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英雄として死んだはずの夫が、隣国で結婚して私への褒美を盗みに来ました

掲載日:2026/10/04

 空がゆっくりと濃紺から淡い色へと変わっていく頃、まだ屋敷内は静寂に包まれている。


 使用人たちもまだ起きてはこないこの時間。

 私は普段着の簡素なドレスに羽織りをかけたまま、ゆっくりと執務室へ向かっていた。


 誰もいないこの早朝に、ゆっくりと一人自分の淹れた紅茶を楽しむ。

 それが仕事を始める前の日課になっていた。


 ひんやりとした朝の空気を体に取り込みつつ、自分の足音を聞きながら進んでいく。


 するともう使われなくなった夫の部屋から、音が聞こえてくる。


 カタン――


 何かをどかすような音。

 この部屋を使わなくなってから、もう三年くらい経っただろうか。

 今や大掃除の時くらいしか、使用人たちだって入りはしない。


 でも確かに音はその中から聞こえてくる。


 もしかして泥棒?

 こんな時間に……。大声を上げれば、私設の兵がここまで来てくれるかもしれない。


 だけど呼んだところで、中にいるのが屈強な男だったら……。

 

 そう考えると、嫌な汗が背中を伝わっていく。

 心臓の音が耳につくほど大きくなり、呼吸も浅くなるのを感じた。


 私は中の人間に気付かれないように、そっと扉に近づく。


 扉の隙間からは、小さく光が漏れていた。


 確認しなくちゃ。

 今私はこの屋敷の全責任を背負っているのよ。

 それにもしかしたら、使用人がネズミでも捕まえているだけかもしれないし。


 どこかそんな楽観的な考えを持ってしまうのは、現実を直視したくないからだろう。


 私はそっとドアノブに手をかけ、一度大きく息を吸い込むと一気に開け放った。


「誰⁉」


 そう声を上げながら、左手に持っていた明かり用の燭台を先に部屋に差し入れる。

 

 深い緑色の短い髪に、赤い瞳。

 やや痩せて老け込んでも見えるその顔にはシワが刻まれている。


 男は燭台の火に目を細め、警戒したように腕を上げて顔を隠した。


 それでも私にはすぐに分かった。

 見間違えるはずもない。

 だけどここにいるはずもない人物。


 そう私の夫……だった人とでも言うべきなのだろうか。


「アレン、あなたどうして……」


 私は今何を見ているのだろうか。

 もしこれが夢だとするならば、酷く質の悪いものだろう。

 

 どうして?

 この先の言葉がどうしても見つからない。


 どうして今なのか。

 いやそもそも、この人は本物なのか。

 

 何を聞くべきで、どう対応するべきなのか。


 考えれば考えるほど、ただ頭の中が混乱してしまい考えがまとまらない。


 だって夫であるアレンは三年前のあの夏の日、隣国との戦いで戦死したはずなのだから。


 そう忘れもしない。

 いまでも鮮明に覚えている。


 この人をここから送り出した日のことを――


     ◇     ◇     ◇



「本当に行ってしまうの、アレン」


 そう声をかけるので、私は精一杯だった。


 私たちは昨日、結婚の誓いを教会で立てたばかり。

 使用人たちによって飾り付けられたこのエントランスの白い花たちも、昨日の余韻を残している。


 それなのに……。

 初夜すら迎える前に王宮から緊急の連絡が入ったのだ。


 隣国が国境を越え、侵略をしてきたという最悪の事態。

 なぜ今なのか。

 そしてどうして今日だったのか。


 国の偉い人たちに言わせると、今年の夏長雨が酷く続いたせいで農作物が上手く育たなかったことが原因だろうとのことだった。


 本格的な収穫を迎える前に、攻め入って全て奪ってしまおうという魂胆なのだろう。


 だけど……。


「アレン……私は……」


 泣きそうになりながら、彼を見た。


 いつもの服装ではなく、銀製の鎧に身を包む彼。

 その胸にはこの侯爵家の紋章が描かれている。


 この侯爵家は、代々国を護る騎士を多く輩出してきた一族だ。

 だから彼の担う役割も十分理解している。

 

「泣かないでくれ、エルザ。これは我が侯爵家の務めなんだ」

「分かっています。分かっていますが……」


 政略結婚でしかない私たちの関係だけど、それでもちゃんと少なくはない愛情を育ててこれたと思っていたのに。


「大丈夫。すぐに戻ってくるさ。そうしたらもう一度、全て一からやり直そう」

「結婚式も?」

「ああ。プロポーズするところからやり直すさ」

「次は指輪、ちゃんと忘れないでね」

「確かに。それが一番重要だ」


 いたずらっぽくアランは笑った。


 プロポーズの日に指輪を馬車に忘れて来る人なんて、きっとアレンくらいのものだろう。


 でもそんなエピソードすらも、私には愛おしい。


 だからこそ、泣いて縋りつきたかった。

 行かないでと泣きわめき、どうしても引き留めたかった。


 たえそれが許されないことだとしても……。


「無事に帰ってきてね」

「ああ。分かっているよ、エルザ。行ってくる」

「いってらっしゃい、アレン」


 どうかどうか無事でいて。

 声にならない叫びを押し込めて、私はただアレンの背を見送った。


 そして一人屋敷のエントランスに残された私は、祈ることしか出来なかった。



     ◇     ◇     ◇



 隣国との争いは、初めにこちらの領地が攻め込まれ、一番辺境の地を陥落されてしまったことで劣勢を極めた。


 そんな中、私の元に訃報(ふほう)が届くまで、時間はかからなかった。

 

