第19話 過去の影
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登場人物紹介
子田賢 - ネズミ。プロジェクトリーダー。
全体を俯瞰し優れた分析力と観察力を持つ。
牛田継続 - ウシ
着実に前進する実行力と信念を持つ。
虎山威風 - トラ
力強い実行力を持つ戦略家。
兎野理子 - ウサギ
慎重なリスク分析の専門家。
龍雲昇天 - タツ
圧倒的なカリスマと人を魅了する力を持つスター。
蛇原静香 - ヘビ
人の観察に優れ本質を見抜く洞察力の持ち主。
馬場疾駆 - ウマ
自由を愛し新しい風を吹き込む風雲児。
羊谷和奏 - ヒツジ
優しく人々を調和させ、団結させる力を持つ。
猿田新々(さるた・しんしん) - サル
機転と発想力に優れるがあきっぽい。
鶏鳥鳴子 - トリ
厳格な管理能力を持ち、組織の秩序を守る。
犬塚潜在 - イヌ
次期リーダー候補と言われた若手エース。
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前半
炎上対応が一段落した深夜。オフィスには、まだ数人が残っていた。
潜在は一人、別室でタブレットを見つめていた。五日目に発見したデータ——「動画の内容は素晴らしい」というコメント群。
「これを、皆に伝えるべきだった……」
しかし、あの時、彼は動けなかった。会議室のドアに手をかけて、そして引き返した。過去の恐怖が、彼を縛り付けた。
潜在は目を閉じた。記憶が、鮮明に蘇ってくる——
二年前。当時の潜在は、次期リーダー候補として輝いていた。
「犬塚さん、この提案、素晴らしいです!」「犬塚さんについていけば、間違いない!」
誰よりも顧客のことを考え、チームを支え、成果を出し続けた。うまくいけば40歳で部長——そのキャリアパスまでもが見えていた。
しかし、彼の上司——鮫島部長は、潜在の才能に嫉妬していた。
ある日の会議。潜在がチーム全員で作り上げた提案書を発表した。自信があった。完璧な内容だった。
しかし、鮫島部長は提案書を床に叩きつけた。
「犬塚、これはどういうことだ?こんな甘い提案で通ると思っているのか?お前は本当に無能だな」
周囲の視線が突き刺さる。誰も何も言わない。ただ、潜在だけが晒される。
潜在は困惑した。その提案は、チーム全員で議論を重ねて作り上げたものだった。しかし鮫島部長は、潜在一人の責任として攻撃した。
それは、始まりに過ぎなかった。
毎日の朝会で、鮫島部長は潜在だけを名指しで批判した。「犬塚のせいで、チーム全体の評価が下がる」「お前がいなければ、もっとスムーズに進む」
朝、会社に行くのが怖くなった。朝会の時間が近づくと、動悸が激しくなった。
潜在は耐えた。自分が我慢すれば、チームは守れると信じていた。「これくらい、大丈夫」そう自分に言い聞かせ続けた。
しかし、パワハラは日に日にエスカレートしていった。
ある日、プロジェクトの重要な会議。潜在が顧客データを分析し、新しい戦略を提案しようとした。
「部長、この数字を見てください。顧客満足度が——」
「黙れ!」鮫島部長の怒鳴り声が会議室に響いた。「お前の意見など聞いていない!言われたことだけやれ!」
潜在が口を開くたびに、「黙れ」「しつこいぞ」と遮られた。
同僚たちは見て見ぬふりをした。誰も助けてくれなかった。休憩室で目が合うと、皆すぐに視線を逸らした。
上層部に訴えることもできなかった。鮫島部長は、上層部との関係が強固だったからだ。
半年後、潜在は精神的に追い詰められ、休職を余儀なくされた。
次期リーダー候補として輝いていた男は、自信を失い、人と話すことさえ恐れるようになった。
「自分は無能なんだ……」そう思い込むようになっていた。
一年半の休職とリハビリ。カウンセリング、認知行動療法、薬物療法——全てを試した。
そして、職場復帰。長かった。しかし、心の傷は完全には癒えていなかった。
会議で意見を求められると、手が震える。自分の提案が批判されるのではないかと、常に恐れている。
だから、誰かのミスを見つけると、先回りしてカバーする。また、誰かが責められる前に。
