実験V.ライヴァル襲撃?3
家に着くとラ・コスタは、さっさと浴室へ入ってしまう。
「着替え、持ってこようか?」気を利かせて言うと、服を脱ぎながら彼は、着替えはルニエの部屋にある、とだけ返事した。
浴室を出た俺は、まず、いつも通り隙間の開いたラ・コスタの部屋の扉を堂々と開ける。なにしろ彼はいま浴室にいるのだ。本の多さに呆れながらも、照明を点けて、そろそろと空間を縫うように進んで机の上に財布を置く。ここに置けば、さすがに行方不明にはならないだろう。
少なくとも四面ある壁のうち半分以上は本棚が並んでいるのが確認できたが、これでもかってくらい空っぽで、草むらを掻き分けているかのような錯覚を呼び起こさせるほど、棒グラーフのように本が積み上げられていて、もはや床であろうがベッドの一部であろうが机であろうが融合してしまったかのように、境目が見分けにくくなっている。
どうやってシートを替えるのかは不明。崩れそうな本の上に目覚し時計。枕は埋もれてしまったのか見付からない。
俺が持っている図書館で借りてきたこの本、目を瞑って放り投げて一回転すれば、きっともう見付からない。放火でもされたら燃え広がるのが速そうだ。
机の上はさすがにノウトブックを広げて字を書けそうな雰囲気だけど、それでも数冊の本が立てかけられ、トンボに似た翅の線画や数字がずらりと並んだ表のようなものに所々赤でチェックが入れられたものが何枚も散らばり、ほかにも眼鏡ケイス、万年筆、プラスティックの球体、先生の書いたメモウがある。メモウの内容は『月を求む姫君』『走る 件 の無法者』そして『青い眼のお人形』。
メモウに手を伸ばしかけて、ハッと自分の目的を思い出した。後 退りをしかけて太腿に本が当たり、慌てて逃げるように照明を消して部屋から出る。
浴室の真向かいにあるルニエの部屋に入って深呼吸。お菓子のような匂い。
ゆっくりと室内を見回した。綺麗に片付けられており、ラ・コスタも彼女を見習って是非これくらい片付けておいてくれれば、わざわざ理由を作って忍び込んだりしなくても良いのに。
相変わらず伏せられたままの写真立てが、今日もそこにはあった。たったそれだけにことなのに、俺と彼女の間に大きな隔たりを感じる。
そろそろラ・コスタの着替えを持っていかなければ、と今日三度目の溜息を吐いてウォードロウブを開き、ラ・コスタの下着を探すべく一番上の引き出しを開けたら、いきなりルニエの下着が入っていたので急いで閉める。
そうか、ルニエの部屋なんだから、彼女の服などが入っていて当たり前だ。困ったな……、とてつもなく気が重い。さっき一番上を開けたから、それ以外の引き出しにまた下着が入っている可能性は低いよな? いや、でももしかしたら入っているかもしれないし……、どうしたら……うおおお!
「なにしているの……、君は」
下着姿のラ・コスタが呆れ顔で入ってきた。悩んでいた俺の横で、下から二番目の引き出しを開けてシャットを引っ張り出し、かけてあったトラウザーズを手に取って側にあった椅子に座ると、それらを身につけ始める。
彼は思ったとおり華奢な身体つきだったが、思ったよりも筋肉質で、俺に隠れて鍛えていたり……、するわけないか。
「財布は机の上に置いてきたから。なあ、その肩のは痣?」ラ・コスタの右肩にある打ち身のような痕を見て、深く考えずに尋ねてみる。
「これは契約守護者との契約印だよ。サーフもその手に持っている本、置いてくれば?」
契約印とやらはTシャットに隠れてすぐに見えなくなってしまった。3と筆記体のTを足して割ったような、記号のようにも見えた。あれは、文字だろうか?
