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乙女ゲームのヒロインはお断りです

作者: 喜楽直人

氷雨そら様主催『モフモフヒーロー小説企画』参加作品です。

よろしくお願いしますー!

 


「タイガ、ただいま。いい子にしてた?」


 足元にすりよる柔らかな背中をそっと撫でる。

 青と黒のブチ模様。長い尻尾がくるりと私の足首に巻き付けられた。

「ふふっ。くすぐったい。歩きにくいよ、タイガ」

 温かな身体を摺り寄せてくるちいさな猫を撫でつつ、真っ暗な部屋に向かって手を伸ばした。

『灯りよ、ともれ』

 ちいさなランプに火が点いて、やわらかなオレンジ色の光がちいさな部屋を照らした。本当は、狭くて暗い部屋にひとりでお留守番なんてさせたくないけれど、わびしい財布事情が許してくれないのだ。


 天井が斜めになってる屋根裏部屋を照らすランプと台所のちいさなコンロの為の魔石を用意するだけで精一杯だ。本当は水の出る魔石も欲しいけれど、それも無理で外の広場にある共同井戸から毎朝甕へと汲んできている。


「ごめんね。私が帰ってくるまで、暗い部屋でお留守番させちゃって」

 私の撫でる手へ、ちいさな丸い頭が何度も擦りつけられた。

 甘えるようなその仕草に、「許してやる」と言われたような気がする。

「だいすきよ、タイガ。一緒にいてくれて、ありがとね」


 タイガは、この新たな生活が始まってできた、私の初めての友達だった。


 一年前の春、第一希望の高校に入学した。

 入学式が終わり、期待に胸を膨らませ教室に移動していたはずだった。

 なのに。皆と一緒に廊下を曲がったところで景色が一変したのだ。

 真新しい制服に上履き。そしてポケットに入っていたハンカチとチリ紙。それだけを持って、私、友木りんは月が二つある世界、このラノーラ王国にやってきてしまったのだった。


 元の世界の私が死んでしまったのか、ただこちらに迷い込んできてしまっただけなのかは判らない。だから、もしかしたらまたどこかの角を曲がったら、元の世界に戻れるんじゃないかと思う時がある。また違う世界に迷い込む可能性だってあるのだけれど。

 ──まぁね、元の世界に戻ったって、会いたい人がいる訳じゃないのだけれど。


 私の家族は、幼い頃に両親が離婚した後、りんを引き取った母が再婚をしたことでいないも同然になった。

 10歳の時に弟ができたことでそれはもう完全に。ちなみに実の父は、母と別れてそう経たないうちに海外に移住して、今となってはどこに住んでいるのかも、生きているのかも判らない状態だ。

 だから家族と暮らしていた頃から、天涯孤独みたいなものだ。


 屋根裏の物置を改造した小さな部屋。

 この部屋は、この異世界というだけではなくて、自らの手で手に入れた安住の地だ。


「すぐご飯の用意するからね」

 食堂の売れ残りを分けて貰って帰って来た硬くなったパンを細かく千切り、ミルクで浸して軟らかくする。

 器に入れて差し出すと、青と黒のブチ模様の猫は、お皿に頭を突っ込むようにしてがつがつと食べだした。


「おいしい? よかった。私も何か食べよう」

 何かもなにもないんだけど。残りのパンに、冷たいゆで卵、そしてタイガと半分こにしたミルクで入れた紅茶。

 そろそろお野菜も食べたいけど、お店のまかないで出る分以上は、今のりんには手が届かなかった。


「いつか、もうちょっとお金に余裕が出来たら、塩気のないチーズとか買ってあげるからね。頑張って働くから。待っててね、タイガ」


 手に持つミルクティーの温かさと、食べ終わったと自慢げに報告してくるタイガの温かさ。


 今日という一日がまた平和に終わることに感謝した。


***


 一年前のあの日。町はずれのちいさな教会の前で、何が起こったのかまったく判らないまま、りんは泣きだしていた。周囲を見回してもまったく身に覚えのない街。すれ違う人は皆、現代の服と違う古めかしい中世の西洋風のものを着ていたし、髪の色はピンクや水色、緑などカラフルすぎる。でもなぜか、話している言葉も、書いてある文字も日本語だったのでより混乱が深まった。

 なにこれ、どうなってるの、私どうしたの?

 混乱してぼたぼたと涙が溢れてきたところで、教会の扉が開いてシスターが出てきて、りんを保護してくれたのだった。


 シスターの着ている服は、色こそ淡い紫色をしていたけれど、形はりんが知ってる修道女の服そのままで、それだけでホッとして更に泣いて迷惑かけたっけ。

 そうして私は、この世界が元の世界と少しズレたところに存在する、いわゆる異世界なのだと知ったのだった。


 古い教会の記録では、ごく稀に、他の世界から落ちてくる人のことが残されているらしい。


 言葉が通じる時もあれば、まったく通じない時もあるそうで、「りんは言葉が通じてよかったね」と笑って言われた。確かに、これでまったく通じなかったら泣いただけでは済まないだろう。怖すぎる。時間とか距離の単位も一緒。めっちゃ気楽だけど、たまに本当に異世界にいるのか、実は盛大なドッキリイベントに紛れ込んだのかと考えてみたりもする。


 窓の外、空を見上げると異世界なのだと思い知らされる。

 ふたつ並んだ双子の月。

 空を飛んでいく大きな竜の影。

 街中を大きな荷物を載せて走るのは巨大なトカゲや足の沢山ある牛っぽい動物達だ。

 目につくすべてが、ここは日本でも地球でもない知らない世界だと、元の世界では誰も名前すら聞いたことのないであろうラノーラという国なのだと思い知らせてくる。


***


「こんなの、漫画とかゲームの中の話だと思ってたのにねー」


 ベットの中に潜り枕元のタイガに頬を摺り寄せると、おざなりにぺろりと頬を舐められて、するりとベッドから逃げ出して足元へと移動された。

 まぁいい。春と呼ばれる季節にはなったけど、まだまだ日が暮れると寒い。足元が冷える季節だ。これもありだ。


 そうなのよね。季節の移り変わり方も、生活も、そんなに変わらないのよ。人の形も。色が違うだけ。


 薄い布団を掻き寄せる。今年の冬はいつもより暖かかったらしいからなんとか風邪もひかずに越せたけど寒い冬もくるだろう。それもいつかなんとかしないといけないな、そう思いながら、りんは眠りに落ちていった。


 まだ外が薄暗い中、タイガに起こされる。

 毎朝のこととはいえ、ちょっと辛い。あと30分でいいからベッドの中にいたいと思うけれど、戻ったが最後、仕事に遅刻してしまうだろう。


 日本と違い、就職するのに学歴とか職歴とか言われないのはとても楽だ。勿論、面接と紹介状は必要だった。それは教会の神父さまとシスター、街の世話役が引き受けてくれた。


 1か月、教会に併設されていた孤児院でお世話になった。そこで調理や掃除洗濯の手伝いをして過ごし、これなら一人で暮らしていけそうだと太鼓判を貰って仕事を探すことにした。

 一人暮らしをできるだけの賃金を貰えるアヤシゲじゃないお仕事を探すのは結構大変で、住むところを探すのも大変だった。

 結局、街の世話役さんの伝手で、住み込みで雇ってくれる今の食堂の仕事を見つけることができた。


 冷たい空気の中、広場まで出て、共同井戸で水を汲み、顔を洗って、ついでに昨日着ていた服を洗濯する。

 石鹸などは高くて手に入らないので、フィルという草を揉みだした液を使って押し洗いする。ぬめりが出て、水だけで洗うよりちょっとだけ汚れが落ちる。それと布地がちょっとだけ柔らかく干しあがる。


 それが済んだら、昨日の夜から水に漬けてあったオートミールに火にかける。焦がさないようにかき混ぜながら蜂蜜を溶かし入れて出来上がりだ。本当はこれもミルクで煮るのが本当だし、シナモンとかスターアニスとか、ちょっとした香辛料があったらもっと美味しいのにとか、ほんのちょっとだけでもお塩を入れたらずっと美味しくできるのだけど、そんなものを買う予算もないのでそのままだ。蜂蜜が安いのだけは嬉しい。

 これも半分をタイガのお皿に分けた。どちらにしろ、タイガと半分こするのに塩は使えないのだけど。


「まだ熱いから、気を付けて食べるのよ」

 一応声は掛けるけれど、タイガが熱いものに怯んだことはない。ハフハフしながらも、あっという間に食べ切っていた。

 長いヒゲや口の周りについてしまったオートミールを満足そうに舐めとる。綺麗になった毛を自慢するように、りんを見上げている。可愛い。

 その顔を見ていると、今日も頑張って働いて、早く帰ってこようと思った。


「ごちそうさまでした」

 器を洗い、歯を磨き、髪をとかして纏め、その場を簡単に掃き清めてから、りんは1階の仕事場に向かった。



「おかみさん、おはようございます」

 厨房ではすでに女将のエリーさんがその日の朝、仕入れてきた野菜や肉を前に種類と量を確認していた。


「おはよ、りん。昨夜下茹でしておいたジャガイモの皮を剥いておくれよ。それが終わったら半分は潰して、残りは厚めのイチョウ切りにしておいておくれ」

 さっそく指示を受けて仕事に取り掛かる。

 下茹でして完全に冷めてから皮を剥くと、ジャガイモが煮崩れたりしないし、水気も飛んで味が濃くなるのだ。ねっとりした食感になっておいしい。

 ちいさなナイフで皮を軽く引っ掛けるようにして皮を剥ぐ。するすると薄く剥けていくのが楽しい。大抵は芽の部分や黒くなっている部分も一緒に剥けてしまうのだが、たまに残ってしまうので注意が必要だった。