深夜のオフィス。潜在はタブレットを握りしめた。
「あの時、皆に伝えていれば……この炎上を、チャンスに変えられたかもしれない……」
その時、背後から声が聞こえた。
「潜在さん、まだ残っていたんですか」
振り返ると、賢が立っていた。
賢は潜在の隣に座った。「潜在さん、休職前は大変だったようですね」穏やかな声だった。
潜在は驚いた。「どうして……」
「人事記録を見ました。そして人事部にヒアリングもした。鮫島部長のパワハラで休職、そして復帰。あなたは、とても辛い経験をされた」
潜在は俯いた。「僕は……もう昔のように働けないんです。自信を失って、自分の意見も言えない……」
声が震える。涙がこぼれそうになる。
賢は言った「言葉の暴力は、身体的な暴力と同じです。受けた方は立ち直れないこともある」
「しかし、あなたはこうして復帰した。会社に来ている。それだけでも立派だと思います」賢は素直に言った。
潜在はその言葉は嬉しかった。ただそれと同時に、まだ自分はやるべきことがあるのに、できていない。そういう気持ちにも駆り立てられた。
「でも、今回……」ふと、自発的に言葉が出て、自分でもびっくりした。そして一度言葉を止めた。 タブレットを握る手が震える。言うべきか。言わざるべきか。また否定されるのではないか。また無価値だと言われるのではないか。心臓が早鐘を打つ。
「どうしたんですか?」賢が普通に聞く。
深呼吸。もう一度、深呼吸。
「……このデータを、見つけたんです」ようやく絞り出した声は、か細かった。潜在はためらいがちにタブレットを見せた。「動画の内容は素晴らしいというコメントが、たくさんありました」
やっと言えた。
心の中で、小さな声がそう叫んだ。このシーンは何度も心の中で予行演習した。でも、あんなにも怖かったシーンのはずが、実際に言ってみれば、驚くほどさらっとしている。
賢はタブレットを受け取り、データに目を通した。「これは……知りませんでした」賢の表情が真剣になる。「ネガティブなコメントばかりに気を取られて、こういったポジティブな声を見落としていたようです」
「注意深く見てくれて、ありがとうございます。これは、いいきっかけになりそうですね」賢は潜在の目をまっすぐ見た。「本当に、言ってくれて、ありがとうございます」
その言葉に、潜在の目から涙がこぼれた。「すみません……すぐに言えなくて……もっと早く伝えられていれば……」
賢は首を振った。「謝る必要はありません。今、伝えてくれた。それが大切です」
賢は穏やかに続けた。「ここは鮫島部長のチームではありません。私たちは、お互いの弱さを認め合い、補い合うチームです。大なり小なり、これまでみんなそうでした。私もそうでした。牛田さんに助けられた」
潜在の目から、さらに涙が溢れた。
「まず、信頼してください。このチームを。このメンバーを。そして、自分自身を」
その言葉が、潜在の胸に温かく広がった。 「我々は仲間です。そして貴方の力が必要です」賢は真剣な眼差しで潜在を見つめた。
後半
その頃、休憩室では、新々と鳴子が二人きりで座っていた。
新々はずっと休憩室に籠っていた。鳴子はコーヒーを淹れにきており、コーヒーマシンから淹れ終わるを待っていた。
気まずい沈黙が流れている。
新々がぽつりと言った。「鳴子さん……俺、また失敗しちゃいましたね」。新々は精神的にまいっており、鳴子でも良いから話を聞いてほしかった。
鳴子は何も答えなかった。
新々が続けた。「ご存じの通り……俺、過去三年で五つのプロジェクトを立ち上げて、全部失敗してるんです」
鳴子が顔を上げた。
「最初のプロジェクトは、新商品開発。すごいアイデアだったんです。でも、最後の詰めが甘くて……失敗。二つ目は、業務改善プロジェクト。途中で投げ出しちゃった」
新々の声が、どんどん小さくなる。
「三つ目、四つ目、五つ目……全部、同じパターン。最初は盛り上がるんです。皆、俺のアイデアに期待してくれる。でも、俺は……途中で飽きちゃうんです。細かい作業が嫌で、最後まで詰めきれない」
鳴子が静かに聞いている。
「社内では、『また猿田か』って言われてます。『アイデアマン気取りの役立たず』って。それで、このプロジェクトに選ばれた時……最後のチャンスだと思ったんです」
