日本語の勉強と滑車と
「スラ子、今度は日本語の文字を覚えて欲しい。日本語とは俺が話している言葉だ。お願いできるか?」
「もちろんです、マスター。」
スラ子がこの世界の文字を覚えたので日本語も、と考えた。
覚えてもらって今すぐに役に立つとは思えないが将来的には何かの役に立つだろう。
買ってきたメモ帳に筆記具でひらがなを書いていく。しかしこれが書きにくい。メモ帳の紙はガサガサしていてすぐに引っかかる。しかも破れやすい。
筆記具の方は木炭を布で巻いてあるだけだ。先端を細く削ろうとしてもぼろぼろと崩れてしまう。仕方なくそのまま使うが、細い線は引けない。
ひらがな、カタカナはなんとかなった。しかし漢字は大変だ。1ページに1字がやっと。それ以上小さく書こうとすると潰れてなんだかわからなくなってしまう。
書きながら、そもそもメモ帳に書き取るのが間違いだったかも、と思った。
別に残しておく必要はないので、外で地面にでも書いたらよかった。
メモ帳は50ページ程度なので、簡単な漢字で埋めたら終わりになった。また機会があったら教えたい。俺が字を忘れない為にもなるはずだし。
「掲示板などの文字は口頭でお伝えすると時間がかかります。マスターに教えていただいた日本語の文字にして表示できればいいのですが。」
「そうだな。しかし、他の人にばれないようにそれをするのは難しそうだ。何か方法を考えておこう。」
そんな事をしているとお昼を少し過ぎていた。
食堂に行くのも面倒なので冒険者ギルドの休憩所で簡単な昼食を取る。いつものスライム団子と水だ。
もちろん取り出すところを人に見られないように注意。
水もスラ子が水筒とコップになってもらい、自分で注いで飲む。
うーん。相変わらずもそもそしている。こんなにおいしくなかったかな?メグミと一緒に食べたときは気にならなかったが。
量もあまりたくさん食べられない。
まあ、今日は別に体を動かしてないからな。スラ子がもう少し食べるように勧めてくるが、もういらない。
手持無沙汰になり、何か簡単にできることがないかと一般クエストの掲示板を見る。一般クエストは街中で住民や工房、商店の手伝いのような仕事だ。ちょっとした時間でやれるようなものは無いようだった。
「マスター、メグミさんが困っているようです。来てくれないかと言っています。」
メグミがスラちゃんにそう言ったという事だ。もちろん行こう。
「『来てくれ』はいいけど、どこに行けばいいんだ?」
「ご案内します。」
俺は外に出て冒険者ギルドの裏側へ回った。ギルドの裏も割と広い通りに面しているようだ。ちょっと生臭いにおいがあたりに漂っている。
「スラ子、俺は偶然通りかかったという事にするから、メグミに伝えてくれ。」
「かしこまりました、マスター。」
メグミと俺がスラ子を通じて連絡できるのはいいが、それを他の人に知られないようにしなければいけない。メグミは解体の担当者と一緒にいるだろうからな。
ギルドの裏口は大きな両開きの扉があるが、それが開いている。冬場は寒そうだが、匂いがこもるのを防いでいるのだろう。
開いた扉の奥にメグミが、エプロン姿の女性の隣にいるのが見える。その向こうには小山のように大きな影があるようだ。
「メグミ、お疲れ様。順調か?」
俺はいかにもたまたま通りかかった風を装いメグミに声をかける。
なんだか演技っぽくて、笑いがこみあげてくるのを抑える必要があった。
「あ、カヒト!いい所に来たっ。お願い!手伝って!」
メグミが俺を認めるとすぐに駆け寄ってくる。手を取って中に引きこまれた。入って大丈夫だろうか。
俺は隣のエプロン姿の女性に問うように見た。昨日解体補助のクエストを申し込んだときに対応してくれた受付のおばさんだった。
「ああ。あんた、昨日の。悪いけど手伝ってくれるかい?」
「それは構わないけど……もしかして、これ?」
「ああ、いきなり持ち込まれてね。どうしたもんかと途方に暮れてたんだよ。」
裏口から入った場所は大きな部屋になっていた。
壁際には棚があり、色々な器具が置かれている。
