君を愛することはない?ええ、激しく同意します!
「ルーチェ、後出しになって申し訳ない。すまないが、僕が君を愛することはない」
結婚初夜に、ドキドキしながら待っていた私への一言がこれ。
私は鋭く目を細めた。
「なんですって?」
「僕は……その、ローラが一番大切なんだ。ローラ以上に大切に思える人なんていないんだよ」
今日夫になったライリー・アルフォード伯爵がもじもじとしながら言う。
ローラ。
ローラ、ね。
「そうですか」
私は溜め息を吐いた。
「何故今なのですか?結婚前に言って下さればよかったのに」
「いやあそれは……後のことは分からないだろう?」
これはお金を目的にうちから持ち掛けた結婚だ。だからあまり強くは言えない。
けれど予め言っておいてくれたなら、心の準備もできたものを。
「分かりました」
ベッドに潜り込み、ライリーに背を向ける。
「同意します。私だって、貴方を愛することは決してありませんから」
リュークより大事に思える人なんていないもの、と私は口の中で呟いた。
翌朝、目が覚めたときにはライリーはそこにはいなかった。
ベッドが冷たいからかなり早くに起きたのだろう。
支度をしてリビングに行くと、ローラ、がそこにいた。
いたというか、ライリーに抱き上げられていた。
「ああルーチェ、起きたのか。おはよう」
「おはようございます」
ローラはライリーの胸を押し、もがいている。こちらに縋るような目を向けてきた。
ローラさん、嫌がってるみたいですけど……。
見せつけるように可愛がっているのは私に期待させないためなのだろうか。
けれど私だってライリーにはもう欠片も興味はない。非常識とかもうそういうのはどうでもいい。
「そういえば、これ。今日届いた」
ライリーがローラを解放して差し出してきたのは招待状だ。
ローラは逃げるように客室の一つに駆けていった。ローラはその客室を自室として宛がわれているらしい。それだけはまだましかもしれない。
「レスター伯爵の夜会ですか?」
「そうだ」
レスター伯爵家とアルフォード伯爵家は取引がある関係だ。ゆえに、欠席は推奨されない。
夜会は一週間後。今からドレスを作っても十分間に合う。
「今日予定は?ドレス職人を呼びたいんだが」
「特にありませんのでいつでも大丈夫です」
初夜の翌日に予定を入れる訳がないではないか。
まさか初夜が行われないなんて思いもしなかったのだから。
「分かった。僕が連絡しよう。希望のメーカーはあるか」
「あら、選べますの?」
ライリーが肯定したので、私は遠慮なく今流行りでなかなか予約が取れないと有名な高級ドレスショップの名前を挙げる。すると、ライリーは分かったと軽く頷いた。
「私が言うのも何ですが、可能なのですか?」
「ああ。公表されていないが、うちがバックについてるからな」
「まあ!そうだったのですね」
つまりはアルフォード伯爵家が出資者であるということだ。
それも金持ちの理由の一つなのだろう。私にとっては人気のショップのドレスを優先的に作って貰えるなんてとんでもない棚ぼただ。
「では僕はそろそろ登城してくるよ」
「いってらっしゃいませ」
ライリーは宮仕えだ。文官で、結構偉い立場にいるらしい。まだ24なのに。それだけ有能なのだろう。
ささっと服を払って整え、ライリーが玄関に向かう。
私は勿論見送りに出たが、ローラは来なかった。
ライリーは24だが、既に伯爵を継いでいる。というか、私と婚約した時点で前当主夫妻、つまり私の義両親はさっさと爵位を譲って領地に引っ込んでしまった。義父に至っては、宮仕えだったのをあっさり辞職した。
婚約者のうちから私はアルフォード伯爵家に通い、義母と家令から領地経営を叩きこまれた。夫が宮仕えの場合、基本的には妻が家令とともに領地経営を担当する。なので、アルフォード伯爵家でも義母が領地経営を担っていたし、これからは私が担う。
「今日は休んでいいって言われていたけれど」