 家庭料理ならともかく、お店で出すもので「気が付かなかった」はいけない。


「それが終わったら玉ねぎ剥いて、こっち3分の一はみじん切りにして飴色になるまで炒めておいて。残りは剥いただけでいいよ」

「トマトの皮を剥いて、煮込んでソースにしておいておくれ」

「ソースが出来てからでいいから、後でキャベツを全部千切りにしておくれ。切り終わったら濡れ布巾で包むのを忘れないでおくれよ」

 次々に指示が飛んでくる。焦らずにひとつずつこなしていく。

 平行して作業なんかしたら絶対に失敗して、材料を無駄にしてしまうからだ。ゆっくりでも確実に、失敗しないこと。それが一番大事なことだ。


 次々と出される指示に従って、作業をこなしていく。

 この生活を一年過ごしてきた今はきちんと出来るようになったが、最初の頃は半分もできなかったことを思うと、上達した自分が誇らしくもある。

 けれど、さすがに朝から働きどおしで肩と腰が辛くなってくる。そこで、トマトを煮詰める鍋をかき混ぜる木べらを持つ手と反対側の手で、そっと痛い場所を押さえた。

『楽になれ楽になれ。痛いの痛いの飛んでけー』

 子供のころからのおまじないを心の中で呟くと、それだけで本当に痛いのが収まる気がするから不思議なものだ。たしか、手で押さえる事が重要で、それだけで神経の伝達が激しい痛みを伝えるのを押さえるとかなんとかTVの健康番組でやってた気がする。

 「これの次はキャベツの千切りか」この後に続く作業を思い出しながら、トマトソースを焦がさないよう火加減を落とし、りんは木べらで混ぜ続けた。




「いらっしゃいませー。3名さまですか? 奥のテーブルへどうぞー」

 お店に入ってきた3人組に声を掛ける。あまりこの辺りでは見かけない高そうな服を着た偉そうな人達に目を瞠った。

 見かけたことないけどお貴族様ってこんな感じ? いや、お貴族様はこのお店にはこないかな。

 そんなことを考えながら、りんは店内へ案内した。

 しかし、そのお貴族様は返事もせずに店内を見渡すと、りんを見つめ返してきた。


「黒い髪に黒い瞳。予言どおりだな」後ろの2人が頷く。

「来い」ぐいっと、前に立っていたチョビ髭お貴族様に、いきなり手を引かれる。

「きゃっ。なにするんですかっ」

 吃驚して、ついその手を強く振りほどいてしまった。 

「小娘が。生意気な!」

 いきなり怒られて混乱する。怒っていいのはいきなり手荒な真似をされたりんの方じゃないのか。


「すみません、お貴族様。この子は異世界から来たので、まだいろいろと判っていないのです」

 料理長と女将さんがやってきて焦った様子で取りなしてくれた。

 やっぱり貴族なんだと思いつつ、あまりの横暴さに反感が募った。


「ふん。やはりお前が異界の娘か。手こずらせおって」チョビ髭貴族が睨みつけてくる。それと、つい睨み返してしまった。それがよくなかったのだと思う。


 ガッシャーン。


 無理矢理腕を掴まれて、そのまま店内のテーブル目掛けて投げ飛ばされた。


「きゃー!」

 女将さんと、お客さんたちの悲鳴が上がる。

 打ちどころが悪かったのか、頭の中がぐわんぐわんと揺れていて、目も耳もよく働かない。


「ふん。生意気な小娘が。連れていけ」

「はつ」

 ちょび髭男の後ろに立っていた男たちが近付いてきて、倒れているりんに向かって、手を伸ばした。

 怖くて仕方がなくて、逃げたいのに、身体中が痛くて動けなかった。


 ──睨み返したり、しなければよかった。


 あの子をまたひとりにしてしまうかもしれないと思うと、後悔で涙が滲んだ。


***


 実家では家事をひとりで背負ってきた。夕飯の買出しだって料理だって洗濯だって、全部りんがひとりでしていたから、異世界にひとりで放り出されたと分かっても、ひとりで生きていけると変な自信があった。


 けれど、買い物は母から渡されたお金でしていたし、家賃とか光熱費とか着る物だって親が出してくれていたのだ。お金関係全部を自分で働いて払わなくちゃいけないと理解した時、崖っぷちに立っているような気持ちになった。


 今は、女将さんはただ見知らぬ土地に落ちてきたりんを気遣ってくれていただけだとわかっているけれど、最初の頃は、じっと見つめてくる瞳に、一挙手一投足を監視されて(クビ)にする機会を伺っているんじゃないかと思って苦しかった。


 いつだって忙しそうにしている女将さんは、仕事となるとりんに対しても要求レベルは厳しくて矢継ぎ早に出される指示は、叩きつけるように耳に響いた。

 出されるひとつひとつの指示は、りんにもできることばかりだったけれど、矢継ぎ早に指示されて頭の中でパニックになることもしばしばだった。


「出来ないことには頷くな」「手抜きして終わったと言われると困るんだよ」「家庭料理を振舞ってる訳じゃないんだ。お金を貰える仕事をしておくれ」


 至極当然だとは思っても、それをすべて自分がやらなくてはならないのだと思うと泣きたくなる。

 何度も出される駄目出しに泣きそうになる。泣いてしまったらそこで終わりになりそうだったので懸命に我慢した。

 誰に頼れる訳もなく。仕事を休んだら首になって放り出される未来しか見えなかった。

 だから、叱られた言葉すべてに反射で頭を下げ、ひたすら手を動かした。


 仕事のこと以外で話をする相手もいない日々。

 毎日、食べるご飯と住む場所を確保する為だけに働く日々は、異世界に落ちてきたこと以上に、心をすり減らした。


 頑張る理由が分からなくなってきたある朝、りんは、あの子を見つけたのだ。


 まだ暗い夜の残った朝。

 いつものように共同井戸で水を汲み、飛んだ雫の先に。

 鳴き声すら上げられなくなった、ボロ雑巾みたいな青と黒のブチ模様の毛玉が、荒い呼吸をしているのに気が付いた。


 手に抱きあげたら、温かくて。

 何の動物かもわからないまま、胸元に入れて家へと連れて帰った。


 温めたミルクを飲んでくれた時には、神に感謝したし、その後、元気になった彼に名前を付けてみたら、嬉しそうに身体を擦りつけてくれた時には、「一生、大事にします」と神に誓った。


