第29-1話 日本とインドネシア 政府間覚書締結の交渉 -ストーリー戦略1
前半
インペリアルスカイグループ本社、役員会議室。夜の帳が降りた東京のビル群が、無数の光となって眼下に広がっている。
雲居社長と鯨岡社長が、重い沈黙の中、大きな窓から夜景を見つめていた。二人の間に漂う緊張感が、室内の空気を凍らせている。
鯨岡社長が、重々しい音を立てて資料をテーブルに置いた。分厚いファイルが三つ。それぞれに「ストーリー戦略2」「ストーリー戦略3」「ストーリー戦略4」のラベルが貼られている。
「ストーリー戦略2——グリーンエネルギー活用 : 成功」鯨岡社長が最初のファイルに手を置いた。「星野達也と牛田が、バリ島の地熱発電300メガワットを実現させた。静香が現地政府承認を取り付け、勇進が地元住民との信頼を築き、昇天が最高級ホテルリゾート、ブル・ガルーダを誘致した」
雲居社長が頷く。
「ストーリー戦略3——ガストロノミーツーリズムキャンペーン : 成功」鯨岡社長が二つ目のファイルに手を移した。「和奏が世界のトップシェフたちを誘致した。新々が独創的なキャンペーンで先行予約を確保し、疾駆が食料輸送網と共に航空便増便を実現。空川美咲がその全体計画を取り纏め、天野翔太が実務を取り仕切った」
雲居社長が頷く。
「ストーリー戦略4——ファルコングループとの提携 : 成功」鯨岡社長が三つ目のファイルを見つめた。「理子、潜在、星野達也の三人が鷹見透を説得。ファルコングループを呼び込み、300億円の資金不足を解決し、最先端の6G通信網構築への道を開いた」
雲居社長が振り向き、静かに頷いた。
一つ一つの言葉に、これまでの激闘の記憶が込められている。
鯨岡社長が続ける「残るは、ストーリー戦略1、 日本とインドネシア、両国間の戦略的パートナーシップのみ」その声には、重圧と期待が混じり合っていた。
「この戦略に……」鯨岡社長が一拍置いた。「合計4450億円の資金調達がかかっている」
その額の重さが、室内に沈殿していく。
鯨岡社長が続ける「日本政府、インドネシア政府、JOIN、アジア開発銀行——全てが、この戦略1の成否にかかっている」
雲居社長が、鯨岡社長を見据えた。その眼には、深い決意が宿っている。そして言った。
「その錦の御旗を立てられなければ——全てが、水泡に帰す」
その言葉の重さが、室内の空気を凍らせた。4450億円。ストーリー戦略2、3、4で積み上げてきた全ての努力。そのすべてが、このストーリー戦略1にかかっている。
長い、長い沈黙が流れた。
鯨岡社長が、重い口を開いた。「なかなか苦戦しているようですね」その声には、危機感が滲んでいた。
雲居社長が再び窓の外に視線を戻し、遠くを見つめるように答えた。「澄香がニューヨークに長期出張している影響もあるかもしれない。思ったより長引いている」
鯨岡社長が深く頷いた。「それもあるかもしれないです」
しかし——。
鯨岡社長の表情が変わった。迷いが消え、確信が浮かぶ。
「だが、この膠着状態……」鯨岡社長が力強く続けた。
「必ずや威風が打開してくれましょう。両国の心理を読み、外交の糸を紡ぐ。そして鳴子が、合意に向けた完璧なお膳立てをしてくれましょう。彼女の準備に、抜かりはない」
雲居社長が、わずかに頷いた。
鯨岡社長が続ける。「そして賢が——多少の困難なら、いや、どんな困難でも——乗り越えてくれる」
二人の視線が、空中で交わる。
長い沈黙の後、雲居社長が静かに、しかし力強く微笑んだ。
「ああ——」
「彼らを、信じよう」
【威風——外交的駆け引き】
東京・霞が関。外務省、第三会議室。
冷たい蛍光灯が、白い壁を無機質に照らし出している。長方形のテーブルを挟んで、威風と担当官が向かい合っていた。
担当官の表情は、氷のように硬い。腕を組み、椅子に深く座り、威風を値踏みするような視線を送っている。その態度には、明確な拒絶のメッセージが込められていた。
威風は、持参した分厚いファイルを開いた。「日本とインドネシア、両国間の戦略的パートナーシップを——」
