第28-2話 開発許可取得-ストーリー戦略2
【静香の戦い】
静香は、インドネシア政府の環境エネルギー省を訪れていた。地熱発電プロジェクトの開発許可を取得するためだ。
担当審査官は、環境アセスメント部門の部長、ラフマット。50代の真面目そうな男性だった。
静香が丁寧に資料を提示した。「ラフマット部長、私たちのプロジェクトは、環境保護と開発の両立を目指しています」
ラフマットが資料に目を通した。そして、穏やかな口調で言った。「静香さん、資料は拝見しました。非常に丁寧に作られていますね。前向きに検討させていただきます」
静香は安堵した。「ありがとうございます!」
しかし——
1週間後、再び訪問すると、ラフマットは同じ言葉を繰り返した。「前向きに検討しています」
2週間後も、3週間後も、同じだった。資料を褒めた上で「前向きに検討しています」
しかし、実際には承認プロセスは一向に進んでいなかった。
静香は焦りを感じ始めた。目を瞑りラフマットの言動を慎重に詳細に振り返った。そして、違和感に気づいた。
「前向きに検討」という言葉——それは、本心ではない。
ラフマットの目の動き、声のトーン、わずかな表情の変化——静香の鋭い人間心理分析が動き出した。
彼は、何かを恐れている。
静香は、ラフマットの過去を調べ始めた。公開されている審査記録、過去のプロジェクト、業界内の評判——
しかし、資料のほとんどがインドネシア語だった。静香はインドネシア語が読めない。
彼女は夜を徹して、一つひとつの文書を翻訳ソフトにかけ、丁寧に読み解いていった。専門用語が多く、翻訳も不正確なため、一つの報告書を理解するのに数時間かかった。
目が疲れ、頭が痛くなっても、静香は諦めなかった。ラフマット部長の本当の姿を知るために——。
そして、3日間の格闘の末、重要な情報を見つけた。
10年前、地熱開発プロジェクトで、温泉が枯れるという事故が発生していた。地域住民から激しい抗議を受け、政府も批判にさらされた。
ラフマットは、その時の担当審査官だった。
静香は確信した。彼の「前向きに検討」の裏にあるのは、過去のトラウマと、責任回避の心理だ。
「承認して、また問題が起きたら、自分の責任になる」——そう恐れているのだ。
静香は戦略を変えた。
次の面談で、静香は単刀直入に言った。「ラフマット部長、10年前のスマトラの地熱プロジェクトについて、お話しできますか?」
ラフマットの表情が固まった。「……なぜ、それを」
静香が穏やかに続けた。「部長、もしよろしければ、場所を変えてお話ししませんか?もっと落ち着いた場所で」
ラフマットが少し驚いた表情を見せた。そして、静かに頷いた。
二人は、省庁の建物から歩いて5分ほどの静かなカフェに移動した。窓際の席に座り、コーヒーが運ばれてくる。
静香がもう一度、優しく尋ねた。「一通り当時の資料は拝見させて頂きました。部長は、あの時とても苦しまれたのではないですか?」
ラフマットがコーヒーカップを見つめながら、長い沈黙の後、ぽつりと語り始めた。
「……あのプロジェクトで、温泉が枯れた。地域住民は生活の糧を失い、私は激しく批判された。『お前が承認したからだ』と」
「私は、技術資料を信じて承認した。しかし、結果は最悪だった。それ以来、私は——」
ラフマットが言葉を詰まらせた。「——地熱プロジェクトを承認することが、怖いんです」
静香はじっと耳を傾けた。そして、優しく言った。「部長、あなたは悪くなかった」
ラフマットが顔を上げた。
静香が続けた。「私、あのプロジェクトの技術資料も調べました。問題の本質は、還元井戸システムの設計不備でした。地熱水を地下に戻すシステムが機能していなかった」
「当時の技術資料には、その欠陥が明記されていませんでした。つまり、部長が判断できる情報ではなかったんです」
ラフマットの目に涙が浮かんだ。「本当に……そうなのか?」
静香が資料を提示した。「はい。そして、今回の私たちのプロジェクトは、あの時の教訓を全て活かしています」
静香が丁寧に説明を始めた。
「まず、還元井戸システム。使用した地熱水を100%地下に還元します。温泉の水源を守ります」