「あ! そういえば俺、トゥリフォリウムどうしたっけ?」
「押し葉で良ければ、僕の部屋にある本のどれかに挟まっているよ。扉を入って右手前にある本の山の、下から五冊目の三百十四ペイジにも挟まっていたかな?」
少しの間それを貰うか、新しいのをまた探すか考える。ラ・コスタの部屋の扉を入って右手前にある本の山の、下から五冊目の三百十四ペイジに挟まっているということは、それを捜すという口実で堂々と部屋に入れる。よし! そうしよう。
明らかに俺の行動は、ラ・コスタの身の回りから彼を知ろうとする行為で、彼に興味を持っていることは間違いないのだが、なにもかも最初から答えを教えてもらうよりも、回りくどく仮説を立て、自分で答えの見当をつけてから確かめたい気分もあった。
いや、違うな。
分からないことが多すぎて、なにから質問すれば良いのかすら判らないのだ。だから、彼の周りから、質問を探している。
「貰う。……じゃあ、お前の頬っぺたのも契約印?」近くに彼がいたら、これだとばかりに頬っぺたを突っついてやるのに。
「こっちは魔力制御印。こうしてでもおかないと、いまの状態では魔力を上手くコントロールできなくて垂れ流し状態。何の特にもならないんだよ。試しに外してあげようか?」
簡単に彼はそう言って、その印の上をパシッと叩いた。その瞬間、風が吹くように見えない威圧感が通り過ぎた気がする。
俺でも、周りの空気が変わったのが分かった。
「……見た目が変わったりとかはしないんだ?」
「あはは……まさか! この程度じゃなにも起こらないよ。詠唱文なしで威力の大きい呪文を発動できるとか、連続詠唱ができるとか、魔法使用のリミッタが外れるくらい」
呪文の詠唱と言われてもさっぱり理解できない。イミッジとして、ひたすら空を飛び回っても大丈夫みたいな? でも、能力に身体が追い付いてないなんて、ラ・コスタらしいのかもしれない。
「お前の契約者ってやっぱり女?」
「異性と契約する決まりなんてないよ。僕の契約守護者は、多分オスだし……。彼らの場合は、正確には雌雄同体のはずだけど、最終的に外見はオスかメスかに分化するみたい」
「どういう種族?」
「リヴァイアサン」再び封印をして彼は答える。
リヴァイアサン!
驚きで開いた口が笑みで広がる。なるほど、俺が助かると彼が言い切れる自信は、ここから来るのか。
「鱗が綺麗なアジャブルー、眼はマラカイトグリーンでね、機会があれば見られるかも。……あ、誰か来た」どうやら、かけ違いになっていたらしい、シャットのバタンを外しながら彼が言う。「ちょっと見てきてもらえる? なにかの勧誘だったら無視して良いから」
何の音もしなかったのに、どうして人が来たことが判るんだ? もしや話を中断して俺を追い払うためのでっち上げかもしれなかったが、言われたとおりに玄関に向かい、扉をそっと開けて覗いてみる。
そこには、ラ・ペシェが立っていた。
ラ・ペシェだ、どう見てもラ・ペシェだった。フィーヌの言ったとおり、赤みの強いオリンジの髪、燃え上がる炎のように赤い眼。どことなく夕日を彷彿とさせる。
ただ彼は、やんちゃそうな(頬に絆 創 膏が貼ってあったので)俺とそう年齢が離れているとは思えないくらいの子どもだったのだ。もっと大人だろうと思っていた。
扉を顔が出るくらい開けて、ざっと相手を上から下へ流し見る。背は高め、大きなトレイナーズ、すらりとした足に黒いジーンズ。俺に気付いた彼は、裏地がチェックのパーカのポキットに突っ込んでいた手を片手だけ上げた。
「よお」
目が合って俺は扉を閉める。が、彼がすぐに扉を押さえて隙間に靴を挟んだので閉まらない。
「おいおい、何で閉めるんだ」
もちろん観察が済んだから。
「勧誘はお断り」
「勧誘なんてしてないだろ。ルニエかラ・コスタいる?」
