鏡の中の男
「たくさんの街のギルドや、主要施設に置かれている魔法具、『写し鏡の悪魔』には、すべて同じようにこの一文が刻まれている。つまり、魔法具の名前と考えていい。羊皮紙に書かれた最後の文。これは、”写し鏡の悪魔”に間違いないわ。」
「この最後の文って、署名に見えますね。」
4行の文章。その文章は誰によって書かれたのか。その署名と考えるのが自然に思える。
「そう。つまりこの文章は、”写し鏡の悪魔”からのメッセージだと、私たちは考えているのよ。」
「ええと、ちょっと待ってください。混乱してきました。……『写し鏡の悪魔』って、魔法具ですよね。つまり道具だ。それが文章を書いたり、まるで人格があるかのように言ってますけど……。」
「その辺りの事も、文章が解読できれば分かると思うのよね。でも……。」
言葉の最後のあたりは不明瞭な呟きに紛れてしまった。どうやらルイは自分の思考の中にどっぷりと浸かる事にしたらしい。夫である町長を含め、俺たちの存在すらその中から締め出されてしまった。
謎の文章を解読しようと頭をひねり、部屋の中を歩き回るルイを、俺たちはただぼんやりとみている事しかできない。
助けを求められ呼ばれた以上、何とかして手伝いたいとは思ったが、今のところ出来ることがなさそうだ。
…………
最初に、その違和感を感じ取ったのはユカリとリホだった。
突然、二人は落ち着かなげにびくりと体を震わせた。
「どうした」と、声をかけようと二人を見たとき、ツムギとスラ子が同時に言った。
「……え?」「マスター。ご注意を!」
ツムギの視線の先。それはもちろん大きな鏡だった。だが、そこに映った譜面台ではない。
扉を見ていた。俺たちが入って来た扉。
その、鏡に映った扉がわずかに開いていた。
「……なんですか。この気配は。」
リホが恐ろしげにつぶやく。
「ま、まるで。こ、この世のものでは、ないみたい……。」
ユカリの額に汗が浮いている。
メグミもツムギも、町長さえ緊張した面持ちだ。
俺はと言うと、その”気配”とやらが分からない。
だが、分からないなりにみんなの緊張が伝染し、俺はごくりとつばを飲み込むのだった。
注目の中、鏡の中の扉はゆっくりと開く。ギー……という、小さな軋んだ音を立てて。
そう。扉を開く音が聞こえた。はっきりと。
俺は思わず振り返り、現実の扉に視線を走らせる。
現実の扉は開いていない。ぴたりと閉ざされている。
鏡の中の扉だけが、俺たちの目の前で開いていくのだ。
そして、そいつが姿を現した。
最初は、ドアノブを握った右手が見えた。
白い手袋を着けた、ごく普通の人間の手のようだ。
次につま先。
鏡に映った部屋の中へと一歩踏み出されたのは、ピカピカに磨き上げられた上品なブラウンの革靴。コッと小さな音を立て、そいつは部屋へと入ってくる。
そして、その全身が現れた。
最初の印象は……”黒”。
黒くつややかな髪の毛は丁寧に切りそろえられている。髪の間からは、とがった耳が覗いていた。その形はエルフのそれとは明らかに違う。
一見華奢な躯を、まったくツヤのない闇のようなスーツで包み、胸元には小さくハンカチを覗かせている。
その姿は、良家に仕える執事か高級ホテルの支配人のようだ。派手さは無いが、それでいて嫌でも目を引くオーラがある。
鏡の中の扉を開け、部屋に入って来たのはそんな男だった。ただものではない。それだけは、勘の鈍い俺でもわかる。それは、男が鏡の中だけに存在する超自然の存在だから。というだけでは無いようだった。
部屋に入り、静かに扉を閉めた男は、窓の外を見つめている。
空には、優雅に旋回する鳥の姿。それを見るともなしに眺めているらしい。
横顔は、男の俺から見ても美しかった。
蝋人形のように蒼白でありながら、その肌は不思議と生命力に満ちている。ほのかに血の色が透けているかのような唇と長いまつげが目を惹く
男の目元に少し違和感を感じ、俺はついまじまじと見つめてしまう。そして、たった今俺たちの存在に気が付いたかのように、こちらに向いた男と、バッチリ目があってしまった。
違和感の正体はすぐに分かった。
鋭いカミソリで切り裂いたかのような瞼から覗くその目は、まるでそこだけ空間を切り抜いたかのような漆黒をしていた。瞳の話ではない。白目に当たる部分に、一切の光が無いのだ。
そしてその目の中心には、”黒い光”とでも表現すればいいのだろうか。今まで見たこともないような輝きが彩っているのである。