「次に、バイナリー発電方式。低温でも発電可能で、環境負荷が最小です」
「そして、リアルタイムモニタリングシステム。温泉の温度、水質、地盤の状態を24時間監視します。異常があれば即座に検知し、対応します」
「さらに——」静香が最も重要なポイントを強調した
「透明な監視委員会を設置します。地域住民、温泉事業者、環境団体、そして政府の代表が参加します」
「全てのデータを公開し、問題が発生した場合は即座にプロジェクトを中止します。部長が説明責任を果たせる仕組みを作りました」
静香が真剣な目でラフマットを見つめた。「これは、単なる技術的な対策ではありません。『失敗しない仕組み』です」
「部長が安心して承認でき、もし万が一問題が起きても、きちんと対応できる——そういう体制を整えました」
ラフマットが資料をじっくりと読み込んだ。
やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。
「静香さん……あなたは、私の恐れを理解してくれたんですね」
静香が微笑んだ。「はい。部長の責任の重さ、痛いほど分かります」
ラフマットが資料をじっくりと見つめた後、顔を上げ、力強く言った。「分かりました。これなら承認しましょう。技術的にも問題ありませんし、説明責任も果たせます」
静香は微笑んだ。しかし——
その瞬間、静香の胸の奥で何かが警告を発した。
心臓の鼓動が、一瞬だけ速くなった。これは——何か、違う。
その微笑みの奥で、彼女の鋭い観察眼が動いていた。
ラフマットの声は力強かった。しかし——
その目は力強くなかった。また肩に微かな緊張が残っている。左手の人差し指が、無意識にテーブルを軽く叩いている。これは、不安を抑えようとする時の仕草だ。
さらに——声のトーンが、わずかに高かった。不自然なほど、明るく響いている。
静香は見抜いた。この「力強さ」は——偽りだ。
静香の脳裏に、一つの決断が閃いた。ここで見逃せば、彼は必ず承認しない。次に会うとき、言い訳を作って残念ながら無理でしたと言ってくる。今、ここで——本当の壁を突破しなければ。
しかし、躊躇もあった。相手の「偽りの承認」を指摘することは、相手のプライドを傷つける。関係が壊れるかもしれない。
静香は深く息を吸った。そして、決断した。——やはり、今、言わなければ。
静香が優しく、しかし静かに言った。「部長、一つお聞きしてもいいですか?」
ラフマットが少し驚いた表情を見せた。「はい……何でしょう?」
静香がそれとなく尋ねた。「大変失礼と承知した上でお伺いします。今の『承認しましょう』というお言葉——本当に、心からそう思われましたか?」
ラフマットの表情が——固まった。
一瞬、彼の目が大きく見開かれた。そして、すぐに視線を逸らした。見抜かれた——そう悟った瞬間だった。
静香が続けた。「部長の声は力強かったです。でも……僭越ながら、目が少し迷っているように見えました」
ラフマットが息を呑んだ。その手が、わずかに震えた。
静香が穏やかに言った。「もし、何か心に引っかかっていることがあれば、教えていただけませんか?本当のお気持ちをお聞かせください」
長い、長い沈黙。
カフェの外から、車の走る音が聞こえる。誰かの笑い声。日常の音。しかし、この二人の間には——重く、深い静寂が横たわっていた。
やがて、ラフマットが観念したように、コーヒーカップを手に取り、ぽつりと言った。
「……静香さん、あなたには隠せませんね」
「正直に言うと——私が承認しても、私には何の得もないんです」
静香が静かに耳を傾ける。
ラフマットが苦笑した。「新規プロジェクトを承認しても、給料は変わりません。昇進にもつながりません。それどころか、もし次、失敗したら、私はクビになる。なら承認せずに実績のある既存プロジェクトの拡張だけやればいい」
「新規プロジェクトについては、リスクだけがあってリターンがない。それが、官僚の現実なんです」
静香の目が、鋭く光った。彼女は、ラフマットの心の奥底にある、もう一つの壁を見抜いた。
それは、恐れではなく——諦めだった。
静香が静かに、しかし力強く言った。「部長、一つ質問してもいいですか?」
ラフマットが顔を上げた。
