前編
「夏の白百合が咲く夜」 前編
その日私はいつものように、晶ちゃんと電話で他愛ない会話をしていた。
「それでねぇ、お父さんにね、連絡先聞いたならデート誘わなきゃダメでしょって言ったの。」
「ふふ、そうなんだ。更夜さん意外と奥手なのかな。」
晶ちゃんは私のどうでもいいような話も、嬉しそうに聞いてくれる。
「絶対そう!お母さんと仲良くなった時はどうだったのかなぁ。」
そんなことを話しながら、私は雨が降る外を眺めた。
もう一月も経てば夏休みだ。
「ねぇねぇ晶ちゃん、夏休みにさ、四人で出かけない?」
「四人?」
私は今からワクワクしながら晶ちゃんに言った。
「私と、晶ちゃんと~・・・美咲くんと!咲夜くん!」
電話口の晶ちゃんは少し驚いて、困った様子が伝わってきた。
「四人で行くの・・・?ん~・・・まぁでも・・・そうだね、四人で出かけたことはなかったし、せっかくの夏休みならどこか行きたいね。」
「やった!あのね、私お母さんのお古の浴衣をもらったの、だから夏祭りに行きたくて!」
「そうなんだ、いいね、浴衣なら私も美咲君たちも持ってるだろうし・・・。どこのお祭りにしようか」
それから晶ちゃんと、一番早くに行われる夏祭りの情報をネットで探した。
私も晶ちゃんも同じ本家の生まれだけど、小学生の頃から本家の外で暮らしていた私は、三人と幼馴染とは言えない。
けれど晶ちゃんは、小学生の頃、私を気遣って手紙を送ってくれた。
そしてそこから文通が始まって、仲良くなっていった。
本家での暮らしのこと、身の回りで起きたこと、時には本家でのお父さんの様子を教えてくれた。
私は晶ちゃんのことが大好き。本当のお姉ちゃんみたいによくしてくれて。
毎年お正月に、本家に帰って皆と顔を合わせる機会があったときも、晶ちゃんはいつも私を気遣って話し相手になってくれた。
財閥が解体されて、美咲くんも晶ちゃんも当主の立場から解放された後は、今まで以上に連絡を取り合う仲になっていった。
そしてお祭り計画を練った後、電話を切る前に晶ちゃんは私に言った。
「あの、小夜香ちゃん・・・。私は美咲くんを誘ってみるから、咲夜くんは・・・小夜香ちゃんが誘ってくれる?」
「うん!オッケー。」
ひと月ほど先のお祭りの予定を見繕って、咲夜くんに連絡を取った私は、うちからそう遠くない彼の家に突撃した。
小雨が降る中、一応手土産を持って。
「・・・いらっしゃい、ホントに来たんだね。」
ドアを開けて姿を見せた咲夜くんは、無防備な部屋着姿だった。
「え?行くってちゃんと言ったじゃん。嘘だと思ったの?」
私が言い返すと、咲夜くんは苦笑いを浮かべた。
「・・・ちょっと待って、部屋の中片付けるから。」
「いいよ~別に気遣わなくて、そんなに長居するつもりないし。」
私が笑いながらそう言うと、咲夜くんはしぶしぶ私を部屋へ入れてくれた。
すると咲夜くんは、ちょっと待っててね、と寝室に入っていった。
そして手土産として持ってきたごはんをテーブルに置いて、しばらく待った。
「それなあに?」
スエット姿から着替えた咲夜くんが戻ってきた。
「おかずの詰め合わせ。手料理に飢えてるかなぁって思って。」
「あのねぇ・・・俺だって料理くらいします。まぁ最近は忙しくて作ってなかったけど・・・。」
「ふふん、そっか。言ってくれたら食べたい時に作ってあげてもいいけどね~。」
私が自信満々にそう言うと、咲夜くんは苦笑いを返した。
「そこまで世話焼かれる義理もないよ。」
彼はそう言いながらキッチンで飲み物の準備をし始めた。
「だいたいねぇ・・・一人暮らしの男の部屋に、堂々と遊びに来るのはどうかと思うよ。」
「いいじゃん別に・・・。私もお父さんも、咲夜くんのこと信用してるから来てるんだよ?」
すると咲夜くんは驚いてコーヒーをこぼしそうになった。
「ちょっと!更夜さんに俺の部屋に来てるの話してるの!?」
「?うん、出かける前に言ってるよ?」
咲夜くんは唖然として、それから大きく深呼吸した。
「まじか・・・。勘違いされてないよね?」
「何の勘違い?別にやましいことがないんだから隠す必要もないじゃん。お父さん特に詮索しないし、行くなとも言われないよ?」
「へぇ・・・。まぁただの友達として仲良くしてるだけ、って捉えてくれてたらいいけどさ・・・。」
咲夜くんはお父さんのこと怖いのかな・・・?