私は執務室へと向かう。積まれた書類の仕分けをしていた家令が驚いた表情で私を見た。
「奥様。どうなさったのですか」
「私もやるわ。思っていたのと違ったの」
察したのか察していないのか、家令は眉をぴくりと動かして少し首を傾げ、そして頷いた。
「助かります。では奥様はこちらの書類をお願い致します」
「わかったわ」
家令が仕分けしてくれた、私かライリーにしか処理できない書類をチェックしていく。
半分程終わったところでノックがあった。ドアの外からかかった声の主は侍女だ。
「お食事の用意ができておりますが如何なさいますか」
「すぐ行くわ」
うーん、と伸びをする。仕事ってつまらない。癒しが欲しい。私は執務室に置いてある大きなふわふわのぬいぐるみを抱き締めた。
そして、決めた。
その夜。
ライリーは寝室には来なかった。どうやら客室にいるらしい。
同じ屋敷でよくやる。私は客室に突撃してやった。
「ライリー様」
「うおっ!?何だ!」
ライリーはローラに顔を埋めていた。服は着ている。
「お願いがあって参りました」
「お願い?」
「実家にいるリュークを、ここに連れてくる許可を」
「リューク……あいつか」
ライリーが顔を顰める。
「貴方にはローラがいるのです。私にもリュークがいて良いのではありませんか?」
反論なんてできないでしょう?
ライリーは渋々頷いた。
「分かったよ」
「リュークの部屋は離れではなくここ本邸の客室にお願いしますね」
離れには使用人寮がある。
ローラが本邸にいるのだから、リュークだって本邸にいても良いだろう。
「執務室とダイニングと厨房には入れるなよ。僕もローラをそこには立ち入らせていない」
「勿論です」
私は頷く。
寝室ではなく自室に帰り、私は早速リュークをこちらに住まわせるよう手紙を書いた。
リューク。
栄養失調でやせ細りふらふら彷徨っていたところを私が拾った。
しっかりと食べさせ健康を取り戻したリュークは見違えるように美しくなった。
私はリュークにぞっこんだ。この結婚だって、唯一嫌だったのがリュークと離れることだ。リュークも私が屋敷からいなくなることを寂しがった。ついて来たがったが、私は実家に置いて来た。
しかしライリーがローラを一番に扱うのなら、私だってリュークを一番に扱っても良い筈だ。
元々来たがっていたのだから、呼び寄せればきっと喜ぶだろう。
夫婦関係が破綻していようと、子供ができやすい日に夜をともにし子供を作ればそれでいい。妻として社交に精を出しつつ領地経営もきちんとやり遂げれば文句はない筈だ。
朝一番に手紙を出すと、夕方にはリュークを乗せた馬車がアルフォード伯爵家にやって来た。
勿論私は出迎えて、リュークを抱き締める。
「会いたかったわ」
俺も、とリュークは私の頬にキスをした。
「久しぶりだな、リューク」
既に帰宅していたライリーは、特に不機嫌にはならなかった。
しかしリュークはそうでなかったようで、ライリーを睨みつける。
「はは、手厳しい。ローラと仲良くしてくれな」
リュークはローラと会ったことがない。リュークの部屋を見せた後、私達はローラの部屋の扉を開ける。
私を窺ったリュークに頷いてみせると、リュークはさっと部屋に入った。
ローラはベッドに座っていた。
リュークの入室で立ち上がる。
「ローラ、リュークだ。同じ立場なんだし仲良くしろよ」
ライリーの言葉を聞き流し、ローラとリュークが挨拶をする。
どちらも嫌悪は抱いていないようなので一安心だ。
「ローラに子ができたらどうするつもりなのですか?」
「はぁ?子だって?」
意味が分からない、というようにライリーが眉を顰める。
「可能性、なくはないでしょう?」
「……もしも子ができたら、そのままうちにいさせる。他に出すことはしない、何か特別なことをすることもない」
「そうですか」
普通にローラの子として屋敷に留まらせるということか。
私とて流石に放り出すつもりはない。そもそもここはライリーの家。口を出すことはできるが、私に決定権はないも同然である。ライリーの意思を聞いておきたかっただけだ。