***


 あれから、まだ半年も経っていない。

 神に誓ったわりに、随分と短い一生になりそうだ。


 どうか。りんが帰らなくなった部屋で、ひとり待つようなことになりませんように、と新たに祈った。


 力の入らない身体は、あっさりと拘束をされて、そのまま店の外へと連れ出された。

 後ろで女将さんたちが気を揉んでいるのは分かっているけれど、お貴族様相手に平民である彼女らに何もできるはずがないのだ。

 むしろ迷惑をお掛けして申し訳ないな、と思う。


 それでも、なんでこんな目に遭わなくちゃいけないのかと目に涙が浮かんだ。


 異世界へ来てしまったこと自体はそれほど嫌じゃなかった。

 むしろ、母からも、母の夫からも、ふたりの子供である異父弟からも離れることができて良かったとすら思っていた。

 倹しいながらも自立して生活ができているし、なによりタイガと会えたことは幸せそのものだ。

 このままずっとタイガと一緒に暮らしていけるなら、元の世界に戻れなくても構わないと思っていたのに。


 なのに。またしてもあっさりと、ちいさな幸せは、りんのちいさな掌から零れ落ちていくのだ。


 店の前に停められていた馬車に連れ込まれそうになった時だった。


 青と黒のブチのある毛玉が、りんの下へと飛び込んできた。


「ぎゃあっ」

「な、なんだ。ね、猫? ぎゃっ」


 りんに対しては一度たりとも立てたことのないタイガの鋭い爪が、りんを引き摺っていた男たちを切り裂いた。


 まるで弾丸のように。ちいさな身体が俊敏な動きで何度もふたりの男の手をかいくぐり、牙や爪で攻撃を加えていく。


「タイガ。すごい」

 その場にへたり込んだまま、呆然と、初めてできた友達であるタイガの奮闘を、見上げた。


 ハッとして、タイガが作ってくれたこのチャンスに逃げ出すべきなんじゃないかと足に力を入れて立つ。震える足を殴りつけて、力を取り戻した。


 でも、逃げるにしても、どこへ行けばいいんだろう。

 それに、戦っているタイガを残していけなんてしない。

 振り返った視界の席で、背の高い方の男の顔に飛びついたタイガ目掛けて、背の低い方の男が殴り掛かった。

「危ない!」

 思わず叫んだ。

 声が届いたのか、男の拳が届く寸前、飛び去ったタイガに、背の低い男の動きはついていけずに、そのまま拳が男の顔面へとめり込む。

「ぎゃあぁっ」

 目を押さえた背の高い男が悲鳴を上げて膝をついた時、意地が焼けたちょび髭が、叫んだ。

「えぇい、不甲斐ない者どもめ! 『風よ、切り裂け』」

「っ!!!」

 ちょび髭の伸ばした手から風が生まれ、タイガのやわらかな身体が切り裂かれた。


 青と黒と白い毛、そして真っ赤な血が、舞い散る。


 そうだった。ここは、魔法のある世界。

 平民には攻撃魔法なんて使えないけれど、お貴族様なら別なのだろう。


 視界の先で、地面へと落ちたタイガの小さな体が、ゆっくりと、血だまりを作っていくのが、見えた。


「タイガ! タイガ、駄目。いやっ!! タイガぁ!!」


 駆け寄って、その身体を腕に掻き抱く。


「タイガ。タイガ、ごめんね。私なんか助けようとして。こんな……」


 やわらかなタイガの身体から血が漏れていく様を目の前に。再びちょび髭に殴り飛ばされて、りんは意識を失くした。





 目が覚めたら牢屋だった、ということもなく。

 なぜかふかふかの羽根布団に包まって私は寝ていた。四柱式ベッドの本物、初めて見ちゃった。いや、寝ちゃった、か。

 靴は脱がされていたけど、服はエプロンを外されただけでそのままだった。


 手と服についた黒い染みに、涙が溢れた。


「タイガ……痛っ」


 傍にいるかもしれないと思い直して、名前を呼ぶ。起き上がろうとしたら、殴られた場所が痛かった。触ると頭にはコブができていた。


 痛みがでないように、そうっと起き上がってみると、窓の外から差す陽射しはすでに昼時をとっくに過ぎているようだった。大きな窓からは柔らかくなった陽射しが差し込んでいる。


 タイガは、無事だろうか。

 最後に見た不吉な記憶を、頭から振り払う。

 今すぐにでも、ここから抜け出してタイガの下へ駆けつけたかった。


 窓の向こうには、二つの月と空を行き交う大きな竜の影。

 あぁ、ここは日本じゃないんだと何度でも思い知らされる。

 飛行機や船に乗ればいけるような、普通の外国ですらない、この国。

 魔法のある、理不尽な世界。


 地球に帰りたいって願っては駄目だろうか。

 願わくば、タイガと一緒に。


 あのチョビ髭貴族に襲われる前に戻るだけでもいい。

 異世界転移がありなら、時間逆行もありなんじゃないのか。駄目かな。

 ぼーっと我ながら呑気なことを考えていると、ノックされて返事もしないのに人が入ってきた。


「なんだ、起きてたのか」

 ちょび髭でも、一緒にいた兵士たちでもないその人の言葉に、なぜだかものすごくイラっとした。


「黒髪に、黒い瞳。異世界からやってきた娘、か。本物なのか」

「偽物なんじゃないですか」

 明後日の方を向きながら、つい反抗した。


「そうだな。偽物の可能性は高いと思っている」

 ムカついた。偽物もなにも、りんは自分が本物だと主張した記憶すらない。

 大体、なんの本物のことを話しているのかも分からない会話に、イラつきは最高潮に達した。


 だってここにはタイガがいない。あの子を探さないといけないのに。


「偽物だって思うなら、相手にしないで放っておいてください。私を元の場所に、お店に戻して」

 睨みつけてやる。さっきのチョビ髭よりキラキラした服を着てても気にしないんだから。

「偽物だったら、牢屋に入れてやろう」

「私は自分を本物だとも偽物だとも名乗ってここにいる訳じゃないです。暴力を揮って無理やり連れてきておいて、なんなのよ! 早く私を帰してよ!」

 タイガが心配過ぎて。核心を話そうともせず茶化した態度を取る相手に、腹が立ちすぎて、手で掴んでいた羽まくらを投げつけてしまった。

「ははは。噂通りの暴力娘だな」

 軽く片手で止められてしまった。別に怪我をさせたいわけじゃないけど、あっさりいなされて不愉快度Maxだ。


「この国一番の……占術師が、お前の出現を預言した。

『黒髪、黒い瞳の娘が、異世界からやってくる。

 その娘は、光魔法を使う癒しの手を持っている』、とな」

 馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべたまま、その人がいった。

「そうしてお前が見つかった。

 この国にはたまに異世界から人が落ちてくる。

 しかし、黒髪、黒い瞳の娘となると、そういる訳ではない。

 そもそもこの国には黒髪も黒い瞳もいないしな」


 確かに。その容姿ならばりんに当て嵌まる。しかし、どうしても違和感があった。


「光魔法なんて使えませんよ。大体、私の元の世界には魔法なんてありませんでしたし」

 そいつの眉がぴくりと上がった。

「でも、魔法使えるよな」

 厨房の魔法コンロは使っている。あれは中に魔石が入っているので、魔法が使えなくても少しでも魔力を流せば使える優れものなのだ。だから私でも使えるのだ。

 ちなみに、水道も同じだ。魔石に魔力を通すと水が出る。

 ランプだって火の魔石だ。オイルや電気の代わりに魔石で火をつける。

「コンロが動かせる程度ですよ。魔法はさっぱり。なんとか魔力を通せるってだけですね」

 正直に話す。ついでに気になっていることを聞いてみることにする。

「それでですね。その予言にあった娘を探してたのって、ずっとなんですか?

 予言はいつ成されたんですか」

「……ずっと探していて、ようやくお前が見つかったんだ。

 予言から、もう半年も前になる。諦めかけていた時だった」

 それを聞いてほっとした。なんだ、先に言ってよねって気分だった。

「なら、それは私じゃないです。私がこの世界に来たのは更に前です。もう一年以上も前ですもん」


 ……沈黙。


「それは、本当か」

「嘘なんてつきませんよ」

「証明することはできるか」

「街外れのセントクレア教会の神父様とシスターが保証して下さると思います。お二人に保護をして貰った私は、そこの孤児院でお手伝いをしながらここでの生活について教えて戴いたんです」