私は咲夜くんの反応をよそに、スマホを持って彼に画面を見せに行った。
「ねぇねぇ!そんなことより、夏休みに入ったらこのお祭り行かない?」
私がワクワクを抑えられずに言うと、咲夜くんは画面と私の顔を交互に見つめていった。
「・・・何で俺と行きたいの・・・。」
「咲夜くんと、美咲くんと!晶ちゃんと!四人で行きたいの!」
私が計画を告げると、咲夜くんは少し目を伏せ、二人分のコーヒーを持ってテーブルに戻った。
「あ~そう・・・そういうことね。」
「何・・・?デートじゃないのか、ってがっかりした?」
私が意地悪でそう聞くと、呆れたような表情で咲夜くんは椅子に座る。
「違うよ。ていうか・・・こないだ公園で話したでしょ・・・しばらく二人とは顔合わせづらいって・・・。」
「そうだけど・・・お祭りの予定はそれから3か月以上空いてるじゃん・・・。しばらくってもっとなの?どうしても嫌だっていうなら、無理は言わないけど。私咲夜くんも含めて皆で行きたいの。」
向かいに座りながらそう言うと、彼は頬杖をついてコップをぼーっと眺めた。
そして一つため息をついて、視線を逸らしながらコーヒーをすする。
「・・・どうしても嫌、なんてことないよ。ただなぁ・・・。晶が小夜香ちゃんに俺を誘わせたのは、自分で誘うのが気まずいと思ってるからでしょ。」
言われてみればそうなのかもしれない。咲夜くんするどいなぁ・・・
「晶ちゃんはどうせなら四人がいいね、って言ってくれたよ?・・・まぁ、私のために言ってくれたのかもしれないけど・・・。」
私もコーヒーに口をつけると、咲夜くんはけだるそうに視線を返した。
「小夜香ちゃんのお願いに、晶は弱いのかもね・・・。わかったよ、晶がそう言ってるなら行くよ。」
「ホント?ありがとう咲夜くん。交渉成立だね!」
私がふふんと笑うと、咲夜くんは、しょうがねぇなぁみたいな笑顔を返してくれた。
その後晶ちゃんに無事咲夜くんから了承を得たことを報告した。
私は家に戻るとさっそく、クローゼットから浴衣を取り出し、姿見の前で合わせてみた。
おじいちゃんやおばあちゃんに教えてもらったから、着付けは完璧だけど、メイクや髪型はどうしようかと悩んでしまう。
とりあえずメッセージを送って、晶ちゃんに意見を聞くことにした。
イベント事に友達と出かけるのが初めてというわけではないけど、なんだか晶ちゃんと美咲くんと咲夜くんは、私にとっては特別な存在だった。
同じ場所で産まれたからかな?お互いの家族のことまで知っているからかな。
私はそんなことをあれこれ考えながら、浴衣をしまって、コスメもチェックしていた。
まだ高校生になったばかりだし、そこまでメイクする機会もないから、安いコスメしか持ってない。
お祭りだし夜だし、そんなにメイクする必要ないかもしれないけど・・・。
その後リビング降りて、夕食を作りながらあれこれ考えていた。
「ん~どうしよ~~・・・。」
だいぶ大きな声で唸っていると、リビングに来たお父さんが不思議そうに私を見た。
「なんだ?どうした。」
「ん~~・・・別に~・・・。」
何だかお父さんに相談するのも気が引けた。
別に必要なものは買ったらいい、って言いそうだもんなぁ。
基本的にお父さん私の言うことにイエスマンなのよねぇ。
そうだ、髪型をハーフアップにするなら簪もほしいかも!