大きな木の桶がいくつもあり、金属の棒やハンマー、ノコギリ、巨大なナタの様な刃物などもある。解体のための部屋だろう。
部屋の中央には頑丈そうな作業台がある。高さは1メートルほどで幅2.5メートル、奥行きは1.5メートルくらいか。
その作業台の上に巨大な生き物の骸が置かれている。扉の外から見たときはわからなかったが、近くで見ると熊だとわかる。
頭と後ろ脚は台からはみ出ている。巨大な熊だ。
「これもモンスター?」
「右手熊って呼ばれてる。右前足が逆よりも太いのさ。」
俺からは左側しか見えないのでわからないが、そういう事らしい。
「動かせなくて困ってるって事なのか……どうやって台に乗せたんだ?」
「すごい強そうなパーティーが来て、ドカッと乗せてったの。『解体頼む!』って言って。」
メグミが言った。ちょっと不機嫌そうだ。
「アタシがちょっと離れて、メグちゃんに対応してもらったんだ。まあ、アタシが居ても同じだったろうけど。」
「動かすって言っても、どう動かすんだ?」
「普通は後ろ脚を縛って天井の梁から吊るすんだ。これだけ大きいと無理だから、せめて腹側をこっちに向けたいんだけどね。」
「それにしても、3人でできる事じゃないですよね。スタッフの人とか、冒険者に応援を頼めないですか?」
メグミがおばさんに言った。
「そうだねぇ、それしかないか。」
俺は棚の前に行き、一つの鉄でできた器具をとった。
「これを使えばいいんじゃないのか?」
「……あんた、それが何だかわかるのかい?」
「えーと。これは滑車だ。ほら、同じものが梁にかかってるだろう」
上を見ると太い梁から滑車がぶら下がって。その隣には頑丈そうなフックがいくつもある。
「俺も実際に使ったことはないけど、重いものを吊り上げるのに役立つ道具だと思うんだが。」
「……前任者が急に辞めちゃってね。完全には引き継げてなかったのさ。」
おばさんが言う。
なるほど、それなら知らなくても不思議ではない。
「これを使ってみよう。使い方は、手探りになるけど。」
探してみると滑車用の太いロープもたくさんあった。おばさんは太すぎて使えないと思っていたらしい。捨てなくてよかったと言っている。
最初はただ梁から下がっている滑車にロープを通し、熊の後ろ脚に結んだロープを引っ張った。もちろん動かない。これでは滑車の意味がない。
俺は棚にあった滑車をどう使うのか、はじめはわからなかったが、理屈は思い出した。
滑車の原理は持ち上げたい物を1メートル上げるには2メートル引っ張らなければいけないという事だ。ただし、力は半分で済む。
熊の脚を縛ったロープは棚にあった滑車のフックに掛ける。滑車のロープは梁の静滑車、動滑車、梁の静滑車と複雑に渡さなければいけない。
棚にあったのは動滑車、梁に吊り下げられていたのは静滑車だ。読んで字の如く、動く滑車と動かない滑車。
「ねえ、カヒト。これも滑車かな?」
メグミが棚を指さしている。動滑車よりも大きく、ハンドルがついている。ウィンチだ。
「ああ、そうか!それがあるのか。」
俺は女性二人に指示を出し、苦労しつつロープと滑車、それにウィンチを組み合わせた。
ウィンチは床面から突き出ている金具に引っ掛ける。
「この床の出っ張りってそのためにあったのかい。何度も蹴躓いて、邪魔でしょうがないと思ってたんだけど……それで、どうなるんだい?」
「まあ、見ててくれ。このハンドルを回すと……」
俺はウィンチのハンドルを回す。が、重い。しばらく動かさなかったのだろう。ちょっと固まっているらしい。
何とか回りだし、ロープがピンと張った。熊の後ろ脚が少しずつ持ち上がる。
「スラ子、こっそり手伝ってくれ。」
俺はスラ子にだけ聞こえるように言った。もっとも、メグミにはバレるだろうけど。
「はい、マスター。お任せください。」
途端にハンドルが軽く感じる。グイグイと回すと熊は台の上で引きずられ持ち上がってきた。
限界まで引き上げた。滑車の高さ分があるので梁から1メートルくらい低く、熊の頭が床についている。