 目が泳ぎだした。自分たちの確認不足を反省するがよい。


「そして町の世話役であるバーナードさんに紹介状をいただいて、あのお店に勤め出しました」

 目の前の人が額に手をやった。事実しか言ってないけれど、効果は抜群のようだ。

「それが大体1年前です。この世界に来たのは、更にその1か月以上前でしたねー」

 できるだけ感情を乗せずに、事実だけを述べた。

 その方が信じてもらえそうな気がしたからだ。

「確認を取ってくる。それが終わるまで、こちらで待っていて欲しい」


 できるだけ早く戻ってくるとだけ呟くように言って、男は立ち去った。

「名前すらいわないでいなくなるとか。ほんと、この世界のお貴族様って偉そうすぎる」

 ため息と共に、不満を洩らした。


「タイガ。どうか、無事でいて」




 どれくらい待ったのか。

 ノックが聞こえて、また返事をする前にあの偉そうなお貴族様が入ってきた。


「娘、家まで送ろう」

「…………」

 ジト目で睨んだ。

 他に何か言うことはないのだろうか。ないんだろうな、平民に謝罪しようなどと思わないのだろう。

 居心地悪そうに咳ばらいをしたお貴族様が、そっぽを向いたまま、ちいさな声で付け足す。

「……ニールズが早とちりをして失礼した。もう帰っていただいてよろしい」

 はぁ。これ以上の謝罪は粘っても無理っぽい。

 抵抗する意味もなさそうだし、早く解放して貰った方が得策だ。

 私は軽く頭を下げて、なにも返事をしないまま部屋の外に出た。


 ようやくタイガのところへ戻れる。そう思って気が抜けたのかもしれない。


 するどい痛みに、頭を抱えて廊下に膝をつく。


「どうした。大丈夫か」

「どうしたもこうしたも。投げ飛ばされたり殴られた挙句、飲まず食わずで監禁されてたんだもの」

 体調だって崩す。当たり前だろう。

 異世界から落ちてきた平民とその飼い猫相手なら、暴力を揮ってもいいと思っている貴族なんか大嫌いだ。


「投げられ、殴られた? 誰にだ!」

 なのに。心底心外そうにお貴族様が聞いてくる。意味が解らなかった。

「あのチョビ髭オヤ……お貴族様よ。名前は知らないわ」

「ニールズめ。名前すら名乗っていなかったのか。その上、聖女さま候補に暴力を揮うとは。なんて奴だ」


 わなわなと怒りに震えているけど、パフォーマンスにしか思えなくて白ける。

 お前の名前だって知らんわと、りんは呆れた。


 ……っていうか、“セイジョサマコウホ”って、なに。


 異世界転移のお約束だったのかと思わなくもなかったけれど、それをツッコんでも家に帰れる時間が遠くなりそうだったから、無視しておくことにした。


「お前、まさかこの私が誰だか、知らなかったのか?!」


「そんな大きな声を出してビックリされても。一年前にここにきたばっかりの異世界人ですし、私」


 思わず睨み合う。

 諦めた様子で口を開いたのは、煌びやかな衣装を着たお貴族様の方だった。


「ラノーラ王国王太子ケルヴィン。それで、その。今更だが、君の名前は?」

「友木りん。リンがファーストネームで、トモキがファミリーネームです」


 変わった名だな──、そう呟いた後は、馬車に乗り込んでも王太子さまは何も言おうとしなかった。


***


「タイガ! よかった」

 お店の前で豪華な馬車から降りた私に、黒い塊が飛びついてきた。タイガだった。身体中がガビガビしていて、血と泥がこびりついていた。


 もっと激しく切り裂かれたようだったのに。

 猫の傷は治るのが早いというけれど、それでもすでにすべての傷がくっついて見える。

 なにより飛びついてこれたということは、元々それほど深い傷ではなかったのだろう。


「いたいのいたいのとんでけー」


 私はほっとしてタイガに頬ずりをしながら、つい癖のようになっていたそれを呟いた。こんなことより早く部屋に上がって手当しないと。見えないけれど、もしかしたらまだ傷が残っているかもしれない。その前にこびり付いた血を洗う方が先かしら。

 挨拶も早々に軽く頭をさげて王太子さまに別れを告げる。


「あの、王太子様、申し訳ないんですけど飼い猫が怪我しているんで挨拶省かせて貰いますね。あの、手を離してくださいませんか?」


 いや、告げようとしたんだけど、腕を掴まれて動けない。

 王太子様に熱い視線で見つめられた。


 主に私の可愛いタイガ、雄猫を。


「今のはなんだ」

「? 日本のおまじないですよ」

 おかあさんやおばあちゃんが口にするだけの気持ちだけしか楽にならないある意味魔法の呪文である。

 それ以上の意味はない。

「今、魔法使っただろ。しかも光魔法」

 何を言ってるのか。光ってないし!

「…この国でいう光魔法は、治癒魔法だ。それくらい一般常識だ」

 嘘。初めて聞いたー。知らなかったわぁ。


「というか、王太子様、タイガの手当をしたいので、失礼しますねー」

 私は強引に手を振りほどいてお店の裏側に走り込んだ。

 甕に入ってる水でタイガの身体を洗う。固まっていた血を洗い流すと、最初に思った以上に、傷らしい傷は残っていなかった。残っている切り傷も見つからなかった。

 でもよかった。これなら獣医さんとか探さなくても大丈夫そうだ。


「もう。心配しちゃったよー」

 タイガはおとなしく私にぐりぐりと頬ずりされてくれた。

 タイガがいなくなったら、私はきっと。いいや絶対に、寂しくて泣く。泣くだけじゃなくって、寂しさと悲しさのあまり死んじゃうかもしれない。


「あー。そうだ。タイガ、ご飯買ってくるね。部屋にオートミールしかないや」

 パンもミルクもないんだよというと、タイガが嫌そうな顔をした。ですよねー。

 下のお店はもう営業時間になっているだろうに、珍しく閉まっていた。でも昼のことを考えれば当然かもしれない。

 中では灯りがついて光が漏れていたので、とりあえず顔を出して昼間のことを謝罪してからお買い物にいくべきか、いますぐ完全に暗くなる前に買い出しに行こうかで悩む。


「真っ暗になったら危ないけど、先に女将さんに帰ってきたことだけ伝えようか」


 ねー、とタイガと一人芝居を繰り広げていたら、ぐっと肩を掴みかかられた。

 今日はこんなのばっかりだ。


「王太子様、送ってきてくださってありがとうございました。どうぞお帰り下さい」

 でもこれ以上相手にするのは嫌だったので、気が付かない振りをして、しっしと手を振る。

 手でお帰りはあちらです、とやっても、王太子様は「帰らない。ちゃんと話をさせろ」と煩いので、仕方がないので交換条件を出した。


「私とタイガの食事、1週間分でお話を聞きます」

 本当はひと月分と言ってやろうかと思ったけれど、冷蔵庫のない屋根裏部屋では食材が痛んでしまうだろうと控えめにしてやった。それだってかなりの金額になりそうだけど。


 交換条件とだしたそれは、あっさりと受け入れられた。

 王太子が指示を出すと、一緒に馬車に乗ってきた兵隊さんがどこかに買い出しにいってきてくれて、あっという間に、バスケットいっぱいに詰め込まれたパンやミルクや果物やコールドミート等々の御馳走を手に入れることができたのだった。



「タイガ、美味しい?」

 パンとローストビーフを切り分けてあげて、タイガのお皿に盛りつけた。

 そうして、お城で出して貰った紅茶とは比べ物にならないほど薄い紅茶を王太子様に出して、ちいさな木製の椅子を勧め、りんはベッドに腰を下ろした。


 屋根裏部屋へは、当然だけれど梯子階段を登って入る。

 秘密基地みたいな造りに興味津々なのはわかるけれど、ひとり暮らしの女性の部屋を、キョロキョロと見回すのはどうかと思う。


 美味しそうに食べながらも、タイガはどこか警戒しているようだった。

 タイガの傷は大したことなかったようだったけれど、今朝の事件には肝が冷えた。

 もう二度とタイガに会えないかと思った。

 普段、この部屋にはりんとタイガと、たまに女将さんが来るだけだ。しかも王太子様はさっき初めてあった人だし。警戒するのも当然だろう。


 食べるタイガを見守っていると、ふいに王太子が口を開いた。


「おい、さっきのは、光魔法だよな」

「ちがいます」

「回復魔法だろう? その呪文だよな」

 うーん。説明が難しいな。たしかに怪我をしたときに唱えるおかあさんやおとうさんが使う魔法の呪文、ではある。回復力はゼロだけど。


「えーっと、あれは私がいた国で一般的に家族や親しい間で唱えられる呪文です。そうです、たしかに魔法の呪文ですが」

「ホラ、そうなんじゃないか!」

「くそっ、最後まで聞けよ、クソ王太子がぁ」

「お前っ。いくら異世界人とはいえ、いつでも不敬罪でしょっぴいてもいいんだぞ」

「……いいですか、私の話を最後まで聞いてください。先ほどお城でもいいましたが、私の世界には魔法はありません。使える人はいません」

「しかし!」

「最後まで聞けっていってんだ、こら」

 つい、脳天チョップしてしまった。あ。王太子様が固まって動けないうちに、話を進めておく。えへ。

「こほん。魔法のない国だからこそ、なのです。魔法がないから、あるつもりで呪文を唱えるんです。そんな力はないけれど、あったなら、大好きなあなたに使ってあげる、もしくは泣いている子供をあやす為の優しい嘘、それがあの呪文です」


 魔法がない世界だからこそ、達成することの難しいことを成し遂げたら魔法使いになれるという笑い話もできるのだ。そういうことだ。

 まだ魔法使いになるまで13年くらいある。きっと大丈夫だ。うん。大丈夫だと思う。彼氏いたことないけど。


「と、いう訳で。今夜はもう遅いのでお帰りください」

 ガチャっと床についた扉を開けて、梯子を指差し退出を促す。

 満面の笑みもサービスしておく。豪華バスケットの詰め合わせのお礼だ。

「しかし……」

「一応、私も未婚の女性ですので、これ以上部屋に居座られるのも困るんですよね」

 何時だと思ってるんだ。まったく。失礼にもほどがあるでしょ。

「ませた子供だな。私は子供なんか相手にしない」

 脳天チョップ2連続で喰らわしてやった。ごるぁ、誰が子供だ。

「なっ。私はこの国の王太子だぞ?! おい」

「……友木りん、17歳です。この国の成人って18歳だとお聞きしておりますが?」

 コメカミがぴくぴくしちゃうぞ。

「そんな馬鹿な。私と同じ歳だと?!」

「でてけぇぇぇ」

 扉の外に強引に押し出した。梯子から転げ落ちたとしても自業自得というものだ。

 足を使わなかっただけでも感謝してほしい。

 

「さてと。明日も早いし、もう寝よう」

 本当はお風呂を借りに下の階へと行きたいところだけど、扉を開けたら馬鹿王太子がまだそこに立っていそうな気がしたので、軽く顔だけ洗ってベッドに潜り込んだ。


 タイガが慰めるように、一緒のまくらで眠ってくれた。



「おはよう、トモキ・リン!」


 日の登り切らないまだ薄暗い朝、いつもより疲れの残る身体を引き摺るようにして井戸の水を汲むために部屋ようと梯子を下りる。

 笑顔の王太子様から朝の挨拶をされて、目を擦った。


「夢だな。うん、きっと夢だ。だってこんな早朝から、未婚女性の部屋に続く梯子の下で、王太子様が待ち伏せ覗き見ストーカー行為なんてするわけないもん。だからきっとこれは夢」


 降りてきたばかりの梯子を再び登り部屋へ戻る。

 目を閉じて、呼吸を整えた。うん、夢に違いない。


 ガチャッ。


「なぁ、ストーカーってなんだ?」


 いきなり床の扉が開いた音と同時に馬鹿王太子が入ってきた。


 ぎゃーーーーーっ!!