ほしいものが増えていくのを感じながら、料理を進めていると、お父さんが声をかけて来た。
「ほしいものでもあるのか?」
私がハッとして手を止めると、お父さんは頬杖をついてこちらを見た。
「見てればわかる。ほしいものがあるとき、そうやってコロコロ表情を変えて悩んでるだろ。」
私はなんだか心を見透かされたのが気に食わなくて、じとっとお父さんを見た。
「何だその顔、一人で百面相すんな。」
意地悪に笑うお父さんは、時々同級生の男子みたいに見える。
ちょいちょい大人気なかったり、子供っぽかったりするんだよね。
私はなんだか意地を張るのも面倒くさくなった。
「浴衣を着る時の簪がほしいで~す。」
私がお鍋に火をかけながらそう言うと、お父さんは当たり前のように返してきた。
「小百合のお古があるぞ。浴衣と一緒に渡してなかったか・・・。持ってきてやるから待ってろ。」
そう言ってお父さんは徐に立ち上がった。
そういえば、着物姿のお母さんの写真は残っていたけど、浴衣姿のお母さんってどんな感じだったんだろ。
私が今お古を着てお母さんに似てたら、お父さん感動して泣いちゃったりするかなぁ。
そんなことを考えていると、お父さんが戻ってきてテーブルの上に桐箱を置いた。
ささっとお味噌汁をこしらえて火を止めた私は、箱をそっと開けるお父さんの側に寄った。
「わぁ!綺麗!すごいねぇ、高そう・・・。」
そこには色んな色で輝く、煌びやかな簪が綺麗に並んで入っていた。
お父さんは一つずつ指をさしていった。
「これが玉簪、これは平打ち簪、揺れもの簪、結び簪に、花簪だ。最後のは振袖と一緒に着けることが多いものだが、他のものは和服でも洋服でも使う人がいるな。」
「へぇ・・・。」
私は思わず見とれながら、つやつやに輝く簪を一本手に取った。
「綺麗・・・。丸いトンボ玉に百合の柄があるね。」
「小百合のだからな・・・。玉簪は簪の中でも最もポピュラーなものだ。」
私は掌に乗せた簪から、心地いい重みを感じた。
「ちなみに・・・値段的には結構する?」
「ん・・・まぁ、少しいいスーツを買えるくらい、はするな。」
お父さんの金銭感覚がおかしいから少しいい、がどれくらいかわかんないな・・・。
そんなこと思いながらお父さんの顔を見ると
「・・・一つだいたい30万弱くらいだろうな。作ってくれた職人が島咲家の遠縁の者でな、曾祖父の代から祝言の際、当主の奥方には手作りしてくれていたんだ。だいぶ年だったからもう亡くなったが、数が少ないこともあって希少品ではある。まぁもっと高い物もあるがな・・・。」
私はそれを聞いて血の気が引いた。
「そんな値段のするものお祭りにつけて行けないよ・・・。やっぱり自分で安いの買うね。」
私がそう言って、簪をそっと桐箱にしまうと、お父さんは簪を眺めて言った。
「これらは・・・小百合の手持ちの着物を見て、こういう柄と造りがいいだろう、と合わせて制作されたものだ。もちろん浴衣と合わせることも想定してな。・・・この揺れもの簪なら、浴衣にも小夜香にも似合うんじゃないか?」
お父さんは簪を抜き取って、そっと私の頭に合わせるように添えながら、優しく笑った。
それを見て少し胸が痛くなった。
私が簪をつけて、似合っていようがいまいが、お母さんのことを思い出させてしまったらつらくないだろうか。
「お父さんは、つけてほしいと思ってるの?」
私はその笑顔から視線を逸らせて聞いた。
「そうだな。つけてほしいと思う。似合う人につけてもらうことで存在が輝くだろう。・・・深く考える必要はない、いいと思って惹かれたなら、手を伸ばして自分の物にしてみるんだ。一緒に在りたいと思うかどうかは、それから決まる。」
お父さんはそう言って、ニヤリと口元を上げた。
「それ・・・簪っていうより、お父さんの恋愛観の話?」
「さてねぇ。裸のまま持ってても不安だろうから、桐箱ごと部屋に置いとくんだな。」
お父さんはしらばっくれて、それからソファに座ってテレビを見始めてしまった。
私はどうしようかまだ悩みながらも、とりあえず大事に桐箱を自室に持って行った。
その後晶ちゃんからおすすめのコスメや、浴衣に合う髪型を教えてもらって、着付けも何度か予習した。
