりの、赤ん坊の状態で捨てられていたのなら、どう足掻いても、拾われて面倒を看てもらえない限り生き延びようがない。水精霊族が特殊な生活史だったおかげで、こうして私は命拾いできた。


「水精霊族の眼の色を決める遺伝子は、性染色体上に乗っていて、子どもは必ず母親と同じ色になる。水精霊族の血液型は2B型、君の父親と考えられる人間ではH型、F型、B型の順に多いから、水精霊族と人間の間に生まれた子どもはB型になる可能性が最も高い。半特殊系種の形質遺伝は、いろいろと細かい条件があってね、半特殊系種の血が薄まるほど、子どもができにくくなる。ハーフであるセックやフィーは、相手が特殊な、――たとえば王家とか、でもない限り人間との間に子どもはできないと思う。サーフの、水精霊族と人間のハーフでも男の場合は、ほとんど人間といって良いくらいだから、人間との間に子どもはできるよ。ただ、その蒼い眼の形質は遺伝しない。だから、君との間に生まれる子どもは男の子だけになる。もし必要であれば、遺伝様式を詳しく説明するけど」


 思わず拍手したくなるほど難しい説明だった。この説明を、いままで彼が出し惜しみしていた価値は十分にあった。いきなり説明されても面喰うだけで信用しなかっただろうし、いろいろな出来事が私を大人にした。大声を上げて暴れ出すような子どもではない。

「いや、良いです。はあ、いろいろと騙されていたんですね、私」

 騙されっぷりがすごすぎて、もはや尊敬に値する。怒りは湧いてこなかった。

「やーい、ざまーみろ」くすくす笑いながら、彼は茶々を入れる。

 自分を騙そうとする人は嫌い、と言っていた彼だが、それが自分自身に適応されないのはいかにも彼だ。それか、最初から自分自身が嫌いかのどちらか。


 ラ・コスタが咳払いを一つする。その顔は微かに緊張しているようにも見えた。私が注目しても、しばらく彼は話し出さない。ようやく彼が話し出したのは、発言表明から一分は経ってからだった。

「えっと、大体のことは話したとおりだけど……」勿体をつけて、なかなか最後まで言おうとしない。「それでも、サーフは僕の助手になってくれる……?」

 なにを躊躇しているのかと思えば、事実を告げたことで断られるのではないかと警戒しているらしかった。

 上目遣いで餌のお預けを喰らっているイヌのように、訴える表情をしている彼が先生と同一人物なのだと思うと、どうしても可笑しさが込み上げてくる。

「良いですよ。先生みたいな曲者は、私なんかではないと手に負えませんからね」まだまだ聞きたいことはあったのに、ついに私は認めてしまう。

「やったー! 助手ができた!」彼は隣にいるセックとハイタッチをした。

 嬉しそうな彼に手招きされ、ソウファに近寄る。それでもまだ耳を貸せ、とばかりに手招きされるので、さらに近寄って彼のために身を屈めた。すると彼は突然立ち上がり私にキスをすると、再びソウファに収まった。彼は手だけではなくて唇も冷たい。立ち眩みでも起こしたように軽い眩暈を感じ、後ろに数歩よろめいた。


「……こういうのは、ルニエとやって下さいよ」このタイミングで不意を突いた悪戯なのだと思いつつ言った。

「これは仮契約。これで僕は君からも『食事』ができる。多分しないと思うけどね」彼は冗談っぽく、最後に付け加えることを忘れなかった。

 もしかすると、さっきのフッと眩暈を感じるような感覚は、食事をされているときに感じるものだったのだろうか。痛くはないが、どことなく緩やかに風船の空気でも抜かれる感じ。