「すけべ、変態、馬鹿、すとーかー、勝手に部屋に入ってくるとか、ほんと最低、でてけぇぇぇ」




「す、すまない」


 十分すぎるほど呼吸を整えて、タイガを抱きしめて心を落ち着かせてから再び扉を開けたら、梯子からちょっと離れた場所で、王太子ともあろうものが腰から90度に曲げて謝っていた。

 けど、勿論許しはしない。そのまま前を通り過ぎる。


 通り過ぎても動こうとしない王太子様に向かって、ため息をついた。


「王太子様、私は日々遊んでいるわけではありません。今日も朝食を食べ終えたらすぐに仕事です。昨日は途中であなた方に強引に連れ出されたので、サボることになってしまった。なのでお給金は出ないでしょう。下手をすれば首になります。家族もなにもない私は、自分で働いて稼がねば、すぐに食べるものも手に入れることができなくなり、住むところも無くすでしょう。その私に、これ以上付き纏ってどうしたいんですか?」


 民が働く邪魔をする、その意味が、本当に分かってますか?


 ──じっと目を見た。


「しかし私の話を……」

 王太子がまた自分の都合で話を進めようとしてきたので、ため息が出た。通じてなさすぎる。

「しかしだな。私はこの国の王太子なんだぞ? いくらなんでもその態度は酷すぎではないか」

 もう本当に、あったまにきた。

「私の国の……、元の世界での陛下のことは、ちゃんと尊敬してました。その方は、皇太子だったころからきちんと国民を愛して、尊重して下さる方で、尊敬に値する方でした。ご自分から尊重しろとかいわなくても尊敬も愛情も、国民から一身に受けてました」

「それは、私にはその価値がないといいたいのか」

 ムッと言い返されたけど、事実だから引かない。

「私はこの国に来たくて来たわけじゃないし、けれど、無登録な訳でもないし、なにより光魔法を使えると自分から売り込みにいった訳でもないです。真面目に働いて、この国で暮らしています」

「へぇ。まじめに、働く、ね」

 目線で、住んでいる場所と働いているこのお店を馬鹿にされた気がした。

 女将さんも料理長さんもいい人だ。真面目に生活してる国民を馬鹿にする気か。


「話を聞くつもりはありません。いますぐ、カ、エ、レ!」

 バタバタと派手な音を立てて、私は思わず再び自分の部屋へと舞い戻った。

 今度はきちんと鍵も閉めた。そうして大きく息を吐いた。


「ふぅ」

 あぁ、もう。女将さんたちはすでに起きて仕事を開始している時間だろう。でも、こんな朝早くに大騒ぎしてしまった。追い出されちゃうんじゃないかと不安になる。

 その時、すりんと足元にタイガの身体が擦り寄ってきた。温かい毛皮の安心感。思わず抱き上げてぎゅっとした。

「うん。一緒ならなんとかなるよね」


 最悪、この国を出ていくことになるかもしれない。




「女将さん、おはようございます。今朝……昨日もお騒がせしてしまってすみません」

 どんなに気まずくとも挨拶は人間関係の基本だ。ぐっと心を決めて声を掛けた。

 学校の道徳の時間とか生活指導って結構役に立ってるなぁ。受験に関係ないってスルーしかけてたけど。実際に働くとなると人間関係ってやっぱり重要なんだよね。ご近所様にかならず挨拶しなさいって練習させられてなかったら、今みたいに気まずいなって時に声が出ない気がする。

「りん、その、大丈夫なのかい?」

 いつもなら忙しなく動く女将さんの手が止まっていた。

「ご迷惑をお掛けします」

 深々と頭を下げる。自分が悪いことした訳じゃないけれど、目を付けられたのはりんだ。

 異世界人なんてややこしいのがいけないって言われたら、本当に『ごめんなさい』しか言えないが。


「ふっ。そんな顔しないでいいんだよ。おはよう、りん。昨日も、今朝も止められなくて悪かったねぇ。さすがにお貴族様とか王太子様に帰ってくれって言えなくてさぁ。仕事、しばらく休んでもいいんだよ?」

 うっ。これは、クビを仄めかされているのかしら。

「……っ。おしごと、もう、辞め……雇って、もらえない、ですか?」

 泣きそうだった。ここをクビになったらどうしたらいいんだろう。

 まだ貯金と言えるほどの額は貯まっていない。次の仕事が決まるまでまた孤児院にお世話になれるだろうか。でもそうしたらタイガは?

 

 ぐるぐると頭の中でマイナス思考が渦巻く。この1年、なんとか積み上げてきた生活が、こんなにあっさりと壊されてしまうなんて。想像したこともなかった。


「馬鹿だね。あたし達がこんな事で、りんを手放したりする訳ないでしょう?」

 ぐりぐりぐりっと大きな手が頬を掴んでを撫で繰り回した。

 涙で滲んだ目で見上げると、笑顔の女将さんがいた。

「女将さん~!」

 うわーんと抱き着いた。大きくって、ふわっとして、あったかかった。

「ホントだよ。そんな見くびるなよ? お前がいなかったら、俺はまた一人で仕込みしなくちゃいけねぇじゃねえか。逃げられると思うなよ」

 頭には、ばふんと大きな手が覆いかぶされた。

「料理長~。う゛れじいですぅ~~」

 いかん。乙女なのに、鼻水も出てきた。いろんな意味でやばすぎる。

「おい、俺はオーナーとか親仁さんじゃないのかよ」

 豪快に笑って突っ込んでくれる。

 女将さんは苦笑しながら腰に挟んでいた布巾で顔を拭ってくれた。甘やかされてるなって思う。こんな時なのに、嬉しい。

 こんなに温かい場所、生まれて初めて手に入れたかも。幸せっていうのかな。そう思ったのに。


「それで? なんで王太子様は、まだいるんですか?」

 視界の端でおろおろしていたその人が、私の言葉にビクンッと飛び跳ねた。

「あの、その……、すまない」

「王太子様はこの世で一番不快だと言われることってなんだと思いますか?」

「え、そうだな。何度言っても嫌いな人参を食事に組み込まれること、かな」

 人参嫌いって子供かよ。

「私は、誠意の篭っていない、自分がどんな間違いを行ったのかも理解しないまま言われる謝罪を聞かされること、だと思ってますよ。特に、今! 正に!」

 くわっ。と威嚇してみる。

 帰れよ、ほんとにもう。


「……誠意は込めてる。謝罪した理由は、その、私たちの行為が、りんの仕事を奪うかもしれないというのが、本当には判っていなかったなって、思って。思ったので申し訳ないな、と」

 もう一度勢いよく頭を下げられた。おぉ、吃驚。ちゃんと分かってたんだ。というか、王太子様が本当の意味で謝ったこと自体にも吃驚だ。


「では、私からも謝罪を。王太子様には絶対に伝わらないだろうから理解されることはないだろうと、見くびってました。失礼しました」

 深々と頭を下げた。喧嘩は同じレベルの者同士でしか起こらないという。

 この王太子みたいに、勝手に相手について決めつけたりしないと思っていたのに。いつの間にか自分でもお貴族様の平民に対する態度はこんなものだろうと決めつけていたようだと反省する。だから謝罪をした。


 王太子様は「見くびってた、だと?」といって絶句してたけど、気にしないことにする。これで終わり。うんうん。お仕事がんばろー。


「料理長、女将さん、私は何をすればいいですか?」

 今日もはりきって働こうと気合を入れた。

「人参とセロリをみじん切りにしておくれよ。あんまり細かくなくていいよ。食感を残したいから5mm角くらいで。それが終わったら、じゃがいもは揚げるから櫛切りにして一旦水に晒してからよく水を拭きとっておいておくれ」

 人参は、金だわしを使ってよく洗って薄皮を剥いてから懸命に切りそろえる。バラバラのサイズになると見た目も悪いし、火の通り方にばらつきが出るから食べても美味しくないのだと教わった。

 セロリは、みじん切りなら筋は取らなくても大丈夫。下のまっすぐ平なところはともかく、葉に近い部分は茎がくるっと巻きつくような形で変則的だからまっすぐには切れないけど、セロリを横にして、端っこをちょこっとだけ残す感じで、斜めに切り込みを入れてから、上下を逆にして、クロスするように包丁を入れると結構きれいにみじん切りになる。ちょっとだけダイヤみたいな菱形になるけど包丁を入れる角度さえ気を付ければそんなに斜めにならない。