新々は顔を覆った。「でも、また失敗した。今度は、もっと大きな失敗を……」
沈黙が流れる。
ピーッと音が鳴る。コーヒーが淹れ終わったようだが、二人とも動こうとしない。
そして、鳴子が口を開いた。
「猿田さん……実は、失敗したのは私の方かもしれません」
新々が驚いて顔を上げた。
鳴子が窓の外を見つめながら語り始めた。「五年前、私は別の会社のコンプライアンス部門で働いてました。ある日、上司が『柔軟にやろう』と言って、規則を軽視した提案をし、その結果、会社がビジネスを継続出来なくなる程の重大なコンプライアンス違反に繋がってしまいました」
「そして私を含むチーム全員が責任を徹底的に問われました。その挙句、会社は立ち行かなくなり、リストラされました。私は……止められなかった自分を責め続けました。それ以来、私はルールに厳格になりました。二度とあの無力感を味わいたくない、その気持ちがこの会社に来てからも私の態度をより硬直的にしました」
鳴子の声がさらに震えた。「でも……それが、失敗だったんです。ルールを厳格に運用すればするほど、皆が私を疎むようになった。チームのモチベーションは下がり、ときには反発を生み、ビジネスの成果は何も生まれなくなった。これでは本末転倒です」
「今回も、そうなるかもしれないと……分かっていました。それでも、私は同じことを繰り返してしまった。また責任を問われる恐怖が、私を支配していた」
鳴子が発想を見つめた。「だから、猿田さんに攻撃的な言葉を使って、厳しく当たってしまった。こんなことをしてもかえってまた失敗するかもしれない。それが分かっていたのに」
新々が頷いた。「俺も……鳴子さんの厳しい態度が、息苦しかった。でも……」
二人は同時に言った。
「ごめんなさい」
新々が真剣な表情で言った。「鳴子さん、俺……今回で本当に良くわかりました。独断で皆を振り回さずチームとして取り組む。それが、本当に大切だって」
鳴子も頷いた。「私も学びました。相手を一方的に押さえつけるのではなく、相手の主張も受け止めて、一緒に道を探す。それが、あるべき姿だということを」
新々が手を差し出した。「俺、もう一度やり直したいです。今度は最後まで投げ出さず、皆を振り回さずに。鳴子さんの助けが必要です」
鳴子がその手を握った。「私も、相手を攻撃するだけではなく、相手を支える立場になりたい。今度は、二人で一緒に」
二人は共に頷いた。そして二人はコーヒーを分けて飲み、笑顔になった。
冷めていたはずのコーヒーが温かかった。
二人が会議室に戻ると、賢と潜在が待っていたとばかりに手を招いた。潜在の目には、かつての輝きが戻り始めていた。
潜在が二人を見て、力強く言った。「新々さん、鳴子さん。二人に、お願いがあります」
「この炎上を、チャンスに変えませんか。我々で力を合わせて」
新々と鳴子が顔を見合わせた。そして、同時に頷いた。
深夜のオフィス。四人が一つのテーブルを囲んだ。
潜在がタブレットを開いた。「まず、これを見てください。炎上の中に、希望の声があります」
「動画の内容は素晴らしい」「技術力の紹介部分、めっちゃ良かった」「編集のクオリティ高い。もったいない」
新々の目が輝いた。「これ……本当だ!」
鳴子がデータを分析し始めた。「視聴回数100万回。通常の50倍。批判の83%が『表現方法』に関するもので、『アイデア自体』への批判は僅か10%……」
潜在が立ち上がった。「同じアイデアを、今度は完璧に仕上げて、再発信しましょう」
その声には、かつての若きエースとしての響きがあった。
賢が言った。「是非お願いします。あなた方3人の力が必要不可欠です 」
新々が拳を握った。「やります!今度は決して皆を振り回さない」
鳴子が頷いた。「私も全力でサポートします」
深夜のオフィスに、新しい朝が来ようとしていた。
三人の傷ついた心が、一つになった。そして、逆転への戦いが、今、始まろうとしていた。
お読みいただきありがとうございました。
次は逆転に向けての戦いを描きます。
コメント、感想等、お待ちしております。




