転移と出会いと
ー転移ー
トラックにはね飛ばされた俺は、そのままの勢いで次元の壁を越え異世界へと転移した。
気がつくと俺の前に一人の男が立っている。いや、女かもしれない。とにかく『誰か』だ。ふと、どうやら神様らしいことがなぜかわかった。
「お前はこれから異世界に行く事になる。そこで一つだけ特殊な能力を授けてやろう。」
「の、能力、ですか?」
「そうだ、どんなものでもいいぞ。」
「どんなものでも。……例えば貰える能力を10個にしてもらう、とか。」
「それが望みなら良いが……能力を授けた後は私とお前が再び会うことはない。宝の持ち腐れだぞ。」
「うーん、そうか。じゃあ、不老不死というのは。」
「それは2つだな。不老か不死か、どちらかだけならよい。」
「……仮に不死を望んで、致命傷を負ったらどうなりますか?」
「怪我の度合いに依るが……例えば首が切れたら、動く事も出来ず、さりとて死ぬこともなく永遠にそのままだ。あるいは運良くずっと怪我をせずとも年々体の調子は悪くなり、目も耳もきかないまま世界の終わりまで過ごす事になる。」
「……怖……」
「それにするか?」
「絶対にイヤです。うーん……そういえば、異世界ってどんな感じなんですか?馬がいない世界で乗馬の能力が有ってもしょうがないし。」
「剣と魔法の世界だ。モンスター、ダンジョン、エルフにドワーフ。ドラゴンもスライムもいる。まあ、良くあるやつだと思えばいい。」
「良くあるかどうか分かりませんが。」
「剣の達人とか、魔法使いの才能なんかが使いやすいだろう。」
「なるほど……しかしそういう能力は自力で習得出来ないのでしょうか?」
「出来る。一生をかけて手に入れるのもいいだろう。」
しかし、それを今労せず授かれば大きなアドバンテージになる、というわけだ。
「うーん……ちょっと考えてもいいですか?」
「良かろう。好きなだけ悩むがいい。」
やれやれ、これが異世界転生、いや転移ってヤツか。いきなりの展開で頭が飽和状態だが、何とか落ち着いて考えてみよう。
とりあえず元の世界に戻るというのは無理なんだろう。
異世界へ行くのを前提に、特殊な能力を貰う。受け入れるしかなさそうだ。
ではどんな能力がいいか……
そもそもボーナスみたいなものなのだろうから、どんな能力を貰ってもありがたい。
欲しいが貰わなかった能力はそれこそ自分で努力すれば良いのだし……。
普通に考えれば後でどう頑張っても手に入らない能力がいい。
良くあるのは「鑑定」とかだろうか。それも本当に後で手に入らないかどうかはわからないが。
誰もが羨む美貌、とか単純に世界最強なんかも捨てがたい。しかし、あまり目立つようなのは性格的に合わないような。
もっとシンプルに健康な体、とか?