 料理長に教わった時は手品に見えたもんだよ。長ネギのみじん切りも同じ手順で切ると、みじん切りが素早くできる。りんはまぁ、それなりだ。あんまり素早くはない。

 素早さより正確さ。今日もそれを一番に、作業を続ける。


「真面目に仕事しているんだな」

「……帰ってください」

 開店前の清掃も終わり、ちょっと一服お茶の時間。そんなホッと一息つける幸せの時間なのに。なんでまだいるんだろ。

「トモキ・リンにお願いがあるんだ。仕事が終わってからでいい。話を聞いてほしい。お願いする」

 きちんと頭を下げて要請されたら、もうこれは受け入れるしかないだろう。ここいらで譲歩しとくべきだ。分かっていても、気は乗らなかった。


「日曜日のお休みまで待って頂けたらいいですよ。すぐ済むというのなら、今日15時のランチタイム終了時から1時間くらいなら時間は取れます」

 本当は、家に帰って掃除とかいろいろしたいし、日曜日のお休みには普段できない家事をしたいところなのだがここで突っ張っても無駄だろう。私はしぶしぶながら頷いた。

 


「お城に着いた時点で30分経ってるんですけど。もうお店に戻る時間なんですけど!」


 ちょっとでも判り合えたと思って譲歩したのが、馬鹿だったのだ。お貴族様が平民の生活に配慮なんてする訳がなかった。

 馬車の中で話をするのかなと思ったのに、そのまま城まで連れてこられて眩暈がした。

 結局、先日のあの寝かされていた部屋まで連れてこられてしまった。くそがっ。


「ちゃんと女将さんと料理長さんには話をつけてある」

 悪態を吐いていた私に、王太子さまから声が掛かる。その後ろには綺麗なご令嬢も一緒にいた。


「りん、私の婚約者エリゼリア・ゴードン公爵令嬢だ。エリゼ、こちらが君のいっていた人であってるかな」

 金髪と菫色の瞳。日本人なら誰でも一度は考えたことのある配色のすっごい綺麗な人だった。でも髪型だけは違うのが良かった。

 ゴージャス金髪ドリルヘア。

 まさか、リアルで見ることになるとは思わなかった。芸人さんにいたけど、こんなに見事な縦巻きロールじゃなかったしもっとボサボサしてたと思う。それに比べてエリゼさんの縦ロールの艶やかさは一見の価値があると思う。


 その美しい人はなにかを納得した様子で、ゆっくりと肯いた。

 そしてちょっと震えていてまるで怯えているようだった。

 強引に呼び出しておいて、わざわざ怯えてみせるこの態度。この人も、なかなか失礼な人だと思う。


「それと、りん。女将とオーナーにはきちんと話を通してあるから。本当だ。だからそんなに怒らないで、彼女の話を聞いてくれると助かる」

 なるほど。今回の件は、このエリゼさんという女性が発端なのか。

 王太子の言葉に、りんは『美人だからってやりたい放題してくれるじゃないか』と無駄な敵意を燃やしていた。

 皆で応接セットに並んで座ると、メイドさんが紅茶とお茶菓子を配ってくれた。良い香りがする。家で飲んでいる紅茶がいかにモドキでしないかと判る。綺麗な琥珀色だ。

 王太子様が軽く手を挙げると、メイドさんは頭を下げてから退出していった。


 しばし誰も口を開かず、ただ紅茶を飲む音だけがしていた。勿論私が立てる音だ。他の2人はすっごく静かでカップを下ろしても、カップの中に波紋すらでない。どうやってるんだろ。

 時間だけが無為に過ぎていく。そろそろ我慢も限界に達しそうだった。

 帰りたい。仕事させろ。


「エリゼ、りんには無理をいってここに来てもらっている。きちんと説明してくれるね」

 王太子が促した。おぉ。判ってる。心の中でも様をつけて呼んでやってもいいかもしれないくらいには感謝した。

 エリゼさんはぎゅっと目を閉じてから、訥々と話し出した。


「あの……りんさんは、ユウキ・リンさんではないのですか?」


 確かに私の名前は友木りん。ユウキとも読めるから子供のころから『ゆうきりんりん』と呼ばれることもあった。でも別にそう呼ばれるのが好きな訳じゃないし、私の名前はあくまで『トモキ・リン』だ。

「そうですか。日本から来た、友木りんさんでよろしいですね。こちらに来たのは昨年4月だったと聞いております。それで間違いないでしょうか」

 間違いないので、こくんと頷く。


「……来る時期もおかしいし、バグかしら? でも」

 ブツブツ言っているのが聞こえるけど、ちゃんと聞こえるように話して欲しいんだけどな。というか……

「あの! エリゼさんは、エリゼさんも日本人なんですか?」

 バグなんて言葉、こっちに来てから初めて聞いた。パソコンとかゲームのプログラム以外でバグなんて言葉を使う筈もない。なんて。私が知らないだけかもしれないけど。

「そうです。ただし、りんさんとは少し状況が違うようです。

 私には前世の記憶があって、その人が日本人だったんです」


 なんというか、想像を越えた衝撃告白がきた。

 異世界転移した私がいるんだから、転生した人がいたっていいんだろうけど、なんか吃驚してしまった。

 王太子様も吃驚したらしい。


「エリゼが前世持ちだったとは……。それもりんと同じ異世界からだとは。それでいろいろな新しい知識を持っていたり、予言ができていたのか」


 ほう。やっぱり預言者ってエリゼさんの事だったのか。いわゆる前世チートってヤツですね。もしかして魔力コンロとか水道なんかはエリゼさんの知識で作ったのかしら。食事とかいろいろ同じようなメニューがあるのもそういうことかな。あ、でももっと昔から日本人とか日本以外の国からも転生とか転移してきてるんだったりして。それも面白いな。

 わくわくと想像を膨らませてたら、更なる告白がきた。


「そうしてここは、私が前世でやり込んでいた、あの……ゆ、『ゆうきりんりん♡魔法学園らぶぱ~てぃ☆』という、乙女ゲームの、中なん、ですぅ」


 顎ががくんと下がって戻らなくなっていた。

「おとめげーむ、ですか?」

 そういう小説とか漫画が流行ってるのは知ってる。知ってるけど、んー。

 まぁ異世界転移自体がもうアレだし。しかも転生者もいる。もう何でもありか。


「はい。ご存じですか? 『ゆうきりんりん♡魔法学園らぶぱ~てぃ☆』スーファミで大人気だったんですよ!」

 なにかが弾け飛んだのか、エリゼさんの一気にテンションが上がった。

「すみません、スーファミ自体を存じません」

 いや、名前とか画像ではりんだって知ってる。古いゲーム機だ。けれど触ったこともなかった。

「そ、そうですわよね、私が前世で死んだ時だってすでに旧型もいいところでしたし。イマドキのお嬢さんは知りませんよね」

 一気に上がってたテンションが最低ラインまで一気に落ち込んだ模様だ。

 美人にしゅんとして肩を縮込められると、罪悪感すら湧いてしまう。

 しかし。寂しそうにいうエリゼさんの享年が知りたいような知りたくないような、微妙な気持ちだ。

 今は同じ年っぽいし、前世なんか覚えてないだけできっとりんにもあるのだろう。判んないけど。


 エリゼさんの説明によるそのゲームの内容は、古典的といってもいいようなものだった。


***


 ある日、街中に大きな光が生まれ人々を驚かせる。それは異世界から少女が落ちてきた衝撃によるものだった。

 教会で保護された少女は、孤児院でおきた火事により大火傷を負った子供を魔法で治療したことで、光魔法の使い手だと発覚。王国の誇る魔法学院に急遽編入してくる。

 そこで、攻略対象達(メイン3人+隠し1人だって。少なくない?)と知り合い、その婚約者たちの仕掛けてくる罠をかいくぐりながら信頼を経て愛を勝ち取る。


 それだけだそうだ。最近流行りのバトルパートとかミニゲーム的ななにかはないらしい。


「そうなのですか、最近の乙女ゲームは物騒になったんですねぇ」

 エリゼさんは新しい知識(但し乙女ゲーム)に興味津々の様子だった。

「そうですね。婚約者を奪われた悪役令嬢たちは、国外追放ならまだマシで、奴隷落ちとか、戦争で敵国と通じてた事実が発覚したとかいって処刑されたりしてるみたいですよー」

 まぁやったことないから本当なのかも知らないんだけど。でも中学の時のヲタ仲間には乙女ゲーに嵌まっている子もいて、その子が「悪役令嬢うざっ。シねぇぇえぇぇ」「うおっっしゃーー、処刑キター」とかよく騒いでたから、そうなんだろう。


 そして。その攻略対象というのが、王太子ケルヴィン、エリゼの弟で公爵嫡男ウィリアム・ゴードンと、ここにはいない学園で知り合う先輩なのだとか。


 残念ながら隠しキャラについてはエリゼさんは知らないらしい。ゲーマーというにはやり込み度が足りなさすぎる。

 王太子様の婚約者はエリゼさん、そして先輩さんの婚約者は幼馴染さんで伯爵家令嬢、ウィリアムにはまだ婚約者はいないのでエリゼさんがこっちも悪役令嬢やるそうだ。大活躍だ。

