第29-2話 日本とインドネシア 両国首脳合意に向けたアレンジ -ストーリー戦略1
【鳴子——完璧なアレンジと危機管理】
両国政府が動き始めた。
しかし——威風が取り付けた覚書は、まだ「協議開始」という意思確認に過ぎない。真に効力を発生させ、4450億円の資金調達を実現するためには、日本の首相とインドネシア大統領——両国のトップによる、正式な合意が必要だった。
東京のプロジェクトルーム。会議テーブルを囲んで、威風、賢、鳴子の三人が座っていた。
威風が資料を広げた。「両国の首脳会談を実現しなければならない。しかし——」その声には、明らかな困惑が滲んでいた。「首相と大統領、それぞれのスケジュールは数ヶ月先まで埋まっている。さらに、両国の外務省、財務省、経済産業省——全ての調整が必要だ」
賢が資料を見ながら分析した。「関係者だけで50名以上。それぞれが異なるスケジュールを持ち、異なる思惑を持っている」
その時。鳴子が、静かに手を挙げた。
「私が、やります」
威風と賢が、驚いて鳴子を見た。
鳴子が続けた。「日本の首相とインドネシア大統領の会談を設定します」その声は穏やかだが、揺るぎない決意に満ちていた。「さらに、APEC会議の場で両国の合意——共同声明も実現させます」
賢が心配そうに身を乗り出した。「鳴子さん、大丈夫ですか? 両国の首脳のスケジュール調整は——前例を見ても、通常3ヶ月から半年かかります。しかも、両国同時となると……」
鳴子が、静かに微笑んだ。
「私の厳密な管理能力が、試される時です」
翌日から、鳴子の戦いが始まった。
プロジェクトルームの一角。三台のディスプレイに囲まれた鳴子のデスク。画面には、膨大なスケジュール表が表示されている。
日本の首相の予定——朝7時から深夜まで、15分刻みでびっしりと埋まっている。国会、閣議、党内会合、外国要人との会談。
インドネシア大統領の予定——こちらも同様。さらに時差が2時間あり、調整の難易度が跳ね上がる。
両国の外務省、財務省、経済産業省——それぞれの担当者たちのスケジュール。全部で53名。
鳴子の指が、キーボードの上を高速で動く。Excelの巨大なスプレッドシート。縦軸に人名、横軸に日時。色分けされた無数のセルが、まるでパズルのように並んでいる。
赤:調整不可能
黄:条件付きで可能
緑:可能
そして鳴子は、その中から——たった一つの「全てが緑になり得る日時」を、見つけ出そうとしていた。
——3日後。鳴子が会議室に威風と賢を呼んだ。
テーブルには、分厚いファイルが二つ置かれている。
鳴子が発表した。「首相会談は、3週間後の火曜日、午後3時」淡々とした声だが、その言葉の重みは計り知れない。「APEC会議での政策協議は、5週間後の金曜日、午前10時」
威風と賢が、息を呑んだ。
「鳴子さん——」賢の声が震えている。「もう、決まったんですか!?」
鳴子がファイルを開いた。そこには、完璧に整理された資料が綴じられていた。
「はい」鳴子が頷いた。「日本側27名、インドネシア側26名——全ての関係者に確認を取りました。会場も確保済みです。東京とジャカルタ、両方で」
さらに、資料をめくる。
「通訳は、日英、英尼の専門家を各3名ずつ。資料は日本語、英語、インドネシア語の三カ国語版。同時通訳ブースの設置も完了しています」
威風が、資料を見つめて呟いた。「……わずか3日で」
鳴子が微笑んだ。「厳密に管理し、舞台を整える。それが、私の流儀ですから」
——首相会談3日前。午前10時。
プロジェクトルームのドアが、勢いよく開いた。
「鳴子さん!」スタッフが、顔を真っ青にして駆け込んできた。「大変です! 台風が——台風15号が進路を急に変えて日本に接近しています!」
鳴子が、瞬時にパソコンを開いた。気象庁のサイト。衛星画像に映る、巨大な渦巻き。
スタッフが息を切らして説明する。「このままだと、首相の乗る政府専用機のルートに、直撃します!」
賢が駆け寄ってきた。資料を見て、顔色が変わる。「これは……このままでは、首相は東京を出発できない。会談に間に合わない」
威風も画面を覗き込んだ。「なんで進路が急に変わってしまったんだ……延期するしかないのか……」
賢が鳴子を見た。「鳴子さん、どうします? 延期しますか? でも、再調整には——」その声が、わずかに震えている。「また数ヶ月かかります……」
周囲のスタッフたちも、固唾を飲んで鳴子を見守っている。
しかし。
鳴子の表情は、まったく変わらなかった。
冷静そのもの。いや、むしろ——わずかに、口角が上がっていた。
「いいえ」鳴子が静かに言った。「延期は、しません」
「政府に、代替フライトの手配を提案します」