うーん、なんだか分からなくなってきた。
いや、原点に立ち返ろう。こんな時は既存のマンガや小説から借用すればいい。
ワープなんかはいいぞ。いつでもどこでも好きな場所にワープできる能力。
あのマンガの『四次元マンション』も強い。いわゆるアイテムボックスだが、自分やほかの人もその中に入れる能力だ。制限は有るがワープ的な事も出来る。
それとも、やっぱりTASだろうか。記憶を保ったまま過去をやり直せる能力があれば何でもできるはずだ。
そう思って神様に言ってみた。のだがどうにも手応えがない。どう言ってみてもうまく説明出来ないのだ。
神様も一生懸命理解しようとしてくれているが、TASなんかは全くわからないらしい。「TAS の作り方」とかのネット記事や動画を見たことがあれば、あーあれね、となりそうだが、コンピューターゲームも分からない神様に説明するのは難易度が高い。
神様はゲームしないしニキニキ動画も見ない。
ワープは分かるようだが、移動先の物質と重複して存在してしまうのでワープした瞬間に核融合爆発が起きると言うのだ。ちょっと疑わしいが神様の言うことなので本当なんだろう。
などと、俺はかなりの疑問をぶつけ、神様はそれに答えを出して行った。
話しているうちに、俺は「この神様、面倒見が良いなぁ」と思うと同時に「結局ありきたりな能力しか与えてくれないのでは?」という疑念が湧いてきた。強すぎる能力は難癖付けて与えてくれないか、分からないで流される…………。
どれだけ問答をしたのか分からなくなってきた頃、こんな事を聞いてみた。
「世界の支配者になりたい、と言うのは?」
「それは能力ではないな。」
「では全てを従える能力、では?」
「それなら良いぞ。そうするか?」
「えっ、良いんですか。」
「うむ。」
「なにかまた落とし穴があるんじゃ……」
「疑り深くなってきたな。大丈夫だろう。あえて言えば、お前にとってつまらん世界になるかもな。何でも思い通りというのは。」
「……。」
「しかし安全だし、悪くなかろう。」
「うーん……」
「やれやれ、まだかかりそうだ。……では『全て』ではなく特定の存在だけを従えるのはどうだ?例えば人族、とかな。」
「いいかもしれません。……モンスターを従える事も出来ますか?」
「つまりモンスターテイムの能力かな。良いぞ。」
「ではそれでお願いいたします。」
その時の俺は正常だったのか……。
そこでは疲労などはなかったので疲れて判断力が鈍くなっていたという事は無いはずだが、悪くないと思ったのだ。
「良かろう。ではおまけで、ある種類のモンスターにはとりわけ好かれるようにしてやろう。まあ、それ以外のモンスターを従えるには条件が必要だが……。何せお前はこれから、体一つで転移しなければならん。気の毒だが、決まりなのでな。」
「えっ?ちょっと……」
土壇場で何だか重要そうなことを言われ、焦って待ったをかけようとした。面倒見の良い神様だし、もう少し……。
「では、眠れ。」
何と言うべきか考えているうちに、神様は粛々と手続きを進め、俺の能力は決められた。モンスターテイム。そしてある種類のモンスターに好かれる能力。意識がハサミでばっさりと切られたかのように途切れ……。
ー1日目ー
ビシャッ
そんな音が聞こえたような気がした。
しりもちをついたような痛み、まぶしい日の光、肌を刺す寒さ、水溜まりに倒れこんだのか下半身が濡れた感覚。目を覚ますと同時に様々な刺激に一度に襲われ、俺は完全にパニック状態になっていた。
「なっ!何っ!なんだ!」
誰かに説明を求め、要領の得ない声を張り上げた。
もちろん、誰も答えてはくれなかったが、少しだけ状況が飲み込めてきた。
おそらく俺は地上数十センチの場所に出現したのだろう。核融合爆発はお預けだったようだが。
そして真下には運の悪い事に水溜まりがあったと。やれやれ、初っぱなからケチが付いたな。
何だかぼんやりした視界で少し苦労しながら立ち上がる。
ふと自分の体を見てみると……なんと!俺は何も着ていなかった。いや、神様が言っていたな。「体一つで」と。だからといって納得できる話ではないが。
トラックにはね飛ばされた時は確かに服を着ていたのだ。そのまま転移してくれれば良いのに!