 夫たち選抜部隊は、最前線の脇から隣国に攻め入るという、いわば特攻という形をとったらしい。


 作戦は成功し、辺境の地も取り戻すことは出来たものの、選抜部隊はほぼ壊滅。

 夫も戦場で亡くなったとのことだった。

 亡骸は、その場で火葬されたらしい。


 戻って来たのは夫が着ていたあの鎧と、誰とも分からぬ骨が入れられた骨壺だけ。


 だけど悲嘆に暮れる時間など私にはなかった。


 夫が残した領地の経営や、傾いてしまった国の再建。

 騎士や男性貴族たちが戦に駆り出された影響で、王妃様を始めとする女性陣でそれらを遂行したのだ。


 そして蹂躙された村や亡くなった遺族への支援など、その仕事は多岐にわたった。


 ただ悪い面だけではなかった。

 仕事でフル回転していれば、悲しむ時間などなかったから。

 そうやって三年。そう三年……。


 やっと普通の生活に戻ったというのに。


「あの、これはその……いや、違うんだエルザ」


 私は再び目の前にいる夫を見た。


 姿はやや老け込んでいるものの、声や面影は何も変わってはいない。


 だけどなぜかしら。

 この人を見ても、心が動くことはない。


 焦ったように慌てふためき、身振り手振りで言い訳をするアレンを見ていると、心が一気に冷えていくのが分かった。


「何が違うというの?」

「あのだからそれは……そう、家を見に来たんだ」

「見に来た?」

「そうだ。俺がいなくなってから困っているのではないかと思ってな」


 言い訳が支離滅裂ね。

 困っているですって?

 あれから三年経ったのよ。


 今まで生きていたのなら、どうしてもっと早くここへ戻ってこなかったのかしら。


「問題ないわ。私が今は全てやっているから」

「そうか……」

「あなた生きていたのね」

「ああ……」

「で、今さら生きていて、なぜここへ戻ってきたの?」


 そう、なぜこのタイミングなのか。

 もっと早くに戻ることだって出来たはずだ。


 だいたい死んでいなかったとしたら、騎士たちの話が嘘だったことになる。


 この人は戦闘で特攻をかけ、その中で亡くなった。

 亡骸はあまりに大勢で区別がつかないものもあったそうだが、確かにアレンの鎧は血まみれで見つかったのだという。


 ああ、でもそうね。

 その血が本人のものだとは限らないのか。


 返り血や仲間の血。

 それを浴びて……この人は逃げたというなら納得がいくわ。


「それは……新聞を見たんだ」

「新聞?」

「俺が英雄と認められて褒賞が出るって」


 いやらしい目つきで、ニタニタと笑い出すアレン。

 見た目は同じでも、中身はもう別人のよう。

 