閉じられたドアがノックされる。
「お話し中失礼致します。夕食のご用意ができました」
「分かった。ああ、ローラとリュークの分もそれぞれの部屋に用意してやってくれ」
「畏まりました」
去っていく足音を聞きながら、私はリュークに声を掛けた。
「リューク、部屋に戻りましょうか」
リュークが大人しく部屋を出て行くのをライリーとともに見送り、私達もダイニングに向かう。
ローラはいつの間にか窓際に移動し、ぼんやりと窓の外を見つめていた。
「ここの食事はリュークの口に合うかしら」
食事の席でそう呟くと、ライリーはぱちりと目を瞬かせた。
「うん?好き嫌いが多いのか?」
「いえ、そういう訳では。ただご存知の通りうちはあまりお金がなかったので、こことは大分違うものを出していました。私自身はここの食事はとても美味しいと思いますが、慣れないものではありますので」
「まあそうだな。ローラはなかなか好みがはっきりしていて最初はかなり困ったよ。取り敢えずはローラと同じものを出してみるが、気に入らなければまた別にという形になるだろうな」
リュークの性格ならば、出されたものを食べないということはないだろう。
元々実家に置いて来たのであって、それを今になって私の我儘で呼び寄せたのだ。食事等を全てアルフォードで賄うと言ってくれただけでもありがたいのに、別に作ってもらうなんてとんでもない。
「いえ、そんな。私が連れてきたのですから」
「いいや、構わない。美味しくないと思いながら食べられるのは料理人にとっても辛い。事実ローラのとき料理人は何度も味を変えたりして試行錯誤することになってな、僕もある程度でもういいと言ったんだが、料理人のプライドがあるのだと言われたよ」
ライリーが苦笑する。
私は料理人ではないのでその辺はよく分からないが、自分の作った料理を美味しくないと感じられ続けるのはプライドが許さないということなのだろう。
「私としてはありがたい限りです」
ぺこりと頭を下げると、ライリーは構わないというように手をひらりと振った。
⁑*⁑*⁑
ライリーにとってはローラが、私にとってはリュークが一番であるという点以外は、私とライリーは上手くやっていた。
ライリーとて、伯爵家当主としての責務は理解しているし、それは私も同じ。私から拒否してしまった初夜は、儀式的な側面もあるためにやり直し、それからは私の予測通り子供ができやすい日を選んで夜をともにしている。
未だ子供はできていないが、そのうちできるだろう。
私を愛することはないなどと宣ったライリーだが、妻としてきちんと尊重してくれる。普通に良心的な夫なので、何故あれを初夜に言ってしまったのかと疑問の限りだ。
先日招待されたレスター伯爵家の夜会で、ライリーが囲っている猫の話もされたが、私も猫を囲っているということは言わなかった。
そんなこんなで、私達は穏やかな日常を過ごしていたのだ。
そのときまでは。
「なんだって!?」
私からその報告を聞いた夫は所在なさげにうろうろと歩き回った。
「ローラが、妊娠だと……」
あり得ないことではないと考えていた。
むしろ、普通にあり得ることだと思っていた。
だからわざわざライリーに伺いを立てたのだ。
「相手は……」
「十中八九、リュークでしょうね」
「いや、ローラは外に出していないし、中には入ってこられない。100%リュークだ」
リュークはいつの間にローラと恋仲になっていたのだろうか。
「経験したことはありますか?」
「ある訳ないだろう!俺が囲ったのはローラだけなんだから」
ライリーの憤りは何に対するものなのだろうか、と少し思う。
「妊娠中のことについて聞きたい、明日休みを取るから医者を呼ぶように」
「畏まりました」
ローラにどれほど傾倒しているんだ、この男は……。
そして、私に懐妊の兆しがないまま、ローラの出産のときがやってきた。