さらに俺はとんでもない事に気が付いた。服より重要?なメガネを掛けていないのだ。
何だ、そんな事か。と思うか?いやいやいや。ちょっと待ってくれ。こちとら小学生の頃からの年季の入った眼鏡っこなのだ。一歩も動けない、って程ではないが、かなり厳しい。
「マジか~……」
もしかしたら元の世界の産物がこの世界に悪影響を与えるのかもしれない。それで「決まり」として裸で転移させられたのか。だからといってやっぱり納得できる話ではないが。
まあ、考えてみた所で分かる訳もない。
何だかがっかりするような事ばかり起こり、俺のテンションはガックリと落ち込んだ。
「はー……俺、この世界に歓迎されてないのかな……何だかこの水もずっと纏わりついてるし…………ん?」
我ながら悲壮な呟き、そして妙な事に気付いた。
下半身を濡らす、水溜まりの水がいつまでも落ちる気配がないのだ。
触ってみると腰の辺りまで濡れている。その水が、ヌルッというかぷるんっとしているような……
「……?…………………………!!」
動いた!腰に置いた手のひらの下で、確かに水が動いていた。それも、重力に逆らい上へと登って来ているようだ。確かに、さっきまでは濡れていなかったはずの、へその辺りにまで水が来ている。
「動く水?!……まさか!」
スライム
その単語が脳裏に浮かび上がり、俺は本日二回目、五分ぶりのパニックに襲われた。
「スライム?最弱?いや、強敵?服だけを溶かすあっそもそも着てない 丸呑み?その前に喉に入って窒息 スライムで溺れ死ぬのか 嗚呼ついてない 戦う?武器もなく、眼鏡も掛けてないのに?勝てる?無理無理 あー死んだ 溶かされるのかな 皮膚も筋肉も溶けて自分の骨を見る事になるのか痛いんだろうな だったら窒息のほうがまだましか でも嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……………………………………」
頭の中は支離滅裂。死への恐怖で恐ろしい想像が広がり、恥ずかしながら失禁すらしていたらしい。自分の尿で太ももが温かく……ならない?わずかに疑問はあったがすぐに霧散する。
「あっそうだ!スライムは火に弱いだろ!火!炙れば逃げ出すはず!よしっ!火!火!ってあるわけねぇ!せめて眼鏡があれば太陽光を集めて……というのも無理だ 近視用のレンズは凸レンズじゃなくて凹レンズだから集光できない あっレンズのくぼみに水をためれはいけるか?じゃあくぼみにスライムに入って貰って……メガネメガネ……ってだからその眼鏡が無いって!…………にしても長いな……」
パニックは長くは続かないようで、時間が立つにつれ訳の分からない事を考え初めた自分を妙に冷静な目で眺めるもう一人の自分がいた。
俺は次に来るはずの死を迎えるため、目をぎゅっというかつむって縮こまっていた。どのくらい時間が経ったのか。
数秒か、何分かは経過しただろうか。いい加減飽きてきた俺は、変に平和な気分になっていた。
先ほどまでとは違い、なぜか心地よいのだ。
「?……そうか。寒さがなくなった……」
ということはいよいよ俺は死んだということか。苦しまずに逝けたようだ。では、そろそろ目を開けても良いのだろうか。まだ俺の目が溶かされていないのであればだが。
まぶたを開くと、先ほどまでと同じぼんやりとした風景が広がっていた。遠くの方に山が見える。かなり大きな山だ。山頂はどうも真っ白になっているらしい。
雪、か。冬の装いといった感じだ。
不意に肌寒い風が頬を撫で、少し冷静になれた。そう、頬は寒いのだ。正確には首から上は冷気で冷えている。
首から下は全部溶かされたのか?視線を下げると俺の裸体はまだあるようだ。
しかし何だかおかしい。妙にテカっているというか、ツヤツヤしている?
目をつむっているうちに、誰かが俺の体にラップでも巻いたのだろうか。
腕を上げ、顔に近付ける。
人がそばにいたら、「そんなに近付けないと見えない?」と言われそうだが、実際見えないのだからしょうがない。
俺の腕は透明の膜に覆われていた。丁度ゼリーをかけたようにツヤツヤとした光沢がある。
恐る恐る指先で触れてみると正にゼリーのプルプル感。思ったよりは薄く、3ミリ程度だろうか。
体毛の一本一本にも丁寧に纏わりついてる。足の裏から首元まで、全身が同じようにゼリーに覆われているらしい。
俺は首の辺りを手のひらで撫でてみた。あごの上からは素肌の感触。その下からがゼリーだ。
いや、もう認めてしまおう。スライムだ。スライムが俺の体を包み、寒さから守ってくれている。
気温はかなり低い。おそらく5℃もないくらいじゃないか?裸では一時間も持たずに凍死する温度だ。
分からない。分からないが、スライムが俺を暖めてくれているのだ。
その事実を飲み込むと自然と感謝の気持ちが込み上げてきた。
「スライムよ ありがとう。」
神様も、こうなるようにスライムの真上に出現させてくれたのだろうか。神様ありがとう。
しかしこの状況は何なんだ?なぜスライムは俺を溶かすでもなく、ただ纏わりついてる?
