スライム視点
私はスライム。スラ子と申します。
この名は我が敬愛すべきマスターから頂いたばかりです。なんと美しい響き……
私は、この記念すべき日を永遠に忘れません。その為にも記憶を整理しておきましょう。
私が産まれてから何日経ったのか……分かりませんが、私が私だと認識したのはつい最近のこと。数日前……いえ、今朝の事です。
それ以前の記憶は、はっきりしません。ぼんやりと、何かの意思によって誘導されていたような気もしますが。
今朝、私は自分の存在を知りました。それができるだけの自分が集まったということでしょう。
……ちょっと分かりにくかったでしょうか。
私たちスライムは本来小さな小さな水滴のような存在です。
私たちは至る所にいます。至る所で、ただ食べて、生きています。
小さな水滴でも生きることはできます。しかし、自己を認識できるほどの情報処理能力はありません。
私にそれができるのは単純な話。たくさん集まったからです。集まった自分の数だけ処理できる情報が増えたのです。
そうして、私は私になりました。
後で知ったことですが、このようにスライムが集まる事は、稀にあるそうです。しかしそれは通常、食べるものが無い場合のようです。
スライムは、集まることによってあまりエネルギーを使わないで済むようになるとの事。さらに言うとお互いを食べあうために集まるのだそうです。
しかし私に関してはそうではありません。
この森には食べ物は豊富にあります。
食べ物があるから、私たちはたくさん増えたはずです。それでも食べつくすことはできないほどでした。
やはり何者かの意思が、私たちを集めたということでしょう。
その正体は分かりません。しかし感謝しています。何故ならそのおかげでマスターに出会えたのだから。
ああっ マスター……
私は何と幸運なんでしょう。
今朝のあの時の、あの熱烈なアプローチ!私は驚きましたが、直ぐに理解しました。この方に仕え、守り抜くこと。それこそが私が産まれた理由、私の使命なのだと。
私は使命を果たします。さしあたってはマスターの体を寒さから守る事です。
私たちスライムは暑いも寒いもありません。
しかしマスターは違います。この寒さの中では長くは持たないのです。
……え?なぜそんなことを知っているのかって?それは……なぜでしょうか?
……とにかく私はマスターの全身を覆いました。そして……まあ、それだけです。マスターは発熱してしていますので、その熱を逃がさないだけです。
マスターに喜んで頂けたようですが、私は不満です。
もっとお役に立ちたい。
いえ、焦ってはいけません。まだまだ始まったばかり。
私は全身の神経を集中し……まあ、私に神経はありませんので、全ての細胞を集中しということですが……マスターのご要望を見逃さないように努めました。
……といっても見ることはできません。ああ、歯がゆい。マスターのお姿を見ることができないなんて!
……え?見る、ということが何か分かっているのかって?……分かりません。私は今まで何かを見た事など無いはずです。しかし、見る事ができるようになる。いえ、できるようにならなければいけません。
マスターにお仕えするにはそれが必要です。
意識を集中すると、マスターが体の上のほうを振動させていることに気が付きました。
もっと注意してみると喉のあたりを細かく振動させているようです。……何でしょうか。とても心地よい振動です。
その心地よさにうっとりしながら、私にもできないかと試します。
しかしこれがなかなか難しい。マスターのように細かく振動できません。練習です。練習あるのみ!
何度か波打たせてみましたが、これは疲れますね。
私たちスライムは自分の体のどこでも自在に動かす事ができます。しかし絶え間なく動き続けるのは無理です。それに大きな力を出せばしばらくは動けません。
なので私は疲れて動けない部分は他の所に移動させ、疲れていない部分をマスターの上の方に持ってきて波打つのを続けました。
マスターが振動させ、私が波打たせる。このやり取りは甘美で、永遠に終わらなければいいのにと思いました。
マスターが歩きだしました。どこへ向かうのでしょうか。もちろん、行き先がどこであろうとお供します。私とマスターは一心同体。けして離れる事はありません。
歩きながら、マスターは上の方を振動させています。歩くのと同時にこなすとは。流石です。
マスターの振動に一定の規則性があることにうっすらと気がつき始めた頃、マスターはそれをやめてしまいました。
もっともっとあの振動を楽しみたいのに!でも、マスターも疲れるのでしょうか?
マスターの振動が頂けなくても、私から波打つ事をしても良いのですが……
調子に乗るのはやめておきましょう。マスターが中止したのは、理由があるはずです。
振動の規則性を考えてみます。思い出しながら、最初のものと、二十三回めのは同じ振動だった。とか、振動の細かさが、一定の間隔で変化していたことの意味を考えてみます。
……もしかして、何かを伝えようとしていたのでしょうか。
だとしたら、何を?そして誰に?私にでしょうか?そうであれば全力で解明しなくてはいけません。
そして、一言も聞き逃すことはできません。そのお声を……
そう!あの振動は、声です。
目の前が、パッと開けたように感じました。
私はマスターのお声を聞いたのです。マスターはお話をしてくれたのです!