鳴子が立ち上がり、別のパソコンを開いた。画面には、すでに詳細な気象予測と航路図が表示されている。
「台風を迂回する北回りルート。千歳経由でのアプローチ。所要時間は通常より1時間増えますが、安全に到着できます」
賢が目を見開いた。「もう、計算してあるんですか!?」
鳴子が携帯を取り出し、即座に電話をかけ始めた。「首相官邸、官房長官秘書室へお願いします」
繋がった。鳴子の声が、プロジェクトルームに響く。
「秘書官殿、台風15号の影響により、通常ルートでの運航が困難と予測されます。代替案を3パターンご提案させていただきます。プランA:北回りルート、千歳経由。プランB:西回りルート、福岡経由。プランC:新幹線とヘリコプターの組み合わせ。それぞれの所要時間、リスク、コストをまとめた資料を、今からメールでお送りします」
鳴子の指が、すでにキーボードの上を動いている。資料を送信する。
「さらに、予備機のスタンバイもご検討ください。万が一に備えて」
電話を切る。そして同時に、別の資料を印刷し始めた。
「会談プログラムの短縮版も用意します」鳴子が淡々と言った。「30分遅延の場合のプランA、60分遅延のプランB、90分遅延のプランC——全てのシナリオに対応します」
威風が、ただただ驚嘆して鳴子を見つめていた。「鳴子さん……これ、いつ準備したんですか?」
鳴子が答えた。「2週間前からです」
一同が、息を呑んだ。
「この時期、台風シーズンです。気象リスクは当初から想定していました。この程度、私の管理能力としては、基本事項です」
会談当日。首相は北回りルートで無事に到着した。
到着時刻:午後2時52分。会談開始まで、8分の余裕。
鳴子の完璧な計算通りだった。
——APEC会議2日前。午前6時30分。
プロジェクトルームのドアが、再び勢いよく開いた。今度は、威風が駆け込んできた。
「鳴子さん!」威風の顔色が、完全に変わっている。「インドネシアで——大きな地震が発生しました!」
鳴子が振り向いた。
「マグニチュード6.5! 震源地はジャワ島東部! 被害が出ています!」
鳴子が即座にテレビをつけた。CNN、BBC、NHK——すべてのニュースチャンネルが、同じ映像を流している。
崩れた建物。混乱する人々。救急車のサイレン。
賢も駆けつけてきた。「今、インドネシア外務省から連絡が——」その声が震えている。「大統領閣下が、国内災害対応のため、APEC会議への出席をキャンセルすると……」
沈黙。
賢が、椅子に崩れ落ちるように座った。両手で頭を抱える。
「終わった……」その声は、絶望に満ちていた。「これで、政策協議は……再調整に、何ヶ月——いや、半年以上かかる……」
威風も、立ち尽くしていた。さすがの彼も、言葉を失っている。
外交の駆け引きで、どうにかできる問題ではない。自然災害——それは、人間の力ではどうにもならない。
プロジェクトルームに、重い沈黙が流れた。
その時。
鳴子が、静かに立ち上がった。
その表情には——驚くべきことに——まったく動揺がなかった。
「すでに、代替プランを用意しています」
賢と威風が、はっとして顔を上げた。
鳴子がファイルを取り出した。そこには「緊急時対応プラン」と書かれている。
「プランA:2週間後の対面会議」鳴子が淡々と説明する。「災害復興の目処がついた段階で実施。プランB:1週間後のオンライン会議。大統領はジャカルタから、我々は東京から参加。プランC:緊急時の書面合意。オンラインも困難な場合、文書での合意形成」
賢と威風が、信じられないという表情で鳴子を見つめた。
「鳴子さん……それ、いつ……」
「最初からです」鳴子が答えた。「APEC会議のような国際イベントには、常に不測の事態が発生します。テロ、災害、パンデミック——あらゆるリスクを想定し、万全の対策を用意しておく。それが、国際会議のアレンジの、いえ私の基本です」
鳴子がすでに携帯を手に取っていた。
「インドネシア外務省、大統領秘書官室へお繋ぎください」
繋がった。鳴子が、流暢な英語で話し始める。
「秘書官殿、この度の災害、心よりお見舞い申し上げます。我々は、大統領閣下のご判断を尊重いたします」
「その上で、ご提案がございます。対面会議が困難であれば、オンラインでの実施も可能です。資料はすでに準備済み、通訳も手配済み、オンライン技術サポートも万全です。大統領閣下が災害対応に専念できるよう、我々が全面的にサポートいたします」
そして、鳴子が続けた。
「さらに——」その声に、初めて感情が込められた。「被災地支援として、我が社から緊急義援金を拠出いたします。本日中に送金可能です。インドネシアの皆様が、一日も早く日常を取り戻せますよう」