首から上に来ないのも、俺を窒息させない為の配慮のようだ。
そういう生態なのか?カクレクマノミとイソギンチャクのような共生関係が、スライムと人間の間にあるのだろうか。
ふと、俺の授かった能力、モンスターテイムの事を思い出した。
モンスターを従える為の条件も分からないが、もしかしたらいつの間にかその条件を満たしていたのかもしれない。
恐怖は完全に無くなっていた。このスライムが俺に危害を与える事はないという、説明のつかない確信があった。
自分の股間の辺りをみると何となく黄色みを帯びてるような……?
「ごめん、スライム。」
先ほどの失禁でスライムを汚染してしまったのだろう。排出してくれれば良いのに、どうも混ざってしまったようだ。
仕方ないのでそのあたりは見ない事にした。顔を上げ、周りを見回す。
森の中だ。
うっそうと繁っているという程でもないが、樹高10メートルくらいの木々が俺の周りに生えている。
こんな森の中なのに日差しはある。葉がほとんど落ちているのだ。地面は落ち葉に覆われ、所々に枯れ草が有るが歩くのに支障はない。
背の高さに枝を張るような低木も、見える範囲にはなさそうだった。
もしかしたらこの辺りは人の手が入っているのかもしれない。薪や山菜、キノコや木の実を採るための林。だとしたら人里が近いということだが。
人の居るところに行くのは必須だろう。
凍死の心配はなくなったとはいえ、このままでは他のモンスターに襲われるか、そうでなくても飢え死にだ。
「とは言え、人里があったとしてどの方角かも分からないし……なあお前、どっちに行けば良いと思う?」
俺は自分の胸辺りに向かって話し掛けた。スライムの中心?のようなものが有るとすればその辺りだろうと思ったのだ。
そもそもスライムに耳があるようにも思えない。
独り言のつもりだったが、予想に反して答えが返ってきた。と言ってもスライムがしゃべった訳ではない。俺の体をさざ波が駆け抜けた。胸の辺りから手足へ向かって、心地よいようなくすぐったいような刺激が走る。
「へっ、返事をした?」
「お前、俺の言っている事が分かるのか?!」
また、ザザザッという波が体をかける。俺の話しに反応しているようだ。
「あっ、暖めてくれてありがとう。下手すると何も出来ないまま終わりになってたよ。助かった!」
柄にもなく饒舌に、俺はしゃべり続けた。話しかける対象がいたことが、単純に嬉しかった。
妙に早口になりながら、ただ話しかけたり、色々な事を聞いてみた。
お前はスライムなのか?とか、ここはどこだ?とか、人里は近いのか?なんて事を言ってみる。スライムはその度にさざ波を返してくれた。しかし具体的な回答はない。
「はい」と「いいえ」の違いも判別出来ない。現状、このやり取りは特に助けにはならなそうだった。
それでも一人きりではないという安心感、あるいは結局一人きりかもしれないという不安感から、俺はスライムに話し続けた。ちょっと早口で。
ザクザクと、落ち葉を踏みしめ、歩きながら話しかける。正直、何のあてもないが、遠くに見えていた高い山を背にして歩く。
地面は平坦で、所々に岩が露出しているが下生えや藪もなく歩きやすい。
裸足なので足の裏を怪我しないか心配していたが、スライムが守ってくれているようだった。ゴムくらいの固さにはなれるらしい。
ザクザクと落ち葉を踏みしめながら、歩く。……何もない……かれこれ三、四時間は歩いただろうか。さすがに疲れ、スライムに話しかける事もなくなった。
背後には目印にしていた山が全く変わらず、いや、明るくなって来ている。頂きの雪に光が反射し、まるで輝いているかのようだ。
