鈴木しか入れないダンジョン
ある日、塔京ドームのマウンドの辺りに、直径二メートルほどの大きな穴が空いた。最初に見つけたのはマウンドの整備員だ。
整備員はマウンド格納用の昇降機が誤作動したのかと思い、保守会社に連絡しようとしたが、よくよく見るとそれどころではなかった。
先ず、穴の底が見えない。
昇降機でマウンドが格納されたとしても、二メートル程度沈むだけだ。ずっと先まで真っ暗なんてことはない。
試しに小石を落としてみると、何秒も経ってからやっと音がした。
整備員は恐る恐る穴に手を伸ばしてみたが、ここでおかしなことが起きる。透明な壁のようなものに阻まれて、手が穴の中に入らないのだ。
整備員は首を捻る。
小石を投げると何にも阻まれずに落ちていくのに、人間の手だと入らない。
もしや、生き物は入れないのか?
整備員は休憩室で飼っているミドリガメの存在を思い出す。小走りでマウンドを離れ、休憩室のドアを開けると、ミドリガメとビニール紐を手に取った。
少し悪戯な笑みを浮かべながら、ミドリガメに紐を結びつけ、いざマウンドの穴へ。
宙でバタバタと足掻くミドリガメは徐々に穴の入り口へと近づく。そして──。
「入った!」
そう。ミドリガメは穴の中へと降りていった。人間は入れないけれど、ミドリガメは入れる。なんとも不思議な穴である。
「何をやっているんだ?」
整備員が振り返った先にいたのは、塔京ドームを本拠地としている虚人軍のエース、鈴木投手だった。
鈴木投手は自分の登板日にはチームの誰よりも早く球場にやってきて、マウンドで瞑想することで知られている。
「す、鈴木投手! 違うんです! マウンドに大きな穴が空いていて!!」
「……どういうことだ? お前が穴を掘ったのか?」
「とんでもない! 私にこんなことが出来ると思いますか?」
確かに、人間一人が頑張ってなんとかなるサイズの穴ではない。
「その亀はなんだ?」
「休憩室で飼っているペットです」
「そーいうことを聞いているんじゃない。その亀で何をしている?」
鈴木は興味深くビニール紐で縛られた亀を見ている。
「実はこの穴、不思議なんです。人間は入れないんですが、亀は入れるんです」
「何を言っている? そんなことがあるもんか」
鈴木は穴の淵にかがみ、勢いよく手を突っ込んだ。
「えっ!」
「ほら。入れるじゃないか」
得意げな鈴木の顔に困惑する整備員。
「そんな……。私はほら。入れないんです」
穴の入り口で整備員の手は止まる。
「嘘をつくな。入れるだろ」
何の抵抗もなく、鈴木の手は再び穴の中へ。
「ちょっと他の人も呼んできます!!」
納得のいかない整備員は他の球場関係を呼んで穴のことを説明し始めた。そして次々と穴に向かって手を突っ込むが、その誰もが透明な壁に阻まれてしまう。
「ほら! 鈴木投手以外は誰も穴に入れないですよ!」
「そんな馬鹿なことがあるか! ちょっと他の選手も呼んでくる」
納得のいかない鈴木投手は虚人軍のメンバーを呼んで穴のことを説明し始めた。そして次々と穴に向かって手を突っ込むが、やはり透明な壁に阻まれてしまう。
何故だ。何故、鈴木投手しか穴に入れない? 皆が頭を悩ませている時に、能天気な声が響いた。
「すません! 自分も試してみていいっすか?」
虚人二軍の鈴木投手だった。ファンの間ではニセ鈴木と呼ばれている、ちょっと気の毒な選手だ。
どうせ無理だろう。そこにいる誰もが冷ややかに視線を送る。しかし──。
「うほー! 自分、この穴に入れるみたいっす!! もしかして、苗字が鈴木なら入れるんじゃないすかねー?」
ニセ鈴木の発言は真実だった。
#
塔京ドームのマウンドに開いた不思議な穴はニセ鈴木がSNS投稿したことにより、世界中で知られることとなった。