 スーファミは、容量少なかったと聞いたことあった。シナリオと容量とのバランス取るのが大変そうだ。


 王太子が発した「私が、りんに口説かれるのか?」という問いに対して、「いいえ、ヒロインの健気な頑張りに惚れこんで、あなたから告白するのです」と答えたエリゼさんの言葉に、一つ一つ丁寧に突っ込みをいれたくなったけど、忙しいのでここはスルーしておく。


 それにしても、ここが異世界でゲームになっていて、しかも内容的に未来の話だってことについてはツッコミなしなのか。

 それともそこまで理解が追い付いていないってことだろうか。


 ここまで聞いてみて思ったことは、人物設定はほとんど一緒みたいだけど、それだけっぽいって事だった。だから話半分に聞いておく。半分は信じてるからお話に乗っておこう。それで大丈夫だ、きっと。

 


「んでもさ、そんなぬるゲーなら、別に悪役令嬢だって別に問題ないんじゃないの?」

 紅茶のお替りを勝手に注ぎながら、エリゼさんを見ると、顔というか耳も首も真っ赤だった。おー、これはあれだね、ラブだね。

「あー。大丈夫だよ。私、王太子様のこと守備範囲外だから! 完全アウトオブ眼中☆」

 きらりんとエフェクト掛かってるイメージで、親指を立てて保証してあげる。


「私が、守備範囲外?」

 なのに、なぜか王太子が落ち込んでみせるのでずっこけた。

 婚約者が可哀想だろ。それともあれかな、女の子はみんな自分に夢中だって思ってるとか?

 それとも脳天チョップとか足蹴にされた衝撃で、新しい世界に目覚めちゃったとか? 怖っ。


「ていうかさ。今の私には、どんな攻略対象者だってお断りですよ。

 私は誰も攻略するつもりなんてないです。

 なんでそんな碌に知りもしない男を追いかけなくちゃいけないのさ」


 恋愛するなら、ちゃんと尊敬できる人がいい。傍にいて、嬉しくなるような人が。

 ちゃんと私自身を見て、ちゃんと一緒にいてくれる人。

 ……なんてね。


「あの、でも。実は未確認情報ではあるんですけど……ゲーム雑誌に、気になるスチルが載っていたことがあるんです。

 誰も攻略できないと、船に乗せられてどこかに連れて行かれちゃうっぽいんです。あの、外国に」


 それはあれかな。夜の街を彷徨っていると人攫いにさらわれていく系っぽいやつ? っそれも怖っ。それも嫌だ。嫌すぎる。


「けれど、恋より先に、私は私が自慢できる人間になりたいです」


 今みたいなお手伝いじゃなくて、自分で仕事をして、きちんとした収入を得て、自分の力で部屋を借りて暮らせるようになるんだ。それができてからじゃないと恋とか浮かれたことを考える気になれない。



「それじゃ困るのよぉおぉぉぉ!!!」

 いきなりエリゼさんが立ちあがった。

「スチル回収ゼロになっちゃうじゃないのぉぉおぉぉお!!」

「えぇ~?」

 エリゼさん、それは、もしかしなくても、貴女は残念な人なのか。

 正直、ドン引きである。

「いやだ。あのね、女の子が好きっていうのとは違うのよ? あのね、可愛いって正義だと思うし、ヒロインのりんたんが王子様たちに囲まれて嬉しそうに恥じらってるとこをね、遠くからでもいいから見ていたいだけなのよ。まぁね、近くで見せてくれるなら植木にだって、植木鉢にだってなって見せるけどね!」

 クネクネと身体をくねらせながらエリゼさんが酷い告白をしてきた。


「お願いしますっ。ミニスカ制服姿のりんたんが観たいです。お願いしますっ!」

 どうすんの、これ。嫌です、そんな理由で学校なんか通わないよ。

 王太子様の目が遠くを見てる。うん、気持ちは判る。

「あの、……王太子様を取られるのが嫌なんじゃなかったんですか?」

 エリゼさんがもんのすごーーく遺憾だって顔をした。

「違うわよ」

 即答かよ。王太子様、泣いちゃってるじゃないですか。

「取られるのが嫌なら、りんたん探したりしないもん」

 唇をとんがらせて拗ねないでください。かわいいから。


 でもそれはそうですよねー。バトルパートないんですもんねー。

 でもそっかー、『りんたん』かぁ。


「あ。でもね、後半にバトルはないけど、中盤に行方不明だった隣国の皇太子さまがこの国に誘拐されているって大騒ぎになって、戦争になるっていうイベントはあるわよ」

「おいーー!! それ重要じゃないですか。国の一大事ですよ」


 早くその皇太子さま見つけて、隣国に送り返さないとだめじゃん。戦争怖いし、嫌すぎる。

 自分の婚約者から、よそ(異世界)の女に取られるのを見たいと言い出されて放心していた王太子様を揺り起こす。

「王太子様、皇太子を探しましょう。国交に影響がでます。戦争は回避しないとですよ」

 戦争になったら、月の灯り亭が、女将さんが料理長さんが、仲良くなったお客さんたちが悲しむ。知り合いが死ぬのは嫌だ。勿論、自分が死ぬのも嫌すぎる。

 早く皇太子さまを探さねば。


「大丈夫よ~」

 すっごくお気楽そうにエリゼがクランベリー入りのスコーンを手に取った。たっぷりのクロテッドクリームと蜂蜜を塗りたくっていた。見ているだけで胸焼けがしそうだが、あっという間に消えていく。すごい。油甘物強者だ。つよい。


「そうでしたね。エリゼさんのゲーム知識があれば簡単にお迎えにいけますね!」


 エリゼさん2個目はチョコレートタルトにクロテッドクリームとオレンジソース追加ですか。ほんとチャレンジャーだ。

 でもこういう風にそこにあるものを組み合わせてアレンジしたくなっちゃうのって日本人だなーって思う。こっちにきてからそういうことしてる人って見ないんだよね。あぁ、エリゼさんの中身は本当に日本人なんだなぁ。


 上品に、けれどもあっという間にエリゼさんのお腹の中へと収まっていく油甘物たち。見ているだけでげっぷが出そうだ。出さないけど。


「え、皇太子がどこにいるかなんて知らないわよ。ゲーム雑誌にも情報なかったと思うわぁ」

「ネットの攻略情報は」

「ネット? ネットの攻略って、なにかしらそれ」

 ……もしかして。

「スマフォとかインターネット。あの、パソコン使って情報を集めるんですけど、そういうの判りますか?」

「それはあれかしら。パソコン通信のことかしら」

 そこかぁ。その辺りでかぁ。

「まぁ大丈夫よ。隣国との戦闘は簡単に終わるから。乙女ゲーのイベントだし。

 それに、戦争に負けても問題ないのよ?

 勝たないと好感度上がらないけど、負けても特殊スチルあるし。勝っても負けても美味しい仕様なのよ! 素敵でしょう?

 でもやっぱり勝利スチルの方がテンション上がるわね! りんたんとね、その時一番好感度の高い攻略対象者がね、ぐふっ♡ お素敵よね。いいのよ。眼福なのよぅ。

 あー、でも負けスチルも、あれはあれで味があるというか。いやん、やっぱり甲乙付け難いわぁ。

 まぁ、戦争イベントは今年じゃなくて来年だから。まだ気にしないでいいと思うの」


 見惚れる所作でカップを取り上げ、口に運ぶ。

 そんな様も貴族のご令嬢らしくてうっとりする。


「じゃないってば! ここはゲームみたいな世界だけど、ここで生きている人がいる。ねぇ、エリゼ様。ここだって、現実なのよ!」


 戦争になったら誰かの大事な人が死んじゃうんだよ? 回避できるなら絶対にしないとダメなのに。なんでそんなに自分には関係ないって言えるんだろう。


「公爵令嬢なら、王国の民の為にできることをちゃんとしなさいよね!!」


 王太子といい公爵令嬢といい。この国はどうなっているのよ。

 偉そうにするだけが貴族じゃないでしょう。政治しなさいよね。

「エリゼ、皇太子について、何か情報はないのか」

 ようやく王太子様の再起動が掛かったらしい。状況を把握したのかまともなことをいっている。おぉ、王太子様が王太子様してる!