太陽は高い位置に動いていた。この世界に来た時は日の出の頃だったのだろう。
喉も渇いた。しかし小川すら見る事はなく、食べられそうな木の実も何もなかった。
モンスターに会わないのは幸いだが、先行きの不安は否定しようがない。
「はあはあ 山に向かうのが、正解、だったのか?麓に、村とか、あったかも。……いっそ、引き返す、か?しかし……」
遂に俺は立ち止まり、その場で仰向けに倒れこんだ。
「はあ……一旦、休憩だ……」
スライムがさざ波で答える。少し心配されているように感じるのは気のせいだろうか。
「……喉、渇いたなぁ……」
冬の乾燥した空気で、喉は張り付いている。まだ我慢できる程度だが、このまま水が見つからなければ本格的にヤバい。
と、目の前に何かが現れた。
透明な、棒? 頭を上げてよく見てみると俺の胸から弧を描いてその棒が顔の前に伸びている。スライムがやっているようだ。
「どうした。お前、何かやりたいのか?」
遊び?いや、何かの意図がある。俺の体を暖めてくれて、話し掛ければ返事を返してくれる。そいつがいきなり自分のやりたい事をやって来るはずがない。
よく見ればその棒の先端には穴が空いているようだ。目の前に差し出されいるので俺でも見える。つまり棒というより、筒だ。
「……?……ストロー……か?」
口を近づけ咥えてみる。これ、いかがわしく見えないか?と思ったが誰もいないんだ。遠慮する事はない。
と、口の中に何らかの液体が広がった。張り付いていた舌を濡らし、喉が潤っていく。
思わず夢中で吸い付いた。しかし吸ってみると液体が止まる。その代わり溶けないゼリーが口の中いっぱいに広がった。
びっくりして口を開けると中のゼリーが変形しながら出ていく。スライムもびっくりして焦っているような感覚が、何となく分かる。
上体を起こし自分の胸から出ている突起を見ていると、再びストローが目の前に形作られた。
何が起きたのか……。ちょっと考えてみると、どうやら俺はストローから出る液体ではなくストロー自体を吸ってしまったらしい。
そもそもスライムは口の中に入るのを嫌がっているようだ。
俺に食われるからか?あるいは、喉が塞がれば窒息するのが分かっているようにも思える。体を覆ってくれているが、首から上へは来ないのもそういう理由だろうし。
まだ憶測に過ぎないが、このスライムからは優しさと、そしてちょっと底知れない賢さのようなものを感じた。
結果、俺はただ口を開けるだけ、というのが最善だと気が付いた。そうすればスライムはストローの先端から液体を噴射してくれる。一口分がたまれば口を閉じ、飲み込めば良い。
「もういいよ。ありがとう。」
充分に喉も潤いスライムに礼を言うとストローがするすると変形して引っ込んだ。胸の辺りには初めから何もなかったようにツヤツヤしている。
しかし……なぜスライムは俺が水分を必要だと分かったのだろうか。
「喉が渇いた」とは言ったが、今まで話した感じではスライムは俺がしゃべっているということは分かっていても、その内容までは理解していなかったと思う。
あるいは理解していたが答えを持っていなかっただけなのだろうか。どっちへ行けば良いか、スライムも分からなかったのなら返事のしようがない。
もっとあり得そうなのは、ただの偶然という事だ。俺が水を欲しがったタイミングとスライムがくれたタイミングが偶然合っていただけ。しかし俺が、もういい、と言ってストローが引っ込んだのはタイミングが絶妙すぎる。
「…………。」
まあいいか。また喉が渇いた時には、同じように潤してくれる。そんな確信があった。