頑張ってノブを引っ張るけど、子どもの悪戯に戯笑するように動じず、彼は扉を開けて中に入ってくる。
「ルニエはいないぞ!」
勝手に上がり込んだ彼の背中に叫んだ。ちょうどルニエも先生もいなくて運が良かったと思いつつ。
ラ・ペシェは、そのままシッティングルームへ入っていくと、ソウファに座って俺を手招きする。別にラ・コスタかルニエに用があるわけではなく、密かに相手をしてもらえれば誰でも良いのでは……コイツ。これも試練かもしれないと腹を括り、向かいのソウファの一番距離が遠いところに座った。
「ところでさ、お前誰?」
……沈黙。
「俺はラ・ペシェ」沈黙にもめげず彼は、にこやかに会話を続けようとした。
「ラ・ペシェ・キュラソウ?」
例の法則を用いてファムリィネイムを推測してみる。
「ああ、何だ、俺のこともう聞いた? どうせラ・コスタが、俺はお喋りだとか女好きだとか魔法が下手だとか鬱陶しいだとか、あることないこと言ったんだろうけど」
自分の短所がこれほどスラスラ言えるとは、普段からよほど指摘されているに違いない。彼はラ・コスタと違って、ころころと表情が変わる。喋り方が大げさだ。この容姿で馴れ馴れしくルニエに声をかられたら、……まあ、先生は警戒するだろうな。
「そんな目で見るなよ。それに、お喋りと魔法に関しては認めるけど、女好きってのは……、えっと、確かに女の子は好きだよ? でも、俺が本当に好きなのはラ・フィーヌだけだし、言いかかりだって分かるだろ?」
あまりにも力説するので気圧されそうになりながら、どこまで名前を名乗らないで乗り切れるかを考える。このまま相槌でも打っていれば喋り続けてくれそうだが、念を入れてここは話題を提供しておこう。
「フィーヌなら会った」
「会った? なら解るだろ可愛いよな~。冷たいようで実は優しくって、どこか儚げだから守ってあげたくなるし」
冷たいのは単に嫌われているだけではないか、と思ってしまう。しかし、口には出さないで相槌を打つ。少なくとも俺が会った感じでは、冷たいなんて思いもしなかったし、かなり友好的だった。
「やあ、いらっしゃい。元気だった?」
ここでにっこりと満面の笑みを湛えながらラ・コスタ登場。一瞬ラ・ペシェの表情が強張り、すぐに何事もなかったかのように、いままでのようなにこやかなものへと戻る。彼もラ・コスタの笑顔の裏に潜む意味に気付いているのだろう。この口角の上げ方は怒っているのだ。不機嫌、皮肉など表情とは逆の意味を示している微笑らしい。
「いやー、最近久しぶりにツキが回ってきたかなーって。へへへ。この幸せをお裾分けに来てやったぜ」
いや、単なる俺の勘違いか。この少年は気付いていない。するとさきほどの強張りは、なにか本能的なものかもしれなかった。こっちはラ・コスタがいつ怒りを爆発させるだろうかと手に汗握ってるのに、ラ・ペシェは暢気にお喋りを始める。しかも不思議なことにラ・コスタはちょっと嫌そうな顔をしているが、俺の隣で大人しく話を聞き始めた。
「このまえ、ラ・フィーヌが来てたんだってな。ちぇ、俺も偶然その場に居合わせたかったな~」羨ましそうに彼が俺らを見る。
うーん? フィーヌがラ・コスタの妹だからって、彼に遠慮しているわけでもなさそうだ。そこまで好きなら自分から会いにいけば良いのに。それとも、少し離れたところで眺めるだけで気持ちが満たされる羨望の対象なのだろうか。
「フィーが君に会いたがっていたよ」
「本当か?」ものすごく嬉しそうに彼が立ち上がる。
「あ、ごめんごめん。フィーじゃなくてナソーだった。今度、手合わせをお願いしたいと言っていたかな」
怖いことにラ・コスタは真面目な顔で冗談(むしろ嫌がらせ……?)を言っていた。俺がやられたら嫌だ。