担当官が、威風の言葉を遮った。「難しいですね」
その一言が、鋭利な刃のように空気を切り裂く。
威風が資料を差し出す。しかし、担当官は手を伸ばそうともしない。視線すら向けない。
「日本政府は極めて慎重です」担当官の声は、官僚的で感情を排している。「インドネシア政府が本気で動く——明確な確証がない限り、我々は一歩も動けません。前例がありませんので」
威風が食い下がる。「しかし、このプロジェクトは両国にとって——」
「どうか課長に一度お会いできませんか?説明の機会を」
「課長にご説明するには少なくともインドネシアの次官レベルの本件への姿勢が必要です」
「ご説明は承りました」担当官が立ち上がった。会議の終了を告げるサインだ。「検討させていただきます」
その「検討」が、丁寧な拒絶を意味することを、威風は知っていた。
——午後11時。東京のホテルの一室。
威風は、ノートパソコンの前に座っていた。画面には、ジャカルタとのオンライン会議の接続画面。時差を考慮した深夜の交渉だ。
接続音が鳴り、画面にインドネシア外務省の高官の顔が映った。50代、眼鏡をかけた厳格そうな男性。その表情は、東京で会った担当官と同じく、慎重そのものだった。
「両国の経済協力について、お話しさせていただきたく——」威風が英語で切り出した。
高官が答える。その声は丁寧だが、どこか冷たい。「日本政府が本気で動くなら、我々も考えます」
「なんとか次官にお会いできませんか?」威風が頼み込む。
「日本が動くという姿勢が見えない限り本件を次官に上げることはありません」
「そこをなんとか。決してインドネシアにとって悪い話ではないはずです」威風が食い下がる。
「それは同意します。インドネシアも日本が動けば動くでしょう。ただ今は様子見です。申し訳ありませんが、リスクは取れません」
画面が切れた。
暗闇の中、威風は一人、ノートパソコンの青白い光に照らされて座っていた。
完全なる膠着状態。日本は「インドネシアが動かなければ動かない」と言い、インドネシアは「日本が動かなければ動かない」と言う。
誰も、最初の一歩を踏み出そうとしない。
この膠着状態がもう1ヶ月。出口はまだ見えない。4450億円のプロジェクトが——いや、十二支チーム全員の努力が——暗礁に乗り上げていた。
——東京のオフィス。賢と威風、鳴子の三人が集まっていた。澄香はニューヨークに出張中で暫く顔を合わせていない。
三人は、会議室のテーブルを囲んで座っている。窓の外には、東京の朝の光が差し込んでいるが、室内の空気は重い。
威風が、テーブルに両手をついた。「どちらも——」声が、わずかに震えている。「どちらも、全く動かない」
賢と鳴子が、息を呑んだ。
「このままでは、どんどん時間だけが過ぎていく」威風が窓の外を見つめた。「更に1週間、2週間、1ヶ月——そして誰も何も決められないまま、プロジェクトが自然消滅する」
賢が、ノートパソコンに表示された会議録を見ながら分析した。「これは、心理学で言う『囚人のジレンマ』です」声は冷静だが、その目には焦りが滲んでいる
「両国とも、相手を信頼できない。相手が動けば自分も動きたい——でも、裏切られるリスクを恐れて、誰も最初の一歩を踏み出せない」
鳴子が小さく呟いた。「完全な、デッドロック……」
沈黙が流れた。
長い、長い沈黙。
時計の秒針だけが、規則的に時を刻んでいる。カチ、カチ、カチ——その音が、やけに大きく聞こえる。
威風が、目を閉じた。両手を組み、深く考え込んでいる。
賢も鳴子も、息を殺して威風を見つめている。彼らは知っている。威風が考えているとき、決して邪魔をしてはいけない。彼の中で、何かが動いている。
1分が過ぎた。
2分が過ぎた。
そして——。
威風が、ゆっくりと目を開いた。
その瞳には、もう迷いはなかった。何かを見通したかのような光が宿っている。
「……もし」威風が静かに言った。「両国が、同時に動くと信じたら?」
賢が、はっとして顔を上げた。「それは……まさか」