穴は「鈴木ダンジョン」と呼ばれ、日本中の鈴木が集まり探索が行われている。
ニセ鈴木はプロ野球を引退し、ダンジョン配信者となり大人気だ。
「さて! 今日は鈴木ダンジョンの第三階層に挑戦です!! この階層から敵モンスターが武器を持っているらしいので、大変危険です!!」
カメラに向かってニセ鈴木は捲し立てる。配信用のカメラを構えているスタッフの苗字も勿論、鈴木だ。
「ウォン……!!」
短剣を持ったコボルトが現れ、ニセ鈴木パーティーを威嚇する。
「うおぉぉ! コボルトだぁぁ!! くらえっ!!」
ニセ鈴木が振りかぶって投げつけたのは鉛入りの硬球だった。万年二軍だったとはいえ、元プロ野球選手。百四十キロを超える球がコボルトの脳天に炸裂し、そのまま動かなくなる。
「さぁ! どんなドロップがあるのか!!」
ダンジョン配信の人気の理由はモンスターのドロップアイテムにある。視聴者は配信を通してガチャをしているような感覚になれるのだ。つまり、射倖心が満たされる。
「よっしゃァァァ!! 金貨ゲットー!! これは十万円超えますね!!」
ニセ鈴木の配信にはコメントが溢れる。金貨を得て、さらに投げ銭で稼ぐ。苗字が「鈴木」であるものだけに与えられた特権。これは婚活市場にも影響を与え始めた。
#
『参加男性は全員、苗字が【鈴木】です!』
これは婚活パーティーの煽り文句だ。
今まで、婚活市場に置いて重要だったのは学歴や職業、年収だった。しかし今や、一番求められているのは【鈴木】であること。
鈴木と結婚して苗字が鈴木になれば、ダンジョンに入ることが出来る。ダンジョンに入ってモンスターを倒せば、何かしらドロップアイテムが手に入るのだ。
毎日第一階層でスライムを倒しているだけで充分生活できる。現代の貴族。それが鈴木。
今、後楽園駅の改札から出てきた青年。彼の苗字もまた鈴木だった。彼は周囲に目を凝らす。すれ違う女性全てが鈴木姓との婚姻を目論むハンターに見えた。
なるべく鈴木に見えないように、何気なく歩を進め、塔京ドームに近づく。
入り口が見えてきた。その周囲には鈴木姓を狙う結婚適齢期の女性の群れ。
鈴木は深く息を吸った。そして吐き出し、走り始める。
「あっ、鈴木よ!!」
見た目で分かるというのか……? 婚活女性の特殊能力に恐れを感じながらも、鈴木はひた走る。ダンジョンの戦闘を経て身体能力は飛躍的に上がっていた。そう簡単に捕まりはしない。
鈴木の前に大柄な女性が立ちはだかった。いや、女性だろうか? 服は女物だが……。
「鈴木! 俺と結婚しろ!!」
野太い声が響く。
「うるせえ!! 日本の憲法を先に変えやがれ!!」
鈴木は地面を踏み切り、大きく中空で回転しながら刺客達を躱す。そしてダンジョンに向かって駆け抜けていった。
これが、鈴木ダンジョン前の日常である。
#
「よっしゃぁぁぁ!! 190万人突破したぁぁぁ!! 日本で一番多い苗字は鈴木だぁぁぁ!!」
白髭を蓄え、光を纏った老人が大声を上げて喜ぶ。その側で、同じような見た目の老人が悔しそうに拳を握っていた。
「ずるいぞ!! こんなやり方で鈴木姓を増やすなんて!!」
「あー、悔しいでちゅねー!? でも、なんでもありが神界のルール! 貴様も策を練って佐藤姓を増やすんだな! プライドがないのならば、佐藤ダンジョンを創ってはどうだ?」
煽られた方の老人は顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
佐藤姓と鈴木姓が何故日本に多いのか。
それは二柱の神が威信をかけ、競い合っていたからに他ならない。全ては暇を持て余した神々の遊びなのである。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
ブクマ、評価、よろしくお願いします!!