……。ふと、自分の股間に目をやった。歩き始める前は黄色みを帯びていたそこが、今は他の所と同じ透明だ。
……。さっきの液体は何だったのだろう?無味無臭だったとは思うが……。あまり深く考えない方が良さそうだ。
ともかくこれで水の心配もなくなったと思って良いだろう。
俺はサバイバルの「3の法則」というのがある事を思い出した。次のようなものだ。
1つ 人は適切な体温を維持出来なければ3時間しか生きられない。
2つ 人は水なしでは3日間しか生きられない。
3つ 人は食料なしでは30日間しか生きられない。
……まあ、マンガの受け売りだが……。
今、「3の法則」のうち2つをクリアしているというわけだ。
これで随分安心感が違って来る。
どちらもスライムがやってくれたことだ。俺自身は特に何もしていないので、俺の才覚とかではまったくないのだが……。
休憩も出来たので、また山を背にして歩き始めた。スライムに話しかけるのも再開だ。今度はなるべくスライムが答え易いであろう質問を、考えながらしてみる。
「なぁ、人間を見たことはないか?もしあったら、さっきのストローで方向を指してみてくれないか?」
答えはさざ波だ。見たことがないということか。そもそも「見る」というのが分からない可能性もある。
「波を起こせるってことは振動出来るんじゃないか?俺の声を真似て振動してみてくれないか?いくぞ。……あーーー!」
音は空気や物の振動だ。スライムの表面がスピーカーのコーンのように振動すれば、空気を震わせることは無理でもそれに接している俺には音として伝わる筈だ。
しかし答えはやっぱりさざ波だった。……いや、さっきまでより波が細かく、早かったような……。うーん確信はない。ないがちょっと試してみるか。
「あーーー」さざ波。
「あーーー」さざ波。
「あーーー」さざ波。
何度か繰り返す。うん、細かい波になってきた。しかし波の長さが明らかに短くなった。
それに、最初は俺の声に続けて間髪入れず、という感じだったが、今は一拍、二拍おいて波が来る。息も絶え絶えという感じ。
もしかして、やっちまったか?
今スライムに死なれたり、そうでなくても愛想尽かされて離れられれば、残念!俺の冒険はここで終わってしまう。
「ご、ごめん!疲れちゃったよな!スライムも休憩休憩!」
小さなさざ波。
俺は思わず口を押さえた。押さえた手のひらからスライムが離れて行くのが分かる。口には近づきたくないのだ。
黙って手を下ろすとまた手のひらを覆ってくれた。そのまま離れてしまうかとヒヤリとしたが、一安心。
落ち着いて考えてみると、なぜこのスライムは俺にくっついていてくれるんだ?俺はもちろんありがたいが、スライムに何かメリットがあるのだろうか。
スライムも生物だろう。まだこの世界のモンスターだとかその他の動物の定義が全然分からないが、動いているし生き物だろうとは思う。……だよね?
分からない。が、考えのとっかかりとして、そう思っておこう。
生き物ならば欲求がある筈だ。食欲、睡眠欲、性欲。この内のどれか、あるいは複数を俺とくっついていることで満たしているのではないか?
であれば俺はスライムに与えるメリットを消さないように、そしてそれ以上のデメリットをスライムに与えないように気を付けなければいけない。
食欲は、一番ありそうだ。呑気で素っ裸の獲物をじわじわと溶かして食ってしまえばいい。
しかし俺は食われているようには思えない。肌が溶けていたら感覚や見た目に変化があっても良さそうだが、そういった事は何もない。
麻酔みたいな事をして警戒されないようにしているのだろうか。だとしても、俺を殺さないように注意を払っているのは何故なのか?