そして学校の体育祭が終わって、期末テストが近くなった頃、或る日咲夜くんから連絡が来た。
「あ・・・珍し、電話だ。・・・もしもし?」
「あ、もしもし小夜香ちゃん、今大丈夫?」
「うん、家にいるよ~。どうしたの?」
私はスピーカーにして、ノートを見返しながら答えた。
「あのさ、例のお祭りだけど、晶も小夜香ちゃんも浴衣で来るの?」
「うん、そのつもり。美咲くんも咲夜くんも浴衣持ってるよね?」
「やっぱりそうなるかぁ・・・。いや、持ってるには持ってるんだけどね・・・。」
咲夜くんは何やら、もにょもにょ言い出した。
「着たくないの?」
私がちょっと残念そうに言うと、咲夜くんは悩みながら答える。
「いや、別に着るんだけどさ、俺本家に長く住んでた美咲と違って、和服着る機会なんてそう多くなかったから・・・自分で着付け出来ないんだよね。」
「そんなのネットで見たらいくらでも書いてるし、動画もあるじゃん。ていうか一緒に行くんだから美咲くんにやってもらったら?それか、晶ちゃんも頼めばやってくれるんじゃない?」
私がちょっとニヤニヤしながら言うと、咲夜くんは低い声で淡々と言った。
「晶に頼んだりしたらまた子ども扱いされるよ・・・。後俺の不器用さを舐めないでほしいね、動画サイト見たところでぐちゃってなったからな!美咲はやってくれそうだけど・・・そもそも目的地から一番離れてる俺の家に、わざわざ呼ぶのも悪いじゃん。」
私は咲夜くんの言い訳を聞きながら、やっぱり可愛いなぁと思ってしまった。
「そうなんだねぇ~。で、私にどうしてほしいの?」
問題集を解きながら雑に答えると、咲夜くんは少し黙った。
「・・・今、何してるの?」
「え?テスト勉強だけど?」
「ふぅん。じゃあこういうのはどうかな、俺が勉強教えてあげる代わりに、小夜香ちゃんが俺に着付けを教えるってのは。」
何故か自信満々な声でそう言う咲夜くん。
「も~素直じゃないな~。」
私はちょっと呆れて、椅子にのけぞり伸びをした。
週末の昼間だったこともあって、私は勉強道具を持って向かうことにした。
玄関に行く前に家の中でお父さんを探す。
広めの家の中をうろうろするのも面倒なので、私はおとうさ~んと大きく叫んだ。
すると書斎から顔を出してくれた。
「何だ、どうした。」
「ちょっと咲夜くんのところに行ってくるね。」
私はそう言いながら玄関に靴を出す。
「・・・遅くなるのか?」
「え?ん~~・・・咲夜くん次第かな・・・。」
着付けに苦戦する咲夜くんを想像しながら答えると、お父さんは訳が分からない様子で私を見た。
「どういうことだよ・・・。何しに・・・いや・・・。」
歯切れ悪く言い淀んでいたので、靴を履いてから振り返った。
するとお父さんは何だか少し困ったような顔で言った。
「小夜香・・・咲夜くんと付き合ってるのか?」
「・・・・・・・・ん?」
お父さんの中で何がどうしてそういう結論になったのかよくわからなかった私は、首をかしげて見つめ返した。
お父さんからしたらよくわからない関係に思えるのかな・・・?
「えと、付き合ってないよ?」
するとお父さんは眉間にしわを寄せて、少し怖い顔をした。
「じゃあ・・・遅くなるのは咲夜くん次第、ってどういうことだ。」
・・・・ん?あれ・・・私誤解させちゃってる?お父さんは何をどう誤解したんだろう・・・。一から全部説明しなきゃいけないやつ?でも、咲夜くんたぶん他の人に知られたくないから私に頼んだんだよね・・・。いや、お父さんは関係ないから言っても問題ないのかな・・・。
「え~~~っと・・・お父さんが何を誤解してるのかちょっとわからないけど・・・。浴衣の着付けが覚えられない、って連絡来て・・・教えてくれたら代わりに勉強を教えてあげる、って言われたの。」
私は咲夜くんにちょっと罪悪感を覚えながら、お父さんに説明した。
するとお父さんは眉間のしわを解いて、真顔になった。
「ほう・・・。そうなのか。遅くならないようにな。」
お父さんは冷たい声でそう言い放つと、静かに書斎に戻った。
今のやり取り、咲夜くんに言わないように気をつけよ・・・と思いながら私は玄関の扉を開けた。