10 ブリスコーの熱気
闘いは終わり、船は難民を乗せて川を下った。
甲板の真ん中には、死体が横たわっていた。それは、ダグラスと呼ばれた槍術士の死体だった。
ダイアナが船室を探っている時、六体ものオークが甲板に這い出てきたのだ。激しい戦いがおきた。そしてダグラスは、運悪く挟み撃ちに会い死んだのだ。
女たちが泣いていた。服を見るに、彼女たちは魔法学校の生徒だろうか。
【トグマ】「ダグラス……」ひとりの男が死体の胸元に突っ伏して泣いていた。彼の逆立てた髪は、血と汗に汚れていた。入れ墨を入れた頬に、涙の跡が残った。
【ダイアナ】「ミランダ、弔ってやれ」ダイアナが言った。僧侶の女が、遺体に触れ弔いの呪文を唱えた。
船に乗る人間たちは、皆並んで男のために祈った。
難民達は、明け方にブリスコー砦へたどり着いた。
ブリスコーは、その三方を崖に囲われた強力な自然の要塞だった。ほとんど垂直に近い急峻な崖は、いかになる外敵も寄せ付けなかった。巨岩から削り出された大岩を複雑に組んだ分厚い城壁は、まさに前線基地と呼ぶにふさわしい無骨な威容であった。櫓も屋根もまったく飾り気がなく、それはまに北方兵士の生き様を体現しいるかのようだった。
城壁は、三十フィート幅の深い堀に囲まれていた。跳ね上げ門はセコイアから削りだされた一枚造りの大板で、頑丈なだけでなく見た目にも猛々しく美しかった。
【衛兵】 「急げ!」城門の上から叫び声がした。上を見ると、櫓の上の兵士が中へ急ぐよう手を振り回していた。アイル達はすぐに従ったが、エルフたちは跳ね上げ橋の前で立ち止まった。長齢のエルフが進み出て、城壁の上の兵士に向かって大声で叫んだ。
【老エルフ】「兵士様方や、聞いてくだされ !!我々は領民ではないので砦に匿ってくれとは言いません。ただ我々が一時にでも隠れ住む森を提供してくだされば、後々必ずや恩に報いますことでしょう。厚かましいお願いとは存じますが、どうぞ聞き届けてくださいまし」
櫓の兵は後ろを振り向き、上役らしき人物と会話した後、叫んだ。
【衛兵】「風貌よからぬ人間以外は砦に入れろと言われている!」
【老エルフ】 老エルフは言った。「我々は領民ではなき故そこまでしてくださる義理はありませぬ。ただ一時の森を提供してくだされば…」
櫓の中でまた何か会話があった。青い上衣を着た、モノクルを掛けた役人らしき人物が顔をのぞかせた……それはイーサンだった。彼は生きていたのだ。
イーサンは兵士にうなずいた。
兵士は大きな手振りをして大声で叫んだ。
【衛兵】「とにかく全員中に入れ!」
エルフ達は互いに顔を見合わせた後、城門をくぐった。その眼前は街の広場だった。
ブリスコーの内部は、無骨な城壁とはうってかわって街路樹や花壇が整備された綺麗な街だっだ。遠くに見える山の斜面には、草むらから顔を出す石灰岩の露頭のように、たくさんの家がまばらに並んでいた。広場の中央には噴水があり、その回りを今到着したばかりの避難民たちが右往左往していた。
役人らしき人物が大声で指示を出していた。物見遊山の町人たちが広場を取り巻き、遠くからこの雑踏を見ていた。中には屋根の上から見物している人間もいた。
城門の上には兵士たちが居並び、群衆たちを監視していた。
そのときお突然、櫓の上から鐘の打ち鳴らされる大音響が響いた。そして櫓の窓から兵士がぬっと体を出し、大声で叫んだ。
【衛兵】「敵襲だ!!敵襲だ!!男は剣を取れ!!」
赤銅色の大きな鐘が揺れ、分厚い銅が打ち鳴らされる重低音が何度も何度も繰り返し街に鳴り響いた。やがて「どけええっ!!」と大声で怒鳴る音が広場の奥で響いたかと思うと、百人を優に越える兵士たちが人々の間を突っ切り、門外へ向かって走り出した。人々が彼らの後ろ姿を眺めていると、彼らの背後から大歓声が上がった。振り返って見ると、おそらく冒険者であろう千差万別の派手な格好をした男女が、戦吼を上げながら武器を掲げ兵士たちの跡に続いた。そして防具をまるでつけていない町人らしき人々も、弓矢を抱えて階段を登り城門の上に陣取った。