リュークが心配そうにローラの周りをうろうろして離れない。やはりリュークが相手のようだ。
できるだけローラにストレスのかからない環境を作ってやり、それからしばらく、部屋に残った医者とライリーが小さな歓声を上げた。
「生まれたぞ!女の子だ」
私は静かに部屋に入る。
正直全く可愛くなかったけれど、何故か可愛くて守ってやりたくなった。
「ライリー様、お話があります」
私がライリーにかしこまって話しかけたのはそれから一年と少しが経つ頃だった。
ローラの子はレティシアと名付けられ、お気に入りのおもちゃで元気に遊んでいる。妹や弟が生まれる気配はない。
「どうした、ルーチェ」
「私に子が、できたと」
私がそう言うとライリーの体が震えだした。
「それは本当か、ルーチェ」
「そんなことで嘘をついたりしませんわ」
「ああ、ああ!ルーチェ、嬉しいよ、僕は心から嬉しいよ」
ライリーががばりと私に抱きついた。
震える声が愛おしくて、私はライリーの背に腕を回してぽんぽんと叩いてやる。
「ルーチェ、ずっと言いたかったことがあるんだ、聞いてくれないか」
「何ですか?」
「ルーチェ、僕は君を愛しているんだ。君からの気持ちを求めてはいないよ、でもね、僕は君をどうしようもなく愛している」
「うふふ。結婚式の夜に、私を愛することはないと仰ってはおりませんでしたか?」
「ローラは、猫だ」
人間と猫を比べる方が間違っているのだ。
「僕はローラを、仔猫のときにローラを見て一目惚れをした。両親に強請ってここに連れて来た。なかなか懐いてはくれなかったけれど、可愛くてたまらない。けれどね、やっぱり猫は猫、ペットなんだよ」
ライリーはするりと私の頬を撫でる。
「あまりにもローラが可愛いから、ローラ以上に大切に想える女性なんてできる筈がないと思っていた。でもね、ルーチェ。君と過ごしていると僕の心はすごく温かくなって、いつの間にかローラと同じくらい大切になっていたんだ」
同じ『大切』という言葉でも、私に向ける感情とローラに向ける感情は種類が違う。
それは熱の籠もったライリーの瞳が分かりやすく伝えてきていた。
「ふふ。私もあんなに酷いことを言うひとなんて大嫌いで、義務感でどうにかやっていくしかないのだと思っておりました。でもライリー様の言葉に特に深い意味はなかったのですね」
「ああ、僕は本当に馬鹿だな。言わなくてもいいようなどうでもいいことをわざわざ言ったんだ」
「でもね、ライリー様、私はそんなちょっとおバカなライリー様を愛しているのです。私もライリー様のことがリュークと同じくらい大切ですよ」
私がライリーに向ける感情とリュークに向ける感情は違う。
だってリュークもローラと同じ、猫、ただのペットなのだから。
そして、私がライリーに向ける感情と、ライリーが私に向ける感情は、恐らく同じ種類のもの。
「両想いだと自惚れてもいいのだろうか」
「ええ。今となっては愛し合っているという言葉の方が適切かもしれませんが」
「いいや、僕はルーチェを愛しているが、同時に恋もしているんだ。だから、両想いがいい」
「そうですか。私も、ライリー様を愛していますし、ライリー様に恋をしています」
私達の唇が合わさったのは、ごく自然なことであり。
深くなりかけたときに足元に柔らかくふわふわとした感触がした。
「にゃぁ」
「にぃ」
ローラとリュークが私達の足元にまとわりつく。
「ふ、ふふ、そろそろご飯の時間ですね」
「はは、猫は空気を読むのが上手じゃなかったか?」
空気を読んだからこそ二匹はちょっかいを出してきたのだとルーチェは気付いたが、ライリーには言わずにしゃがみこんで二匹を抱き上げた。
私は無事に出産し、それから全部で一人の男の子と二人の女の子に恵まれた。
ローラもリュークとの子を合計で七匹産んだ。
欠けることなくすくすく成長した子供達は、今日も猫たちとともに屋敷を駆け回って遊んでいる。
この中の誰もが、夫や妻よりもペットの猫を優先しないことを祈るばかりだ。