「で、これからが本題。『吸血鬼狩人が吸血鬼になる』ということわざを知ってる? これはあながち間違いじゃない。吸血鬼は、契約守護者を例とするように、他者と契約をして関係付けることを得意とする。他種族が吸血鬼になることはないけど、吸血鬼が特定の契約をすることによって、不老長寿の僕らと同じ時を過ごすことが可能で、本契約をすれば、君は仮契約と本契約との期間で歳を取るのが止まる。ルニエなんて、仮契約と本契約の間が長かったものだから、満月と新月の間で外見年齢が変わるんだ」言い訳でもするように彼は肩を竦める。「嫌なら止めたって良い。考える時間はあるし、返事は明日……」

「別に良いですよ。今でも」彼の話を遮り、私は答えた。

「本当? じゃあ早速」

 私が二つ返事をすることを予想していなかったのだろうか? 彼は嬉しそうにソウファから立ち上がる。頬の封印を解き、私の前を通りすぎて、振り返る。

 眼が赤い。


「我、ラ・コスタ・キュラソウと汝、サーファーズ・ブルーは、 理 (ことわり)に則り契約を交わそうとせん」彼が儀式めいた声でそう呟くと、私の足元に血のように赤い魔方陣が現れた。「契約内容は、我と共に生きんとす。契約破棄条件は、一方もしくは両者が死亡した場合および第三者の手によって契約が破壊された場合。以上をもって契約とす」

 足元の魔方陣は光を放ち、ラ・コスタと私の間に契約書らしきものが現れる。それには、さきほど彼が言っていたと思われる契約内容が書かれているのだろうが、不思議な記号で書かれていたため、読むことはできなかった。

「汝は、この契約を認めるか?」彼は契約書に手をかざして尋ねる。

 きっとそうするのだろうと思い、私も契約書に向けて手をかざした。

「はい」

 手の間でなにかが膨張し、なにかが手から入り込んだ。それは全身を駆け抜けて、呆気なく消えた。


「はーい、契約終了です。お疲れ様。身体のどこかに契約印が出てると思うよ」

 そこにはいつもと変わらないラ・コスタがいた。自分の手をまじまじと見つめたが、さっきまでとなにかが変わったようには思えなかった。あとで契約印とやらを探してみよう。

「僕、契約を見るのは初めてです」少し離れたところで見学していたクワーントロウが羨ましそうに言う。

「コイちゃん、剣と契約なら簡単にできるよ」

 ソウファに座っていたセックが、初めて文章を口にする。改めて聞いてみると、可愛らしい声だ。ルニエの娘なだけある。

「ああ、剣。でも僕、運動神経がないですからね~」残念そうに彼は答えた。

「大丈夫! セックがあとで鍛えてあげる」

 彼女に励まされ、彼もいくらかはやる気になったかのようである。

 それにしてもクワーントロウは、どんな関係者なのだろう? ラ・コスタの兄弟ではないという。先生とルニエの子どもはセック一人だけ。セックの恋人という線はありだろうか?

 候補を上げては打消し、考える。


 ラ・コスタは契約を終えて安心したのか、ソウファに舞い戻ってセックとお喋りを始めた。私は、まだ少し離れた場所でポツンと立っている少年に近付き、こそこそと問い質した。

「ルニエと貴方って、どんな関係なんですか?」さっきはラ・コスタで聞いているので、今度はルニエにしてみる。

「彼女は、僕のグランドマーですが」

「グランドマー……ルニエが?」

 ちょっと待て、とばかりに頭の中がグルグルしてくる。『マミ』というのは名前かと思ったが、そうではなかった。マム、つまり母親の幼児語だ。ラ・コスタとルニエの子どもがセックで、彼女と誰かの子どもがクワーントロウ? 外見で判断したため、彼女はまだ幼いのだと思っていた。ラ・コスタの例があるのだから、外見と実際の年齢が合っていないことは想定内だったはず。

 待てよ、ラ・コスタにルニエの年齢を尋ねないように言われたことがあったはずだ。もしかして、もしルニエが正直に答えたとすればマズかったからなのではないだろうか。事実、私は彼女を二十歳代だと思っていた。


 ああ、一体彼らは何歳なのだろう? これは聞かないほうが良いのかもしれない。どうせ、今日から私も彼らの仲間入りをするのだから。

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