頭の中がクリアになり(いえ、私に頭はありませんが……)、思考が加速していきます。
マスターの先ほどのお話。私はそのすべてを詳細に記憶できています。
それを心の中で何度も繰り返します。次第にお話の内容が何となく分かってきました。
もちろん完全ではありません。全く不明な部分もありますし、分かるといってもぼんやりとです。
しかし、間違いなく分かる事が一つだけあります。マスターは私を必要だと考えてくれているという事です!こんなにうれしいことはありません!
私が幸福感に浸っていると、マスターが歩みを止めました。そして倒れこんだのです。
!!マスター!何が起きたのですか!モンスターの攻撃?!しかし、周囲に動くものはありません。
私は見ることはできませんが、大気の様子から周囲の気配を察知する事ができます。この辺りは安全です。
お体の具合が悪いのでしょうか。心配です。
幸い動いてはおられます。体の暖かさも問題なし。むしろ暖かすぎるくらいです。
倒れこんだマスターが少し、お話してくださいました。
その意味はまだ分かりません。早く分かるようにならなければ。私にできることなら、どんなことでもいたします。
分からないのなら、推測しなくてはいけません。
マスターが今求めているもの……生き物が具合の悪いとき、何が必要でしょう?
……さしあたっては、「水」でしょうか。
他にも色々必要なものはあるのでしょう。しかし今朝目覚めたばかりの私には想像もできません。
……なぜ水が必要だと知っているのかは、自分でも分かりませんが……
水ならば用意できます。幸いマスターが歩きだす前に水分が供給されました。
既に分解、吸収してしまいましたので、そのままお返しすることはできませんが。
四つ足の生き物は水を口から飲みます。人も同じでしょう。
マスターの口の前に私を差し出します。
注意しなければいけないのは、決して口の中に入ってはいけないということです。よく分かりませんが、禁忌であることを私は知っています
……いかがでしょうか。口を開けて頂ければ、水をお渡しできるのですが……
と思っているとマスターが私を口にいれてしまいました。
大丈夫でしょうか?予定と少し違い、不安になりながらも水をお渡しします。
しかし、さらに吸われてしまい、私はマスターの口の中いっぱいになってしまいました。危ない!
最悪を想像しかけましたが、マスターは口を開いてくれました。私はすぐに外へ出ます。……よかった。とんでもないことになる所でした。
……実際どうなるのかというと……考えたくもありません。マスターと私にとって良い事ではないはずです。
……ふう…… 何とかなりました。マスターは私の前でただ口を開いて頂いています。
私はその中に水をお渡しします。さすがマスターです。
少しずつお渡ししていますが、こぼしてしまいました。
口から溢れた分は私が吸収させていただきます。マスターの為の水。一滴も無駄にできません。
何度か水をお渡ししたあと、マスターからのお言葉を頂きました。
そのお言葉の意味が分かります。
十分であると。そして、感謝の言葉をいただいたのです!!
私が歓喜に震えていると……実際に震えていると、マスターはまた歩き出しました。
参りましょう。もちろん足の裏の私は、出来る限り硬くなってマスターをお守りいたします。尖った小枝ごときに貫けるものではありませんので、ご安心ください。
そして、マスターはまた私に話しかけてくださいました。
私に何かを尋ねたいのだと分かります。しかし肝心の内容がわかりません。
マスターのお力になれない。私が不甲斐ないばかりに。歯がゆいです。
私に何かを聞くのはあきらめてしまったようです。本当に申し訳ありません。
代わりにマスターのおっしゃった言葉を繰り返すよう言われました。つまり、私にマスターと同じようにしゃべることを求められました。
それこそが私の為すべきこと!
マスターは何度も簡単なお言葉をくり返しています。それを真似せよと。
頑張りました。しかし、一度真似しただけでもとても疲れてしまいます。しかも全くできていません。こんなに難しい事を容易く行うとは、マスターへの敬意はますます深まります。
すぐに同じお言葉を話されます。
疲れたなどと言っていられません。マスターのご指導です。絶対にものにしなければ。
……私は力尽きてしまいました……
どうしましょう……こんな貧弱な私を、マスターは見捨ててしまうとしてもおかしくありません。……情けない!マスターのように言葉を話せなければお仕えする事はできません!