「ナソー? 駄目だ、俺とあいつは馬が合わない。ずっとラ・フィーヌと一緒にいるなんて許せないし、羨ましすぎる!」
頼んでもいないのにナソーと手合わせなんぞした日にゃ、あることないこと一方的に日ごろの恨みとばかりに晴らされそうな勢いである。逆恨みではないのか……。可哀相なナソー。あの訛りが苦手だけど、俺も今度は、勇気を出して会話をしてみよう。
「フィーは好きな人がいるから諦めれば?」
「どうせそれは僕なんだけど、とか言うんだろ? 何だよー、お前にはルニエがいるくせに、自慢すんな! ああ……もう! 彼女が欲しい~。ただでさえ俺ら男ばかりの三人兄弟で女っ気ないし! せめて妹がいたら絶対可愛がるのにィ」
……何て寂しいのだ。彼ほどの容姿ならさぞかしモテるだろうに、喋っている内容があまりにも空しい。世界って複雑にできてるな。
彼には内緒で同情モウド。それにしても、ラ・コスタとルニエの仲が周知の事実なのにはびっくり。当初は家庭内の不思議な三角関係だなと高を括っていたのに、少なくともラ・ペシェは許容しているらしかった。彼はラ・コスタの友達……だよな? そんなことを教えるほど親密な間柄なのだろうか。
何かちょっと違う気がする。
「じゃあさ、フィーが妹だったらどうするの?」
「なにぃ? 究極の質問だなそれ。妹は欲しいけど、ラ・フィーヌが姉妹だったら彼女にできないし、う……うーっ、俺には答えられない!」
かなり真剣に思い詰めた表情をしてラ・ペシェは悩んでいる。
「サーフはどうする?」
「え? 何で俺?」急に話を振られて戸惑った。別にフィーヌと血が繋がっていようがいまいが、なにも差し障りないのだ。「どうもしない……けど」
裏でもあるのかと恐る恐る答える。フィーヌと血が繋がっているのなら、ラ・コスタとも兄弟になるのだろうか? と答えたあとで考え、それはそれで微妙かな、と思った。
「良いよな~、お前は気が楽で。そのうち切ない想いに身を焦がすようになるときが来るんだ……って、ところでラ・コスタ、こいつ誰?」
「あぁ……、彼は僕らの新しい兄弟だよ」しれっとラ・コスタが冗談を言う。
「男はもういい!」
こんな妙なかけ合いを見ながら、俺もここでなにか冗談みたいなものを披露しなくてはいけないみたいな使命感に駆られ、頑張って考えてみる。仕掛ける対象はラ・ペシェにするとして、題材は……フィーヌじゃあ可哀相だし、ラ・コスタだと在り来たりだし、思い切って俺にしてみようか。そうすると不自然でない話題はこれしかない。
「分かった、患者だな?」
「おいおい忘れたのか? 俺はまえに自己紹介したけど」
「そうだっけ?」
試しに言ってみると、思いのほか彼は単純だった。すっかり騙されて一所懸命思い出せるわけもない自己紹介を思い出そうとしている。ラ・コスタはというと、やたらに目をぱちぱちぱちぱちさせていた。
「あ! そっか、思い出したぞ。あのときの生意気な……、えっと名前はドカ?」
「違うって……、名前も眼の色も。もっとも、目の色は似ているけどね」
よほど思い出せた(違うけど)のが嬉しかったのか、意気揚々と身を乗り出して俺を指差していたラ・ペシェの無防備な脇腹にラ・コスタがチョップを喰らわす。
「違う? ……あーっ! そういやさっき、サーフって呼ばれてた」
ちっ! バレたか。
「俺、サーフィス・テンシャンって言うんだ」
「それは石けんの泡が球になるやつだろ」
さすがに騙されてくれないか。そろそろ話をこのまま引っ張るのも面倒になってきたので名前を教えてしまうことにしよう。
「名前を教えたくないなら、俺が勝手につけて呼ぶからな。お前も生意気だから青 二 才なんてどうだ? ピッタリだろ?」
「サーファーズ・ブルーだよ」