「部長は、なぜ環境エネルギー省で働いているんですか?」
ラフマットが言葉に詰まった。「それは……」
静香が続けた。「給料のためですか?出世のためですか?」
ラフマットが沈黙する。
静香が優しく、しかし真っ直ぐに言った。「違いますよね。失礼ですが、あなたの新人時代の所信表明を拝読させて頂きました。部長は、昔——環境とエネルギーの未来を、本気で考えていたはずです」
「国の発展のために。人々を笑顔にするために。そのために、この道を選んだはずです」
ラフマットの目が揺れた。
静香が続けた。「でも、今の部長は——リスクを避けることだけを考えている。ですが、部長自身も、心の中で『これではいけない』と分かっているのではないですか?」
ラフマットの手が震えた。
「部長、私はあなたに出世してほしいとか、得をしてほしいとか、そんなことは言いません」
「でも——あなたの初心を、思い出してほしいんです」
「環境を守りながら、国を発展させたい。人々の生活を豊かにしたい。そのために、この仕事を選んだ——その気持ちを」
ラフマットの目から、涙がこぼれた。
長い、長い沈黙。
やがて、ラフマットが震える声で言った。「……そうだ。私は、忘れていた」
「いつから、私は——リスクを避けることだけを考えるようになったんだろう」
「本当は、分かっていた。このままじゃいけないと。でも……怖くて、動けなかった」
ラフマットが静香を見つめた。「静香さん、あなたは——私の心の奥底を、見抜いたんですね」
静香が優しく微笑んだ。「部長、あなたはまだ遅くありません。今からでも、初心に戻れます」
ラフマットが深く息を吸った。そして、力強く言った。
「承認します。リスクはある。でも——それが、私の仕事だ」
「環境を守りながら、国を発展させる。人々を笑顔にする。それが、私が選んだ道だった」
「静香さん、あなたのおかげで、私は思い出すことができました。ありがとう」
静香の目から、涙がこぼれた。「こちらこそ、ありがとうございます」
——2週間後、正式な開発許可が下りた。
その知らせを聞いた牛田と勇進が、驚きの声を上げた。
牛田が信じられないという表情で言った。「静香さん、本当にラフマット部長を説得したんですか?ブディさんもアディさんもそこが最大の壁。どう突破するか考えないといけないと口を揃えて言っていたんです」
勇進も興奮気味に続けた。「あの人、業界じゃ『絶対に首を縦に振らない男』って有名なんですよ!過去10年間、新規の地熱関連の許可を一件も出してないって聞いてます!」
そこに星野が慌てて部屋に入ってきた「皆さん、聞いていください。ラフマット部長、彼は曲者です。今まで15件の新規プロジェクトが断念し、もう10年間も無し。今すぐ交渉戦術を……えっ、承認された?」
三人が感心した様子で静香を見て同時に言った。「どうやって……?」
静香が穏やかに微笑んだ。「ただ、彼の心に寄り添っただけです」
静香の人間心理分析——それがなければ、決して開かれなかった扉だった。
続く
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登場人物紹介
子田賢 - ネズミ。プロジェクトリーダー。
全体を俯瞰し優れた分析力と観察力を持つ。
牛田継続 - ウシ
着実に前進する実行力と信念を持つ。
虎山威風 - トラ
力強い実行力を持つ戦略家。
兎野理子 - ウサギ
慎重なリスク分析の専門家。
龍雲昇天 - タツ
圧倒的なカリスマと人を魅了する力を持つスター。
蛇原静香 - ヘビ
人の観察に優れ本質を見抜く洞察力の持ち主。
馬場疾駆 - ウマ
自由を愛し新しい風を吹き込む風雲児。
羊谷和奏 - ヒツジ
優しく人々を調和させ、団結させる力を持つ。
猿田新々(さるた・しんしん) - サル
機転と発想力に優れるがあきっぽい。
鶏鳥鳴子 - トリ
厳格な管理能力を持ち、組織の秩序を守る。
犬塚潜在 - イヌ
次期リーダー候補と言われた若手エース。
猪野勇進 - イノシシ
愚直でひたむきで真っ直ぐ突進する。
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