 同じこの顔で話すこの人は誰なのかしら。

 どう考えてもアレンだとは頭が理解しても、生理的に受け入れられそうにない。


 それに新聞か。

 確かに先週の記事にはそんな内容が載っていたわね。


 だけどちゃんと中身までは読んでいないみたい。

 確かにアレンはこの国の英雄とされた。

 でも褒賞はそんなアレンではなく、国の再建に尽力したその妻である私にと書かれていたはずなんだけど。


「隣国に逃げて上手くやっていたのなら、何にお金が必要だというの? こんな三年も経って、今さら」

「今さらなのは悪いと思っている。でも本当に金が必要なんだ。子どもが……」

「子ども?」

「あ、ああ……。次の春に子どもが生まれるんだ」


 つらつらと並べられた言い訳は、聞くに堪えないものだった。


 アレンはあの特攻の最中、一人隣国に逃げ延びたのだという。

 そこで今の妻である男爵令嬢と恋に落ち結婚した。


 おそらく向こうの貴族になるための手土産は、我が国の戦力や戦闘配備などの情報だったのだろう。


 だが問題は結婚した男爵家がうちよりもかなり貧乏だったこと。

 そこにさらに勝てると思っていた隣国が敗戦国となったことで、更に困窮を極めることになったようだ。


 本来ならば貴族がやらなくてもいい農地の開拓や力仕事なども、全て自分たちで行わなければならなくなったらしい。


 そんな中、新しい妻が妊娠し、まとまったお金が必要になったところであの記事が出たということだった。


「……」


 終始ニタニタと薄ら笑いを浮かべながら、恥ずかしさの欠片もなく説明をするアレンに、私はただため息をつくことしか出来なかった。


 別にこの人があの戦で死んでいて欲しかったとは思わない。

 生きていてくれたことは、否定しない。


 だけど……。

 私が一時でも愛した人は、こんな人だったのかしら。


 なんだろうか。

 虚しさが心の中に降り積もっていく。


「分かってくれ、エルザ。金が必要なんだ。今までこの侯爵家で、何不自由なく暮らしてきたんだろう?」

「あのお金が私に支給されるものだというのにですか?」

「お前は今まで俺が英雄として死んだことで、もう十分すぎるほど貰ってきただろう!」


 何も知らないくせに。

 何も見てこなかったくせに。

 都合のいい記事だけ見て決めつけるのね。


 ああ、ホント……馬鹿馬鹿しい。


「私の夫として生きるつもりもないのに、あなたは私のお金を欲しがるのね」

「それは……すまないとは思っているが……だが子どもが……」


 子どもは作らなければ、生まれることもないのに、それを言い訳にするなんて。

 

 しどろもどろになりながら、アレンは視線を泳がせていた。


「分かりました。では、離婚しましょう」

「え……」

「だってそうでなければ、ただでさえ重婚状態なのですよ?」

「いや、それはそうだが……。そんなことよりも金が……」


 金ねぇ。

 離婚しなければ、私はずっと自分に縛り付けられたままだとは思わないのかしら。

 自分だけが良ければいいだなんて。


「あなたにはもう新しい家族があるのだし、私には私のこの先があるんです」

「ああ、そうだな……。だが離婚などしたら」

「そうですね。あなたが生きていたことは、国にバレるでしょうね」

「!」


 まさか私にそう切り返されると思っていなかったアレンは、大きく目を見開いた。


 そしてだらだらと額から汗を流し、慌てふためき始める。


 死んだ人間と離婚するなど、普通ならばあり得ない話だ。

 だけど実際こうやって生きていたのだから仕方ない。


 私が自由になるためには、この人との縁を切ってしまわないと。


「あなたが生きていたこと、隣国で他の貴族と結婚し貴族籍を得たこと、そして自分の分の褒賞を受け取りに来たこと。それらは全て王国に報告すべきことですから」

「ま、待て! そんなことをしたら俺が英雄じゃなくなるじゃないか」

「そんなこと、今のあなたには必要のないことでしょう? だって、実際に生きているんだから」

「それは……」


 名誉なんてお金のためなら関係ないと言うかと思ったけれど、結局どちらも欲しがるなんて。


 英雄だと呼ばれるべき人はもっと他にいたはずなのに。

 どこまでも卑怯な人。


「うるさい、うるさい、うるさい! お前は俺の妻だろう? だったら俺の言う通りにしろよ」

「呆れた……。もう他の女性と結婚して、私を先に捨てたというのに、どの口がそんなことを言うのかしら」


 金を渡さないとは言っていない。

 ただ私が言ったのは、真実を公(おおやけ)にするということだけ。


 それでも納得がいかないアレンは、手当たり次第に暴れて部屋にあったものをなぎ倒していく。


「……これならいっそ……」


 私はそこに続く言葉を飲み込む。

 たぶん人としては言ってはいけない言葉だから。


 そして部屋で暴れる音を聞きつけた兵士たちが、部屋に流れ込んでくるまで、さほど時間はかからなかった。


 アレンは私が王家に遣いを出したことで、すぐに騎士団がやってきた。

 

 うなだれるように連行されていく夫だった男の背中を、私は一人眺める。


 あの日とはまったく違う状況。

 もうあの背中を追いかける夢を見ることはないだろう。


 だけどそれすらも、私にはどうでもよく思えてしまった。


「さぁ、また明日から大変そうね」


 やるべきことはたくさんある。

 

 私は左手の薬指にいつまでも輝いていた銀の指輪に手をかける。


「もう一度プロポーズからなんて……よく言ったものね」


 力を込めれば、指輪はスルリと抜け落ちる。

 わずかに残った跡だけが、今の私の心を映しているようだった。


 でももう未練などない。

 見上げれば、雲一つないどこまでも青く晴れ渡った空。

 

「さよなら……」


 私は右手に掴んだ指輪を大きく空高く放り投げる。

 日の光を浴びたそれがきらりと光り、放物線を描きながら天へと舞い上がる。


 過去の私、偽りの約束、大切だと思い込んでいた思い出たちを乗せて、指輪は消えていった。


「ふふふ」


 胸のつかえが消えていく。

 過ぎて行く涼し気な風すら、私を祝福してくれている気がした。

 

少しでも面白いと思っていただけましたら、ブクマ、★、感想など頂けますと幸いです。

作者、益々頑張ります!

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