老廃物を食べてるという事もあるな。汗とか垢とか。あとは……尿とか、アレとか。
俺を今殺せば大きな死体は手に入るが、食べきってしまえばそれまでだ。それよりも生かして、ずっと少しずつ食料を手に入れられる方が賢い。そんな風に考えているのかもしれない。
もしそうならば俺にとっては朗報だ。とりあえず生きてさえいればスライムの要求を満たせる。
睡眠欲というのは……イメージが湧かない。スライムが眠るかも不明だし、眠るとしてもそれに人間は必要ないだろう。まさか添い寝して貰わないと眠れないってことはないと思う。
性欲。うーん、……スライムは俺を性的な対象と見ているのか?
ないと思う。互いの生物的特徴が違いすぎる。
可能性で言えば「この世界ではスライムは別の生物種と交配する」なんて事も考えられる。が、それを言えばきりがない。
しかし、もしかしたらこのスライムは今、正に交尾している最中とか。
……スライムが離れて行かないようにするために、俺が出来る事は特に無いな。
黙々と歩く。他に出来る事はない。スライムに離れられても死なない為には人に会う、人里を見つけるのが最善だ。
まだ疲れているかもしれないスライムに話し掛けるの憚られ、ただザクザクと落ち葉を踏みしめ、歩く。
「♪フンフーン、♪ンーンー……」
つい、鼻歌が口に出た。スライムに話し掛けていると思われると困るな、と少し思ったが止めるのもおかしいので続けた。
スライムはさざ波を返して来ない。何となく、聞き入っている、と思う。そんなに大層な歌ではないが。
リズムは適当だし音程もすぐにズレる。そんなもんだ。
興が乗ってきて、鼻歌ではなくちゃんと歌詞を歌ってみる。
脳内にメロディーを流し、好きな歌をつらつらと歌った。歌詞が曖昧なところもなるべく思い出し、正確に歌う。
考えれば、好きなアーティストの歌も、もう聞けないんだな。
俺が忘れれば、今は口ずさむ事の出来る歌も、この世界から永久に失われてしまう。
出来ればずっと覚えていて、いつか楽器を手に入れて演奏でもしてみたいが……
こんなことを考えていられるのも、何もなくて平和だからだな……。今の所。
歌を歌いながら歩いている。冬の森は静かなものだ。
鳥の声もしない。みんな冬眠しているんだろう。
いや、今、何か聞こえなかったか?俺の声ではない。風の音でもない。人の声のような……
「……キャー!!」
悲鳴だ!ど、どっちだ!?目を閉じて耳を澄まし、声の聞こえた方向を探した。その時、何かに引っ張られるような感覚が。
スライムが腕を引いている?右腕を覆っている部分が勢いを付けて俺の腕を引っ張っているのだ。
「あっちか!」
引かれるままに駆け出す。冷静に考えれば、行ってどうしようというのか。
誰かが困っているとして、助けられるのか?
モンスターに襲われていたら、助けに入った俺も餌食になるだけだ。
その時は何も考えてはいなかった。誰かが助けを求めている。それなら助けよう!それだけだ。
「キャー!✕✕ー!✕✕ー!」
声が近い。……しかし、悲鳴にあまり悲壮感が無いな……。余裕があるというか……。
がさがさという葉擦れや枝が折れるような音もする。激しく争っているようだ。
目の前に高さ1メートル位の藪がある。声の主はその向こうのようで、姿は見えない。しかしなにやら緑色のうごめくものが見えた。モンスター?大きくはないようだ。一か八か、威嚇して追い払う!
俺は走ってきた勢いのままに藪を飛び越え、叫んだ。
「うおおーーー!!」
俺の目の前には人がしゃがんでいた。顔はよく分からないが、さっきの声や、雰囲気からすると女性だろう。
その隣の緑色のナニモノカが、女性に絡んでいる。人型で二本の足で立っている。高さは俺の半分位か。
武器はなさそうだが、腰にはぼろぼろの布か皮みたいなものを巻いている。
俺の知識で言えば『ゴブリン』というのが適切だろう。
それを見た途端、俺は自分が丸裸であることを思い出した。
あれ?俺って今 客観的に、どう見えてるんだ?