この剣を持つ人々には、勝利への確信と煮え滾るような熱気があった。それがさらに人から人に伝染した。なかにはまるで戦いの素人としか思えないような人々も、わずかな軽装で門外の戦いに加わろうと砦を飛び出した。中には白い歯をむいて笑っている人も沢山いた。
アイルもこの熱気に当てられ、腰の短剣の感触を確かめると門外へ向かって走り出した。
門の外では既に戦闘が始まっていた。
城門の左手、ラインベルクの上流側で、オークと兵士たちが今まさに激突し乱戦が始まっていた。北部連隊の刺繍を施されたマント纏った背中が見えた。彼らは砦まであと一歩のところで追い付かれたのだ。
砦の兵達は緑の土手を一気に駆け下り、あっという間に川伝いに道を上った。そしてオーク軍の横腹から一気に突撃した。
彼らの熱狂的な突撃は異様としか表現しようがなかった。歯をむいて目を血走らせ、狂的な衝動に突き動かされるままに命の散るも厭わずオークに突撃を繰り返した。僅かな時間にいくつもの剣戟が舞った。すぐにオークの前線は崩れだした。
魔力開放の高揚感と、そしてブリスコー軍の熱に当てられたアイルは軽装もいとわず最前線に突撃した。
前線の中で揃いの派手な赤いマントをはためかせた集団が乱戦の中でオークの死体の山を築いていた。彼らは冒険者達だった。
そのうちの若い金髪の冒険者がオークの棍棒を横から打ち込まれよろめいた。膝をついた彼の頭に巨大な棍棒が打ち込まれようとしていた。アイルはオークに突進し、その太いひじの肉に剣を突き立てた。
オークは痛みにあえぎ、乱暴にアイルを振り払った。アイルは吹き飛ばされ地面に叩きつけられた。
さらにアイルは別のオークの足に胸を踏みつけにされ地面に押さえつけられた。オークはアイルを真っ二つにしようと鉈を振り上げた。
そこに燐く剣戟が割って入った。細剣がオークの兜の隙間を縫い片目を貫いた。血が吹き出しオークの首を赤く染めた。剣戟の主はアベルだ。
アイルは立ち上がった。彼は自分が戦線の先頭に立っていることに気づいた。しかし引く気は一切なかった。彼は高揚していた。
いま一人のオークが兵たちの間を割り前に進み出た。緑色の鬣が赤黒い血にこびりつき、異様な逆三角形のいきり立った肩は呼吸で上下にゆっくり揺れていた。その手には刀身の全てが赤い血糊に染まった巨大なタルワールが握られていた。
それは緑青だった。彼はアイルの顔面を真正面から見つめていた。
アイルは短剣を手の中でくるくる回すと、空いた手で手招きし挑発した。
瞬間、彼は地面を蹴って突撃した。
アイルには見えた。血管の浮き出た太い右腕、その拗り上げた筋肉から放たれる曲刀の軌道が。アイルは半身を捩って剣を躱すと、鎧ごと腹を突き破るべく右手の短剣を突き立てた。
ダマスカスの短剣はガラスのように切っ先から粉々に砕けた。
アイルは目を見開いた。そして見た。あれだけ我が体からほとばしっていた魔力の噴流が、今や雨樋を伝う僅かな水のように、細く小さくしか流れていないことに。
アイルは自分がいま魔力を失いかけていることに気づいた。
魔力が切れるとどうなるのか。テオのように全身疲労を起こし、場合によっては気を失うのではないか。
オークは手甲で剣を払った。かつて短剣だったそれはくるくると長い間宙を舞った。
緑青の黒い瞳がアイルを見下ろした。その胡乱な瞳にアイルは自分自身の姿を見た。
次の瞬間、緑青の持つ分厚い曲刀がアイルの土手っ腹を刺し貫いた。
アイルは口から血を吹き出した。
アイルはタルワールの刀身を掴み、弱々しくも引き抜こうとした。激痛と死の恐怖にアイルの思考は混濁した。
刀身が引き抜かれた。アイルは顔から地面に倒れ込んだ。
遠くで叫び声が聞こえた。その声ももはや、なんと言っているのかわからなかった。
視界が暗くなった。そしてアイルは意識を失った。
アマンダに皆の前で回復魔法を使われる
まじか