鳴子も息を呑んだ。「同時に……?でも、どうやって? それは不可能では?」
威風が立ち上がった。窓際に歩み寄り、東京の街を見下ろす。
そして、静かに、しかし揺るぎない声で言った。
「川の流れを読むように、両国の心理を読む」
振り返る。その顔には、確信に満ちた微笑みが浮かんでいた。
「外交的な駆け引きで、両方を——同時に——動かす」
翌日、午前10時。霞が関の日本外務省。
同じ第三会議室。同じテーブル。同じ担当官。
しかし、威風は違っていた。
先日の迷いは、完全に消えている。その眼差しには、獲物を見定めた鷹のような鋭さがあった。手には、一晩で準備した新しい資料ファイルが握られている。
担当官が、またも腕を組んで座っている。ため息をした。また来たのか、しつこいな。その心が伝わる。そして口を開いた「先日の件ですが——」
威風が、その言葉を遮った。
「担当官殿」威風が前のめりになり、テーブルに資料を叩きつけるように置いた。その音が、会議室に響く
「重要な報告があります」
担当官の表情が、わずかに変わった。
「先日——」威風の声が、力強く響く。「ジャカルタのインドネシア外務省と直接会談を行いました」
「そして——確約を、得ました」
担当官が身を乗り出した。「確約……とは?」
威風が資料を開いた。担当者が目を見開いた。そこには、インドネシア外務省の公式レターヘッドが印刷されている。
担当者は息を飲む。(公式レターヘッドがあるということは、担当レベルではない。次官レベルの確約だ——)
「インドネシア政府は、日本が動けば——全面的に協力すると、明言しています」
担当官の表情が、完全に変わった。腕を解き、前のめりになる。「失礼ですが、何か面談録などはありますか?」
威風が、準備してきた資料を、テーブルに広げていく。ここ1ヶ月に及ぶ会談記録。インドネシア語だが先方のサイン入りの正式版。
その中で最後の日付のハイライト箇所。発言者の名前は伏せられているが、翻訳ソフトにかけると『同意します。インドネシアも日本が動けば動くでしょう』という発言が確かにあった。
威風が解説する「夜の11時半。彼はそう言い残して、画面を切りました。私にはその声はとても力強く感じました」思い返すようにしみじみと言った。担当者が威風を真剣に見つめる。
「彼らは、日本のリーダーシップを待っています」威風が力強く言った。「日本が最初の一歩を踏み出せば、インドネシアは必ず追随する。それが、彼らの明確なメッセージです」
担当官が資料をめくる手が、微かに震えている。
長い沈黙。
やがて担当官が顔を上げた。その表情は、以前とは別人のようだった。
「……なるほど」担当官が深く頷いた。「これほどの確約があるなら——我々も、前向きに検討できます。いや——」
担当官が立ち上がった。今度は、会議を終わらせるためではない。課長に報告するためだ。
「すべきです」
——三日後、午後3時。ホテルの一室。
威風は、再びノートパソコンの前に座っていた。画面には、ジャカルタとの接続待機中の表示。
接続音。
画面に、あの高官の顔が映った。この前と同じ、厳格な表情。
しかし、威風の表情は違っていた。確信に満ちている。
「高官殿」威風が前のめりになって画面を見つめた。「緊急で、お伝えしたいことがあります」
高官が眉をひそめた。「何でしょうか?」
「つい3時間前——」威風の声が、力強く響く。「東京の外務省と会談してまいりました」
高官の表情が変わった。
「そして——確約を得ました。日本政府は、インドネシアが動けば——48時間以内に——公式声明を発表し、全面的に支援すると、確約しています」
高官が、画面越しに明らかに身を乗り出した。「本当か?日本が?それは——どのレベルの確約だ?担当レベル程度ではないであろうな?」その声のトーンが、完全に変わっている。
威風が、画面共有で資料を表示した。日本外務省の公式文書。課長の署名。
「担当レベルではありません。課長レベルの確約です」威風が説明する。「日本は、インドネシアのリーダーシップを尊重しています。インドネシアが最初の一歩を踏み出せば、日本は必ず追随する——それが、日本政府からの明確なメッセージです」