全裸で雄叫びをあげながら、女性の前に飛び出してきたおっさん。
これは社会的にどういう扱いなのかというと、「変態」という他ない。
俺に比べればゴブリンの方がよほど紳士的と言っていいだろう。隠すべき部分は隠しているし。
元の世界であれば、女性がどちらを通報するかというと間違いなく俺だ。
女性、ゴブリン、そして俺はお互いに向き合ったまま微動だに出来ずにいた。
先に動いた方が負ける、ってわけじゃないが次にどうすればいいのか誰にもわからなかった。
女性は全裸の変態に強い。変態はゴブリンに強い。ゴブリンは女性に強い。
ここに新たなる三すくみが完成してしまったのだ。
最初に動いたのはゴブリンだった。
諦めるように何かから手を離し、こちらを警戒しながら5メートルほど後ずさると、パッと翻り走り去った。
三すくみは解除された。残ったのは変態と、その天敵である女性。
残された二人がお互いを見る。
改めて女性を見るとなかなかスタイルが良い。手には明るい茶色の物を持っている。バスケットか何かだろう。ゴブリンはそれを奪おうとしていたのかもしれない。
モンスターがひったくりとは、何だか間抜けだが。
女性の表情は分からない。メガネが無いので細かいところは見えないのだ。が、こちらを警戒しているのは明白。
それも当然。彼女にとっては危機はまだ去っていない。むしろ状況は悪化しているとも言える。
何となく股間に視線を感じ、俺は今さらながら両手でアソコを隠した。
他にどうしようもないので女性に話し掛ける。
「ええっと……その……あっ、あの、ご無事ですか……?」
我ながら白々しい。お前に心配されるいわれはない。と、心の中でセルフ突っ込みをしてしまう。
「お、俺は通りすがりの者で……その……こんなナリだけど怪しいモンじゃないんだ!」
真冬に全裸で森を歩く怪しくない人がいるなら紹介して欲しいものだ。
「…………✕✕……✕✕✕✕✕……?」
女性が返事をしてくれた。……おそらく返事だと思う。
しかし意味は全く分からなかった……。
「…………これはまさか…………」
そう、言葉が通じない。
えー……それは無いんじゃないか?神様。そこは自動翻訳機能とか……。
ヤバい。どうする俺?
今、俺は明らかに変態だが、会話さえ出来れば彼女に着るものを持ってきてもらったり、街へ連れて行ってもらう事も出来るかもしれない。その後どうなるかは分からないが……。
しかしコミュニケーションできなければ、俺は彼女にとっては本当にモンスターと変わらない。
俺は頭がくらくらしてきて、思わず後ずさった。
変態という名のモンスターもこの場から退散するしかない。
「✕✕✕✕、✕✕✕?」
女性が何かを言いながら立ち上がった。彼女の服は肩から片袖まで大きく破れているようだ。
「あっ、服が破れてるのか……スライム、彼女の服の破れた所を覆ってやってくれないか?」
深く考えもせず、俺はそう言った。
スライムが実際にそうしたら俺から離れてしまうってことじゃないか。そうなれば俺には死あるのみだ。
しかしスライムは俺から離れなかったし、俺の頼みを聞いてくれた。
スライムの一部が分離して彼女の方へと這っていったのだ。と言ってもその時の俺には、分かっていなかったのだが。
女性はなぜか突然足元を気にし始めた。
いたたまれなくなった俺は急いでその場から離れる。
後ろから声が聞こえる。呼びかけられたのは分かったが、恥ずかしさが限界だ。
とにかくこの場を後にすることだけで頭が一杯だった。
そういえばさっきの場所はちょっと開けていて道になっていたような気がする。ということはその道が近くの街か村へと通じているのか。
彼女が無事に街へ戻れることを頭の片隅で祈りながら、俺は逃げた。
2021/12/18 一部表現と改行を修正
2022/01/25 サブタイトルを『転生と出会いと』から『転移と出会いと』に変更