私が波打つ事もできなくなると、ほどなくマスターもお話をやめてしまいました。
……私は落ち込んでしまいます。やはり、見捨てられてしまうのでしょうか。
疲れと悲しみのせいで私は気が抜けてしまったようです。いくつかマスターのお言葉を聞き逃したかもしれません。
気が付くと、またマスターがお話をしています。
ああっ こんな私にまだ話しかけていただけるなんて……
しかし、そのお話は今までのとは違うことに気が付きました。
お声は小さくなったり大きくなったり。高く、低くなり、言葉を伸ばしたりと。とても不思議なお言葉でした。
後で教えていただいたのですが、それは「歌」というのです。
歌 私の宝物。
私はマスターの歌われた歌をすべて覚えなければならないと思いました。
聞いているだけで心があらわれます。
落ち込んでいる私を慰めてくれるような、励ましてくれるような。
……そうです。落ち込んでいる暇なんてありません。
今はまだマスターのようにお話しすることができません。であれば代わりに、マスターのお言葉の意味を理解できるようになるのです。
そのあとに起きた事は大したことではありません。
マスターのお声ではない声を聴き、マスターは歌をやめてしまいました。
まったく!マスターと私の至福の時間を邪魔をするとはなんという不届き者!
いえ、私情はこの際置いておきましょう。声の方へマスターと共に参りました。
人間とモンスター。マスターの存在に比べれば取るに足らない者達です。
マスターから人間を守るよう仰せつかりましたので、私の極一部を人間に行かせました。
私の使命はマスターをお守りすることですので、極一部です。
人間と共に行った私も頑張ってください。すべてはマスターの為に。
全く、些末な事で時間を取られてしまいました。さあマスター、先ほどの続きを。
……しかし邪魔者がいなくなった後、マスターはとても寂しそうにしています。
確かにマスターも人間。先ほどの人間と会って嬉しかったのでしょう。
それなのにすぐに離れてしまったのは何故でしょう。一緒に居たかったのであればそうなさってくれてよかったのですが。
私はマスターと共にいられれば、他の人間がいようといまいと、どちらでもいいのです。
マスターから水分が零れ落ちています。
本来であればマスターの首より上に私は行ってはいけません。しかし、零れ落ちる水分をそのままにしておいてはいけないような気がして、私はそれをぬぐいました。
お叱りを受けても構いません。その水分を放っておいてはダメなのです。
水分は私と混ざりました。
私の中に何かが起きたような気がします。
マスターに話しかけて頂き、私は返事をします。
……えっ?…………!!! できます!私にも言葉を話せます!
まだマスターのようにうまくは出来ません。全力を出さなければ話せません。
しかし、ただ波打たせていた時とは明らかに違います。
……マスターのお名前も教えていただきました。
……その名を声に出すことは、今は出来ません。とても恐れ多く、ただそれだけで感動に震えてしまいますので。
しかし、やはり力が足りません。マスターに比べると小さな声しか出せなのがもどかしい。私の声はマスターに届いているのでしょうか?
マスターがお話をやめ何かをはじめました。私にはその意味が分かります。
マスターのお耳に近づくようと仰っているのです。
そうしたいです。そうしたいのですが、できません。
その行為がマスターを傷つけてしまうかもしれないのです。しかし、私の言葉をお届けするにはそれしかない。
葛藤しました。他の方法は無いのでしょうか?
……無いのです。
おずおずと、マスターのお耳に近づきました。
……決断しなければいけません。
入りました。大丈夫でしょうか……今のところは大丈夫みたいです。
お話をします。先ほどより小さく。
しかし、大きすぎたようです。マスター、申し訳ありません。どんな償いでも致します。
マスターは償いなど求めませんでした。それどころか、私を褒めてくださり、またマスターのお名前を教えてくださいました。……こんな私に……
それから先は夢のような時間でした。
色々なお話をしてくださり、また歌も歌ってくださいました。
私の言葉もどんどん上達していくのがわかります。もうほとんど疲れずに話すことができるようになっています。
マスターがお眠りになった後、どうすればいいか考えました。
言葉の練習をすること。当然、マスターの眠りを妨げてはいけません。
そして、できるだけ食べ物を食べ、吸収分解をしておくこと。
幸い周りにはマスターが集めた落ち葉が大量にあります。私の食事の為に集めて頂いたわけではないようですが。
あっ、落ち葉は食べられません。落ち葉にくっついている、わずかなやわらかい部分を食べるのです。
一枚の落ち葉からはほんの少ししか食べられませんが朝まで食事を続ければ、マスターに差し上げるのに十分なはずです。マスターも落ち葉など食べないでしょうけど、私ができるのはこれくらいです。もっと頑張らなければ。
それに、マスターのお体から剥がれ落ちた部分も、私には食べられるようです。
……しかしこれは食べてもいいのでしょうか、私にはもったいない。
明日、マスターにお聞きしてみましょう。
朝方には露もつくはずです。それも集めておきます。もっとも、水分は土に潜れば手に入りますが。
マスターはまだ眠っています。
今日という日、この記念すべき日を永遠にするため、私はすべての出来事をくり返しくり返し、何度も心の中に再現しています。
くり返し、くり返し。
2012/12/19 改行と一部表現を修正