青なのに緑だなんて皮肉を込めた呼び方をされたら、こっちだって接頭語のラを除けて、しかも名前の最初の一音で『ペ』と呼んでやる、と心で叫びながら正確に名前を告げる。
「自己紹介くらいはちゃんとしろよ、サーファーズ!」
彼は眉をひそめて怒ったような笑みを浮かべながら、俺の右手を掴んでこれぞとばかりに力を込めて握り締めた。あまりにも痛かったのでその手を振り払って引っ込める。
「ラ・ペシェは、人の顔と名前覚えるのが得意じゃなかった?」
「そりゃあ、女の子はな。大体、ラ・コスタが興味なさすぎるんだ。もうちょっと他人に興味を持ってやれよ」ラ・コスタはその発言を完全に無視する。「サーファーズの名前は、絶対に忘れないからな!」
俺の名前も覚えていろよ、とばかりに両肩を叩いて睨み付けられた。怖い。ラ・コスタと似たようなことをして、笑って許してもらえるのともらえないのの差は何だ。やっぱり付き合いの差だろうか。難しい、難しいぞ。
ルニエとラ・コスタもしくは先生との会話に入り込めないことがあるように、よく考えたらラ・ペシェとは初対面だし、いきなり普通に会話するのは止めておいたほうが無難だったかもしれない。そうだ、今日だって突然見知らぬ女の子から話しかけられて困惑したばっかりだった。ラ・ペシェの場合、何となく相手をしてあげないといけない気がしたのだが、ラ・コスタが加わってからは無理に頑張らなくても良かったのだ。
この生活に慣れてきてから、慎重さが低下してきている。今晩眠れるまでの間にじっくりと反省を込めて考えてみよう。
「で、結局のところサーファーズは患者じゃないのか?」
「患者じゃないけど……」
何なのだろう。書生……は違うか。養子ではないだろうし、友達は違うよな。ならただの居候か?
「僕の未来の助手だよ」
「マジかよ? 一緒に暮らしてるんだよな。おいおい、他人を寄せ付けないお前が突然助手をつけようだなんて、どこかに頭でもぶつけておかしくなったんじゃないのか?」
すごい言われようであるが、当の本人は平然として澄ましている。いままで深く考えたこともなかったけど、確かにラ・コスタは周りから浮いているというか、単独行動が当てはまりがちだ。良く言えば合理的、周りに流されない、自己処理能力が高い。悪く言えばマイペイス、協調性がない、近寄りがたい。
あのへらへらとした子どもの部分が全部演技だとしても、俺はかなり最初から優遇されているではないか。見ず知らずの彼らから生活の面倒を看てもらい、勉強まで教えてもらっている。
俺になにかあるのか? 特別にされる理由が。
「考え方が少し、変わったんだ。年をとったせい、誰にもあることだよ」
「ま、俺は別に良いけどね。お前が……、おっといっけね~。待ち合わせをしてるんだった。それじゃあ俺、帰るわ」
十五やそこらなのに、もう年をとったとか言うな、と心の中で突っ込みを入れていると、ラ・ペシェはソウファから立ち上がって呆気なく帰ってしまった。
パタンと閉まってしまった扉、振り返ってそっとラ・コスタの表情を見てみる。気付いた彼はぼんやりと視線を俺に動かす。
「なに、質問?」
「質問は別に……、あ・あるあるある。あいつはラ・コスタにとってどういう存在なんだ?」
そう尋ねたら彼は見逃しそうなくらい微かに微笑んだ。
「友達かな。僕の……そう、初めての友達。魔法学校で一緒だった」
「同い年?」
「いや、二つ違う」
二歳年上、すると十七歳、だからあんなに偉そうだったのか。ラ・コスタのことだから、友達も作らずに学校生活を送りそうだ。そんな中、初めてできた友達がラ・ペシェで、思い出深いのだろう。
「向こうから話しかけてきたんだよな?」
「もちろん。彼はクラースの人気者でね。周りから『王子様』って呼ばれていたんだよ。彼が光なら僕が影だろうってくらい対照的な存在だった」