 新しく選んだメイプルシュガーマフィンを口いっぱいに詰め込み紅茶で流し込んだエリゼさんが、それを請けて、ん~っとちょっと考え込んだ。なんでもいいから情報を思い出してほしい。

 とにかく動くにしてもなにか手掛かりがないと。


「んー。特にないわね。ゲームだと、そろそろ秘密結社の秘密の儀式で猫の姿にされている筈ね」

 猫。この街、野良も飼い猫もいっぱいいるのだ。

 模様とか特徴的だったりしないのかな。

「ごく普通の猫よ? 青地に黒いブチ模様の雄猫」

「それって」

 王太子と顔を見合わせる。まさか、ねぇ? そんなお手軽なことって。そんなのないよねぇ。





「という訳で、俺が隣国の皇太子ガーランドだ」


 やだもう。本当にお手軽だった。これが乙女ゲームの補正力なの?(多分ちがう)


 皆で私の部屋に戻ってみると、私のタイガの姿はなく、その代わりに青く見えるような黒い髪と、黒く見える青い瞳をした背の高いその人が待っていた。


 待っていたというか、私のベッドの上で寝転んで、パンを齧っているところだった。おい。

「ちょっと、ベッドの上でパンなんか食べないでよ。パン屑が飛び散ってるでしょ」

「お腹すいたんだもん。飯くれ、めし」

 そんな可愛く言ったって、タイガと違って可愛くないんですけど。


「それよりも。いつからなのよ」

 なにが? って。こてんって首を傾げて見せても騙されたりしないんだからね。

 それが可愛く見えたのはふわふわなタイガだったからなんだから。

 大きい図体して同じ事しても、可愛くなんか、ちょっとしか思わないんだからっ。

「ねぇ、元から人になったり自由にできたの?」

 違う違うと、目の前の人は、片手を振って否定する。

「昨夜、りんが俺に光魔法を掛けただろ。あれで呪いが解けたみたいだな。人間に戻ってるのに気が付いたのは、今日のお昼頃になって腹すいたなーってバスケット漁ろうとしたら、人間の手に戻ってたからだ」


 ひらひらと大きな節だった手を振って見せる。

 ふわふわだったタイガの手なのに。それは男の人の、大きな手だった。


「猫になる呪いを掛けた集団から逃げ出したまではよかったが、声が出せない呪いも掛けられていたんだ。魔法も使えないし、助けも呼べなくて。一週間ちかく何も食べられないまま街を彷徨ってた。あぁ、このまま異国の地で、誰にも知られることなく死ぬんだと思った。りんに拾って貰えなかったら間違いなく死んでたな」

「だから一度も鳴き声を聞いたことなかったのね」

 納得した。納得はしたけど、納得できないというか。んん? なにかが引っ掛かる。

「光魔法! やっぱり発動してたんだ。ホラ見ろ、私は間違っていなかったんだ!!」

 いきなり王太子が諸手を挙げて歓喜の声を上げた。

 うるさい。今考え事してるんだから。それどころじゃないの。


「ねぇ、タイガ。猫だった時って、ベッドにも潜り込んで、私を枕にしたりしてたよねぇ」

「身体は猫だったしな」

「私と一緒に、お風呂に入ったりしてたよねぇ?」

「……身体は猫だったしな」

「意識は?」

「身体は、猫だったが、俺のままだな」


 やっぱり意識は人間のままだったのか。

 この変態すけべ猫がぁあぁぁ。三味線の革にしてくれるぅっ。

 脳天チョップ100回の刑なんだからね。覚悟しろ。


「いいじゃないか。俺の嫁になれば全部OKだろ」


 まだ殴り足りなかったけど、手が痛くなったから10回で終了にしてあげたのに。

 なによ、それ。軽く言って。そんなの嫌ですー。


「俺は、りんがいいな。

 働き者で、一生懸命で、真面目っぽいのに、暴力的で、自分の感情に素直で、正論吐きまくる。

 こんな風に、見ていて飽きないって女は、りんが初めてだ。それに」


 切れ長の、綺麗な瞳を楽しそうに眇めて、見つめられて、息を吞んだ。


「りんの作ってくれる飯は旨かった。城で出されるどんなご馳走よりも。ずっと。塩気のないのも、レーズンや玉ねぎを使わなかったのも、猫であった俺の事を考えて作ってくれたからなんだろう? 俺の健康を考えて、俺の為に、自分の少ない稼ぎを拾った汚い猫でしかない俺に使って飯を作ってくれていた。愛されているのだと実感できた。お前は、本当にすごい女だ。俺にはできる気がしない。けれど、お前になら、同じことをしてやりたいと思う」


 するりと頭から頬へと撫でられて、頬が染まった。


「お前はタイガと名付けた俺を友達だと言っていたが、家族だとも言っていた。なら俺の、本当の家族になって? 一生傍にいる一番の友人として、愛する嫁として、ずっと傍にいてくれ」


 滅茶苦茶言われてるのに、なにそのぐっとくる告白。

 すけべ猫の癖に。生意気だぞ。


 言い返したいのに、言葉が咽喉に詰まって出てこない。

 あうあういうばかりの私を、タイガが強引に抱き寄せる。


 そうして、腕の中へと閉じ込めて、耳元でそれを告げた。


「お前は俺に、風呂で裸をみたと怒るが、あれはお前が俺を風呂場に連れ込んだんだ。俺の裸を見ただけじゃなくて、全身隈なく撫で擦ったのはお前の方だ。責任を取って貰おうか」


 嬉しそうに、にんまりと笑った顔は、猫のタイガそのもので。


「まぁ、嫌だって言われても離さないけどな」




 宣言通り、ガーランドは自国アーリエルへ帰国する際にりんを連れて帰った。

 彼女について、「猫になる呪いを受けたが、それを解いてくれた光の聖女である」とかなり美談めかしはしたものの凡そ間違ってはいない説明をした為、りんも嘘だと判じることもできずに笑っているしかなかった。

 だが、そのお陰で本人は異世界から落ちてきただけの平民であると気後れしていた友木りんを邪険にするものはいなかった。

 むしろ自国の皇太子を助けたりんへ、誰もが大いに感謝と敬意を捧げた。

 そうしてむしろ国を挙げての大歓迎を受けて、皇太子妃となったのだった。


***


 ソファにくつろぎ、モフモフの毛玉を撫でると目を細めて、「にゃあ」と鳴く。

 別にガーランドの呪いが復活した訳ではない。りんの腕の中で「にゃあ」と鳴いたのは、別の猫だ。ガーランドの使い魔である。

 呪いに掛けられた時、ガーランドは自身と繋がりのある使い魔の姿を写し取ってしまったらしい。

 だからそっくりだ。ちがうのは、お喋りさんなところ。可愛い声でおねだりされると、ついつい甘やかしてしまう。

 今も、強請られるまま抱き上げて、強請られるまま首の根元と掻いてやっていところだ。

 ツヤツヤした毛を掻き分け、手が疲れるまで掻くことになる。右手が疲れたら左手。これが延々と続く。


「タイガちゃんったら、こっちも掻いて欲しいんですねぇ。いいですよー、幾らでもしてあげますねぇ」


 アーリエルでは、使い魔に名前を付ける習慣はないそうだ。命令をしてもそれを受けるのは主従関係にある相手だけなので、「おい」とか呼び掛けるだけだとか。

 なんてモッタイナイ! 名前を付けて呼ぶことで、更に仲良くなれるというのに。


 なので、そのまま『タイガ』と呼ばせて貰うことにした。ガーランドは嫌そうな顔をしたけれど、使い魔は満足そうに「にゃあ」と返事をしてくれたのでそう決めた。


「そんな使い魔ばかり構ってないで俺を構え、りん」

「ぐえっ」


 背中側から大きな手が首元へと廻された。

 ぎゅっと抱き寄せられて、つむじにやわらかな温かさを感じて、頬が染まる。


「……うっさい。エロ猫皇太子。重いわよっ」


 皇太子の仕事で忙しい癖に、事あるごとにやってきて、あちこちにキスを贈ってくるようになった。

 まるで、呪いで猫にされていた時に、りん自身がタイガにしていたことではあるが自分がされるとなるとテレる。


「あはは。我が嫁はまさに“つんでれ”だな!」


 帰国する前。猫になっていたことを知っていたのに放置していたことを土下座して謝罪したエリゼ様と和解したガーランドが、変な日本語ばかり覚えて使ってくるので頭が痛い。


 もう二度と、あの温かな毛玉と寄り添って眠る夜はやってこない。

 けれど。もう二度と、りんが、ひとり寂しい夜を迎えることはないのだ。


 強くて大きな手が、これからはずっと傍にいてくれる。




*おまけ*


 エリゼは土下座した甲斐もあって、ふたりの結婚式には無事招待を受けることができました。


「りんたんの花嫁衣裳スチルげっと♡ キタコレ!」




お気づきの方もいるかもしれませんが、「乙女ゲームのヒロインなんてやりませんよ?」のリメイク作品です。

ガーランド様がヒーローで終わりにするのも良かったよなーと思ったら書き直したくなりました☆

いつか続編(現在未公開)の「魔法学園で乙女ゲームのヒロインなんてやりませんよ?」も書き直して公開したいと思っております。

こちらは少しだけ次元が違う独立したIFルートということでお願いします。


お付き合いありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
[一言] エリゼ様昭和のオタク仕草わかりみが過ぎて蘇る黒歴史がいっぱい…!! でもやっぱり結婚式スチルは見たいよね〜仕方ないよね〜!! エリゼ様の知識おそらく2000年越えてないのでリンちゃんの親世代…
[良い点] 勝気で、ヒーローや王太子に対しても遠慮のないヒロインが面白かったです。 確かに恋愛よりも、目の前の生活第一、という考えも共感できますし。 そんなヒロインをヒーローが好ましく思う気持ちも納得…
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