電話の向こうで、長い沈黙があった。
やがて、秘書官の声が聞こえた。その声は、明らかに感動に震えていた。
「……ここまで準備していただいているとは。そして、義援金まで……」
少しの間。
「では、来週水曜日、オンラインで実施させていただきたい。貴社の——いや、貴女の誠意に、心から感謝します」
——1週間後。水曜日、午前10時。
APEC共同声明の調印式——その瞬間が、今、訪れようとしていた。
プロジェクトルームの大型モニターに、二つの画面が映し出されている。左側はジャカルタの大統領府。右側は東京の首相官邸。
賢、威風、そして鳴子が、固唾を飲んで画面を見つめていた。
午前10時00分——予定通りの時刻。一秒の狂いもない。
画面の向こうで、インドネシア大統領が共同声明文書を手に取った。厳粛な表情。その後ろには、外務大臣、財務大臣、経済担当大臣——インドネシア政府の主要閣僚が並んでいる。
東京の画面では、日本の首相が同じく文書を手にしている。その横には、官房長官、外務大臣、経済産業大臣。両国合わせて53名の関係者が、この瞬間を見守っている。
静寂——
インドネシア大統領が、ペンを取った。
ゆっくりと、文書に署名していく。その一画一画に、両国の未来が刻まれていく。
日本の首相も、同じく署名する。
賢の心臓が激しく鳴っていた。1週間前、この瞬間が実現するとは誰も信じていなかった。台風。地震。突然の日程変更。無数の障害——それらすべてを、鳴子は乗り越えた。
——署名が完了した。
両国の大統領と首相が、カメラに向かって文書を掲げた。
画面の向こうで、拍手が起こる。ジャカルタでも、東京でも。
両国の戦略的パートナーシップ——共同声明として、正式に発表された。
威風が、深く息を吐いた。そして鳴子を見つめた。
「鳴子さん……」その声には、心からの敬意が込められていた。「信じられない。本当に、実現させた」
賢も頷いた。「正直、何度も諦めかけました。でも、鳴子さんは一度も諦めなかった。深夜2時、3時まで——時差を計算し、分単位でスケジュールを組み直し続けた」
鳴子が、静かに微笑んだ。
「鶏は、毎朝必ず同じ時間に鳴きます。雨の日も、風の日も、嵐の日も」
彼女の声は穏やかだが、揺るぎない確信に満ちていた。
「それは皆への——約束だからです。誰かが頼りにしている。誰かが待っている。だから、決して遅れることはできない」
鳴子が、二人を真っ直ぐ見つめた。
「私も同じです。どんな困難があろうと、どれほど複雑なスケジュールであろうと——約束は、必ず守る」
彼女の目に、静かな誇りが宿っていた。
「——私のスケジュール帳に、遅延という文字はありませんので」
画面の向こうで、インドネシア大統領と日本の首相が、お互いに笑顔で握手のジェスチャーをしていた。
歴史的な共同声明——それは、鳴子の「厳密な管理能力」が成し遂げた、奇跡だった。
——その夜、鯨岡社長から賢に連絡が入った。
「賢か。二国間覚書、そして共同声明と実に素晴らしい仕事であったが、まだ最後の大仕事が残っている。 外務省から連絡があってな。 戦力的パートナシップ、まだインドネシアで効力発生となっていない。少数与党である中、野党の合意が必要とのことだ。三日後、インドネシアの国会で議論される。そこで賢、君が参考人招致されるよう推挙しておいた。今すぐインドネシアに飛んでくれ。健闘を祈る。」
「畏まりました、社長。ご高配ありがとうございます」賢はそういうと電話を切った。
——やはりなかなか楽にはさせてくれないな。
賢は夜空を見上げた。
続く
ーーーーー
登場人物紹介
子田賢 - ネズミ。プロジェクトリーダー。
全体を俯瞰し優れた分析力と観察力を持つ。
牛田継続 - ウシ
着実に前進する実行力と信念を持つ。
虎山威風 - トラ
力強い実行力を持つ戦略家。
兎野理子 - ウサギ
慎重なリスク分析の専門家。
龍雲昇天 - タツ
圧倒的なカリスマと人を魅了する力を持つスター。
蛇原静香 - ヘビ
人の観察に優れ本質を見抜く洞察力の持ち主。
馬場疾駆 - ウマ
自由を愛し新しい風を吹き込む風雲児。
羊谷和奏 - ヒツジ
優しく人々を調和させ、団結させる力を持つ。
猿田新々(さるた・しんしん) - サル
機転と発想力に優れるがあきっぽい。
鶏鳥鳴子 - トリ
厳格な管理能力を持ち、組織の秩序を守る。
犬塚潜在 - イヌ
次期リーダー候補と言われた若手エース。
猪野勇進 - イノシシ
愚直でひたむきで真っ直ぐ突進する。
ーーーーー
お読み頂きありがとうございます。
応援の方、宜しくお願い致します!