王子様~? 本物の王子を見たことないが、もっと品があるだろうと思う。彼はちょっと元気すぎだ。でも、光に例えられるのは解る気がするかな。逆にラ・コスタに少し不満が残る。そこまで暗くないといか、それとも以前はそこまで強烈に他人を拒絶していたのかもしれない。
「お前にも、なにかあだ名があった?」
「さあ、一部で『歩く人形』とか呼ばれていたみたい」
……歩く人形って、センスないな、そのまんまじゃないか。もっとこう……率直でありながら抽象的なキャッチコピィにお目にかかりたいものだ。先生が俺につけたやつも同じように『人形』という単語が入っていたが、あっちのほうが強烈なイムパクトを持っている。本人としては微妙な部分を除いては、で。
そういえば、ラ・コスタの机の上にあったメモウに書かれていたのは、ほかにもあった。『無法者』は十中八九ラ・ペシェのことに間違いない。『姫君』はルニエ、……それともフィーヌか? でも考えてみれば、先生がフィーヌを姫君などと例えるだろうか? 可能性としてルニエである確立がより高い。しかし、ラ・ペシェのあだ名が王子様であったことを受けて、彼に好意を寄せられているフィーヌを姫としたのかもしれないし。……いや、でもその場合ラ・コスタがするなら分かるけど、先生がとなると怪しい。
すると結局ルニエが有力となる。ここで姫君にかかる部分も検討しなくてはいけない。月を欲しがっている、……そんな文だった。ルニエは果たして月など欲しがっているのだろうか? むしろ俺にはあんなものが手に入れられるかどうか疑問だ。
ふと気付けばラ・コスタはもう隣にいなかった。俺が考え事をしている間に彼がいなくなってしまうことはしょっちゅうである。タマネギを刻んでいるような音が聞こえてくるので、タマネギでも刻んでいるのだろう。
そのまま横に倒れてソウファに寝転がる。当たり前のことだけど、いつもとは違ったものが見えた。子どもと大人では同じものを見ても捕らえ方が違う、これは視線の高さも要因の一つであろう。俺はこの位置でものを見て、一体なにを感じ取るのだろうか。
溜息。
ラ・コスタだってルニエだって先生だって、はたまたフィーヌやラ・ペシェさえも同じ場所で俺とは違う世界を見ている。これはラ・コスタが言っていた小説の捕らえ方について、と同じことなのかもしれない。
だから、言葉に出さないと、行動で示さないと相手に伝わらない。誰もが自分と同じ考え方をしていると思い込むのは浅はかだ。同様に、相手が考えていることをある程度推察できても、本人に聞いてみなければ正確なことは分からない。
大した意味もなくソウファに寝転んだのだったが、こんな些細なことでしばらく考え込んでしまった。
得られた結論としては、もっと物事に対して貪欲になるよう心がけるというもの。これによって個々のズレを把握し、今後そのズレを埋めるべく歩み寄りが可能かもしれない。どちらかというと……、向こう側からの歩み寄りを期待して。
俺は、ルニエに対して気兼ねしていると思ったことがあった。いま改めて考えてもそうだと思う。
ただ、面倒を看てもらっている手前、的外れな我侭を言わないとか、出された食事は文句を言っても食べるとか(別においしくないという意味ではない)、そんな当たり前といえる次元のものではなくて、彼女の考えていることや好みや彼女自身のことを知りたいのに聞けないでいる面でだ。
たまに傷付けないよう嘘を吐く。
ラ・コスタから釘を刺されたような、聞いてはいけないことの存在も大きい。年齢と家族のことは聞いては駄目。
たったそれだけの制限だけど、どこまでが大丈夫でどこからが駄目なのか、明確な判断基準を俺は持たない。だから、制限に引っかかることを恐れて呑み込むのだ。