画面の向こうで、高官が資料を見つめている。長い沈黙。
やがて、高官がゆっくりと頷いた。
「……日本が、そこまで言うなら」
その声には、もう迷いはなかった。
「我々も動くべきだ。次官に、即座に報告する」
48時間後——。
東京、首相官邸。午後2時。
記者会見場に、100名を超える報道陣が詰めかけていた。カメラのフラッシュが光る。ざわめきが会場を満たしている。
そこに、官房長官が姿を現した。
彼は演台の前に立ち、一枚の声明文を手に取った。会場が静まり返る。
そして——力強く、読み上げた。
「本日、日本国政府は、インドネシア共和国政府との間で、バリ島におけるリゾート開発プロジェクトに関する戦略的パートナーシップの覚書に署名いたしました」
会場が、どよめいた。
「本プロジェクトは、日本とインドネシア両国の技術、資本、人材を結集し、アジアの未来を切り拓く歴史的な試みであります」
フラッシュが一斉に光った。記者たちが一斉にメモを取り始める。
そして、24時間後——。
ジャカルタ、大統領宮殿。午後3時。
インドネシアの報道陣が、宮殿前の広場に集まっていた。国営放送のカメラが、宮殿の正面玄関を捉えている。
大統領報道官が姿を現した。彼の手には、インドネシア国旗と日本国旗が並んだ声明文がある。
「インドネシア共和国政府は、日本国政府との戦略的パートナーシップを歓迎し、バリ島におけるリゾート開発プロジェクトへの全面的な支援を表明いたします」
報道陣から、歓声が上がった。
「これは、両国の友好関係の新たな章であり、アジア地域の持続可能な発展のモデルとなるでしょう」
バリ島のリゾート開発に向けた日本とインドネシア、両国間の戦略的パートナーシップ。その覚書が確りと両国間で結ばれた。
4450億円のプロジェクトが——ついに——動き始めた。
その知らせを受け、東京のオフィスで賢と鳴子が、心からの安堵の息をついた。そして賢が感心して言った。
「威風さん、見事でした。両国を結びつけた。誰も成し得なかったことを」
鳴子も頑く頷いた。「心理の流れを読む……さすがです」
威風は窓の外を見つめた。「川の流れを読むように、両国の心理を読む。そして、タイミングを見て一気に引き寄せる。それが、外交の本質です」
おっと——。 インドネシア外務省の公式レターヘッドが床に落ちた。しかし、それは 1年前の別のプロジェクトのものだった。
「それと疑似餌も必要かもしれません」威風は静かに微笑んだ。
—— ニューヨーク、高層ビルのオフィス。澄香が誰かと向き合い、膨大な資料を広げている。「17のゴールとの関連性ですが……」。相手の反応は見えないが、澄香の真剣な表情だけが、何か重要な交渉をしていることを物語っていた。
続く
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登場人物紹介
子田賢 - ネズミ。プロジェクトリーダー。
全体を俯瞰し優れた分析力と観察力を持つ。
牛田継続 - ウシ
着実に前進する実行力と信念を持つ。
虎山威風 - トラ
力強い実行力を持つ戦略家。
兎野理子 - ウサギ
慎重なリスク分析の専門家。
龍雲昇天 - タツ
圧倒的なカリスマと人を魅了する力を持つスター。
蛇原静香 - ヘビ
人の観察に優れ本質を見抜く洞察力の持ち主。
馬場疾駆 - ウマ
自由を愛し新しい風を吹き込む風雲児。
羊谷和奏 - ヒツジ
優しく人々を調和させ、団結させる力を持つ。
猿田新々(さるた・しんしん) - サル
機転と発想力に優れるがあきっぽい。
鶏鳥鳴子 - トリ
厳格な管理能力を持ち、組織の秩序を守る。
犬塚潜在 - イヌ
次期リーダー候補と言われた若手エース。
猪野勇進 - イノシシ
愚直でひたむきで真っ直ぐ突進する。
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