いろいろ考えていると、判断に迷うものは、ルニエ本人から聞くんじゃなくて、ラ・コスタとか先生から聞けば良い、と思えてくる。そして、逆に彼女から彼らのことを聞けば良い。聞いてはいけない家族の中に、この家に住む彼らは含まれていないはずだ。
全て理解したいとまではいかない。でも知りたい。他人にここまでかかわろうと思ったのは初めてかもしれない。それだけ、名無しの俺がサーファーズとして定着してきているということだ。
よし! 思い切ってビシバシ色んなことを尋ねてみよう。
ソウファから勢いよく起き上がり、ダイネットへ行って台所へ目を向けると、ラ・コスタが身長に不似合いなフライパンを振っているのが目に入った。
時計を見るともう正午を過ぎている。そうか、彼はさっきから俺の昼食を作っていたのか。
「サーフ、卵食べる?」近付くと彼が尋ねた。
「うん」
新たな決意をした記念すべき質問第一号は、一体なににしようか考えながら手を洗ってくる。戻ってくると台所は混合スパイスの香りに包まれていた。卵を手に持ったラ・コスタは後ろに立っていた俺に気付くと、見て見てとばかりにジエスチャして、両手を使わず片手だけで卵を割って見せる。
彼は食べることに興味がないようだから、味の良し悪しよりも作る際の技術面に凝っているようだ。技術面といっても見た目を美しく飾りつけるとかではなくて、作り方は適当、――つまりどれだけ合理的にそれなりの料理が作れるかを追及しているのではないかと言える。
あと、みじん切りに情熱を燃やしているとか、味付けに砂糖を使わないとか、基本的に一品しか作らないとか、変な彼のルールもあるようだが、作ってもらっている俺としては傍から見守るしかない。
冷蔵庫からミルクを出してタムブラに半分注ぐ。横ではラ・コスタがガシャガシャ卵を解してフライパンに流し込む。どうやらシート状に焼いて、味付けをしたライスを包むつもりのようだ。ちなみに俺が卵を食べないと返事してたら、中身だけがテイブルに出てきたとみる。大きめのスプーンを手に持って席に着いた。
「はい、できたよ」
「ありがと」
ライスが卵の皮からはみ出さないように盛り付けられた皿に目を向ける。珍しくケチャップで落書きがされてない。普段なら目玉とか目玉とか、飽きずに目玉とかにされているのに。
彼はいつの間に淹れていたのか、もう湯気の立ってないコフィを持って自分の席に着いた。
「ラ・コスタは、コフィで動いているのか?」
気持ちを新たにした記念すべき質問第一号をその場の勢い的に思い付いてぶつけると、ラ・コスタはカップに近付けようとしていた唇を離して俺を見る。
「そうだとびっくりする?」
「しない」
「僕がなにを食べるのか……知りたい?」
あまりにも意味ありげに尋ねるので、何だか聞くのがちょっと恐ろしくなってきそうだ。『それはお前をだよ!』とか、『実は僕がリヴァイアサンなんだ!』とか言い出しそうな雰囲気である。
「知りたい……」卵とライスができるだけ均一になるよう、スプーンで端から順番に削り取りながら答えた。
「じゃあヒントをあげるから当ててごらんよ。その一、コフィは水の代わりである。その二、僕が『食事』をするのは一日二回くらいで、君も見たことがある、以上」
なにやらヒントまで貰ってしまったぞ。でも俺……、彼がものを口にしているのを見たのは、本当にコフィとオリンジしかないんだけど。アイスクリームは、無理して食べると言っていた時点で主食であるはずないだろうし、まさか霞を喰ったり光合成をしたりしているわけでもなかろう。
「考えとく……」
降参するのは 癪 なのでそう答えるしかない。しかし、このままいくと今後の質問も質問で返され、俺の悩みが増えるのではあるまいだろうか。
2012.10/3 脱字・ルビ修正
2013.2/20 一部修正




